昭和二十三年三月三十一日 暗黒大陸

「辻大佐!」

その声に禿頭眼鏡、冷徹とも熱血とも取れる不思議な表情をした男が振り返った。
日本陸軍大佐辻正信だ。ほぼ三年の永きに渡り未知の大陸を彷徨っている割にはその顔には精気がある。
彼はどこか楽しげに声に向けて応じた。

「どうした、渕軍曹。何か見つけたのか?」

前方偵察に出ていた渕は大きく頷いた。渕の様子を見た辻大佐は彼の報告を聞く前に大休止を命じた。
この報告は長く――かつ、いままでで尤も重要な報告になるだろう、そう感じたのだ。

辻の部隊は平原と密林の中間程度の場所――おそらく、山火事か何かで密林が焼けたのだろう――で行軍を中断した。
上空にはあいも変わらず「王蛾」と呼ばれる巨大な蛾が羽ばたいている。
とはいえ、この「王蛾」と二年以上も付き合いがある彼らは特に動揺することは無い。
背嚢を下ろし、靴紐を緩める。多少の私語も飛び交い始めた。水筒の水を飲むものもいる。
だが大休止とはいえ、だらけた雰囲気はさほど無い。兵たちは休みながらも油断無く周囲を警戒している。
元々精鋭を集めた部隊という事もあるが、ここが未開の大陸であることも大きい。
少しでも油断すると巨大昆虫の群に被害を受ける事があるのだ。
もっとも、被害といっても怪我や病気などの実害を受けるわけではない。
だが、銃や背嚢などの隙間に入り込んだり、物品を持ち去ったりという例には事欠かない。
油断すると銃身に入り込み卵を産み付けようとする昆虫さえいるのだ。全く気を抜くことが出来ない。
大休止とは単に歩かなくて良いという意味でしかない、そういう事も出来た。

兵の様子を確認した辻は、渕の報告を聞く前に二人の魔道士を呼ぶことにした。
彼の期待通りのものかを知るのは、古からガランガ族に伝わる伝承を良く知る彼女達だけなのだ。
果たして、白ローブと黒ローブという対照的な衣装を着た二人組みが姿を現す。
さして鍛えているようには見えないにも関わらず、彼女たちには特に疲れた様子も無い。
彼女たちを見た辻は笑みを浮かべた。
”彼女たちを護衛する”という体裁を保つために部下に護衛をさせてはいるが、それは事実とは異なっている。
二人の魔道士の任務は”彼の部隊を護衛し、彼女たちとともに無事目的地に送り届ける”事なのだ。
その目的の完遂が目の前に迫っている。渕の報告はその最後の一押しになる筈だと彼は考えていた。

「どうかなされましたの、辻大佐?」

白ローブの魔道士、ファティマが問いかけた。その顔にはいつもと同じ笑みが浮かんでいる。
辻は彼女が怒ったところを――どころか、不機嫌なところを見たことがない。
この魔道士を激怒させたら一体どうなるのだろう、彼が意識をそらした瞬間、ファティマが辻に話かけた。

「でもなんとなく判りますわ。とうとう、ですか?」

一瞬虚を突かれた辻は直ぐ意識を戻す。彼は頷いてから言った。

「渕が何か見つけたらしい。ほぼ間違いなくアレに絡むものだろうと思ってな。
 お二人に確認してもらおう、と言うわけだ。」

彼は渕軍曹の方を向くと、報告を始めるように命じた。それに従い、渕が腰につけた小さな袋から何かを取り出す。
間違いないかを確かめるように見つめたあと、渕はそれを辻に手渡した。小さくて丸い何かだ。
怪訝そうに眉を寄せた辻の表情が見る間に変わる。それを確認した渕は話し始めた。

「一昨日に確認された湖に偵察に行きました。ガランガ族の地図でいうところの<勝利の湖>と思われる湖です。」

彼はこの数年の間酷使され、既にぼろぼろになった地図を片手に説明する。

「湖は我々の現在位置から南西に五キロほどの地点になります。その途中にある涸れ川と思われる場所で、それを発見しました。
 当初はただの石ころか何かと考えていたのですが――」
「どうみても、硬貨ですわね。銀かしら?」
「・・・おそらく銀ではないな。涸れ川に放置されたら、銀であればもっと錆びるだろう。白金のようにも見えるな。」

辻が硬貨状の金属片をファティマに渡しながら言った。彼は目で渕に続きを促す。

「周囲を調査したところ、川底と思しき所に箱のようなものが埋まっているのが確認できました。
 内部にはこれと同じものが数百枚以上詰まっています。おそらくは水で流されてきたものなのでしょう。」
「金庫かしらね。でも、そんなものが流されてくるからには。」

ファティマの言葉に渕は大きく頷いた。

「上流に何かあるに違いない、そう考えました。そこで木登りの得意なものを近くで一番高い木に登らせて確認させました。」

暗黒大陸では一般的に巨大な樹木が多い。軍曹は気軽に言うが、おそらく数十メートルはあったに違いない。

「そうしたところ、このようなモノを見つけました。ほぼ間違いないと思うのですが、ご確認を。」

渕はそういうと手帳をくくり、鉛筆画を辻と二人の魔道士に見せる。

「”勝利の女神”像。」

もう一人の魔道士、マリカが初めて口を開いた。三人の視線が彼女に集まるのも構わずに淡々と続ける。

「間違いない。私たちは、”消された都”ルクレリアに来たのです。」


東方暦1570年3月31日 東京・福生飛行場

「ホントに今から行くの?なんか、あんまり現実感無いんだけど・・・」

エルフの女魔道士、ニーナ・ドミニナが気乗りしない様子でぶつぶつと言った。
彼女は机に頬をつけただらしない姿勢で黒い同盟軍飛行服に付けられた白い襟巻きをいじりっている。
姉の真剣味が足りない態度には慣れている妹のユリアが呆れたそぶりさえも見せずに言う。

「そうです。というか、行かないなら違約金を払わないといけません。
 五十万ゴールドなんていう大金、とても我々には払えませんよ。行くしか無いんです。」
「勘違いしないで。別に行きたくないって言ってる訳じゃないのよ?」

ニーナが珍しく真面目な声で言う。ユリアは思わず姉を見つめた。
その視線を受けて、彼女は伸びをしながら起き上がって妹に言った。

「ただ、なんていうか、計画通りなら明後日にはイーシアに居るはずじゃない?
 今までだったらさ、イーシアに行くのってどんなに早くても1ヶ月以上はかかるのに――」
「二日で行くわけですからね。確かにそうです。」

ニーナが姉に微笑みかける。良かった、面倒になったわけじゃなかったんだ。

彼女たちはここ福生から飛行機でイーシアに向かうことになっていた。
本来ならばもう少し後になるはずだったのだが――

「”何としても4月3日にはイーシアにいてもらわばならない。”か。簡単に言ってくれるわよね。」

ニーナがため息をつきながら言った。ユリアもその時の事を思い出したのか、苦笑しながら言う。

「”状況が変わったのじゃ。本来ならもう少し上手く出来るはずなのじゃが、そうもいかん。
 お主たちには申し訳ないとは思うが、まあ、特別報酬を上乗せするという事で――”」
「全く頭くるわよね、あの爺さん!」

ニーナが急に怒り始めた。ユリアが唖然とする間もなく続ける。

「お金さえ出せば、私たちが何でもやるって思ってるんじゃないの!?もう、二言目には金かねカネって――」
「・・・姉さん、それ、いつも姉さんが言ってる事をライレーさんが汲んでくれただけですよ。
 ”お金が無いのは命が無いのと同じことなのよ!”って言ってるじゃないですか。」

言葉に詰まった姉は何か言いたそうにしたが、続ける事は出来なかった。
高声伝達機が彼女たちが乗る飛行機の準備が完了した事を告げたのだ。二人は頷き合うと席を立ち、滑走路に向かった。



ベックマン率いるブルー編隊はレッド編隊――ケンドリック率いるA-4を追い回そうとしていたミグに襲い掛かった。
ミグの群から見ると、ブルー編隊が太陽の方角に居たこともあり、その攻撃は奇襲になる。
ブルー02――カイラー大尉のファントムが二発のスパローを発射するのが見えた。
だが、ミグのパイロットもなかなかの熟練パイロットなのか、急機動でスパローの軌道からその身を交わす。
空対空ミサイルはレーダーによる誘導を失ったのか、明後日の方角に飛び去っていった。
ベックマンには列機の攻撃が無効化されたのを悔しがる暇は無かった。
ハイネマンが照準レーダーのスイッチを入れる。とたんに彼のファントムもミグをその射線上に捕らえた。
ミグは補足されたことに気がついたのか、慌てたように旋回軌道に入る。
だが、それは遅きに失した行動だった。ベックマンはスパローの発射準備を終えていた。
シーカーが敵機を補足すると同時に発射される。
ミグは太陽の方に機体を向けようとするが、赤外線誘導ミサイルではないのでその軌道には意味が無い。
あっというまに空対空ミサイルはミグに突進すると機体を粉々に打ち砕いた。

「よし、いただきだ!」

後席でハイネマンが景気良く声を上げる。その声にはどこか浮ついた調子があった。
一機撃墜したとはいえ、まだ敵編隊は存在しているし、スパローを交わしたものも居るように舐めてよい相手ではない。
敵には最大限の敬意を払うべきと考えているベックマンは同僚を嗜めた。

「あんまりはしゃぐなよ、ハイ。まだ敵はいるんだ。敵には――」
「最大限の敬意を払え。そりゃそうだが、良く落ち着いていられるな、ベック。お前、自分の通算撃墜数知ってるのか?」

知っているに決まっている、彼は思った。これで、ベトナムに来てから俺が撃墜した敵機は四機。
そうか、あと一機で――

「あと一機で、ジェット時代に入ってからは非常にまれなエース様って訳だ。流石だな、ベック。
 帰ったら、バドワイザーの一つもおごってもらうと――」
”ブルーリーダー、ブルーリーダー。ディス・イズ・レッドリーダー、ブレイク。ベック、助かったぜ!ブレイク。オーヴァ。”

ハイネマンの減らず口はケンドリックからの通信でさえぎられた。
ベックマンは後席でぶつくさ言っている相棒に苦笑を向けつつ親友に応答する。

「レッドリーダー。ディス・イズ・ブルーリーダー、ブレイク。何、どうって事ないさ。
 見たところ、全機無事なようだな?ブレイク。オーヴァ。」
”ブルーリーダー、ブルーリーダー。ディス・イズ・レッドリーダー、ブレイク。そうだな、今のところ全員――”

ケンドリックからの交信は途中でさえぎられた。全周波数に向けて、大出力の緊急発振がなされている。
訝るベックマンの耳に"ミスター・ロック"――ダグラス少将からの緊急通信が聞こえてきた。

”全軍に緊急通達。全軍に緊急通達。駐独ソヴィエト軍が――”

統合暦79年4月1日早朝 ”スレイマーン”青竜騎士団長私室

キャンディス・フォン・ベックマン青竜騎士団長は寝台で目を覚ました。太陽が昇った後なのだろう、周囲は既に明るい。
自分が寝台に横たわっており、目に見える光景が”スレイマーン”の私室であることを確認するとため息をついた。
彼女はこのような不自然な夢を見ることに慣れ始めている自分に気がついていた。
緊張感のせいか汗こそかいてはいるが、以前ほどの不快感は感じられ無い。むしろ――

――ベトナム、か。聞いたことが無い筈だが、どこか耳に懐かしい。
この夢を見始めた当初は不快以外の何物でもなかったが、今では彼女はこの”夢”に馴染んでいた。
幾度か見ているうちに、それほど悪いものでもないと思い始めていたのだ。
登場している人物が――種族や性別の違いはあれ――彼女の見知った人物であるせいもあるだろう。
実際、彼女はあの夢を見ていると何かを思い出せるような気がしていたのだ。
何か、とても大事なものが――

青竜騎士団長私室の扉が遠慮がちにたたかれた。彼女の誰何に従兵がこたえる。

「おはようございます、キャンディス団長。
 お休みのところ誠に申し訳ありませんが、ダグラス卿が団長とお会いしたい、と。」
「ダグラス卿が?」
「はい。火急かつ機密の御用件との事で、詳細はお教えいただけませんでした。」
――ダグラス卿が急ぎというからには”アレ”がらみしかあるまい。
  しかし、なぜここで?

キャンディスは訝りつつ従卒に了承した旨を伝え、ダグラス卿と会談するために急いで身支度を始めた。

「朝早くから、誠に申し訳ない。」

十分後、青竜騎士団が応接室兼作戦室として利用している部屋にキャンディスが入るなりダグラスが言った。
口元には軽い笑みが浮かび、右の眉が上がっている。彼は壁に飾られている絵を見ながら続けた。

「これはグレーザーの絵だな。たしか”夜の竜”とかいう題名だったかな?」

その絵には数騎のブルードラゴンが夜空に駆け上がっていく姿が描かれている。
キャンディスも絵に視線を移して答えた。

「ええ。この前の神都防空戦闘勝利の祝いとして、シャイアン殿下からいただいたものです。」

「シャイアン殿下が、か・・・」

ダグラスはそう言うと再び絵に見入った。その姿は普段と変わりが無いが、キャンディスはふと違和感を抱いた。
いつもとほとんど同じような表情と態度ではあるが、どこか影があるように感じたのだ。
彼女の視線にそれを感じたのか、ダグラス卿は口元の笑みを苦笑に変える。

「お察しの通り、あまり良い話をしにきた訳ではない。本当であれば、朝食の後にでもするべき話なのかもしれないが。」
「急ぎの話なのでしょう?」

キャンディスの声にダグラスは頷いた。

「当初想定とは多少異なる方向で事態が進行しているというのは了解しているな?」
「・・・それは、確かに。当初想定では、五十万の軍は――」
「――消耗しきるまで戦闘を強要される。だが、実際は違う。シャイアン殿下は兵を救出する事に全力を尽くされている。」
「実際、すばらしいことだと思います。ですが、それは別に憂慮すべき事ではないのでは?」

キャンディスにはダグラスが何を言おうとしているのか見当が付かなかった。
神官王は西方大陸の破滅を望んでいる、状況証拠から彼女たちはそう考えていた。
事実、今までの作戦を良く考えてみれば、どれ一つとっても国力を無駄に消耗するだけの無謀な作戦という事が出来た。
その彼らが今回の機会を、五十万もの精鋭を一挙に葬る機会を無駄にするはずが無い。きっと"決戦"を挑ませるに違いない。
”スレイマーン”の投入もその為ではないかと――"決戦"を演出するためではないか、と考えていたのだ。
彼女たちは兵が――西方大陸を再建すべき人材が無駄に消耗させられる事を憂いていた。だから――

「東方大陸派遣軍をシャイアン王子が救ってくれるなら、それは良いことではありませんか。」

キャンディスは不思議そうに答えた。それだけの事であれば、別に急ぎの用事とは思えない。
ダグラスは彼にしては珍しい、どこか逡巡するような表情を浮かべて言った。

「そうだな、それ自体は良いことだ。だが君は気がついているか?シャイアン殿下の行動がどこかおかしい事に。」
「ええ。なんというか、”らしくない”言動が多少見られるとは思っています。
 我らと――いえ、部下すべてと距離を置こうとしているようにも見えます。」
「そうだな。私は当初、殿下がこの任務に苦しんでおられるからだ、そう考えていた。
 王族として、勝ち目が無くなった戦に対する責任感が殿下を苛んでいる、そう考えていたのだ。だが――」
「違うのですか?」

ダグラスは頷いた。彼は言葉を捜すように一旦目を閉じてから続ける。

「どうやら、そうではない。シャイアン殿下も神官王の”本当の”目的を知っている。その上でこの作戦を遂行しているのだ。」


統合暦79年4月2日 ”スレイマーン”作戦室

そこは”劇場”と称されることもあった。巨大な空中要塞にふさわしい規模の巨大な作戦室だ。
半円形状の空間には机が配置され、それに造りつけられた雲母板には様々な情報が写しこまれている。
出席しているのは”スレイマーン”司令部のみで、駐留部隊の司令官級――キャンディス達は出席していない。
”スレイマーン”の中央にそびえる城、その地下深くの厚い岩盤の中に造られたそこに司令官の声が響いた。

「アースワーム隊は問題ないのか?」

尋ねられた参謀は工兵隊からの報告書をめくって数値を確認する。
素早く目を通した彼は軽く頷くと目的の頁を司令官にも見えるように雲母板に映し出してから報告を始めた。

「はい、敵が”スレイマーン”と”スカイジェル”にかかりきりの間に何とか作業を完成させました。
 これで、五十万の軍のうち――」
「四十五万まではル・ティエュ=ギイユからの撤退が完了、か。」
”スレイマーン”司令官のシャイアン・マクモリス第三王子が雲母板の数値を見ながら言った。参謀は頷く。
「残り五万のうち、四万は明日までに撤退できる見通しです。残りの一万は、殿軍としてどうしても必要です。」

大協約部隊は地下通路をたどって百マイル以上離れた港町、サン=クェルダンまで撤退しつつあった。
地上を撤退するのは危険が大きすぎた。確かに地図上での百マイルはさしたる距離ではない。
だが、現実の百マイルは――ことに、敵が制空権を確保しつつある状況での百マイルの撤退は現実的でない。
そこで大協約軍は”地下通路を作成しての撤退”を行うことにしたのだ。
そのために、侵攻用に確保しておいたアースワーム部隊の全力、凡そ五十騎を総動員したのだ。
全力で掘削を行えば、一騎のアースワームは一日で五マイルを掘る事が出来る。
ただしそれは秘匿性を無視すれば、という前提が付いていた。
底までの速度を出すためには、地上のごく浅いところを――地圧のあまり掛からないところを――掘るしかないためだ。
ごく浅い地中を掘り進むからには、空中から見た場合に必ず何らかの痕跡を残してしまう。
”スレイマーン”がこの空域にいるのも、一つにはそれを隠蔽するためでもあった。
空中要塞がこの空域に居れば、ある程度は同盟軍空中部隊の行動を掣肘できるからだ。
もちろん、同盟も地中からの脱出を予想はしているだろう。
だが確証が無いままに闇雲に攻撃してくる筈は無い、シャイアン達はそう考えていた。
ル・ティエュ=ギイユでの篭城は考慮外だった。確かにドラゴン封じの魔法がかかった堅城ではあるが――

「敵地での篭城など、補給がいくらあっても足らんからな。」

司令官の言葉に兵站担当の参謀が大きく頷いた。

「その面は随分改善されました。あのままでは、兵站線が早晩限界を迎えることは明白でもありました。
 確かにル・ティエュ=ギイユに篭る兵は精鋭ぞろいですが、であるが故に消耗は馬鹿になりません。」
「エーテル、秘薬、矢や魔力弾は言うに及ばず、兵が喰う食料や煮炊きする焚きつけ一つにしても馬鹿にならんしな。」

シャイアンは兵站参謀があげた数値を確認しながら言う。これだけあれば残り一万程度の軍勢であれば何とかなるだろう。
それでも彼は苦渋に満ちた表情で言う。

「だが、アースワーム部隊はこれで消耗した。大協約全軍でも、直ぐに使えるものは片手で数えられるほどしか残っていない。
 一ヶ月に渡って無理をさせたから、やむおえないと言えば、その通りではあるが・・・」

その言葉に”劇場”中が静まり返った。確かに司令官の言うとおりだった。
百マイル以上の距離を一ヶ月もかけずに掘りぬいた代償として、アースワーム部隊は完全に消耗しつくしていた。
アースワームは魔力を消耗して土を掘っている。その為に使う魔力は莫大なものだ。
通常はゆっくり掘りながら充填していくのであるが――

「急がせましたからな。」

工兵担当がぽつりと言った。

「今回は相当無理をさせました。死んだ個体こそ居ませんが、魔力的には"干からびた"ものが少なからずおります。」
「仕方ない。我らはこの作戦を成功させねばならん。五十万の兵を、むざむざと殺すわけにはいかん。
 ――ル・ティエュ=ギイユの防御はどうなっている?」

シャイアンの言葉に作戦参謀が答えた。

「今のところ、ダミーとしてスケルトンウォリアー部隊をつけてあります。何とかしのげているかと。」
「・・・やつらは馬鹿ではない。こちらの思惑に気がついていない筈はない。」

はい、と参謀は頷いてから周辺地図を出した。ル・ティエュ=ギイユ、サン=クエルダンと<温の海>が一覧できる地図だ。
地図上には両軍の兵力概要配置が描かれている。中でも一際目立つのが――

「ムーアポリアからの艦隊は既にこちらに向けて出発しました。これには増援部隊が乗っているという欺瞞情報を流してあります。
 もちろん本気にしているとは思いませんが、ある程度の抑止効果にはなるでしょう。」
「巨竜母艦<百目巨人>に戦艦<破壊神>か・・・随分と旧式な艦を中核にした艦隊だな。いや、わかっている。」

何か言いたそうにした作戦参謀を右手で制した。

「<<大いなる海>で”混沌の大国”との雌雄を決する海戦も同時に行われる以上、そちらに全力を投入するのは筋だろう。
 エリック公爵の戦艦部隊がニホンの艦隊を撃滅してくれる事を、まずは信じよう。
 ご苦労だった。我らも明日の決戦に備えようではないか。4月3日という日を、歴史に永遠に刻み込むために。」


初出:2010年9月5日(日) 修正:2010年9月12日(日)


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