統合暦77年2月24日16時57分 ”女帝フレデリカ号”上空
艦隊の上空を無数の巨大な影が空を飛び回っていた。
その羽ばたきは力に満ち溢れており、この世のものとは思えない迫力を放っている。
――これ程の数が集まるとは。まさに圧巻だ。
キャンディスはこの空域に集まっている大協約軍空中部隊の数に圧倒されていた。
その感想は間違いではない。実際、数だけでいうならばヨコスカ空襲すら上回る数が集中していたのだ。
巨竜母艦四隻から集まった対艦攻撃型ワイバーンは合計で百二十騎を越えていた。
これにキャンディスたちの青竜騎士団四十一騎と、ヘイフリック限界に近い”スレイマーン”所属の黒獅子鳥部隊六十騎が加わる。
”スレイマーン”に残った赤竜騎士団と黒獅子鳥部隊百騎を除けば、この地域の大協約軍全空中部隊がここに集中しているのだ。
だがキャンディスは、手放しでそれを喜ぶわけにはいかなかった。
確かに、数では勝っているかもしれない。だが、質では必ずしも勝っているとはいえない。
ワイバーンや巨鳥も空中戦闘能力が低いわけではないが、制空型飛行機械”サム”には勝てないことは既に明らかだ。
そして、間違いなく敵艦隊上空には”サム”がいるだろう。いかにブルードラゴンといえど、数で劣れば抑えきるのは難しい。
「・・・貴公らには・・・」
黒獅子鳥部隊指揮官に通信をつないだキャンディスは言葉に詰まる。
効果的な作戦とはいえ、彼らにはあまりに酷な命令を出している。彼等が帰還できる確率は限りなく低い。
「気にしないでください、ベックマン卿。我等とて納得していることです。」
黒獅子鳥部隊の指揮官は応じた。
「それに、別に死ぬと決まったわけではありません。確かに生還の確率は低いかもしれませんが、全く無いわけではありません。
可能性がいくらかでもあるならば、それに掛けて最善を尽くすのが武人たるものの務めでしょう。
それに――」
彼は笑い声を上げてから言った。。
「碌に夜眼も利かぬような奴等に、まして爪も牙も無い相手に易々とやられるわけにはいきません。
必ず戦果を上げて見せますよ、ベックマン卿。」
「そうだったな。すまない、詮無い事を言った。」
キャンディスそういうと命じた。
「こちらは空中部隊指揮官、青竜騎士団長のベックマン伯爵だ。全軍、あと三分後に出るぞ!」
一時間半ほどの飛行の後、大協約軍空中部隊は敵艦隊を発見した。
送り狼として先行していた空中部隊の報告どおり、戦艦六隻、飛行機械母艦四隻を主力とする部隊だ。
敵も新鋭艦を生産しているという事だったが、情報どおり、この海域にいるのは旧式艦部隊のみらしい。
戦艦六隻はエリック公爵の主力艦隊が相手にすることになっている。
そのため、今回、青竜騎士団と対艦ワイバーンが攻撃目標としているのは飛行機械母艦だ。
彼女は日が落ちかけた中で飛行機械母艦の姿確認した。平型甲板を持つ飛行機械母艦は四隻。
事前情報によれば、それらは地名を冠した"アカギ号"、"カガ号"、ワイバーンを示す"ヒリュウ号"、そして"ソウリュウ号"の筈だ。
それら大型船の周囲に小型艦が取り囲むように配置されていた。間隔はやや広いが、輪形陣とみて間違いないだろう。
一隻の飛行機械母艦につき、およそ三隻ほどの艦が護衛に回されているようだ。
艦影は三年前に見た”槍”装備艦よりもいくらか大きいように見えるが、それほどの差はない。
それらを指揮すると思われる小型の巡洋艦と思しき艦船やより大型の巡洋艦らしきものの姿も見えた。
戦艦にもほぼ同様の護衛艦がついている。
キャンディスはブルードラゴンの名を持つ艦を見つめた。それは念写にあったままの姿で海上に浮かんでいる。
全長700フィートあまり、全幅70フィートほどの細長い艦だ。どことなく華奢で、優美とも言える佇まいだ。
空中戦闘能力においてあらゆるドラゴンの頂点に立つブルードラゴンとはかけ離れた存在ともいえる。
情報部からの報告では、"ソウリュウ号"の就役は十一年前。ニホンがこの世界に現れる前の話だった。
"混沌の大国"はこの事態を見越していたわけではないのだから、この命名は偶然なのだろう。しかし――
――あのような艦に、誇り高き存在であるブルードラゴンの名をつけるとは。
いかに偶然とはいえ、許すわけにはいかん。
キャンディスは、その上空に目を転じた。
無数の影が浮かんでいる。おそるべきニホンの飛行機械に違いない。
だが、こちらの狙い通り薄暮攻撃になった事もあり、敵飛行機械の動きはそれほど的確なものではなかった。
この数ヶ月で明らかになったとおり、やはり混沌の飛行機械は夜眼は効かないのだ。
全ては作戦通りだ。キャンディスは下令する。
「攻撃開始!」
その命令を受けて先行するフィンレー部隊二十騎あまりが速度を上げ、制空型飛行機械に向けて突進していった。
統合暦77年2月24日18時35分 ”混沌の艦隊”上空
敵の制空型飛行機械はおよそ八十ほど。だが、その動きには先ほどまでのような鋭さはない。
夜眼の問題もあるだろうが、おそらく先ほどの攻撃隊に随伴したもの達も防空に従事しているに違いない。
飛行機械自体はバネと歯車で構成されているとはいえ、搭乗しているのは人間だというのは判っている。
本来空を飛ぶ筈がないバネと歯車を数時間に渡って操れば疲労するに違いない。
もっとも、先ほどの空戦のすぐ後から作戦行動を開始しているという意味では青竜騎士団とて同じだ。
条件はほぼ等しいといえる。それでも――
――やつらの攻撃手段が魔力弾でしかない以上、おそらくはこちらが有利だ。
それに、"腐敗液"を補充しない限りは長時間飛べないという事も既に判っている。
この空戦、我等が有利といえるだろう。
キャンディスはそう思っていた。それでも青竜騎士団に倍するその姿は脅威といえる。
彼女が率いる団長直属部隊は夜眼のあまり効かない対艦ワイバーンを護衛している。
この攻撃における切り札でもある対艦ワイバーン部隊はフィンレー達制空部隊とは随分離れたところで旋回待機していた。
本来であればこのようなやり方はあまり好ましくない、キャンディスは思っていた。
現状では無駄に戦力を分割しているだけだ。本来は全力を挙げて敵制空部隊に突撃して一気に撃破してしまうべきだ。
敵の魔力弾には限りがあるし、そうでなくても数に勝るワイバーン部隊を全て落としきることは出来ないだろう。
――だが、今回の作戦においては致し方ない。
キャンディスは思った。通常の作戦とは異なり、今回の作戦においてはなんとしても黒獅子鳥を先行させなければいけない。
そのためには敵艦隊上空から制空型飛行機械を引き剥がす必要がある。対艦ワイバーン部隊はそのための餌だった。
そして、その作戦は成功しつつある。制空型飛行機械の半数ほどがブルードラゴン先行隊を無視してこちらに向かい始めていた。
「青竜騎士団、全騎戦闘開始!対艦ワイバーン部隊は全速で後退せよ!黒獅子鳥部隊は――」
そこまで言いかけたところで黒獅子鳥指揮官から通信が入った。
「了解しました。我等、必ずや目標を撃破してご覧にいれましょう。」
その声とともに10マイルほど離れた位置に突如として気配が現れる。
「黒獅子鳥部隊、突撃開始!」
黒獅子鳥指揮官の命令が通信晶から響く。
海面から数十フィートの位置に待機していた黒い巨鳥達は"混沌の艦隊"外周部に向けて突撃を開始した。
"槍"装備艦と思しき小型艦に黒獅子鳥が殺到する。
小型艦はしきりに対空砲を放つが、無誘導の魔力弾がそうそう都合よく当たるはずもない。
やがて高度が艦橋と等しくなり、僚艦からの援護は期待できなくなる。
これ以上はお互いの艦を傷つけるだけに終るからだ。
小型艦は回避しようとあがいているが、着艦しようとする黒獅子鳥の追撃をかわせるほど素早くは動けない。
そして、遂に黒獅子鳥部隊の一部が着艦に成功した。直後、"混沌の金礫"を受けてその毒を持った尻尾が吹き飛ぶ。
だが、黒獅子鳥もその騎乗士もそんなことには頓着しなかった。彼らは格闘戦を行うために着艦したのだ。
成功しても生還が期待出来ず、失敗すれば確実な死が待つ攻撃方法だ。
"槍"装備艦に対して大協約が出した回答の一つがこれだった。
本来、魔道士や戦士などが多数乗り組んでいる戦闘艦船への着艦しての格闘戦闘など危険なだけで意味を持たない。
しかし、"混沌の艦隊"が相手であれば――そして、敵よりも圧倒的に数が多いならば。
戦訓から、ニホンの軍人は基本的に対巨獣対策を各種戦闘機械に頼り切っている事が判っている。
それに、”混沌の艦隊”の使う武器は艦隊戦を意識して作られている。空中戦力が着艦して攻撃することを想定した装備ではない。
ここに付け入る隙があった。着艦するのは確かに困難だろう。
しかし、ひとたび着艦できさえすれば――魔道士も剣士もいない。あの恐るべき魔道砲も効果を発揮することはないのだ。
今回の攻撃はこの間隙を縫ったものでもあった。
ニホン軍には巨獣を防ぐことなどできはしない。彼らは好き放題に艦を蹂躙する事が出来るだろう。
幾度も傷つき、そのたびに魔法や竜宝珠で治療したものの、もはや限界を迎えていた黒獅子鳥を有効活用する戦術でもあった。
――成功の確率は決して高くないと思っていたが、今のところこの作戦は成功している。
やつら、自分達が標的にされると思っていなかったのだろう。
先ほどのピラー・オブ・フレイムといい、本当に馬鹿な連中だ、キャンディスは思った。
前回あれだけ派手に暴れていれば対策を打たれない筈はないだろうに、何もしてこないとは。
キャンディスがそう考えている間にも黒獅子鳥は”槍”艦に次々と舞い降り、格闘戦を開始していた。
着艦した黒獅子鳥は艦の上で連続で火弾を放ち、巨大な嘴で艦体に穴を開けている。
小さな杖らしきものを構えて何かの魔法らしきものを放っている勇敢な乗員もいたが、それはむしろ逆効果だった。
片足を引き摺ってはいるが、いまだその戦意に衰えのない黒獅子鳥はその乗組員に向って突撃すると、脚の爪で切り裂いた。
更にそのまま火弾を放つ。刹那、”槍”装備艦は艦中央から閃光を上げたかと思うと消滅した。
おそらく、”槍”に火が回ったのだろう。そして、同じような光景は海域のあちこちで繰り広げられていた。
青竜騎士団と激闘を繰り広げていた制空型飛行機械もその様子に気が付いたのだろう。
小型艦の援護に向うべきか、迷いが生じたようだ。一瞬、飛行機械に隙が生まれる。ブルードラゴンはその隙を見逃さなかった。
数に圧倒され、撃墜をまぬかれるのが精一杯だった青竜騎士団各騎が息を吹き返す。
魔力弾の細い火線による束縛から解き放たれたブルードラゴンは反転すると稲妻と魔法を同時に放つ。
命中を期待しての動作ではない。飛行機械に回避機動を強要するのが目的だ。
飛行機械の群れもそれは判っていたかも知れないが、かわさなければ直撃する軌道である以上はそうは行かない。
横転あるいは急降下で稲妻と魔法をかわした。ただし、全騎が揃って同じ機動をしたわけではない。
比較的整然と組まれていた三機編成の小編隊がばらけた。制空戦闘は混戦に移行する。今だ。キャンディスは叫んだ。
「対艦ワイバーン突撃開始!」
上空に退避していた対艦ワイバーンが四隻の飛行機械母艦に向けて緩降下を始める。
”サム”もそれに気が付いた。慌てて追跡を始めるものもいるが、動きは的確とはいえない。
編隊が崩れているせいで統制のとれた指揮が出来ないのだろう。
如何に空戦性能に優越していようと、そのような状態では全力を発揮するのは難しい。
ブルードラゴンも対艦ワイバーンを援護しての突撃を開始する。
ワイバーンを攻撃しようと不用意な動きをする飛行機械を排除しながらドラゴンとワイバーンが艦隊に迫る。
"混沌の艦隊"と飛行機械は、二百八十ノット近い速度で上空から迫るワイバーンの接近を完全に防ぐ事は出来なかった。そして――
「魔力弾投下!」
飛行機械母艦を包み込むように、一隻につきおよそ三十もの魔力弾が投下される。
四隻全てに数発の命中弾。しかし、火柱などが立つわけではない。飛行機械母艦は何事もなかったように動いている。
だが、これは予定の行動だった。
「ワイバーン指揮官より全騎へ。直ちに当該空域から撤退せよ!」
ワイバーン指揮官からの緊急通信とともに、魔力弾が落ちた辺りから霧が立ちのぼり、飛行機械母艦の姿が霞む。そして――
「飛行機械母艦、停止しつつあり!やりました!」
煙を吐いて円を描くように動いていた霧の中で飛行機械母艦は動きを止めていた。
ハイ=スカイは感心したように思念波で語りかけた。
"<酸の霧>か。あのような高価な秘薬を使う魔法をよくも魔力弾につめたものだ。しかもあの数とは、幾らかかっているのやら。
生物に効果がなく、若干の金属腐食にしか効果を示さぬ。かといって鎧を溶かせるほど強い魔法でもないが、なるほど――"
"歯車に入り込んで溶かし、それを狂わせる位の事は出来る。奴等が歯車で動いている以上は効果的でしょう?"
キャンディスは騎竜に応じると、霧の中で停止している"ソウリュウ"を視界に捕らえつつ空中部隊全騎に撤退を命じた。
統合暦77年2月24日19時27分 "女帝フレデリカ号"
「ベックマン青竜騎士団長より通信!
"青竜騎士団長より艦隊司令部。我、敵艦隊攻撃に成功。
戦果、”槍”装備型艦艇二十以上を撃破、飛行機械母艦四隻行動不能。
撃墜、敵制空型飛行機械七。
損害、ブルードラゴン四騎、対艦ワイバーン四十二騎、再生黒獅子鳥全損。
敵艦隊は戦艦を分離。"女帝フレデリカ号"へ向うものの如し。
青竜騎士団は巨竜母艦”不敵号”に向かわんとす 1925"」
伝令の報告を指揮官座席で聞いた艦隊司令官エリック公爵は頷いた。
「作戦通りだな。青竜騎士団には暫く休むように伝えよ。まだ最後の出番がある筈だからな。」
了解しました、伝令はそう返事をして作戦指揮室を後にする。声は明るく、足取りもどこか軽い。
勝っているという実感があるのだろう。だが――
――ここからが正念場だ。何しろ、暫くは二隻で六隻を相手どらねばならない。
いかにH級戦艦とはいえ、酷な戦いになるだろうな。
エリック公爵は思った。彼らは飛行機械母艦を撃破された程度で止まるとは最初から考えていなかった。
敵艦隊のドクトリンに従うなら、飛行機械による攻撃はあくまで補助でしかない筈だった。
第二次バレノア沖海戦と同様に、最終的には夜間戦闘によって決着を迫るだろう、そう考えていたのだ。
大協約艦隊が新鋭戦艦を突出させていたのはそのためでもある。数的にあえて劣勢な状況を作り出すことで敵を誘引する目的だ。
そして今のところ、敵艦隊は想定どおりに動いている。
大回りして敵艦隊の後方に回ろうとしている"獅子王号"他四隻を無視し、"女帝フレデリカ号"の方に向ってきているのだ。
正しい判断ではあろう、エリック公爵は思った。自分でも同じようにするだろう。
それに、三対一の圧倒的数的優位を無視するようでは戦う甲斐がない。
とはいえ、艦自体も乗組員も実戦経験が不足している。性能では劣らないとは感じているものの、果たして――
彼はふいに視線を感じた。周囲のものが期待を込めてエリックを見つめている。次の指示を待っているのだ。
指揮官の弱腰は全員に伝染する。そう思った公爵はことさら明るく命じた。
「敵は数で勝るが、それだけのことだ。このH級戦艦の敵ではない。
"女帝フレデリカ号"、"赤髪王"の二隻があれば充分に戦える。全艦、速力最大!混沌の戦艦群を撃破するぞ!」
真暦3186年2月24日20時43分 都市国家"アル・エアル・マイム"近郊
夜の月に砂漠が銀色に輝く中、巨岩がその影を刻んでいる。
昼間は灼熱に包まれる砂漠といえども、夜になると気温は急激に下がる。まして、今は二月。
吐く息に白いものが混じることも珍しくはない。そのように白い息を吐きながら、数十名の男達が歩いている。
ここはアル・エアル・マイムの地上部、天井都市が”生える”あたりから随分離れたところだ。
特に何もないこのような所を人が歩くことは珍しかった。
ましてや、今のように王族が僅かな近衛護衛のみで出歩くなどという事はほとんどない。
「見てください、砂と岩が織り成すこの茫漠たる様を。まさしく人間を拒絶する世界と言っても過言ではありますまい。」
ウサイドは芝居がかった様子で辺りを見回すと続ける。
「このような何も無い場所に、朽ちかけているとはいえ遺跡があるのが不自然だと、私は常々思っていたのです。
そこで歴史を紐解いていったところ――」
「”陽の弓”に気が付いた、というわけか。」
シャイフの言葉はどこか皮肉げでもあった。それに気が付かぬようにウサイドは頷いた。
「"見よ、かの循環が終る時。双子の神が引く弓が現れし、その時を。"
"五つの幹で作られし数多の光を纏う弓は太陽を放つべし。我が子等はその”弓”を引く。"
西方大陸の賢者、ケネス・パテラスが記した<真正典>に関する注釈書にその記述を見つけたのです。」
「・・・お前は子供の頃から歴史が好きであったな。
世界樹は何故トーアにあるのか、何故暗黒大陸の巨蟲は人を拒むのか、何故――」
「――我等はここにいるのか。そうでありましたな。ですが、今はそれどころではありませんぞ。
一刻も早く”陽の弓”を動かし、空中要塞を退けて、我等の暮らしの安寧を保たねばなりません。」
「・・・そうだな。」
ウサイドの熱意ある言葉にシャイフは短く答える。流石に取り付く島もないと思ったのか、ウサイドは黙り込んだ。
他に言葉を発するものがいないため、一向はしばらく黙り込んだまま歩き続ける。やがて――
「<双子の丘>。ここにある岩が最終兵器などと、誰が気づきましょうや。」
ウサイドは一点を指差した。一団の動きが止まると彼が指差したほうを眺める。
差し渡し300フィート、高さ50フィートほどの岩が二つほど並んでいる。そこらにある岩とそれほど違いがない。だが。
「これこそ”陽の弓”。まあ、まだ魔力を充填していないので・・・ただの岩でしかありませんがね。」
ウサイドは岩を中心とした遺跡を背景に、王に向って見栄を切るようにして言った。
だが、王は特に感銘を受けた様子はない。むしろ淡々とウサイドに向って質問を発した。
「ウサイドよ、お前はこれについて何を知っている?」
シャイフの顔には表情がない。それを知ってかしらづか、ウサイドは肩を一つすくめて言った。
「大したことを知っているわけではありませぬが・・・
それを起動するためには<杯>と呼ばれる魔道具を用いて王が儀式を行うことが必要だ、という事。それだけです。」
「<杯>が何か、というのは知っているか?」
シャイフの問いかけにウサイドは真顔になって言う。
「・・・詳しくは知りませぬ。ですが、察しはついております。都市全域の魔力を集めるだけの魔道具などそれ程はありませぬ。
丹念に可能性を消しこんでいけば、残るのは只一つ。・・・伝説の祭器たる<真実の杯>こそ、<杯>の正体では?」
「・・・なるほどな。」
シャイフはそう言うと、遺跡の中央部に歩を進める。
一定の間隔で並べられた石の柱を縫うように進むと、中央部にはすり鉢状に掘り下げられた空間があった。
その中央部には細かい筋彫りのような文様が見える。おそらくは魔方陣だろう。
魔方陣の中に進んだ王は懐から何かを取り出した。素焼きの陶器で出来た杯だ。一見すると何の変哲もない。
「それが<真実の杯>ですか?とてもそうは――」
些か落胆したような声のウサイドに答えることなく、シャイフ王は杯を魔方陣に叩きつけた。杯は粉々に砕け散る。
唖然とするウサイドだったが、しかし彼は次の瞬間に目を瞠らせた。粉々に砕け散った杯のかけらが寄り集まっているのだ。
やがてそれは元と同じ姿を取り戻す。だが、同じなのは姿だけだ。薄い青い光に包まれたその姿は、先ほどまでとは根本的に違う。
その光は見るもの全ての心に平穏をもたらした。シャイフ王は独語した。
「・・・やはり、今がその時なのか。世界の調和を司どる<真実の杯>、その顕現をこの目で見ることになろうとはな。」
彼は懐から小瓶を取り出してふたを開ける。エーテルの香りがあたりに広がった。
シャイフは何かつぶやきながらエーテルを<真実の杯>に注いだ。呪文を唱えているのだろう。
突如として背後から轟音が響いた。王を除く全員が振り返る。岩が割れ、何か管のようなものが現れるのが見えた。
シャイフが<杯>にさらにエーテルを注ぐほどに、その管の中から何かが伸びていく。
それはどこか生物のようにも見えるが、その白銀の地肌を見るまでもなくまぎれもない無生物だ。
一定間隔ごとに五節ある竹のような節が生物のような印象を与えているのかもしれない。
長さ八百フィートほどになったところで、それは強烈な閃光を放って動きを止めた。
光が消えた後、そこにあったのは一本の巨大な魔道砲だった。ウサイドは半ば呆然とつぶやく。
「・・・これが、”陽の弓”・・・」
統合暦77年2月24日22時35分 ”スレイマーン”
「敵の秘密兵器、だと?」
その報告にシャイアン・マクモリスは眉を寄せた。確かに事前想定では検討していたが、本当にあるとは思っていなかった。
秘密兵器を秘密にしておく理由など、大抵の場合には存在しないからだ。防衛側が士気を保つために作り上げる幻影、ともいえる。
だから彼は、”アル・エアル・マイムの秘密兵器”もそれと同じもの――良くても虚仮脅しに過ぎない、そう考えていたのだ。
だが――
「はい。”内通者”から、かの都市が”弓”と呼ばれる秘密兵器を使用するとの連絡がありました。
それによれば、このスレイマーンをも破壊しうる強力な魔道兵器のようです。無視することは出来ません。
事前計画通り、我等魔法剣士兵団が撃破に向いたいと思います。」
マリーベル・ガートナー魔法剣士兵団長は冷静に告げる。その言葉にシャイアンは頷いた。
「万が一の備えが役に立った形だな。よかろう、魔法剣士兵団は全力を持って敵の秘密兵器を排除せよ。
ただ、判っておろうが――」
「攻勢発起時刻に変更はない、ですね。了解いたしました。構いません。
我等、名を惜しむことこそあれ命を惜しむことなどありませぬ。」
マリーベルは決然とした表情で言った。それを見たシャイアンは感慨深いものを感じた。
――義兄貴が”女たらしの昼行灯”等と呼ばれていたのも、元はといえば女性魔道士を重用するところから来ている。
身辺警護も女、参謀魔道士も女、おまけに自分の軍幹部も女ときては無理もない話だろう。
だが、どの者も皆優秀だ。男に引けを取らないどころか、生半可な男では歯が立たないだろう。
このマリーベルほどの覚悟を持ったものが、俺の軍にどれだけいることか。
シャイアンは少しだけ義兄を羨み、そして自分がそんな感想をいだいた事に苦笑した。
それを目ざとく見つけたマリーベルが真顔で問いかける。
「司令官殿、いかがされましたか?」
シャイアンは苦笑を微笑に変えると率直に言った。
「何、義兄貴は良い部下を持ったと思ってな。貴公らが俺の部下であればどれだけ心強いことか!」
マリーベルは表情を少しだけ緩めた。
「勿体無いお言葉、いたみいります。我等は大公殿下が大望を果たされるまで微力を尽くす所存です。」
その言葉を聞いたシャイアンは表情を戻して命じる。
「そうだな。我等は全世界を”解放”せねばならん。ガートナー、必ずやその秘密兵器を撃破するのだ。我等の悲願の為に。」
統合暦77年2月24日23時47分 巨竜母艦"不敵号"艦上
「やはり、ここにおいででしたか。キャンディス団長。」
フィンレーが巨竜母艦"不敵号"の舳先に立つキャンディスに声をかける。
キャンディスはそれに応じることなく、姿勢を崩さぬまま海を見つめていた。
「団長、少しは寝てください。まだ、”仕事”は残っているのです。」
副官はさらに続けた。疲れた竜騎士が乗ったブルードラゴンはその戦力を減じてしまう。
ドラゴン達が竜宝珠の光の下で身体を癒すのと同様に、竜騎士も身体を休めねばならない。
フィンレーの言葉にキャンディスは振り向いた。
「私のことは良い。仮にも団長だぞ。戦場の空気ごときで疲れを感じるほどで柔ではない。
・・・そういう卿も休んでいないではないか。卿こそ休め。何しろ、もう若くないのだからな。」
彼女はそう言うと再び舳先から見える夜の海に視線を向けた。その背中は何かを拒絶するかの如く、ひどく寂しげだ。
再び声を掛けようとしたフィンレーは強大な魔力を感じて振り返った。次の瞬間、彼は苦笑する。
キャンディスの騎竜、ハイ=スカイがその巨体を揺らしてこちらに向っていたのだ。
ドラゴンと初老の男は互いに苦笑らしきものをかわす。ハイ=スカイは器用に肩を竦めてからキャンディスに声をかけた。
”そこまで張り詰める必要はあるまい、キャンディス・フォン・ベックマン、我が背にその身をゆだねる者よ。
作戦は上手くいっているのだろう?何を思いつめているのだ?”
「エリック公爵の艦隊とニホン艦隊はあと三時間ほどで会敵の見込、スレイマーンの攻勢発起時刻まであと十分ほどです。
たとえニホン軍が我等の思惑に気が付いたところで、もはやどうにも出来ません。」
ドラゴンの言葉を副官が補足する。青竜騎士団長は振り返った。彼らの言葉が届いたのだろう、キャンディスが言う。
「そうだ。もはやどうにもならない。そうではないか?」
「・・・団長。」
キャンディスの口調は暗い。勝ちつつある将帥のそれではない。
フィンレーは気が付いた。青竜騎士団長はこの作戦の事を言いたいわけではない。そうではなくて――
「先ほどの攻撃で我等はさらに四騎を失った。彼らは二度と帰ってこない。こんな――」
”それ以上は言うな、キャンディス。”
フィンレーが口を開くより先にハイ=スカイが言った。
”それは口に出して良いことではないぞ、お嬢さん。少なくとも、今はな。散っていった者もそれでは浮かばれまい。
・・・やはり疲れているのだ。仮設寝台が嫌だというなら、騎竜鞍の中で休むといい。”
ハイ=スカイの言葉にキャンディスは俯く。暫くしてから彼女はそうね、と一言だけつぶやき、騎竜の背に向った。
統合暦77年2月24日23時55分 ”スレイマーン”上空
赤竜騎士団全騎が空中要塞の上空に浮かんでいた。ドラゴン達は複雑な配置で並んでいる。
まるで魔方陣のような並びだ。明らかに通常の戦闘序列ではなかった。
「全騎集結完了」
副官からの通信が入る。目を閉じて精神を集中していたアシュリー赤竜騎士団長は目を開いた。
"主殿、どうされた?緊張しているのか?"
彼女の騎竜、オーラ=フレイムが思念波で話しかけた。寡黙な彼にしては珍しいことだ。アシュリーは答えた。
"まあね。これだけの数で烈炎砲を撃つのは初めてだから。それに――"
"敵軍の”秘密兵器”か。確かに心配だな。"
"ええ。如何に魔法剣士兵団といえど、僅か一時間では無理だったみたいね。
でも、時間は動かせない。あと少ししたら烈炎砲の詠唱に入らなければ。"
"・・・そうだな。そろそろ、予定時刻だ。"
レッドドラゴンはそれきり黙りこんだ。アシュリーは微笑む。オーは彼なりのやり方で緊張をほぐそうとしてくれたのだ。
不器用なその優しさが、彼女には嬉しかった。アシュリーが何か言おうとしたとき、スレイマーンから短い通信が入る。
作戦実施時間を知らせる通信だった。彼女は大きく息を吸い込んだ。ここからが本番だ。
「我等は知る、旧き竜の血筋に従い――」
レッドドラゴン達から陽炎が立ち昇る。それは”スレイマーン”上空で巨大な赤い球体を形作った。
アシュリーの詠唱に従ってそれは脈打つように動き、陽炎は巨大なレッドドラゴンの姿になる。
巨大な竜は赤竜騎士団長の呪文に応じて声にならない咆哮を上げた。何の音もしないが、しかし大気が激しく震える。
その瞬間、彼女は顔を歪めた。竜と竜騎士の膨大な魔力が彼女の身に流れ込んできたのだ。
体中を駆け抜けていく灼熱の魔力に身を焼かれながら呪文を唱え続けた。
「――定めに従い、全てを焼き清めるために――」
その時、アル・エアル・マイムから離れた場所に突如として小さな光が現れた。
それは少しずつ数を増し、一つの大きな光になる。アシュリーは気が付いた。あれが、最終兵器の光だ。
――だが、もう少しだ。もう少しで詠唱が終る。彼女は気力と魔力を振り絞り、呪文の最後の節を詠唱した。
「偉大なる竜よ、汝の力もて、我等が敵に裁きの炎を!」
その呪文に従い、陽炎で出来たドラゴンはその巨大な口から炎を放った。
それは一直線にアル・エアル・マイムから天空に伸びる木のようにも見える天井都市群に迫っていく。そして――
真暦3186年2月24日23時38分 都市国家"アル・エアル・マイム"近郊<双子の丘>
<双子の丘>では魔法剣士兵団とアル・エアル・マイム近衛部隊が戦闘を繰り広げていた。
個々の剣技、魔力においては両者にそれほどの差はない。だが、数が違いすぎる。
数十しかいない近衛護衛部隊では数千を数える部隊を抑えることなどできよう筈もない。
それでもアル・エアル・マイム近衛部隊は地形を巧みに利用し、中央にある魔方陣への突破を許してはいない。
魔方陣からはシャイフ王とウサイドを残して全ての近衛部隊が出払っていた。
本来ならば安全な場所である筈だ。だが、戦いはそこでも繰り広げられていた。
金属が打ち合う音とともに二つの影が動く。随分長いこと打ち合っているのだろう、王の吐息はやや上がっている。
それを見た影の一つが呪文を唱え、それに応じて刃に黒い炎が奔る。影は楽しげな声を出した。
「もう息が上がりましたか?些か鍛錬不足ではありませぬか、兄上?」
ウサイドはそう言うと数歩の距離を一瞬で縮め、王の首を薙ぐように偃月刀を振る。シャイフはそれを紙一重でかわした。
それを見た王弟は曲刀を少しだけ下げ、勝者の余裕をにじませた態度で楽しげに哂った。
「どうやら私の勝ちのようですな、兄上。<真実の杯>をこちらに渡していただければ、命だけはお助けしますよ。命だけはね。」
「・・・ウサイドよ、そなたは何も判っておらん。<外典>の正しい解釈も知らずに――」
「黙れッ!」
ウサイドは黒い炎を纏った巨大な偃月刀を振り下ろした。シャイフはそれを細身の曲刀で軽くいなす。
弟の体勢が崩れた隙にシャイフは呪文を唱えた。曲刀に青白い炎が現れる。
刀を構えながらシャイフは弟に話しかけた。その口調は今までになく柔らかいものだった。
「お前は、何故現実を見ようとしない。人が歩んできた歴史は大事だ。だが、今を生きる人間のほうがより大事ではないのか?
ウサイド、この都市の住人の命を差し出してまでお前が目指すものとは何だ?」
「知れたことを!兄上とてわかっておろうに!」
そこまで言ったウサイドは一気に偃月刀で辺りを薙ぎ払った。漆黒の炎が大気を焼く。
焼けた空気を吸ったシャイフは咳き込みそうになるのを辛うじて抑え、その場から飛びのいた。息が辛い。
しかし彼はそれをおくびにも出さずに曲刀で切り上げる。
曲刀は青い軌跡を残しながら王弟に迫るが、ウサイドはその肥満体からは想像も出来ない素早い動きでこれをかわした。
シャイフは再び曲刀を構えなおし、ウサイドから目を離さずに言う。
「<百万世界の合>、その時に訪れる”永劫の一瞬”か?正気か、ウサイド?」
「・・・だから俺は気に入らんのだ、兄上。俺のやることを何でもお見通しだと言わんばかりの、その態度が!」
ウサイドは激高した。偃月刀を振り回して兄に打ち付ける。剣技といえるようなものではない、力任せの攻撃だった。
それを流れるような剣捌きでかわしながら王は言った。
「お前は<法>の連中に魂を売ったのだな。馬鹿なことを。彼奴等が何を目指しているのかを知っているのか?
彼奴等は――」
彼は続けて何か言いかけたが、最後まで言い切ることは出来なかった。
剣を中途半端に掲げた体勢のままで固まり、そのまま魔方陣の上に倒れこむ。パラライズの魔法をかけられたのだろう。
ウサイドはシャイフの背後に目をやった。鎧を着た女が立っているのが見える。
彼は心を落ち着けるために深呼吸をしてから女に話しかけた。
「マリーベル殿か。随分遅かったな。危うく殺しかけるところであったぞ。」
「だから止めさせてもらいました。・・・私も殺した方が良いと思いますが、大公殿下のご命令とあれば仕方がありません。
ともかく今までご苦労でありました、ウサイド殿。魔法剣士兵団がスレイマーンまでお連れいたします。
ただし、その前にやるべき事があります。」
ウサイドは頷いた。
「判っている。”陽の弓”を撃つのであったな。魔力導線は<真実の杯>経由で既にアル・エアル・マイムと繋いである。
あとは魔力の充填が終るのを待ち、引き金を引くだけだ。」
「時間には間に合うのですか?」
「兄上が生きていれば、間に合うな。忌々しいことだが。」
「王という存在が都市を支える魔力の充填装置を兼ねているというのは本当なのですね。特に魔力も感じませぬが。」
「血筋と玉座との契約という二つの要素に加え、天性の素質が必要なのだ。全く忌々しい。」
憎しみを込めた目でシャイフを見下ろしたウサイドは舌打ちしながら言った。
マリーベルは頷きながらも彼の言葉には答えず、遠くで”陽の弓”を調べていた部下を呼び寄せる。
「撃ち方は判ったか?」
「はい。おおよそは通常の魔道砲と同じようです。問題ありません。」
「いいぞ。照準を急げ!」
魔法剣士兵団長の檄に従い、大協約軍兵士が慌しく”陽の弓”を操作する。そうしている間にも魔力の充填は続き、そして――
”陽の弓”の先端に光が集うのが見える。それは少しずつ数を増し、虹色の大きな光になった。
それにつれて鼻の粘膜を指すような刺激臭が強まる。それが耐え難いものになった時、魔力充填が完了の報告があがる。
「撃てぇ!」
マリーベルの号令に従って魔道砲が放たれる。虹色の光は魔道砲から溢れ、一直線に目標を――赤竜騎士団を目指した。
統合暦77年2月25日0時2分 ”スレイマーン”
”陽の弓”から放たれた虹色に輝く光線と烈炎砲の真紅の光線が空中で交差する。強大な魔力同士が激突した。
その瞬間、辺りは昼間のような明るさに包まれる。それを見たもの全てが思わず眼を瞑った。
魔法力が互角であるのだろう、どちらかが一方を退けるようなことはない。
せめぎあいは暫く続いたが、やがて根負けしたかのようにその中心で二つの光は絡み合うような螺旋を描く。
光線はお互いを避けるかのようにその軌道を変えた。
真紅の光、烈炎砲は本来の狙いである天井都市群中央部から逸れ、周辺部建造物最上部を僅かに破壊してから砂漠に着弾する。
着弾と同時に地面から巨大な火柱が立ち上った。直径一マイルほどもあるそれは、砂と岩を激しく焼く。
火柱が収まった時、着弾地点には砂漠の砂と岩は溶け合い硝子状の窪地が広がっていた。
目標どおりに着弾していれば、天井都市群は一撃で破壊されていたに違いない。
その様子を目にしたアシュリーは目を疑った。
――外した?馬鹿な、魔力干渉だと!
烈炎砲に匹敵する魔法攻撃だというのか?
竜騎士魔法の最上位攻撃呪文、その中でも直接的な攻撃力においては最強と言っても良い烈炎砲と互角の魔法攻撃などありえない。
その筈であるが、現実として烈炎砲はその軌道を逸らされている。彼女は街の破壊に失敗したのだ。
だが、アシュリーは悔やんでいる暇はなかった。
烈炎砲を逸らした敵最終兵器が放ったと思われる虹色の光がスレイマーンに迫っていた。
しかし、彼女達は身動きが出来ない。それどころか、徐々にではあるが滞空高度も下がっている。
最上位竜騎士魔法である烈炎砲を放った事により、竜も竜騎士もその魔力を使い切ったのだ。
魔力を使い切ったドラゴンはほとんどの行動を取れない。
魔法やブレスを使えないだけではない。翼から魔力を放出して飛んでいる以上、空を飛ぶことさえも出来なくなるのだ。
そして、ついに数騎のドラゴンが石が落ちるようにして空中要塞に落ちた。それを皮切りに次々と竜が地上に落ちる。
アシュリーが騎乗するオーラ=フレイムも例外ではない。彼女は魔力の尽きた竜を騙し騙し操りながら緩やかに地上へと着地した。
だが、時間がない。虹色の光線はすでに至近距離に迫っている。
「ここから退避しろ!急げ!」
彼女が言い終わらないうちに、”スレイマーン”が轟音と共に揺れる。”陽の弓”の魔法弾が着弾したのだ。
同時刻 <双子の丘>
虹色の光線は”スレイマーン”上空にいた陽炎で出来たドラゴンから大きく外れ、空中要塞基部の岩に命中した。
そこは強力な対魔法結界で保護されているため、烈炎砲が砂漠に対して発揮したほど大きな効果を上げることはなかった。
だがマリーベルはその結果に満足していた。
赤竜騎士団が次の烈炎砲を放てるようになるまではあと二日はかかる。
対して”陽の弓”の魔力充填が完了するまでは二時間ほどしかかからない。
「赤竜はしばらくは動けん。今なら奴等を叩ける。次発準備急げ!」
マリーベルの声が<双子の丘>に響く。だが、その声に答えたのは聞き覚えのない声だった。
「"そうまでして"女神"を排除したいのか?"」
彼女は振り向いた。禿頭で眼鏡を掛けた男が立っていた。見慣れない軍服を着ている。
大協約軍軍人の服装ではない。同盟軍の軍服とも違うし、アル・エアル・マイムの軍人でも無さそうだ。となれば――
「ニホンの軍人か。何を知っている?」
マリーベルのその言葉には答えず、男は拳ほどの大きさをした武器らしきものを彼女に向けた。
おそらく"ケンジュー"とかいう小型魔道砲だろう。男はマリーベルから視線を逸らさずに言った。
「"先に質問をしたのはこちらだ。・・・だが、その言葉で判った。やはり<祭典>が狙いなのだな。"」
「知らぬな。仮に知っていたとして――」
マリーベルは最後まで言い切る事が出来なかった。”陽の弓”の方角から爆音が上がったのだ。
鯨波も聞こえてくる。”陽の弓”を操作してる魔法剣士兵団とアル・エアル・マイム防衛軍が戦闘に入ったに違いない。
「"ナイトメアといえど、あの程度の数では中隊規模の三式重戦車には対抗できまい。降伏しろ。貴公には聞きたい事がある。"」
マリーベルは哂い始めた。笑いをおさめた彼女は男に問いかけた。
「貴公、名は?」
「"ツジだ。日本陸軍大佐、ツジ・マサノブ。"」
「なるほど、貴公が。大公殿下が仰ったとおり、"作戦の神"というのは伊達ではないのだな。覚えておこう。・・・ウサイド殿!」
ツジとマリーベルのやり取りを半ば呆然と眺めていたウサイドはその声で我に帰った。
彼は素早く魔方陣中央にある<真実の杯>を手に取ると懐に収めた。それを確認したマリーベルは何事か呪文をつぶやく。
瞬間、辺りを閃光が満たした。ライティングの魔法による眼くらましだ。ニホンの軍人は咄嗟に腕で顔を押さえて目潰しを避ける。
しかし、それは彼女の計算どおりだった。その一瞬の隙を突いてマリーベルはナイトメアを召喚する。
彼女はウサイドの巨体を黒馬に引き摺り上げて手綱を引く。黒馬は身の毛もよだついななきと共に空に舞い上がった。
「これで”陽の弓”は暫くは使えぬ。縁があればまた会おうぞ、"作戦の神"よ!」
統合暦77年2月25日2時07分 "女帝フレデリカ号"
「敵艦隊を確認。戦艦六、巡洋艦四、小型艦多数を確認。距離およそ53000ヤード、速力25ノット!」
見張り員からの連絡に作戦指揮室はどよめいた。エリック公爵は冷静に指示を出す。
「とうとう来たか。作戦通り、巡洋艦部隊を前に出せ。」
――ここまでは順調に進んでいる。最も脅威となる飛行機械は、その母艦ごと脚を止めた。
戦艦一隻を建造できるほどの高い秘薬を消費したのだから当然ともいえるがな。
アル・エアル・マイムの”最終兵器”を魔法剣士兵団が封じた事ともあわせるとほぼ完璧だ。
あとは我等が混沌の巨艦どもを砲戦で沈めるだけだ。
彼の命令が巡洋艦隊に伝達されていく様子を見ながらエリック公爵は思った。
二隻対六隻という不利ではあるが、巡洋艦隊が予定通りの行動を行えば勝てない戦ではないと考えている。
情報どおりだとするならば、敵の砲力はH級よりも二周り下であることは間違いない。
――"コンゴウ"型と"イセ"型であったか。神殿がある山と地域の名を取ったフネと聞いている。
だが、ニホンの海軍では既に旧式艦という話だ。
そのようなフネで、このH級に勝とうなどという甘い目論見を抱いたことを後悔させてやる。
「敵艦隊は小型艦を分離。小型艦は速力30ノット以上で急速接近中!」
「巡洋艦隊、小型艦部隊に向けて横隊突撃を開始!」
相次ぐ報告にエリックは微笑んだ。ここまで思い通りになるとは、<法の神々>に感謝しなければならない、彼はそう思った。
"混沌の艦隊"の”槍”装備艦と大協約軍巡洋艦隊の相対速度は60ノット以上にも達する。
両艦隊は砲火をかわしながら急速に距離を縮める。およそ10000ヤードほどの距離になったとき、両艦隊に動きが生じた。
”槍”装備艦は何かを海中に投棄すると転舵する。”槍”の第一波を放ったのだろう。
たいして横に広がっていた大協約巡洋艦隊部隊は”槍”艦隊を包み込むように横隊のまま二手に別れる。
両艦隊はそのまますれ違い、お互いに敵の主力部隊へと向う航路を取る。そして、一分ほどが経過した時――
海上に突如として大爆発が起こる。”槍”が爆発しているのだ。爆発はしばらく続いた。全ての”槍”が爆発したに違いない。
それだけではない。転舵した”槍”装備艦隊がつんのめるようにして速度を落としている。まるで、何かにぶつかったかのようだ。
作戦参謀が弾んだ声を出した。
「作戦は成功です!ウォール・オブ・アイスは有効に機能しています!」
敵の対艦攻撃兵装である”槍”は水線下という最も無防備な場所を狙い打ちにする兵器だ。だが、逆に言えば――
「水線下に受けなければどうという事はない、か。確かにそうではある。
だからと言って<氷壁>の呪文を海中に展開して流氷原による防壁を作り出そうとは・・・」
エリック公爵は作戦参謀に向って言う。作戦参謀は苦笑した。
「ヒースクリフ大公殿下の氷上船から着想を得たと聞いております。
いずれにしても、"雪の女王"の助け無しではこの作戦は取れなかったでありましょう。」
横隊突撃を行っていた巡洋艦群は海中に<氷壁>の展開を行っていたのだ。
臨時に乗艦させた"氷の精霊"の力で幅およそ300フィート、高さと厚さが50フィートほどの<氷壁>を作り出す。
そうして出来上がった即席の流氷原で”槍”を防ぐ。敵艦隊を閉じ込めるのはもののついでとも言える。
――とはいえ、この手が通用するのは一度だけだろう。<氷壁>魔法は<広域解呪>の魔法で解除できる。
一度見せてしまった以上、二度とは通用するまい。・・・いや、それを言えば<炎柱壁>も<酸の霧>も同じか。
エリック公爵は思った。今次海戦で我々が取った詭計は何度も通用するような手ではない。
<氷壁>はフィールドディスペルで解除可能。<炎柱壁>、<酸の霧>の両魔法についても対処方法は広く知られている。
<炎柱壁>は制御珠の破壊で、<酸の霧>は対抗魔法である<灰の雨>で簡単に無効化できるのだ。
この世界の魔法に明るくないニホン軍だから引っかかっただけどもいえるだろう。
だが、ことこの海戦に話を限れば特に問題はない。少なくとも、敵は何らかの魔法的対処をする様子はない。
敵戦艦部隊はいまだに何が起こったのか気が付いていないように変針を始めた。
ドクトリンに従い、こちらの頭を抑えようとしているに違いない。
"女帝フレデリカ号"、"赤髪王号"も同様に舵を切った。頭を抑えられるのを避け、同航戦に持ち込むためだ。
「距離、40000ヤード!」
「撃ち方はじめ!」
見張り員の報告に応じて艦長が叫んだ。2800ポンド魔道砲が唸りを上げ、大質量の金属弾が打ち出される。
敵艦も発砲を開始したらしい。彼方から飛来する1600ポンド相当の巨弾が"女帝フレデリカ号"の周囲に水柱を立てる。
そこからはお互いに金属弾を放つ。ニホン艦隊は砲の数は多いが、砲弾の最終誘導技術では大協約が勝っているようだ。
その証拠に最初に命中弾を得たのは"女帝フレデリカ号"だった。"コンゴウ"型戦艦の先頭艦、その中央に火柱が上がる。
続いて二番艦にも火柱。"赤髪王号"の戦果に違いない。対してニホン艦隊は一発の命中弾も得ていない。
エリック公爵は不敵に微笑むと独語した。
「いいぞ。圧倒的じゃないか、我が軍は。」
統合暦77年2月25日4時05分 巨竜母艦"不敵号"艦上
仮眠から目覚めたキャンディスは副官から現状に関する報告を受けていた。
「現在までに敵戦艦六隻のうち四隻を撃沈、二隻を大破か。大したものだ。H級戦艦は伊達ではない、そういうことだな。」
「はい。とはいえ、我が方の損害も甚大です。特に敵弾を一身に受けた"女帝フレデリカ号"は大破相当の被害を負ったとか。
とはいえ現在、"獅子王号"他四隻の戦艦が向っております。合流すれば、殲滅は時間の問題でしょう。それと――」
フィンレーはそこで言葉を切り、キャンディスの顔色を伺うようにして言った。
「動きを止めた敵の飛行機械母艦にダッドリー侯爵の巡洋艦部隊が突入し、鹵獲を試みましたが・・・かないませんでした。
飛行機械母艦に随伴していた小型艦が”槍”を放ち、ニホン軍自ら沈めたという報告が入っています。」
「・・・"ソウリュウ号"も沈んだのか?」
「飛行機械母艦は全艦沈んだ、そう聞いております。」
フィンレーの言葉にキャンディスは眼を閉じた。
「団長・・・お気持ちはお察ししますが――」
副官の言葉には答えず、キャンディスは次の質問を発した。
「敵の空中部隊は?」
「ダーブラ・クアを発し、戦艦部隊に向いつつあるそうです。」
「そうか。予想通りだな。」
その報告にキャンディスはむしろ落ち着いた声音で応じた。
この海戦始まって以来、既に三度目となる空戦。おそらく最後になるであろう空戦。
そして、最も恐るべき戦闘になる筈の空戦だ、キャンディスは思った。
一部にはニホン軍は仕掛けてこないのではないか、そういう意見もあった。
だがキャンディスはその考えを一蹴した。誇り高きニホン軍が、艦隊をほぼ全滅させられて黙っている筈がない。
キャンディスはそう予想していたのだ。そして、それは現実のものになろうとしている。
アル・エアル・マイムが叩かれたというのに、彼らはそれを意に介していないように艦隊撃滅にのみ邁進している。
もっとも、僅かな攻撃型を除けば制空型しか残っていないだろうニホン軍空中部隊ではスレイマーンに打撃を与えることは難しい。
だからこその選択ではあるのだろう。キャンディスは副官に命じた。
「総員騎乗、対空戦闘準備をなせ。」
200マイルほど離れた戦艦部隊上空に青竜騎士団が到着するのと、敵飛行機械が来襲するのとはほぼ同時だった。
その数、およそ百有余。”サム”と”フランク”が主力のようだが、”オスカー”も少数その姿が見える。
三十騎台まで落ち込んだ青竜騎士団からすれば圧倒的な数だ。
――しかし、諦めるわけにはいかない。
キャンディスは通信を開くと配下の全騎に命じた。
「これが、この海戦における最後の空戦になる筈だ。各騎、その本分を尽くし、存分に戦え。
命を惜しむな、名をこそ惜しめ!」
彼女は一旦言葉を切り、深呼吸してから告げた。
「青竜騎士団全騎、攻撃開始!」
そこから先の空戦は、もはや空戦と呼べるものですらなかった。
如何にブルードラゴンといえど、性能的に互角で数に勝る相手とあっては分が良い筈がない。
それでもブルードラゴンはよく戦った。
魔力弾らしきものを吊り下げている少数の”フランク”と”オスカー”を追い、その幾つかを落としてもいる。
だが敵を完全に防ぐことは出来ない。
一際大きく、また損害を負っている"女帝フレデリカ号"に敵の飛行機械が集中する。
艦の周囲で魔力弾の炸裂らしき爆発が複数発生し、戦艦が水柱に包まれる。
いかに戦艦の装甲が厚いとはいえそれなりに損害を受けているのだろう、炎上している箇所も見えた。
だがキャンディスはそれを悠長に眺めている余裕は無かった。
彼女自身も複数の飛行機械に追いかけられており、"混沌の金礫"の火線をかわすので精一杯なのだ。
艦隊防空という本来の役割を充分に果たしているとはいえない。
――命を惜しむなとは言ったものの、惜しまざるを得ないな。
キャンディスは思った。もともと一対三の絶対不利を覆せるとは思っていなかったが、敵の飛行機械は余りに手ごわい。
しつこく追尾してくる飛行機械を腕と尻尾を使ってかわし、何とか撃墜を免れようと試みる。
次の瞬間、彼女は背筋に寒いものを感じた。キャンディスは叫んだ。
"ハイ、翼を畳んで!"
反射的にドラゴンは翼を畳む。先ほどまで翼があった空間を一騎の飛行機械が通り過ぎていく。
結果として前に出た飛行機械に対してハイ=スカイのブレスが命中した。飛行機械の翼が胴から離れ、飛行機械は墜落する。
"お嬢さん、こいつはきりが無いぞ!"
"そうね、空が三分に飛行機械が七分。どうにもならないわね。でも――"
思念波で騎竜とあえて軽口を叩こうとしたキャンディスは不意に黙り込んだ。首筋のあたりに焼けるような感触を感じたのだ。
よほどの強敵でも無い限り、ここまでの圧迫感を感じることは無い。彼女は周囲の空域を見回し、その原因を発見した。
"ウィスプか!"
一足早く気が付いていたハイ=スカイは思念波で叫んだ。
ドラゴンの言うとおり、"ウィスプ"の紋章をつけた飛行機械が数騎、彼女のほうに迫ってきていた。しかも――
「あの模様は・・・サカガワか!」
700ノットを越える相対速度ですれ違いながらキャンディスは声に出して叫んだ。
"ウィスプ"の紋章をつけた”フランク”は右に緩く旋回しつつ上昇して反転すると、急降下して加速し、火線を放つ。
ハイ=スカイは身をよじってそれをかわした。"混沌の金礫"が至近距離を通り過ぎる。
キャンディスは直衛の二騎に命じた。
「ニー、ランス。なんとしてもサカガワだけは落とすぞ。私について来い!」
三騎のブルードラゴンと三騎の飛行機械はもつれるようにして空中戦を展開した。
"ウィスプ"と彼らの邪魔をするものは不思議といない。
ブルードラゴン三騎がサカガワを包囲するように稲妻を放つ。サカガワの飛行機械は数度横転してそれを回避する。
そして飛行機械はそのまま右に傾斜し、海面に向けて降下していく。しかし、彼の直衛騎はこの機動について来れなかった。
サカガワは孤立した。落伍した二騎の飛行機械を無視する。ここで落とすべきはサカガワだ。
キャンディスはマジックアローの呪文を唱え、ハイ=スカイのブレスと共に魔法を解放した。ニーとランスも追従する。
飛行機械の周囲に三本の稲妻と無数の光の矢が降り注ぐ。サカガワの飛行機械は爆散した。
快哉を叫ぼうとした彼女だったが、それは出来なかった。ハイ=スカイが右から激しい衝撃を受けて跳ね飛ばされたからだ。
彼女は右に首を向けた。フィンレーの騎竜、ヒルズ=ローリングに突き飛ばされたのだ。
「何を――!」
する、そういいかけたキャンディスは最後まで言う事が出来なかった。
先ほどまで彼女がいた空間、現在はフィンレーがいる空間に"混沌の金礫"が降り注ぎ、ヒルズ=ローリングの巨体が血に染まる。
ドラゴンは全身を"混沌の金礫"によって砕かれ、力なく海上に落下を始めた。騎竜鞍は既に砕かれている。
「フィンレー!」
キャンディスの叫びが虚しく空に響いた。
――そして、それが合図になったかのように飛行機械は撤退を始めた。
信頼すべき副官を失ったキャンディスは半ば放心しつつ、撤退していく飛行機械を見つめていた。
通信晶からは生き残った者達が歓喜の声を上げるのが聞こえてきた。誰かが言う。
「ともかく、我等はこの戦に勝った!それが現実だ!」
――確かに、この戦は我々の勝ちだ。
敵艦隊の主力艦――戦艦や飛行機械母艦を全て沈め、”槍”艦部隊にも大損害を与えた。
そして、それだけの戦果を上げたにも関わらず艦隊にはほとんど損害がない。
巡洋艦が数隻沈み、"女帝フレデリカ号"の非装甲部分が薙ぎ払われてはいるが、それだけだ。
そう、我々は勝ったのだ。たとえ、これが我々の得る最後の勝利であるにせよ。
キャンディスは思った。我等が戦訓から学んだように敵も戦訓から学ぶという事を考えなければ、何も問題は無い。
全艦隊を分離し、決戦地帯に誘導するという情報をあえて流し、その裏をかく――このような事が何度も可能な筈がない。
次にどうしようとするか、キャンディスには見当がついていた。
彼らは物量で――圧倒的な数によって全てを解決しようとするに違いない。先ほどの戦闘の如く。我等はそれに飲み込まれるのだ。
エリック艦隊の防空戦闘では六十の飛行機械を相手どり、彼女達は十騎を失った。
敵艦隊上空で四騎を失い、今また数えるのも嫌になるほどの敵を相手に戦い、更に十数騎を失った。
つまりこの海戦だけで青竜騎士団は作戦参加兵力の半数を失った計算になるのだ。
フィンレーをはじめ、失った騎士たちは二度と帰ってこない。そして、竜騎士の育成には時間が掛かる
最低でも十年はかかる竜騎士育成を無理やり短縮して増員すれば、帳簿の上では戦力が補充されるかもしれない。
だが、そのほとんどは実戦では使い物にならない、幼すぎるものばかりだ。
それに竜はそうそう簡単に育てられるものでもない。一人前になるのに最低五十年はかかる。
青竜騎士団が再び蘇るまで、五十年。しかもそれは戦争が今すぐ終ったとしての話だ。
戦争はまだ続くだろう。このまま推移すれば青竜騎士団はあと二回ほどの戦闘で壊滅する。
――だから、これは最後の勝利だ。ドラゴンによって立つ大協約の優位が終る、その最後の勝利だ。
これから先、我等はこれほどの勝利を得ることはないだろう。
キャンディスにはここから先の戦場の光景が見えていた。
ドラゴンの群れが雲霞のごとき飛行機械の群れに飲み込まれるようにして消えていく、その光景が。
彼女はため息をついて騎竜鞍の背もたれに身体を預けた。ブルードラゴンのはばたきが心地良い振動を与えてくれる。
ふいにキャンディスは通信晶が赤い光を放っているのに気が付いた。スレイマーンからの緊急通信だ。
緊急通信?彼女は驚いた。スレイマーンが危機的な状況にでも陥ったというのか?
キャンディスはいぶかしみながら通信晶を操作して空中要塞からの連絡を聞き、そして――。
統合暦77年2月25日6時 ”スレイマーン”
「馬鹿な事をいうな、アンケル!貴様、自分が何を言っているのか判っているのか!」
シャイアン・マクモリス司令官は激怒していた。あと一撃でアル・エアル・マイムは破壊できる。
敵の秘密兵器であった<弓>は既に破壊し、もはやかの都市を護るものは何も無い。
あと一撃だ。あと一撃、ファイアブラスターの魔法を叩き込むだけで全てが終る。
いかにレッドドラゴンの魔力回復には時間が掛かるとはいえ、それもあと二日のうちには終る。
そして、敵にはそれを防ぐ術はない。”陽の弓”をマリーベル率いる魔法剣士兵団が攻略したからだ。
そして、敵空中部隊残存戦力はダーブラ・クアまで後退し、補充を行う艦隊もほぼ全艦を沈めている。
もはやアル・エアル・マイムを守るものは、彼等がニホンから買ったという”オスカー”だけ。
そして、連中の”オスカー”ではスレイマーンを撃破することは出来ない。あと二日待てば、我等は目標を達成できるのだ。
だというのに――
「今すぐ撤退しろだと!どういうことだ!義兄貴を出せ、貴様では話にならん!」
通信晶に向って彼は吠え立てた。目は血走り、両の拳は硬く握り締められて怒りに打ち震えている。
気の弱いものならそれだけで殺せるかのごとき気合で放たれた言葉は、しかしアンケルにはなんら痛痒を与えなかった。
「大公殿下の命令ではありません。これは<一者及び八者>の、すなわち大協約最高幹部会議としての決定です。」
「何だと!?」
<一者及び八者>という言葉に驚愕したシャイアンは黙り込んだ。司令室につかの間の静寂が訪れる。
通信晶が再び声を上げた。神官王ヴィンセントの声だった。
「そういうことだ、シャイアン。今すぐに”スレイマーン”をアケロニアまで戻すのだ。」
「父上!何故にそのような事を!?」
ヴィンセントは彼にしては珍しい沈欝な声で彼の三男に話しかけた。
「アケロニアが”混沌の大国”の大型飛行機械によって攻撃されたのだ。戦力を前線に集中させた隙を突かれたのだな。
十数騎ほどの飛行機械が合計一万ポンドほどの魔力弾を投下した程度ではあったものの、人心の動揺は避けられぬ。
今は砂漠などを攻撃している場合ではないのだ。」
「馬鹿な・・・」
シャイアンは呆然とつぶやいた。神都は西方大陸の奥深く、大きな内海の最奥にある。
そこまで敵の飛行機械が進入してくるなどという事があろう筈が無い。だが、現実には――
「あと二日なのですぞ!父上!」
「駄目だ。砂漠の都市国家など捨て置け。いずれ幾らでも復仇の機会はある。神都を、大協約を守るのが軍人の勤めであろう。
即刻、スレイマーンをアケロニアに帰還させよ。これは王としての命令である。・・・耐えろ、シャイアン。」
"即時撤退"
キャンディスは通信晶から聞こえる声が何を意味しているのか判らなかった。
もともと、目的を達成すればそうする予定だったではないか。そして、手筈どおりなら既に事は済んでいるはずだった。
何も改めて――少なくとも、緊急通信を用いてまで連絡してくるほどの内容ではない。
これが緊急であるということは、何かが裏にあるはずだ。キャンディスは通信を送ってきたダグラス卿に尋ねた。
「何かあったのですか?」
「神都が飛行機械による攻撃を受けた。」
あまりに短い返答。だがキャンディスは絶句した。馬鹿な。それでは、やつらは――
「これは推測だが、おそらく飛行機械母艦が西方大陸沿岸まで進出したのだろうな。
そこから飛び立った大型の飛行機械は十数機ほどで、神都の"黒煉瓦"周辺に魔力弾を投下したらしい。
"黒煉瓦"自体には損害がなかったが、近くの民間施設がいくらか損害を受け――何だ?通信中だ。」
ダグラス卿は失礼、というと通信を一時中断した。だが声は相変わらず聞こえてくる。
その様子からすると伝令が何事かを報告しているらしい。いずれにしてもただ事ではない。
青竜騎士団長との会話を遮るほどの重要事態などはそれほど存在しない筈だ。
やがて話が終ったのか、彼はキャンディスとの会話を再開した。
「失礼。同盟軍――いや、実質的にニホン軍だな、ともかく同盟が全世界に声明を出したらしい。」
「声明?一体、どうしたといのです?」
「・・・良い話ではない。我等にとっては状況確認ができたという意味ではいいのかもしれんがな。
"<タカマガハラ>基地から飛び立った我が飛行機械は神都アケロニアの攻撃に成功、大打撃を与えたるものの如し。
指揮官トリトル少将は○○にて帰国の途につきつつあり。同盟は、かの勇者に柏葉付八方矢勲章を――"」
もはやキャンディスはダグラスの声を聞いていなかった。先ほどまでの見通しが甘かったことに気が付いたのだ。
数的優位だけでなく、今までかろうじて握っていた主導権すら敵に明け渡した以上、我等に出来る事は何もない。
もはや、大協約がこの戦争に勝つことは出来ないだろう。あとは敗北をどこで押しとどめられるか、それだけの話でしかない。
キャンディスは虚脱感に襲われた。今までしてきたことは全て無駄だったのだ。
「世界解放戦争」は、ここに終った。何もかもを道ずれにして。
通信晶の向こうではダグラス卿が話を締めくくるところだった。ダグラスの最後の言葉だけは彼女にも理解と同意ができた。
「いずれにしても早急にアケロニアまで帰還しなければならない。我等は、西方大陸を守る義務を負っているのだから。」
統合暦77年2月25日7時 神都アケロニア
最高会議の空気は最悪といえた。今までの歴史上、かつて無い恥辱を受けた以上はむしろ当然ともいえる。
"黒煉瓦"からは入れ代り立ち代り説明と報告のために軍人がやってきていたが、未だに納得できる報告を上げたものはいない。
「結局のところ、同盟の発表が一番信頼できるものだとはね。大協約の諜報網も地に落ちたものよ。」
「左様。このように大規模な軍事行動の兆候を見逃すとは、もはや論外としか言いようが無い。」
「聞けば、飛行機械の群れは母艦から発進したそうではないか。何故ここまで気が付かなかったのかね?」
"黒煉瓦"から報告に来た運の悪い若い魔道士官は真っ青になっている。それをちらりと見た<八者>の一人が庇うように言った。
「方々、その者に言ったところで結果は変わらぬ。我等にはもっと重要な課題がある。」
<八者>の中でも一目置かれているガニア大司教の言葉に従い、残りの<八者>は黙り込んだ。
ガニア大司教は魔道士官に議場から出て行くように指示する。
おぼつかない足取りで魔道士官が退場した後、大司教は神官王ヴィンセントに向き直って言った。
「<一者>よ、事は重大です。民は動揺している上、"黒煉瓦"はあの有様。これからどうなさるおつもりか?」
「質問が漠然としておるな。どう、とは何か?」
ヴィンセントはいつもと同じような穏やかな口調で問い返した。流石に楽しげではない。
ガニア大司教は続ける。
「此度の戦、元を正せば予防戦争の意味合いが強かった筈。しかし、現実は国力を磨り潰すだけの消耗戦に突入しつつある。
ことに、あの"混沌の大国"が現れて以降、その傾向が強まりつつある。このままでは――」
「負ける。負けぬまでも、大打撃を負う。そう言うのだな?」
「仰せの通りです、<一者>よ。この飛行機械による襲撃を切っ掛けに、戦争に対する民の不満も爆発しかねません。
どうされるおつもりですか?そろそろ”落としどころ”を考えねばならんのではありませんか?」
ガニア大司教の言葉に神官王は微笑んだ。
「つまるところ、"混沌の大国"に対抗できぬのが最大の問題なのだ。
いかなる魔剣を持とうと、いかなる鎧を着ようと、いかなる魔法を身につけようと――
人間であるならば倒しようがある。その剣を持たぬときを、鎧を着ぬときを、魔法を使えぬ時を狙えばよい。
そして人がそうであるならば、国も同じ筈。国とは人の集まりに過ぎぬからな。そうではないか?」
「つまり?」
「内側から叩けばよいのだ。この二月十四日以来、余の密命で我が娘婿が担当しておる。アンケル、皆に説明を。」
アンケル侯爵は説明を始めた。
西暦1945年8月8日 横浜港
現在は日本郵船にその船籍を置く元ドイツ客船”シャルンホルスト”が入港している。
ブレーメン-横浜間の定期航路船として作られた彼女は、今はアムリエル-横浜間の定期船となっている。
その”シャルンホルスト”を迎える埠頭に数台の車が止まっていた。
ヘッドライトのすぐ脇に国旗が掲げられているところから見て公用車だろう。
だが、その国旗は白地に赤い丸を描いたものではない。つまり日本の公用車ではなかった。
それは赤地に白い丸に逆さ卍を描いてある旗だった。ドイツ第三帝国、その国旗だ。この車はドイツ第三帝国の公用車なのだ。
車の周りではスーツを着た男達と、東方大陸の商人然とした男達が握手を交わしている。
「わざわざお迎え頂かなくても、こちらからご訪問しましたのに。」
二メートル近い長身を誇る、ムルニネブイ商人風のトーガに身を包んだ男が快活に言った。
彼が商人達のリーダーなのだろう。彼の後ろには黒い馬を従えた美しい女達が数人控えていた。
男は辺りにあるもの全てが珍しくてしょうがない、といった態度を崩さずに楽しげな声で続ける。
「いや、中々に良い空気ですな、リカルド――」
「リヒャルトです。リヒャルト・ゾルゲ。」
リカルドと呼ばれた男が訂正する。意思の強そうな眼をしているが、声は意外と優しい。
ムルニネブイ商人は恐縮したそぶりを見せながら言った。
「そうでした、つい東方大陸風に読んでしまいまして。それでは、そちらが――」
「はい、駐日ドイツ大使、オイゲン・オットー殿です。」
「はじめまして。ミシェル・レヴェックです。」
マイケルが差し出した手をオイゲン駐日大使は笑顔で包み込んだ。
「ドイツ第三帝国駐日大使、オイゲン・オットーです、はじめまして。
・・・しかし、お名前といい立ち居振る舞いといい、まるで我等が元いた世界のフランス人のようですな。」
ミシェルは笑い声を上げて応じた。
「ええ、日本の方からも良く言われますよ。きっと、"元の世界"とも何がしかご縁があったのでしょう。
ですが、私どもとしてはこれからの事をお話させていただければと考えております。」
「リヒャルトから話は聞いております。我等のように日本に残されたドイツ人と商取引がしたいとの事でしたな?」
「はい。失礼とは存じますが、日本は必ずしも皆様に住み易い国とは思えませぬ。
そこで、我等ムルニネブイ商人の力で、ドイツをこの世界に蘇らせる。代償に、ドイツが誇る技術を得、我等もその恩恵を得る。
・・・細かいところはおいおいお話させて頂きますが、そのように考えております。」
「素晴らしい!我等のように祖国を失ったものにとっては実に魅力的な提案ですな。
年数はかかるかもしれませんが、必ずや実現させましょう。よりよい明日の為に。」
オットーは感極まったかの如くに涙しつつ言った。それを見た商人は応じる。
「ええ、より良い明日のために。」
ミシェル・レヴェックことヘクター・ハースト・ヒースクリフ大公は快活にそう言った。
初出:2010年6月13日(日)