”ブルーリーダー、ブルーリーダー。ディス・イズ・レッドリーダー、オーヴァ”

耳から響くその声でベックマンは我に返った。すぐに意識を覚醒させ、現状を把握するために素早くあたりを見回す。
眼に入る光景はいつもと変わりない。空は青く輝き、白い雲は翼の遥か下にある。
目の前にしつらえられた、素人には想像もつかないほど大量に設置された計器類はどれも正常に作動しているようだ。
ベックマンのファントムは完全に戦力を発揮できる状態にある。安堵のあまりため息をつきかけたとき、再び無線が声を発した。

”ブルーリーダー、ブルーリーダー。ディス・イズ・レッドリーダー、オーヴァ”

ベックマンが応答を返さないので焦れているのだろう。彼は表情を引き締めてレッドリーダーに返答する。

「レッドリーダー、レッドリーダー。ディス・イズ・ブルーリーダー。オーヴァ」
” ブルーリーダー ディス・イズ・レッドリーダー、ブレイク。タンゴ7にてミグ八機と遭遇。応援求む。ブレイク。オーヴァ”

ベックマンは怪訝そうに眉をひそめた。タンゴ7はサイゴン近郊を指す暗号符牒だった。
北ベトナムの連中も当然、周囲にはファントムをはじめとした強力な戦闘機部隊が駐留しているのを承知しているはずだ。
そんな中でレッド編隊――彼の親友、ケンドリック少佐が率いている――を攻撃するとはアメリカ軍も随分となめられたものだ。
ベックマンはそう考えながも自編隊の位置を確認して応答する。

「レッドリーダー、ディス・イズ・ブルーリーダー。ブレイク。現在位置ホテル3。
 何とか持たせろ、アッシュ。俺はまだこの前のポーカーの貸しを返してもらって無いぞ。ブレイク。オーヴァ」
”ブルーリーダー、ディス・イズ・レッドリーダー、ブレイク。ブルーリーダー、ありがたい、恩に着る。
 だが急いでくれ、ベック。俺に5ドル返して欲しいならな!ブレイク。オーヴァ ”
「ディス・イズ・ブルーリーダー。ラジャー。俺の取立てはしつこいぜ。待ってろ、親友。アウト。」

ベックマンは配下の全機にタンゴ7への急行を命じる。全機からの了解という返事を受けとり、機首をサイゴンに向ける。

「しかし、タンゴ7とはな。」

会敵まであと2分ほどか、彼がそう考えたところで後席に座るハイネマンが皮肉げに言った。

「サイゴン近くにまでミグが出てくるなんてな。我々のファントムと連中のおんぼろミグとじゃ勝負にならんだろうに。
 よほどスクラップになりたいらしいな、北ベトナムの連中。サイゴンのスクラップ屋から金でも貰ってるのか?」
「そうかもしれんな、ハイ。そしてそれが、ベトコンにとって重要な資金源の一つなのかもしれんぞ。」

まもなく視認できる距離に入る事を確認したベックマンは古くからの相棒に答えた。
ハイネマンは楽しげに笑い声を上げたが、すぐに真剣な声になって言った。

「――大丈夫か、ベック。さっきは少し様子が変だったぞ。なんというか、その――」
「問題ないさ、ハイ。・・・ま、次の外出ではネップ・モイは控えておくよ。いつも心配させてすまんな。」

ベックマンはそう言った次の瞬間、前方の空域にかすかに何か煌くものがあるのに気がつく。
おそらくミグの銀色の機体が輝いているのに違いないと考えた彼は、GE製ジェットエンジンのアフターバーナーを――

統合暦79年2月10日 神都アケロニア郊外・青竜騎士団司令部

キャンディス・フォン・ベックマン青竜騎士団長は神都アケロニア郊外にある青竜騎士団司令部の団長私室で眼を覚ました。
彼女は目を見開きながら飛び起きる。寝台が軋み、キャンディスに抗議の声をあげた。
早鐘のように脈打つ心臓を押さえるようにして上半身を起こしたところで、彼女はようやく今の出来事が夢だったと気づいた。

――何だ、今の夢は?ファントム?サイゴン?ベトナム?ミグ?・・・聞いたことが無いはずなのに、何故か知っている気がする。
  それに、空中戦をはじめるところだったのは確かだが、あれでは、まるで――

女は目つぶり、軽く頭をふってその考えを退けた。
たとえ夢の中だとしても、誇りある青竜騎士団長である自分が飛行機械の騎乗士だったなどという事は考えたくも無い。
飛行機械は、何がどうであろうとも彼女たち大協約軍人にとって最大の敵だ。
その飛行機械に、こともあろうに青竜騎士団長である自分が乗るなどと――あまつさえ、操縦するなどという事はありえない。
ましてや、昔からの親友でもあるアシュリーが――赤竜騎士団長までもが飛行機械に乗るなどという事は絶対に無い。
あれは、誰がなんと言おうとも夢だ。そう、夢でしかありえない。

キャンディスはため息とともに目を開き、現在の時刻を確かめる。夜更けではあるが、まだ日付が変わってはいない。
床に入ってからまだほんの一時間ほどしかたっていない。寝付くと同時にさきほどの夢を見たのだろう。
幼竜どもの世話で疲れているのかもしれない、そう苦笑した彼女は暗闇の中で自分の手を見下ろした。
常人よりは力強いものの、紛れも無く女性の手をしている。先ほどの夢で見たような、厳つい男性の手ではない。
子供の頃には男性の手に憧れていたものだった。自分も、武芸を修練すればああいう手になれると思っていた。
だが、実際にはそうはならなかった。確かに民間人よりは立派だが、今は亡きフィンレー副官のさざえのような拳とは違っていた。
それでも良い、そう思えるようになったのは騎士団長になってからの事だ。それほど昔の事ではない。
キャンディスは右手を数回握り締める。紛れも無い女性の手。先ほどの悪夢で見た、ごつごつとした手ではない。

彼女は自分の手が自分のものである事を確認して安堵し、寝台から立ち上がった。
室内履きをつっかけるように履き、窓際に歩を進める。カーテンが掛けられていない窓からは月光が差し込んでいた。
キャンディスは高級だが豪奢ではない絨毯の上を音も無く歩く。彼女の姿が団長私室内に長く影を落とした。
彼女はそのまま窓に手をかけて留め金を外し、一呼吸置いてから一気に開け放った。
アケロニアの冬は、とくに夜は寒い。その冷たい空気が室内に流れ込み、僅かに燃えさしが残る暖炉のぬくもりを消し去った。
キャンディスは深呼吸してその鮮烈な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。身を切るような寒さは、しかし彼女には心地よい。

彼女は窓から遠くを眺めた。郊外の小高い丘にある青竜騎士団司令部からはアケロニア市街が良く見える。
夜もずいぶん遅いというのに、東方大陸最大の都はいまだに活動をやめていないようだ。
街は様々な光で満ち溢れていた。松明を燃やしているだろう薄明かりに、魔水晶の鮮やかな原色が彩りを添えている。
一際明るく光っているのは大闘技場だろう。確か今月の出し物は大蛇対巨猪だったな、彼女は思い出した。
どちらも昼間よりは夜間の方が活動が活発な生き物だ。夜の今こそ、その対決で盛り上がってるのかもしれない。
彼女は官庁街に視線を移した。流石に戦争中ということもあり、ほとんどの建物には明かりがともっているように見える。
大協約軍最高司令部――高くそびえる"黒煉瓦"は少し異なる。明かりは漏れず、代わりに赤く明滅する点のようなものが見えた。
これは夜間飛行時の衝突防止用として設けられたものだ。"黒煉瓦"はその色ゆえに夜間は闇と一体化してしまうのだ。
実際には衝突するようなへまをするドラゴンもワイバーンも居なかったが、軍の煩型はこういう些細な事にこだわるものだ。
キャンディスが彼女の士官学校時代に経験した、”煩型”とのやりとりを思い出したとき――

アケロニアから光が消え始めた。官庁街の明かりが落ち、盛り場の明かりが落ちる。
闘技場はまだ明るいが、それでも光は少しずつ弱まっている。おそらく、松明と魔水晶の数が多いために消しきれないのだろう。
彼女はそう思うと同時に、別な事にも気がつく。これは、まさか――
市内から遠吠えのような角笛の音がかすかに聞こえてくるのと、団長私室の扉をたたく音が聞こえるのはほぼ同時だった。
彼女の誰何に応じたのは当直担当のマシュー先任隊長だった。彼女は扉を開け、青白い顔をした彼が何か言うよりも早く尋ねる。

「敵か?目標はアケロニアだな?」

マシューは驚いたように目を見ひらく。なぜ知っているのだろう、そういう顔をした彼に向かって彼女は続けた。

「夜風に当たりながらアケロニア市街を眺めていたら、灯火が消えていったからな。・・・何が起きた?」

先任隊長は団長の言葉に納得したように頷き、やや慌てた様子で言う。

「”カラス”の大集団が接近中との情報が入りました。距離およそ三百マイル。"黒煉瓦"は、狙いはアケロニアだ判断しました。
 青竜騎士団にも出撃要請が来ています。可能な限りの数を防空戦闘に投入せよ、と。」
「なぜ目的地がアケロニアだと判断したのだ?他の都市かもしれないではないか。」

キャンディスはマシューに問いただした。確かにアケロニアは政治的中心都市ではあるが、魔道産業規模はそう大きくない。
そして、”カラス”――ニホンが保有する大型の飛行機械は軍事施設や重要魔道拠点を襲う事が多かった。
少なくともこれまではそうだ。そう考えた時、"黒煉瓦"の判断はどこか間違っているのではないか、そう思ったのだ。
だが、彼は首を振った。その答えはキャンディスには予想外のものだった。

「事前に"黒煉瓦"には”本日の目標はアケロニア”と連絡があったそうです。誰一人、本気にするものが居なかったのですが。」

何故だ、というキャンディスの視線に対してマシュー先任隊長は答えた。

「発信元がニホン軍だったのですよ。だから、誰も信じなかったのです。」

青竜騎士団駐屯地全域に緊急出動の角笛が鳴り響く。それに呼応するように、兵舎に次々と明かりが灯っていった。
あわただしく会話しながら兵が駆ける音が聞こえ、眠りを妨げられたブルードラゴンが怒りの雄たけびを上げる。
その騒ぎの中でキャンディスは団長私室で従卒に手伝わせながら竜鱗鎧を装着しつつ、通信晶越しに指示を出す。

「そうだ、稼動可能な全騎で戦闘にあたる・・・いや、負傷中のドラゴンと竜騎士は休ませろ。」
「いや、30分後では遅い。可能な限り早く出る必要がある。あと10分以内に第一波として出せるものを全て出せ。」
「"黒煉瓦"と何の連絡も取れないだと?向こうも混乱しているのだろう。構わん、お前は呼び出しを続けろ。」

鎧を着終わり、帯剣したキャンディスに従卒が話しかけた。ひどく緊張した表情だ。

「あの、団長。アケロニアは――」

それ以上は言葉にならない様子で口ごもっている。その先は聞くに聞けないのだろう。
不意にキャンディスは、この少女はアケロニアに家族がいる事を思い出した。彼女は少女の頭に手を乗せると言った。

「任せておけ。”カラス”ごときが何騎こようとも敵ではない。我等の稲妻で蹴散らしてくれよう。」

”おお、良いところに!キャンディス団長、早く何とかしてくれ!”

竜舎に向かったキャンディスを、騎竜たるハイ=スカイがその長い首を振り向かせて出迎えられた。
滅多に使わない"キャンディス団長"という呼びかけの声から、相当に困っている事が判る。

「どうした?」

キャンディスが問いかけると、ハイ=スカイの巨体の影から幾分小さなブルードラゴンが姿をあらわす。
幼竜達のリーダー格、ツイスター=スカイだ。筋もよく、あと五十年もすれば優秀な竜になるだろうと彼女は思っている。
ハイ=スカイもツイスター=スカイを"スカイア"と呼んでかわいがっている。同じ"スカイ"を冠する者同士、気が会うのだろう。
"スカイア"はハイ=スカイの影から出ると、キャンディスに詰め寄ってたどたどしく言った。

”キャンディス団長、ぼくたちも出撃させていただけませんか?ぼくたちも、てきとたたかえます!”
「何だと?――どういう事か?」

最後の言葉はハイ=スカイに向けたものだ。団長のブルードラゴンは苦りきった声で言う。

”角笛が鳴っただろう。あれの意味を聞かれてな、うっかり"全力出撃"と答えてしまった。
 そこからはもうずっとこの調子だ。何を言っても聞き入れなくてな、正直困っている。”

キャンディスは苦笑した。時には味方にも恐れられる最強のブルードラゴンが幼竜をあしらえないでいるのがおかしかったのだ。

「大丈夫だ。ここは私に任せておけ。・・・お前たち幼竜隊にはこの基地の守備を命じる。
 私たちが――私とハイとが帰ってくる場所を、何があっても確実に守り抜くのだ。それがお前達の役目だ。良いな?」

幼竜は暫く難しい顔をしていたが、やがて頷く。出撃したい感情と命令に従う義務感において、今回は義務感が勝ったのだろう。
キャンディスは幼竜のあごの下をなでると、ハイ=スカイと連れ立って竜舎を後にした。

契約に基づく儀式が終わり、騎竜鞍は周囲の風景を映し出す。闇夜に緑色のルーン文字が鮮やかだ。
鞍にもたれかかったキャンディスに、ハイ=スカイが思念波で声をかける。

"すまんね、お嬢さん。"
"何が?"
"スカイアの事だ。あいつは見所はあるが、幼竜の割にはなかなか頑固なヤツで――"
"まるで貴方みたいね、ハイ?"
ブルードラゴンが言葉に詰まったのを感じてキャンディスは軽く微笑む。
"でも嬉しかったわ。彼は素質もあるし、成長もしている。もう少しドラゴンとしての年月を重ねれば、きっと――"
"きっと、あいつは良いブルードラゴンになるだろう。あるいは、この俺をも超える竜になるやもしれぬ。
 だから、その為に。"

ハイ=スカイは言葉を切る。みなまで言わずとも、キャンディスには騎竜の言葉の続きがわかった。
彼女は目を閉じ、そしてそのまま言う。

"そうね、その為に。"

通信晶が緑色に点滅する。マシュー・セルティック先任隊長からの通信だった。

「団長、第一陣の出撃準備が整いました。団長を合わせて八騎です。」

キャンディスは呻いた。判っていたことだが、あまりにも少なすぎる。
それを感じたのか、青竜騎士団の指揮官序列第三位のジェレミア准男爵が通信に割り込む。

「第二陣として、私が六騎を率いてあがります。1時間以内には出撃できるかと。」
「一時間だと?馬鹿な、なぜそんなに時間がかかる!30分以内と言った筈だ!」

ジェレミアの言葉にキャンディスは思わず罵声を浴びせた。ジェレミアは恐縮しつつ答える。

「ここ数ヶ月、どうにも魔力が調節できない竜が数騎おります。その竜騎士もまた、体調を崩しています。
 何とか騎竜鞍には放り込みましたが、"儀式"すらこなせないような状態で――」
「・・・<風の海>で初陣を迎えたやつらか?」

はい、というジェレミアの言葉にキャンディスは舌打ちする。問題の根本が体調不良などでない事を知っているからだ。
ドラゴンに騎乗するためには竜と精神を同調させる事が必要になる。僅かでも騎乗に恐怖感を抱くようであれば上手くいかない。
そして、実質的に青竜騎士団が全滅した<風の海>での戦闘を生き残った”運が良い”新人たちは、精神に深い傷を負っていた。
それ以来、青竜騎士団が実戦から遠ざかっていたために騎乗不可問題は表面化しなかったのだが――

「考えられる限り最悪の状態で顕在化するとはな。・・・よかろう、ジェレミア。後で来い。
 第一陣の八騎は私に続け!神都を襲撃しようとする驕敵を打ち砕くのだ!」

”敵飛行機械集団は凡そ二百、神都北東より進入。高度4万フィート以上”

通信晶から聞こえるアケロニア防空司令部の通達にキャンディスは呻いた。状況は我等にとってあまりにも不利だ。
神都周辺の基地から黒獅子鳥が無数に出撃しているのが見える。だが、黒獅子鳥の戦闘限界高度は凡そ2万5千フィート。
その程度の高高度対応能力では何百騎いたとしても”カラス”に損害を与えることは出来ない。
3万フィート以上の高度に対応できる兵力は唯一つ。キャンディス率いる青竜騎士団しかない。
だが、普通のブルードラゴンは4万フィート程度で限界が訪れる。その事実に彼女は顔をしかめる。そして、おそらく――

”敵飛行機械集団、上昇。予想高度、5万フィート。”

防空司令部の淡々とした声にキャンディスは思わず舌打ちする。
5万フィートといえば、よほどの熟練の騎士が扱うブルードラゴンでなければ到達不可能な高度だ。
もちろん、キャンディス直率の八騎は練度が高い。到達する事は十分に可能だ。しかし――

”団長、高度5万では高度維持だけでほとんどの能力を使い切ってしまいます。戦闘は非常に困難だと思われます。”
「そんな事は判っている。」

団長直衛騎士ガーレンからの通信にキャンディスはそっけなく答える。指摘されるまでも無い事だった。
熟練の騎士であっても、よほど竜と同調しなければその高度までは上がれない。気を抜くと一気に三千フィートは高度が下がる。
もちろん戦闘など論外だ。しかし、この反応は織り込み済みなのか、ガーレンはとくに堪えた様子も無く続けた。

”敵集団はおそらく直線的に行動するものと思われます。ここは"重雷破"で一網打尽にするという作戦は如何でしょうか?”

キャンディスは現在の高度を確かめた。騎竜鞍の高度計は3万5千フィートを示し、なおも上昇中だ。
この高度なら、竜騎士最上位魔法の"重雷破"を使うことも出来るだろう。上手くいけば大量撃墜も可能かもしれない。
一瞬考え込んだキャンディスだが、すぐにその提案を退けた。

「駄目だ。八騎では効果が薄いだろうし、かといってジェレミア達を待っていては時機を失う。
 それに"重雷破"使用後には戦闘能力を失ってしまう。・・・高度を5万に上げ、通常通り各分隊毎に攻撃を行う。」

了解しました、というガーレンの短い返事が聞こえる。高度4万に達したとき、暗闇に何か光るものが見え始めた。
キャンディスは目を凝らす。間違いなく飛行機械だ。ハイ=スカイもその姿を認めたのか、思念波で彼女に話しかけた。

"飛行機械ごときが調子にのりおって・・・。よかろう、明日の朝はアケロニアの金屑拾いを儲けさせてやろうではないか。
 もっとも、混沌に汚染されているやもしれぬ飛行機械の金屑が売れるかは判らんがな。"
"そうね、ハイ。でも金屑屋にとって、それは――"

彼女はこの会話に軽い既視感を覚えた。そうだ、先ほどの夢での会話にも細目は違うものの、こんな会話があった。

"どうした?"
"・・・何でもないわ。ハイ、集中して。そろそろ気合を入れないといけない高度よ。"

応、という青竜の返事を聞きながら、そういえば夢に出てきた飛行機械の搭乗席は騎竜鞍に少し似ていた事を思い出していた。

統合暦79年2月11日 法の宮殿

冬の短い太陽が傾き、次第に闇を濃くする頃、一人の人影が法の宮殿の長い廊下を神官王執務室に向けて歩いていた。
特徴ある巨躯と身にまとう威圧感から、顔を見るまでも無くシャイアン・マクモリス第三王子だと判る
彼は昨日のから今日にかけて行われた"カラス"による爆撃についての非公式な報告と意見具申を行うためにここに来ていた。

――酷いものだ。

白い円柱に支えられた天井の高い廊下を歩きながらシャイアンは思った。
一定間隔に置かれた柱は傾いた太陽にあわせて長い影を所々に金や宝石が象嵌された大理石の床に落としている。
彼には、まるでその影がアケロニアを――大協約を侵食する同盟軍の影そのものであるかのように思えた。
”スレイマーン”司令官という立場からすると、確かに現場は良く努力したというのが判る。
警報を出すのが早かったお陰で、人民への被害は最小限に抑えられた。前回の教訓が生きているといえよう。
魔力弾の攻撃目標が闘技場を中心とした地域だったことも幸いした。闘技用の角竜は多数犠牲になったが、それは仕方がない。
このことから、連中の目的は示威行動ではなかったかとシャイアンは思っていた。
だが、昨日の防空戦闘で何よりも特筆すべきは青竜騎士団の活躍だ。
僅か八騎のブルードラゴンが二百を超える飛行機械の実に八割に何らかの損害を与え、三割を撃墜したと公式発表がされている。
しかし――

――戦果を水増ししすぎている。

彼はそう冷静に考えている。元々、キャンディス青竜騎士団長から上がっている報告を知っているためだ。
彼女から上がってきた戦闘詳報によれば、八騎のブルードラゴンが撃破したのは二割。そのうち半数程度が撃墜確実だという。
夜間かつ高高度という悪条件では戦果重複も考えられる。最も悲観的に考えれば二十騎程度しか撃破できていない事もあり得た。
だが、公式発表までの間にその報告はまったく逆の数値、八割撃破という方向に捻じ曲げられた。
確かに正確に発表したのでは国民の士気が保てないかもしれない。
しかしだ、シャイアンは思った。しかし、そうであるならば、この戦争はそろそろ”落とし所”ではないのか。
現状は開戦以来――いや、大協約成立以来、最悪の状況と言って良かった。
開戦当時に破竹の勢いで進軍した事など、もはや遠い過去の話だった。大協約軍は、陸海空全ての戦場で同盟に押されている。
占領地域のうちで残っているのはイーシア地上部だけだが、紅玉竜と飛行機械を押し立てて同盟軍が迫っていた。
もはやこの戦争において勝ち目はない、シャイアンはそう考えていた。あとは、如何に名誉ある形で戦を終えるかだけだ。
爆撃についての報告というのはあくまで口実だった。シャイアンは停戦を父王に訴えるために参内していたのだ。
神官王執務室に続く最後の角を曲がると、部屋の主を考えれば非常に質素な扉が見えた。執務室の扉だ。
斧槍で完全武装した衛兵二人によって警備されているその部屋から一人の若者が一礼して退出するのをシャイアンは見た。
着ているものからすると青竜騎士団の人間のようだ。シャイアンは思い出した。確か、青竜騎士団指揮官序列第三位の――

「シャイアン王子。中で王とアンケル卿がお待ちです。」

衛兵がシャイアンに話しかける。先ほど部屋から退出した青年が彼に礼をしつつ去っていくのを見つつ、シャイアンは答えた。

「アンケルもいるのか。丁度良い、やつにも話がある。」

彼はそう言い、衛兵に扉を開けるように命じた。
執務室は大協約を統べる男の部屋にしては質素だった。大きな机と本棚がある以外、装飾品の類もそれほどない。
壁に貼られた世界地図が唯一の装飾品と言っても良いかも知れない。

「来たか、シャイアン。思ったより遅かったな。」

部屋の主、神官王ヴィンセントが楽しげに話しかけた。シャイアンが何か言うよりも早く、ヴィンセントは言葉を続けた。

「お前が何を言うつもりでここに来たか、私は知っているつもりだ。だが、まずは――」

神官王の傍らに控えていたアンケルが言葉を引き取った。何か冊子のようなものをシャイアンに差し出しつつ言う。

「今回の爆撃を踏まえ、わが軍の次なる行動試案についてお話させていただきたく存じます。」

シャイアンは眉をしかめたが何も言わなかった。これを入り口に”落とし所”を議論するのも悪くない、そう思ったのだ。

「・・・この作戦は馬鹿げている。何の意味があるというのだ、アンケルよ?」

アンケルが渡した”試案”を読み終えたシャイアン・マクモリスは鉄仮面に問うた。率直に言って、作戦目的が良く判らないのだ。

「時を稼げます。その間、我等は体勢を整える事が出来、そうすれば――」

次の瞬間、シャイアンの拳がアンケルの腹部にめり込んだ。彼はそのままアンケルの胸倉を掴み、軽々と持ち上げる。
長身のアンケルの両足が宙に浮いた。その体勢のまま、シャイアンは怒りに任せて言葉を発した。

「我らに時間によって有利になる要素があるとでもいうのか!時間は我らの味方ではない!連中が有利になる一方ではないか!」
「それは――」
「もう良い、アンケル。そこから先は、余が説明しよう。この”戦争”についての、何もかもをな。」

この事態を愉快そうに眺めていた神官王ヴィンセントが快活に言った。だが次の瞬間、彼は表情を変えて真剣な声音で言う。

「だがシャイアン、これを聞いたからには後戻りは出来んぞ。それでも良いのか?」

シャイアンはアンケルを床に放り投げる。喉を押さえて軽く呻いているアンケルを無視し、彼は父王に向き直った。
思いがけない父の言葉に軽く瞑目し、深呼吸してからシャイアンは答えた。

「構わん。親父、話してくれ。何もかもを、この”戦争”に関する全てを。」


統合暦79年2月12日 神都アケロニア郊外・青竜騎士団司令部

従卒がダグラス卿の訪問を告げたとき、キャンディスは仮眠をとっていた。
先日の”カラス”との空戦によって体力も魔力も消耗しきった体はまだ完全に回復していないのだ。
軽く頭を振り、少し癖のかかった黒髪を手櫛で髪の毛を軽く整えながら従卒――幸い、彼女の家族は全員無事だった――に尋ねた。

「ダグラス卿お一人でこられたのか?」
「はい。貴賓室にお通ししてあります。他には供の方が数名お越しですが、皆様別室で待機されています。」
「そうか。ご苦労だった。」

はい、そう嬉しそうに返事をする従卒にキャンディスは軽く微笑むと仮設寝台から立ち上がった。

キャンディスが貴賓室の扉を開けると、ダグラス卿がくつろいでいた。手にはグラスが握られている。
彼女が眉を寄せたのを見て、ダグラスは笑みを含んだ口調で言った。

「私が頼んだのだ。中身は水だけだ、酔ってはいないよ。」

キャンディスは苦笑して彼に対するように椅子に腰を下ろした。ダグラスがグラスに水を注ぎながら労うように言う。

「今回はご苦労だった。敵にかなりの損害を与えたようだから、もう二度とはないだろうが――」
「実際のところ、発表されている戦果は過大も良いところですよ。ご存知とは思いますが。」

にべもないキャンディスの言葉にたじろぐことなくダグラスは言った。

「今まで損害を出すことがなかった大型飛行機械に、一気に十以上もの損害が出たというだけでも十分であろうよ。
 それを成し遂げたのが、僅か八騎の青竜騎士団ともあればなおさらだ。」
「だと良いのですが。」

あくまでそっけない彼女の反応に流石のダグラスも苦笑する。キャンディスはダグラスに尋ねた。

「それで、本日の用向きは一体?・・・やはり、”あれ”に関する事ですか?」
「いや、”そちら”はガニア大司教とケンドリック卿に任せてある。残念だが、まだ時間がかかりそうだ。
 今日ここに来たのは、我らの新しい任務について小耳に挟んだ事を共有しておこうと思ったからだ。」

ダグラスは立ち上がると貴賓室に飾られた一枚の世界地図の前に歩を進めた。

「正式な辞令はまもなく来るはずだが、我らは再び”スレイマーン”とともにイーシアに赴く。
 かの地からの地上軍撤退作戦を支援するため、空中要塞を用いて限定構成を行うための補助兵力として、だ。」
「・・・その作戦の”本当の目的”はそこにあるのでしょうか?」

キャンディスの問いに、ダグラスは苦渋に満ちた表情で答えた。

「判らん。だが、我らが行かなければ”奴ら”の好きにさせる事になる。それだけは絶対に避けねばならん。罪なき人々の為に。」

初出:2010年8月22日(日) 修正:2010年8月29日(日)


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