統合暦78年12月28日 アケロニア市・ガニア大司教邸

アケロニア市の一角、品は良いが最高級とまではいかない住宅地。
石畳が敷き詰められたさほど広くない道を竜車が低い音を立てながら進み、行商人がかごを背負って行きかっている。
道端では子供たちが走り回り、首輪をつけた犬を散歩させている老人が微笑みながらそれを見ていた。
楡の並木が道をはさむようにして続き、その木陰では恋人たちが何事かを語らいあっている。
この街のある程度以上の収入があるものであれば、特に珍しくは無い風景ばかりだ。
国の最高実力者たる<八者>の一人、ガニア大司教の邸宅はそのような場所にあった。
だが、彼の住居はその圧倒的な社会的地位とはかけ離れた、地味なものであった。

西方大陸において神聖エーベ王国やガーランド大公国と並ぶ強国として知られる北東部の要衝、ムーアポリア共和国。
<温の海>に面しているため、かなりの高緯度地帯でありながらも主要な食糧生産地帯でもある。
小麦や米といった穀物に加え、葡萄やオレンジといった果樹類の栽培も盛んだった。
人口も多い。大協約四億五千万の民のうち、一億を超える人々がムーアポリアに居住している。
気候と同様に温和な人柄が影響してか西方大陸の"覇王"になった回数こそ少ないものの、この国を侮るものは無いだろう。

そこを実質的に統治しているのが、<法の大司教>クラレンス・ガニアだった。
クラレンス・ガニアはかつてアケロニア全市を熱狂させた闘技場の英雄――優れた”角竜使い”――でもある。
ほかの国では王家や貴族の血筋から選ばれることが多い<八者>の中において、かなり異色の経歴だといえるだろう。
とはいえ、それはある意味当然なのかもしれない。
ほかの七国とは異なって元々共和制を布いていたムーアポリアでは、大協約成立以前は直接選挙によって執政官が選ばれていた。
大協約成立以降は執政官だけでなく<法の大司教>も選挙で選ばれているが、変わった点といえばそのくらいだ。
少なくとも、ムーアポリア国民の意識からすればその程度だった。

クラレンス・ガニアはその経歴ゆえに口舌の徒を嫌う傾向があり、結果として敵を作ることも多い。
だが、面と向かって彼に何かを仕掛けるものはいない。<八者>であるというだけではない。
かつて闘技場で見せた優秀な戦闘能力と討論の際に見せる鋭い舌峰は対峙したものを圧倒するに十分なものだった。
西方大協約最大の実力者<八者>の中にあって、彼は指導者的立場にあった。
その影響力は神官王ヴィンセント、大公ヒースクリフに次ぐといって良いだろう。
少なくとも周囲のものはそう考えていたし、そして、彼自身もそう考えている。

ガニア大司教邸の食堂では、ガニアを含む四人が食事をしているところだった。
鴨肉料理と堅パンを中心とした<温の海>風料理が並んでいる。
ムーアポリア風の食事としてはごくありふれた、だが最高実力者の食事としてはきわめて質素な食事だった。
だが、食卓を囲む四人の男女はそれを気にした風も無い。

彼の正面に座っていた筋肉質の男が布で口を拭い、机に置かれた酒を一口呷る。
満足げな息を吐いたウェイン・ダグラス侯爵はガニアに向って右の眉を上げると面白そうに言う。

「流石は<八者>の筆頭と目されるガニア大司教です。これほど美味い鴨料理は久々ですよ。
 これで散会という事であれば最高なのですが、流石にそうはいかないでしょうね?」

館の主であるガニアは笑顔を浮かべた。

「国元から色々と送ってきていてね。一人で食べるというのも味気ないから、君たちを呼んだ。
 ――そういう体裁になっているから、ここで帰ってもらっても別に構わないといえば構わないがな。
 だが、君たちにしても、それでは本位ではないだろう?」
「叔父様が良いなら、別にそれでも良いんだけど?」

アシュリー・ケンドリック赤竜騎士団長がどこかつっけんどんに言った。
とは言え、その言葉に悪感情は込められていない。むしろどこか甘えるような口調でもある。

アシュリーはガニアを"叔父様"と呼んで慕っているが、血縁関係があるわけではない。
闘技場見物が趣味だったアシュリーの父、ケンドリック伯爵はガニア家と親交がある。
幼い彼女に闘技場の仕組――事前の"筋書き"がある――について教えたのもガニアだった。
結果として彼女は闘技場嫌いになってしまったが、しかしガニアを敬愛することに変わりは無かった。
実力が無ければ、いかに"筋書きがある"とは言ってものし上がれないというのも事実だったからだ。

「ガニア大司教、それで、我等とどのような話をお望みですか?」

キャンディス青竜騎士団長がやや覇気の無い表情で問いかける。眼光は鋭いものの切れが無く、声にも張りが無い。
そして実際、彼女は疲れていたのだ。
青竜騎士団は砂漠地帯で戦力の過半を喪失し、未だその回復ができていない。
その間も戦争は続き、前線からは青竜騎士団の派遣を待望する声が上がっている。
今の状態では戦力にならないと"黒煉瓦"も判断しているため前線に出ることは無い。その事実も彼女を傷つけている。
実質的な戦力外である事を通知されたも同然であるからだ。最精鋭を自認する彼女にとっては屈辱以外の何物でもない。
キャンディスの言葉を聞いたガニアは苦笑する。

「そうだな、ここで腹の探り合いをしても仕方が無いな。」

彼は手にしていたワイングラスを置いた。僅かに硬質な音がした後、室内が静かになる。
暖炉で薪がはぜる音が聞こえた。それに続くように彼は口を開く。

「単刀直入に聞こう。・・・この戦争、このまま続けて勝てるのか?」
「それは――」

右眉を上げて何か言いかけたダグラスを右手で制止してガニア大司教は続ける。

「言いたい事はあるだろうが、ダグラス、まずは私の話を聴いてくれ。
 私は大協約の勝利が最終的な勝利者になる事を疑っているわけではない。
 だが、その過程が全く見えてこない。率直に言って、"黒煉瓦"からの報告はまったく信用できないと感じている。
 連中のような塔に篭って怪しげな事をやっている奴等ではなく、実際に戦場を経験した貴公らの意見を聞いてみたいのだよ。」

キャンディスは"黒煉瓦"について言及するときにガニア大司教の目に何かの感情が篭ったのを見逃さなかった。
――かつて闘技場で戦っていた時代のことを思い出したのだろうか。
客席から無責任な野次を飛ばす酔っ払い連中に対するような感情を抱いたのかもしれない。彼女はふとそう思った。

ガニア大司教は再びワイングラスを手に取った。グラスの底にいくらか残る葡萄酒を回すようにしながら言う。
「国民もおかしいと思い始めている。宣伝宣撫省の努力によって戦勝報道がなされていが、宣伝の土台そのものが揺らいでいる。
 勝ち続けているならば何故夫や息子、父や兄弟が戦場土産を片手に帰ってこないのかを疑問に思っているのだ。
 それに――」
「"カラス"どもですか?」

アシュリーの言葉にガニアは頷いた。

彼女がいう"カラス"は文字通りの烏のことではない。
秋口になって飛んでくるようになった、超高空を飛ぶ飛行機械のことだった。
朝または夕方に少数で東方大陸の主要都市に来襲して魔力弾を落とし去っていく飛行機械。
それ対して、誰言うと無くつけたあだ名が"カラス"だった。
"黒煉瓦"がつけた識別名称は"ブル"であるが、その名前で呼ぶものはほとんど居ない。
その飛行高度は四万五千フィート。ワイバーンはおろか、ドラゴンでも迎撃不可能の高度だ。
条件が揃えば【裁きの雷】で撃墜できる事もあるが、撃墜に成功したのは僅か二騎に留まっている。

「カラスどもが落とす魔力弾など、戦場に落ちる量に比べれば微々たるもののような気がするけど?
 せいぜい、農家が数件焼かれる程度でしょ?今のところ、実質的な脅威にはならないんじゃない?」

赤いローブを羽織っただけで何の飾りもつけていない、およそ赤竜騎士団長らしくない格好をしたアシュリーが言った。
その口調は呆れとも無関心とも取れるものだ。彼女はその口調のままで続ける。

「実際のところ、毎年春先の野焼きでおきる山火事の被害のほうが大きいんじゃない?
 たまたま今年は野焼きの季節が冬になったと思えば、大体同じようなもんでしょ?」

アシュリーの言葉をガニアが嗜める。その姿は姪と叔父以外の何物でもない。

「アシュリー。」
「・・・ごめんなさい、言い過ぎたみたいね。」

アシュリーは頭を下げた。ガニアは苦笑してそれを受け入れると、真顔に戻って言う。

「飛行機械一つが運ぶ魔力弾は四発らしい。今まで現れた編隊が多くても二十騎前後だから、合計で八十発ほどか。
 これが軍事施設にばら撒かれるのであれば大したことは無いのかもしれん。壕に篭ればほとんど被害を受ける事は無いだろう。
 だが。最初の頃とは違い、最近ではエーテル醸造所、魔力金属炉や竜巣等のように民間が使う施設も爆撃対象になっている。
 お陰で、政府と軍に対する不満は高まっているのだ。」
「戦場で勝っているのに、どうして西方大陸に侵入してくる飛行機械を迎撃できないのか、と?」
「まさに今日、そういう陳情――いや、苦情というべきかな、とにかくそれを受けた。
 オレンジ農家だったかな、奴等がたまに魔力弾を落としていくのを何とかしてくれないと困る、そう言っていた。
 ・・・今はまだいい。だが、何かきっかけがあればこれが大問題に発展する可能性もある。事によっては――」
「<大誓願>に発展するとでも?」

キャンディスがたずねた。<大誓願>は大協約において、臣民全体の意思を問うための、ほぼ唯一の手続きだ。
およそ八十年前に大協約が成立した当時以外では、実際に<大誓願>が挙行されたことは無い。

「その可能性もある。」

ガニア大司教は苦渋に満ちた表情で肯定した。

「<大誓願>に発展すれば、神官王の責任問題に――我等の責任問題にも――なるのは免れないだろう。
 そうならないように大協約全体を指導していくのが我等の役割であるわけだがね。
 だからだ、ダグラス。冒頭の質問に戻ろう。この戦争、勝てるのか?」

ダグラスは考えを整理するかのように瞑目した。しばらくして目を開き、ガニアの方に身を乗り出して言う。

「私の立場上、勝てないと言い切ってしまうことはできません。」

彼はそう言ってから嘆息する。一旦机に視線を落とした後で顔を上げる。その表情は明るいものではなかった。

「率直に申し上げて、戦況はよくありません。
 東方戦線――ロシモフ戦線は完全に押し返されてしまいましたし、イーシア戦線も明らかに旗色がよくありません。
 むしろ、この状況で戦線が"戦線"として機能していることの方が奇跡といえるかもしれません。」
「それは"混沌の大国"のせいか?飛行機械を筆頭に連中が提供している武器は非常に強力だというではないか。」

ガニアの問いにダグラスは首を振った。

「確かに、戦場においては――ニホンの連中が提供する武器、ことに飛行機械は強力です。
 "サム"と"フランク"と呼ばれる制空戦闘型の飛行機械は、ブルードラゴン以外では撃破が困難です。
 もともと、同盟に比して地上戦力が劣る我等が互角以上に戦えたのは圧倒的な制空権を確保できていたお陰です。
 その優位が崩れた以上、もともと地上戦力で劣る我等は、どう足掻いても――」
「勝てない、という事か。」

ガニア大司教は沈うつな表情で呻いた。ダグラスは大きく頷いて言う。

「飛行機械に唯一対抗可能なブルードラゴンはその戦力を大きく減じました。もはや、我等に勝利の道筋は残されていません。」

ガニア大司教とダグラス卿の視線がキャンディスに移る。彼女は不承不承答えた。

「・・・認めたくはありませんが、ダグラス卿の仰るとおりです。」

補充のドラゴンが――まだ幼い竜達が練成を開始してから一年半もの時間が過ぎている。
だが、未だに戦力化の目処は立っていない。幼竜は体力もやる気もあるのだが、如何せん頭が追いついていない。
簡単な語彙での会話はこなせるものの、それ以外の物事を教えるのはほとんど不可能だった。
今のところ、幼竜達にできる作戦時行動は「あつまれ」「つづけ」「かかれ」の三つだけ。
それ以外の作戦行動はほとんど不可能だった。
「かかれ」にしても、放たれた矢のように一直線に突撃して肉弾戦に持ち込むことしかできない。
幼竜といえど稲妻のブレスは使えるのだが、周りを見ないで放ってしまうために却って味方の邪魔になることの方が多い。
正直なところ、あと五年は――欲を言えば、あと十年は最低限の戦力としても使えそうに無い。

キャンディスはこれらの事をできるだけ自虐的にならないように注意しつつ伝えた。
気をつけていないと自己憐憫に身を任せそうになってしまう。彼女は何とかそれを抑えながら言いきった。

「一対一であれば、"サム"や"フランク"ごときにおくれをとる心算はありません。
 ですが、空中戦闘は編隊行動で行うものです。単騎での戦闘など、御伽噺の中にしか存在しないでしょう。
 その意味では、実質的には二十騎に満たぬ我等は・・・もはやこの戦争では戦えぬも同様です。」

ガニア大司教は難しい顔をしていう。

「つまりは、"黒煉瓦"や神官王の分析どおりに”全てはニホンが悪い”そういう事で良いのか?
 かの"混沌の大国"が現れてから戦力優位が崩れ、結果として我等が不利になった。それが正しいと言うことか?」
「私は先ほど、"戦場において"という言葉を使わせていただきました。事を戦場に限ればそのとおりです。」

ガニアが首をかしげた。彼はそのまま目でダグラスに次の言葉を促す。
ダグラスは腕を組みながら、まるで自分に言い聞かせるかのように淡々と言った。

「確かにまったく影響が無いとは申しません。ですが、全体から言えばそれほど影響はないと考えます。
 根本的な問題は、もっと別なところに――そもそもの戦争計画自体にあります。」
「・・・この戦争について、事前の説明は"三十年後の脅威を防ぐための予防戦争"という事だった。
 東方大陸は”バネと歯車”を応用したものを、"混沌の術"を利用したもの使って国力を増しつつある。
 これはやがて重大な脅威となり、数十年後にはおそらく逆転不可能なまでに国力差が開くだろうと予想される。
 だが、今ならば奴等を撃破できる。三十年後の脅威を防ぐために、今、戦端を開かねばならぬ。・・・そう聞いたが。」
「いえ、その論理自体は――東方大陸の連中が受け入れるかどうかは別として――さほど間違いとは思えません。
 私が申し上げているのは、実施計画としての作戦計画です。」

ダグラスはグラスを傾けて喉を湿らせた。

「ケンペル岬で同盟海軍と雌雄を決し、ポラスを占領してロシモフとイーシアを分断する。
 ここまでは問題ないでしょう。"黒煉瓦"で長年計画されていた、対同盟戦争計画を実現したものですから。
 問題はこの次からです。全ての作戦が元々の想定よりも相当に前倒しさせられています。」
「イーシアへの強襲上陸もか?あれは事前計画通りであろう?」
「確かに計画はされていました。ですが、元々の計画ではイーシアと同盟を政治的に分断した後に攻撃を手はずでした。」
「そんな筈は無い。私が見たときは、実際に行われた作戦と同じ計画案になっていたぞ?」

ガニアの疑問にダグラスは肩をすくめた。

「開戦の一年前に強引に変更させられたのですよ。私が書き直したので、間違いありません。」

それから暫くの間、場を沈黙が支配した。瞑目していたガニア大司教が呻くように声を発した。

「我等はわざと負けようとしている、とでも言うのか?」

ダグラス卿は頷き、キャンディスに僅かに視線を送ってから言った。

「ベックマン卿は、コワルスキー公爵から”アンケル侯爵とヒースクリフ大公に気をつけろ”という伝言を受け取っています。
 その言葉を元に砂漠における魔法剣士兵団の行動とを大公殿下の"工作活動"あわせたところ、ある"仮説"にたどり着きました。」

彼はそういうと"仮説"について語り始めた。

統合暦78年12月31日 アケロニア市・<法の宮殿>地下

法の宮殿の地下およそ三千フィート。
堅い岩盤を垂直に掘り抜いて作られた竪穴を魔力で動く昇降床が二人の男を乗せて降下する。
昇降床は赤光苔の薄い明かりがともる中を十分ほどもかけて降り、竪穴の最深部にたどり着いた。
二人の人影はそこからさらに横に伸びる隘路を通る。苔が放つ赤い光が彼らの顔を妖しく照らした。
岩を削っただけの隘路は、やがて石畳と漆喰によって装飾された立派な道へと姿を変える。
その道の終着点は岩によって封鎖されている。その表面には赤い古代文字で"封印"を意味する文言が書かれていた。
彼らはその文言に怖気づくことなくが近づく。古代文字が警告するかのように赤く明滅する。
一人が何事かをつぶやくと古代文字が青く輝き、"解除"を意味する文言に変わる。分厚い岩戸が僅かに音をたてて左右に開いた。

内部は小規模な半円形構造となっていた。壁全体に蒼い光を放つ魔水晶が使われているためか、地底とは思えぬほど明るい。
部屋は広く使えるように作られているが、彼方此方に魔道具がおいてあるためか、実際よりも狭く感じる。
開かれたままの魔道書の内容から察するに、ここにあるのは全て人工生命体を作り出すための道具類と施設のようだ。
二人の男はその全てを無視して部屋の中央にある巨大な硝子管の前に進んだ。
直径五フィートほどの透明な管には黄金の液体が充填されており、壁からの青い光を受けて幻想的に輝いている。
そして、そこには――

「既にここまで"復元"が進んでいます。あと半年ほどで、完全体になるでしょう。」

アンケル侯爵が硝子管の様子を確認しながら言った。少し離れた場所から見守る神官王ヴィンセントが頷く。

「そのようだな。どうやら<祭典>には間に合いそうだ。
 ・・・しかし、せっかく地下から掘り出したというのに、また地下で育てるというのも面倒なものだな。」
「それが必要である以上、仕方ありません。」

アンケル侯爵が短く言う。ヴィンセントはその答えに皮肉げな笑顔を浮かべたが何も言うことは無かった。

管の中ほどには目を瞑った一人の少女が浮かんでいる。彼女は長い黒髪をなびかせ、軽く手を開いている。
表情は狭い管の中に押し込まれているとは思えないほどに穏やかで明るい。口元は軽く綻んでいる。
一糸纏わぬその体はいかにも穢れを知らず、輝くほどの清純さに満ちている。
彼女は美しく、それでいて繊細だった。姿を目にしたもの全てに愛されるであろう、可憐な少女だ。
芸術を志すものが見たならば、題材にせずにはいられないだろう。太陽の光が差し込まぬ場所にはまったく似つかわしくない。

だが、二人の男は彼女の姿に感銘を受けた様子もなく続けた。

「問題が無いわけではありません。」

アンケル侯爵が彼女を見つめたまま短く言った。ヴィンセントが視線で先を促す。
侯爵は"鉄仮面"の異名どおり、表情をまったく変えないままで淡々と答えた。

「予定では今年中に意識を取り戻すはずでしたが、実際はいまだ意識を取り戻してはいません。」
「<祭典>までには間に合うか?」
「それは間違いありません。意識覚醒以外の点では、予定より一割早く進んでいます。」
「ならば良い。予定通りの”力”さえ発揮できれば何の問題も無い。」

アンケルは無言のまま頷いた。

ヴィンセントは管の中の少女を見ながら楽しげに言う。

「あとは<毒の剣>が揃うのを待つだけだな。」
「二振り集める必要があるためか、大公殿下も苦労されているようです。」
「話は聞いておる。他にも何やら楽しんでおるようだが、まあ、とやかくは言うまいよ。
 それよりも、我等は気にせねばならんことがあるだろう?」
「はい。ガニア大司教が<岩戸>の示唆によって何か気がつきつつあるようです。<女神>達も同様です。
 今ならば適当な罪状を作り上げ、始末する事も可能と考えます。いかがされますか?」
「捨て置け。いまや星辰は揃いつつあり、<祭典>まで一年を切った。奴等には抵抗する時間も無いのだ。
 もっとも、お前が気になるなら、<岩戸>と<女神>達は適当に始末しても良い。ただし、あくまでも――」
「軍事作戦上の損害、という体裁ですか。それで悉く失敗しております。成功すると思えませぬ。」
「それでよい。ここまで続けて失敗している以上は、もはや排除は不可能だという事でもあるのだろう。
 ガニアについては何もせずとも良い。あやつに出来るのは、精々<大誓願>くらいだからな。」

神官王は管のところまで歩を進め、掌で管を軽く撫でる。硝子越しに、黄金の液体がもつ温もりが僅かに感じられた。

「アンケル。」

暫くの沈黙の後、神官王が問いかける。アンケル侯爵は一歩下がると跪いて頭を垂れた。
その姿勢では表情はわからないが、おそらく"鉄仮面"の異名どおりの無表情なものだろう。
神官王ヴィンセントは口元を歪めると、どこか楽しげに言った。

「裏切るなよ。」

ヴィンセントの言葉には直接答えず、アンケル侯爵はより深く頭を下げてその意を表した。
神官王の哄笑が地下室に響く。同時に管に閉じ込められた少女の唇が、その笑みを僅かに深くするように動いた。


初出:2010年7月25日(日) 修正:2010年8月1日(日)


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