統合暦77年10月15日 神都アケロニア郊外・青竜騎士団司令部
青竜騎士団司令部は神都アケロニアの中心部、"法の宮殿"から十マイルほど離れた丘の上にある。
正面入口には大理石と黒曜石を組み合わせて作られた巨大な竜をかたどった凱旋門がある。
神話の時代、混沌に満ち溢れた世界に秩序と調和をもたらした伝説のブルードラゴン"タトゥミ"を模したものだ。
青く輝く竜鱗鎧に身を固めた衛兵の敬礼を受け、青竜騎士団長、キャンディス・フォン・ベックマンは答礼を返す。
馬車は衛兵詰め所を通り過ぎた。対魔法防御を施された実用一辺倒の建物だ。
だが、彼女はその無骨さが好きだった。凱旋門はどうも仰々しく感じられるのだ。
幾つかの建物を過ぎ、丘の上まで続く一本道に差し掛かる。
緩やかな傾斜で丘の上まで一直線に伸びる石畳の道を秋の装いをした街路樹が鮮やかに彩っていた。
窓からは秋特有の抜けるような青空が見える。目を凝らせば、そこに舞う練成中のブルードラゴンたちの姿も見える。
本来なら誇るべき光景の筈だ。だが、キャンディスの心は晴れなかった。彼女は思わずため息を漏らす。
馬車に同乗する二人の直衛騎士達は目配せを交す。彼らは主の厄介ごとを片付けるのが自らの仕事だと考えていた。
無言でのやり取りの末、ランス・ガーレンが話しかけた。
「団長、いかがされましたか?」
「・・・お前達、あそこに舞う竜の姿が見えるか?」
キャンディスは空の一点を指差した。様子を観察していたもう一人の直営騎士、ニー・カイラーが応じた。
「錬成中のブルードラゴンですな。三騎ずつに分かれて編隊空戦訓練をしているように見えます。
率いているのはジェレミアとマシューでしょうか、戦技にどことなく彼らの癖がある。」
その答えにキャンディスは苦い笑いを浮かべた。
「錬成、か。"契約"に従って騎士をその背に乗せて空を飛んでいる以上、そう言えなくも無いな。
だが、あれでは単なる拙い追いかけっこに過ぎない。あの程度ではとてもニホンの飛行機械に勝てるとは思えん。
あれが編隊空戦訓練だとするなら、青竜騎士団も随分と落ちたものだ。」
「団長、それは――」
「判っている。連中の前では口に出さんよ。」
キャンディスは再び黙り込んだ。視線はブルードラゴンが舞う空から動かされていない。
――もはや手遅れなのは判っている。しかし、これでは・・・
キャンディスは数ヶ月前の事を思い返していた。
統合暦77年6月3日 青竜騎士団司令部・閲兵所
青竜騎士団司令部では新兵――ドラゴン、騎士とも新兵――による入営式が行われている。
数十に及ぶブルードラゴンと竜騎士が整列している様はまさに最精鋭の威容に満ちているといっても過言ではない。
本来、その筈だ。だが、キャンディスはその端正な顔に複雑な感情を込めながら列を見回している。
キャンディスが新兵達に向ける視線は厳しい。同時に困惑の色がある。
そして、事実として彼女は困惑していた。この”新兵”達しかもはや残っていない、ということは――
「では、最後に団長からご挨拶がある。」
マシュー・セルティック先任隊長が彼女の名を出した。フィンレーの戦死後、青竜騎士団は副官を置いていない。
彼女が正式な副官を任命するまではキャンディス直衛騎士の二名を除いて最先任のマシューが副官格を務める事になっていた。
――どうやら考え事に没頭していたらしい。いつの間にか式次第が進み、団長挨拶を残すのみとはな。
これが空なら、私は死んでいたな。
彼女は自嘲気味に薄く笑ってから表情を引き締めて演説台に登壇すると、短く告げた。
「諸君等は今日から青竜騎士団の一員である。その誇りを胸に、精進してほしい。・・・以上、解散。」
騎士団長室に戻った彼女は直衛騎士二名に感情を爆発させた。
「これが戦力の補充だと?ふざけるな!青竜騎士団は託児所ではないぞ!」
キャンディスは激怒した。
送られてきたのはワームリングというには大きい、だがドラゴンというには余りにも幼い固体だ。満足に話すことすら出来ない。
会話による連携は竜と竜騎士の関係においは欠かす事ができない要素である。
ワイバーンや巨鳥等とは異なり、なまじ高度な自我を持っているからだ。
それだけに、会話できない可能性があるという事は青竜騎士団の戦力発揮において致命的なものだった。
それに、魔力の成熟具合も問題だ。最低でも百歳以上でなければドラゴンとは言い難い。しかし、今回の固体は全て六十代以下だ。
人間の兵士よりは圧倒的に強いだろうが――
「なんだ、あの中途半端な魔力は。あれでは鶏を丸焼きにするぐらいしかできんだろう。あれが栄えある青竜騎士団の一員とはな。
我等も随分と落ちぶれたものだ。"黒煉瓦"の連中は一体何を考えているのだ。」
「・・・彼らなりに最善を尽くした結果ではあるのでしょう。本当の意味での幼竜は入っていません。
少なくとも、意思疎通が可能なドラゴンを選抜した、そうは聞いています。」
ニー・カイラーはとりなすように言った。キャンディスは皮肉げに返す。
「ドラゴンだと?あれがドラゴンなら、蝶や蜻蛉もドラゴンのうちだろうよ!」
統合暦77年10月15日 神都アケロニア郊外・青竜騎士団司令部
馬車は錬兵場の前で止まった。キャンディスが馬車から降りる。彼女は手をかざして秋の日差しを遮った。
気の早い木々が色付きはじめているとはいえ、馬車の中に比べれば陽光は随分とまぶしい。
行進訓練を行っていた新入りのドラゴン達が近づいてくる。その足取りはどこか幼く、頼りない。何よりその姿が小さい。
ブルードラゴンは成竜でもあまり大きいほどではない。発育の良いワイバーンの方が大きいことすらある。
それを割り引いても新入り達はかなり小さかった。キャンディスの騎竜、ハイ=スカイと比べると二周りほど小さい。
彼女達が不安気に見守る中、ドラゴン達はよたよたと近づいてくる。
やがてキャンディス達三人に相対した時、その中では年嵩の――とはいえ六十八歳にしかすぎない――ドラゴンが号令を発する。
”きゃんでぃすだんちょうに、けいれい!”
たどたどしい声に従い、四十頭ほどの幼青竜の群れは一斉に首を伸ばし、顎の裏をキャンディス達に晒した。
ドラゴンが送る最上級の敬礼の仕草だ。だが、キャンディスには何かの悪い冗談にしか思えない。
これは誇りを知る自立したドラゴンが示すからこそ敬礼として成り立つ仕草であり、幼竜が意味もわからずにやるものではない。
とはいえこれが騎士団長を迎えるための正しい礼儀である以上はどうにもならない。彼女は不機嫌さを隠しつつも答礼を返す。
いかに幼いとはいえ流石はドラゴンというべきか、幼青竜の群れは首をあるべき位置に戻す。
キャンディスは楽にしろ、と前置きしてから彼らに話しかけた。
「諸君等は入営以来既に四ヶ月に及ぶ訓練を重ねた。だが、まだまだ学ぶべきことは多く、これから先の道のりも長い。
私は青竜騎士団長として諸君等と共に戦える日を楽しみにしている。それまで、教官のいう事を良く聞き、精進するように。」
幼青竜達は食い入るような目でキャンディスを見つめ、しきりに頷いている。
とはいえ、彼女の言葉の意味が判っているようには思えない。何となくそう反応してみた、そんな動作とも取れる。
キャンディスは苦笑を浮かべた。
――ああは言ったが、この子らが戦力になるのはいつの事やら。戦争はまだ続く。だが、こいつ等はそれには出せない。
余りにも幼すぎる。あと五年は練成しなければ使い物になるまい。それまで私は生きていられるのかどうか。
彼女は怖い顔をしていたのかもしれない。不意に一頭の仔竜がキャンディスに話しかけた。
”だんちょーさん、ぼくたち、いけないことした?ぼくたち、わるいこなの?”
全く邪気の無いつぶらな瞳で、だが悲しげに話しかける幼竜の言葉は彼女の心に突き刺さった。
――そうだ、この子らが悪いわけではない。真に糾弾されるべきは――
統合暦77年10月15日 神都アケロニア・大協約総軍司令部
アケロニアは神都の名に恥じぬ大都市だった。人口は優に三百万を超える。周辺地域を含めれば一千万にも達するかもしれない。
その巨大人口を養うに相応しい基盤も充分に整っている。
放射状幹線道路での竜輸、地下や空中に張り巡らされた水路や巨鳥での空輸まで様々な移動と輸送の手段はこの世界随一のものだ。
その輸送路を生かし、全市をまかなう為の巨大市場には西方大陸中の商品が集まる。
市民達に潤いをもたらすための施設――公衆浴場、劇場や運動施設のような娯楽施設も充実していた。
特に大闘技場で行われる角竜による模擬戦はその大迫力で市民に圧倒的な人気を誇っている。
「今月の出し物は角竜と鎧竜の一騎打ちか。面白そうだな。」
四頭引きの馬車から大闘技場外周部に掲げらたのぼりを見たウェイン・ダグラス侯爵がつぶやいた。
頬杖をついて窓の外を眺めていたアシュリー・ケンドリック赤竜騎士団長が一瞬だけダグラスに視線を向ける。
彼女は向いあわせに座っている侯爵に向って気のない調子で応じた。
「アレには筋書きがありますよ、ダグラス卿。無論判っておられるとは思いますが、本物の戦いではありません。
”戦いのような事”をして観客を喜ばせ、日々のやる気を出させるための、ただの見世物です。」
「それは判っている。そうでなければ興行の許可が出ないだろうからな。
だが、そこに至るまでの盛り上がりや実際の戦い――の演技というべきか、とにかくそれは本物だ。そうではないか?」
「ダグラス卿ともあろうお方があのような低俗な見世物が好きだったとは。思いもよりませんでしたよ。」
片眉を上げながらいたって真面目な顔で言うダグラスの方を見もせずにアシュリーが言う。
あまり礼儀に適った事ではないが、彼の方ではそれを咎め立てする気はないらしい。
「そう言ってくれるな。大闘技場で声も枯れんばかりに声援を送る市民を見るのも仕事のうちなのだよ。」
「そうですか?」
「今は仮にも戦争中だ。その最中にこのような賑わいを見せている都市は世界でもそうは無いだろう。
それを確かめるだけでも価値があるというものだ。違うかね?」
「・・・と、いう口実で侯爵家の執事を言いくるめて見に行く訳ですね?」
「そういうことだな。」
ダグラス卿は不敵な笑みを浮かべた。相変わらず頬杖をついて外を見ていたアシュリーが苦笑を浮かべる。
馬車は着実に歩を進めて大闘技場が遠ざかる。神都アケロニアの壮麗な民間建築群を抜け、やがて官庁街にはいる。
その中でも一際高く聳える漆黒の巨塔こそが大協約総軍司令部。二人が目指す場所だった。
大協約総軍司令部内・魔道工学研究棟
広大な大協約総軍司令部の敷地にあるのは"黒煉瓦"――総軍作戦司令部だけではない。他にも様々な組織が入っている。
参謀部や作戦部は当然としても、通信、兵站や補給といった戦場に直結する部署も入っている。
もちろん宣伝部や情報部といった、所謂"汚れ仕事"をしない種類の情報戦を戦う兵士達もここに勤務している。
さらには人事、購買、会計や庶務といったある意味組織である以上必要な組織も軒を連ねていた。
二人の目的地もそのような"黒煉瓦"以外の施設だ。"黒煉瓦"横の小ぶりの講堂のような建物、魔道工学研究課だ。
彼らは原型が判らないほどに破壊された、木と金属から構成される"何か"の前に立っている。
どう見手も残骸以外の何物でもないが、彼らにとっては大きな意味を持つものだった。
「これがそうなのか・・・この、何の変哲も無い木材で出来た、これが。」
ダグラス卿は忌々しげに言うと木で出来た何かを叩く。硬い、だが紛れも無く木を叩く音が聞こえた。
「はい。これこそ、前線の兵士が<黒い死>として忌み嫌う飛行機械、”ツルギ”です。ニホンの言葉で剣を意味するのだとか。」
ニホン人はイチイチゴとかトーカ等とも呼ぶらしいですが、案内役を務めている魔道参謀が言う。
アシュリーは研究員の許可を得て破片の一つを拾う。彼女にも木の様に見える。
"無垢の板材"では無いようだ。性質の異なる木を二種類以上組み合わせている合板のように見える。
だが、それだけではない。かすかに魔力を感じた彼女は研究員に尋ねた。
「この魔力は・・・”トレントの加護”か何か、森に関係する魔法がかけられているのか?」
「はい。"仮初の命"で主に簡単な自己修復の機能を目的として、極一部ですがトレント由来の材料を使っているようです。
おそらくは木人の樹液をエルフが魔法で加工したものだとは思うのですが、正確にはわかりません。
"生きている"試料があれば判るのでしょうが、ここまで破壊されたものではこれが限界です。」
白いローブを着た研究魔道士がいう。解明できない事が悔しいという表情だ。彼はその表情のまま二人に言う。
「ただ、そちらはまだ多少なりと理解できます。問題は、頭と思われる部分についた金属塊です。」
全員がそちらに注目する。視線の先には瘤のようなものがいくつも突き出た、油まみれの不細工な物体があった。
研究員がそれを平手でたたきながら言う。
「ヒースクリフ大公殿下が鹵獲した"オスカー"の金属塊と合わせて検証した結果、一応、動作原理はわかりました。
この瘤に入っている棒が連続的に押されることで軸とそれにつけられた風車が回る事で風を起こすようです。
とはいえ――」
研究員は肩をすくめてため息をついた。
「このような事が判った程度では何ともしようがありません。もっと本質的なところがわからないと。」
魔道工学研究棟を辞した二人はさして上等ではない大理石で作られた申し訳程度の門を抜ける。
ダグラスは門の正面で待っていた専用馬車の御者に"黒煉瓦"の待機所で待つように告げて歩き始めた。
いかに広大な敷地とはいえ、馬車を使うほどには遠くないし、考えを整理する時間も必要だ。
「結局、何も判っていないという事か。」
遠くに見える巨大な"黒煉瓦"に向けて歩きながらダグラスが言った。
呆れているというよりは諦めているかのような、彼にしては珍しく弱気な口調だった。
アシュリーは少し顔を顰め、即座に反論する。
「そうでもないでしょう。少なくとも、"何がわからないか"は判っています。
後は不明点を減らしていけば良いだけのはずです。悲観は禁物では?」
「卿はもっと悲観的かと思っていたがな?」
彼は挑発するように片眉を上げながら言う。実際、ダグラスはそう思っていた。
アシュリー率いる赤竜騎士団は"サム"や"フランク"に手を出す事ができずにいる。
ニホンの兵器が大協約の魔道工学では解明できないという現実を目にして悲観的になってもおかしくは無い筈だ。
「”判らない”という結果だけでは、悲観も楽観もできません。それだけです。」
アシュリーは言った。楡の並木道にところどころ置かれているガーゴイルに目をやりながら言う。
「それに、<黒い死>がどうであれ・・・我等のやる事が変わる訳ではありません。
歴史と伝統ある赤竜騎士団の団長として、祖国に仇なす敵を討ち滅ぼす。それだけです。」
「ふむ、そういう考え方もあるな。だが、それなら何故、今になってロシモフ得意の森の力を使う魔道具など出してくるのだ?」
ダグラスは半ば独語するように言った。
「連中、実は魔法も魔力も無いのではないだろうか?」
「それは流石に無いでしょう。魔道の基礎知識が無いのに戦艦や各種の魔道砲を作ることなどできるはずがありません。
ましてや、空を飛ぶものを作ったりする事ができるはずもありません。」
「だとした場合、私がさっき言った事をどう説明できると思っている?」
「単に、連中の魔道工学との体系が違うが故に魔力を検知できないのでしょう。
いずれにしても、魔法も魔力も無いという事はありえません。・・・少なくとも、私はそう思います。」
会話はそれで終った。総司令部に着いたのだ。随分距離があると思っていた"黒煉瓦"だったが、思ったよりは近かったようだ。
二人は階段をのぼると、豪奢な装飾が施された門を抜けて"黒煉瓦"に入っていった。
東方暦1568年11月24日 トーア
東方大陸で各種族から信仰の対象にされている"世界樹"。
山をも覆うその巨大な樹木の懐に抱かれるようにしてトーアの市街地は存在する。
自然を破壊して自らの住処を作るのではなく、自然の樹木を利用して自然と一体化した街だった。
道にこそ石畳が敷かれているものの、石造りの建物はほとんど存在しない。
ほぼ全ての建物が世界樹の虚の中に立てられているか、自然木を組み合わせて作られたものだ。
中でも最も立派なのは大きな楡の木を複雑に絡み合わせた世界屈指の巨大木造建築、"カレル=ミレル"だろう。
ここはエルフ族・ホビット族合同族長会議の建物だった。
そして今、”カレル=ミレル”の支族長公室で二人の男が会話を交わしている。
「大協約は無理をし過ぎたのだ。砂漠にしろロシモフにしろ、明らかに攻勢限界点を超えていた。」
壁にかけられた巨大な地図を見ながら同盟軍参謀総長のドミトリーは言った。
「そうだな。そして今や、攻守は逆転しつつある。イーシア国境まで、あとわずかだ。」
エルフ第二支族長であるアレクサンデル・カザリンが答える。彼も同じ地図を見ていた。
地図の上には何本もの線が引いてあるのが見える。その線の端には日付が書いてあった。
大協約軍が侵攻して以来、一ヵ月毎の軍の進出をあらわしているのだ。
その線が最も右に――トーアに向けて迫った地点は去年の11月。線は中西部の要衝"フランカ"に入り、そこで止まっていた。
しばらく"フランカ"の上で膠着状態が続いた後、今年の六月以降は線は左に、ポラスへと向って動いている。
「"フランカ"での勝利は大きかった。何せ、二百万を越える軍を打ち破ったわけだからな。」
「世界の陸戦史上に永久に残るだろう空前の勝利だったな。如何に作戦通りとはいえ、ああも上手く決まるとは。
ニホンの武器が――なかんずく、あの"キジュー"とかいう小型魔道砲無ければ怪しかったかもしれん。」
「そうだな、あれのお陰でグリフォンでもワイバーンを倒せるようになったのは大きい。」
「<ツルギ>の存在も大きいだろう。あれのお陰で地上攻撃用の空中戦力は随分増強できたのはありがたかったな。
こんどは最新型の<ハヤテ>を基にした木製飛行機械も来るらしい。そうすれば、青以外のドラゴンならば――」
不意にドアを叩く音が聞こえた。カザリンは入るように命じる。ドミトリーの副官が入室して用件を告げる。
「総参謀長、ライレー将軍から連絡が入っております。こちらに回しましょうか?」
また何か面倒なことになるかもしれない。直感的にそう思ったドミトリーとカザリンは顔を見合わせた。
昭和二十年十二月十四日 草津
”草津よいとこ 一度はおいで ア ドッコイショ お湯の中にも コーリャ 花が咲くヨ チョイナ チョイナ”
湯畑から多少離れたところにある温泉旅館”つつじ亭”。その露天風呂で一人の女性が上機嫌に歌っている。
今朝方降ったばかりの雪が辺りを一面の雪景色に変えている。時折、木の枝から雪が落ちる音がかすかに聞こえる。
その様子に目を細めながら女性は歌い続ける。金髪碧眼という見た目からして日本人では無いらしい。
”忘れしゃんすな 草津の道を ア ドッコイショ 南浅間に コーリャ 西白根ヨ チョイナ チョイナ”
女性は陽気に歌い続けながら湯船に浮かべた盆から猪口をとると傾けて呷り、満足げな吐息を吐く。
湯船に浮かべた盆にはお銚子が既に三本ほど横になっている。湯で火照った顔がなんとも艶っぽい。
”朝の湯けむり 夕べの湯もや ア ドッコイショ 草津は湯の町 コーリャ 夢の町ヨ チョイナ チョイナ”
彼女はもう一献、とばかりにお銚子を傾ける。だが酒は一滴も出てこない。中身はもう空のようだ。
宿の仲居さんを呼ぼうと口を開きかけた彼女を先ほどからこの光景を眺めていた女性が制止する。
「姉さん、まだ朝なんですから、もうそれくらいにしてください。」
長い金髪を頭上に纏め上げたエルフ族の僧侶、ユリア・ドミニナはため息をつきながら言った。
如何に旅館の離れを丸々借り切っているとはいっても朝からこれはやりすぎだ、彼女はそう思っていた。
「お天道様が出る前からそんなにお酒飲んで・・・なんて自堕落な。」
だが、彼女の姉、エルフ族の魔道士たるニーナ・ドミニナは気にした様子はない。
湯船に浮かべたお盆の端を押し、お盆が水面をゆらゆらと遠ざかっていく姿を見ながら上機嫌に言った。
「いいじゃない、三年もかけた仕事がようやく終ったんだからさ。このくらいは大目に見てもらわないと。
榮川、なかなか美味しいよ?」
「それは知ってます。でも、何も朝から飲むようなものじゃないでしょう?
大体、一ヶ月もこんな生活続けてどうするんですか。そろそろ次にどうするかを決めないといけません。」
妹の言葉を無視するようにニーナは斜め上を見ながら口笛を吹いている。節からすると"りんごの唄"だろう。
ユリアはため息をついた。どうして私はこの大酒飲みの面倒を見ているのだろう。
彼女達は同盟軍将軍を自称する怪しげな老人、ライレーの依頼を受けてニホンに来ていた。
目的はかの国に眠る伝説の宝剣"アメノハバキリ"を探すこと。
数年前までこの世界に存在しなかった国で、神話上の存在であるその宝剣を探索する任務は一筋縄で済むようなものではなかった。
だが、彼女達は何とかやり遂げていた。神話と伝説を丹念に調べ、入念な地域調査を行い、そして――
「何とか期限内ぎりぎりに見つけられたから三万ゴールドになりましたが、あやうく契約違反になるところだったんですよ。
そんなに誇るような事でもありません。だから――」
鮭と海苔と味噌汁という宿の朝食を食べながらユリアが言った。二人とも浴衣姿だ。
「でもさ、あれタダの刃が欠けた鉄剣だよね?確かに<旧い剣>特有の魔力がかかっているのは間違いないけど。
アレだったら"童子切安綱"でも良かったんじゃないのかなあ?」
ニーナはユリアの"お説教"が始まるのを察してさりげなく話題を変えようと試みる。
ユリアはそれを判っていながらも姉の作戦に乗ることにした。何も好き好んで朝から喧嘩する必要はない。
「・・・確かに。あの剣にもかなり強力な破邪の魔法は掛かっている様に見えました。
材料として"アメノハバキリ"の欠片を使っているという伝説もおそらく事実なのでしょう。事実上、同じものだと思います。
それに。」
彼女はそこで一旦言葉を切る。さりげなく彼女の膳にある鮭の切り身に手を伸ばしてきた姉の箸を払いのけて続けた。
「魔力というだけなら、アツタにあった"アメノムラクモノツルギ"の方が遥かに上のようにも思えました。
皇帝の宝剣だから当然なのかもしれませんが、あの剣であれば――何でしょう?」
襖の向こうに気配を感じたユリアは声をかけた。仲居が申し訳無さそうにしながら姿を現し、恐縮しながら言った。
「朝から申し訳ありませんが、お客様がお見えです。こちらにお通ししても宜しいでしょうか?」
「お客さん?あたし達に?何かの間違いじゃなくて?」
ニーナが目を丸くしている。この国に来てから知り合いが数多くできたとはいえ、こんな時間に訪れるほどの知り合いはいない。
仲居は困惑した表情を浮かべていった。
「はい。"ニーナ・ドミニナとユリア・ドミニナに”ライレーが来た”といえば判る"、と・・・」
「・・・ああ、もしかしてお爺さん二人組み?なら良いわ、来てもらって。」
ニーナが嬉しそうに言った。
――これが仕事の話なら私から小言を言われなくて済む、そう思ってるんだわ。
でも、これでようやくこの自堕落な生活も終るわけね。その点だけは良かったというべきかしらね。
来る前に食べな終らなきゃね、そういいながら上機嫌でお櫃からご飯をよそう姉を見てユリアは微笑みを浮かべた。
初出:2010年7月11日(日) 修正:2010年7月18日(日)