昭和二十三年二月十一日 <凪の海>

"洋上空軍機発着場提供任務艦"<昭南>艦上は喧騒に包まれていた。
一機のひどく傷ついた飛行機が着艦すべく艦尾から接近している。重爆だった。
四発ある発動機は散発までが止まっており、やや傾いだ姿勢で接近してきている。
機体は高速低角度で飛行甲板上に進入した。次の瞬間、無理やり押さえつけられるように空中で停止し、そのまま甲板上に落ちる。
空軍少佐の階級章をつけた男が機体から出てきた乗員に声をかける。機長らしき男が後ろを振り返り、首を振りながら答えた。
少佐は胴間声を上げる。体格のよい男たちがそれに反応し、煙を上げ始めた機体に突入した。
突入した彼らは十数秒後、頭から血を流してぐったりしている男を背負って現れた。彼らは空軍少佐に視線を送り、大きく頷く。
それを見た少佐は甲板の片隅に控えていた排土車に合図を送った。
旧式化した九七式戦車を改造した排土車は、最新の長距離重爆"蒼山"の巨体をまっすぐに押して海中に投棄する。
成層圏を飛行するために作られた重爆は海に落ちてその巨体に似合わぬ比較的小さな水柱を上げた。
突き落とされた"蒼山"は沈むことなく海上を漂っているが、翼に描かれた日の丸は徐々に波に飲まれつつあった。
<昭南>はその機体を置き去りにするように白い航跡を引いて進む。"蒼山"はやがてその航跡の中に消えていった。
その間に甲板上は綺麗に整備される。破壊された"蒼山"がばら撒いた部品は素早く片付けられ、着艦準備が整えられた。
艦尾からはまた別の"蒼山"が着艦手順に入っていた。重爆の姿を確認した少佐は再び大声を上げる。
その声にしたがって男たちは一斉に甲板上に散り、次の着艦を待つ。

――酷いものだ。

艦橋からその姿を見ていた高梨中佐は思った。わずかな間を空けて次々と着艦する重爆はどれもひどく傷ついている。
彼は首を振ると上空を見つめた。上空には多数の四発機が待機している。本来であれば勇壮な光景といえるだろう。
だが、そこに浮かんでいる機体の全てが損傷機だった。
四つある発動機のうち幾つかが止まっているものがほとんどで、しかもそれ以外に損傷を織っているものが殆どだ。
一つはまだ程度が軽いほうで、ひどい機体は三つが止まり、最後の一つで何とかもっている機体も多い。
そんな機体が十数機ほど、この<昭南>に着艦すべく待機しているのだ。

「予想以上ですね。」

傍らに立っている三木中佐がつぶやくように言う。高梨は頷いた。

「敵首都を攻撃しに、しかも二回目なのだからある意味当然ともいえるが、それでも――」
「"予想よりは随分と少ないな。私は満足している。"」

二人はその声に振り返った。ドワーフ軍の将軍、ブレイドエッジがいた。
ブレイドエッジはどこか傲慢で冷たく見える目で高梨達を見て言った。

「"アケロニアを爆撃したのだ。神の都を僭称する憎むべき都市とはいえ、大協約の首都には違いない。
 出撃した二百十八の飛行機械のうち、敵地で失われたのは七台。そして、ここに降りようとしているのが十八台。
 行方不明のものが幾つかあるようだが、それでも全部で四十を超えることはないだろう。
 迎撃に出てきたのはブルードラゴンなのだろう?それを相手にこの程度で済んでいるのなら、何の問題もあるまい。"」
「確かに、そうではあるかもしれませんが・・・」

高梨は口ごもった。確かに、そうであるかもしれない。ブレイドエッジの言うことは理には適っている。
敵首都を爆撃して、この程度の損害で済んだのであればむしろ幸運なのかもしれない。

「将軍、あの飛行機械には八名の乗員がいます。この一戦だけで、少なくとも五十六の竜騎士の命が失われた――
 こう考えれば、これが日本にとって見逃せない損害である事をご理解いただけるのではないでしょうか?」

ジェシカが口を挟む。ブレイドエッジは片方の眉を上げ、高梨達を見る目とは少し異なる目でジェシカを見つめた。
新参者の日本人ではなく伝統ある銀竜騎士団の言葉はドワーフの将軍に多少響いたのかもしれない。
高梨はそう思った。だが、ブレイドエッジの理解は違っていたようだ。

「"なるほどな。確かに竜騎士は高価だからな、気持ちはわからないでもない。
 だが惜しんでいては勝てん。何でも使えるものは使い、とにかく勝つのだ。それ以外は必要ない。
 これは戦争なのだからな!"」

ブレイドエッジはそういうと副官を引き連れてどこかへと去っていく。高梨達は敬礼でそれを見送った。
その小さいが幅広の姿が見えなくなったとき、ジェシカがため息をつきながら言った。

「将軍は今回の損害に心を痛めておられますね。」

高梨は思わずジェシカを注視する。今の会話のどこに”心を痛めている”要素があったのか、彼にはまったく見当がつかない。
彼は眉根をよせてジェシカに尋ねる。

「今のアレが・・・?とてもそういう会話だったとは思えません。
 むしろ、我々の敢闘精神に疑問を持ったので、それを嗜めるために声をかけたのかと・・・」

ジェシカは首を振った。長い金髪が左右に軽く揺れる。

「いいえ、あれは”確かに大損害だ、私はとても悲しい”という事をドワーフ流に言っただけのことです。
 高梨さんが正直に反応しそうになったので、失礼と知りつつ割り込ませていただきました。」
「あの言葉からそれを読み取れ、というのが無茶ですよ。そんな天邪鬼な」

高梨の言葉にジェシカが哀れむように言った。

「誇り高いドワーフ族の中でも特に不器用なブレイドエッジ将軍は、ああいうやり方でしか哀悼の意を表せないのです。」

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「なんというか、確かに後から考えればそれほどの損害ではなかったのかもしれん。
 しかし、機体が次々に投棄されていく最中には、とてもそんな気分にはなれんかったな。」

あれは本当に酷いもんじゃった。ブルドーザーが止まって大騒ぎになった事もあったしのう。
十八機が全機収容できたのが奇跡みたいなもんじゃ。

うん、なんじゃ?孫め、何か言いたそうじゃな。言うてみい。

「直せばまだ使えたんでしょ?何で海に捨てちゃうの?もったいない・・・」

まあ、そうじゃな。そう思うわな。

「確かに修理すればまだ使えなくもない機体ばかりじゃったが、それをする余裕もなかった。
 何しろ、<昭南>は臨時着陸場として指定されてはいたが、"蒼山"の修理部品までは載せておらん。
 幾つかの機体をばらして組みなおせばいけたのかもしれんが、そうもいかんかった。」
「何で?」
「<昭南>の本来の任務はイーシアにおった大協約軍を東方大陸から追い出すことじゃったからな。
 "疾風"の部品やら機銃弾やらロケット弾ならたっぷり積んでおったが、"蒼山"用のものは無かった。
 そもそも"蒼山"は格納庫に入らん。どうにもならんかったわけじゃな。」
「ふうん・・・高いのにもったいないね。」
「まったくじゃなあ。戦争というのは本当に金の無駄じゃよ。」

"蒼山"、相当高かったじゃろうなあ。航続距離二万キロ以上などという化け物じゃしな。
とはいえ、防弾が無いに等しかったらしいからのう、早期の調達中止もやむなしじゃろうなあ。

「まあ、"蒼山"は高かったとはいえ、所詮は機械に過ぎん。機械は作り直すこともできるが、人はそうもいかん。
 特に成層圏を飛ぶような飛行機のパイロットなど、そうそう育てられるもんでもないからな。
 結局は一番大事じゃったのが乗員の命じゃった、という訳じゃよ。」
「人命第一なんだね!」

孫は目をきらきらさせておるが、まあ、実際はそういう話ではあるまいな。
単純に発足したばかりの空軍が人手不足じゃったからと、そういう姿勢を見せるというのも士気を高める要素じゃからだろうし。
じゃが、まあ、無邪気な結論でも問題あるまい。世の中、結果がすべてなのじゃ。

「そんなわけで、<昭南>の初陣は"洋上空軍機発着場提供任務艦"として、満足できるものじゃった。
 救助した"蒼山"の搭乗員を随伴の輸送船"麻耶山丸"に渡して、そのまま対地攻撃に向かったわけじゃ。
 そこからは、東方大陸最後の戦いが始まったわけじゃ。歴史に残る、あの一戦がな。」

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昭和二十三年二月二十日 <昭南>艦上

その南部と東部に険しい岩山の多いイーシアにおいて、中央部は数少ない平原地域だった。
大陸各所で敗走を続けている大協約の東方大陸侵攻軍はその主力をここに集めている。
進行当初は合計五百万を号した軍勢であったが、いまやその数は五十万にまで落ち込んでいた。
とはいえ――

「生き残っているのは精鋭中の精鋭といって良い部隊ばかりだ。
 紅玉竜の圧倒的な魔法攻撃にも航空機による攻撃にも屈しなかった、というのは伊達ではない。」

<昭南>作戦室では戦闘機隊司令官である柴田少将による状況説明が行われていた。
同盟軍の将校や日本空軍の各参謀はもとより、高梨、三木や関本といった戦闘機隊の隊長までもが集められている。
柴田少将は指揮棒で机上に置かれたイーシアの概略地図の一点を叩いて言う。

「そして、その精鋭部隊が拠点として選択したのが、ここル・ティエュ=ギイユだ。
 この平原部にあって、交通の要衝として栄えた商業都市であり――」
「古来より難攻不落を謳われた要塞都市でもある。」

ドワーフの将軍、シャルル・アンドレ・ド・ブレイドエッジが言葉を引き取った。

「"本来、我ら同盟軍を前にして篭城などというのは愚作である。
 我らドワーフは極めて優秀な戦闘工兵であるのに加え、ルビードラゴンの力があればいかなる要塞といえど無力であるからだ。
 だが、このル・ティエュ=ギイユは、ここだけは話が違う。"」

彼は普段の傲慢さをそのままに続ける。

「"この都市は、古の”ドワーフ・エルフ戦争”の際にも幾度と無く戦場となった歴史を持っておる。
 そのおりに、我らドワーフの偉大なる先祖は”ドラゴン封じ”の結界をこの都市に施したのだ。
 この地に近づくドラゴンが、その真価を発揮することは決してできぬように。"」

ブレイドエッジの言葉を聴いた高梨は眉根を寄せた。そんな事ができるなら、なぜ他の都市ではそれを行わないのだろう。
その種の”結界”が存在するというのは始めて聞いた。それほど便利なら、もっと広まっていてしかるべきだろう。
疑問に思ったのは高梨だけではなかったようだ。ブレイドエッジは怪訝そうな顔をしている日本人を見回し、皮肉げに言った。

「"なぜこれが普及していないのか、という事を言いたいようだな。
 この”ドラゴン封じ”を行うために必要な魔法とその儀式の内容は、残念なことに初回の実行で失われてしまったのだ。
 魔道士数千人と幾十もの竜宝珠の魔力が暴走して数え切れない岩山を吹き飛ばしてな。
 結果、出来上がったのがイーシア平原だ。その中央部、魔方陣の跡地に作られたのがル・ティエュ=ギイユに他ならぬ。
 ・・・諸君らのうちで、もう一度この魔法を研究しようなどと思うものはいるだろうか?"」
「であるから、この戦いには基本的にドラゴン族を投入できない。
 もっとも、これで不利になるのはどちらかといえば大協約なのだが、やつらはもはや開き直っているようだな。」

黙り込んだ一同を前に柴田少将が言葉を発した。彼はドラゴンの駒を少し離れた地図上に配する。
海に面した地域で、どうやら港街のようだ。

「敵味方、ともにドラゴンを使えないというのを利点と考え、この点を最大限に活用するのに違いない。
 大協約軍は航空支援を巨鳥類に任せ、ドラゴンは後方200キロほどの港町、サン=クェルダンに後退させている。」

ブレイドエッジ将軍は中央で難しげな顔をしたまま腕を組み、呻くように言う。

「"やつらは船をサン=クエルダンを集めつつある。軍艦だけでなく、民間船までも徴用しているようだ。
 相当数の艦船が<温の海>対岸、ムーアポリア共和国に集結しつつあるのが確認されている。
 ・・・おそらくサン=クェルダンから<温の海>経由で脱出を図るのだろう。"」

作戦室にどよめきが起こる。高梨も思わず声を出していた。
ブレイドエッジの言葉が確かなら、同盟軍は、東方大陸から大協約軍を叩き出す事に成功しつつあるのだ。
後退を続ける大協約軍の姿から誰もが予想していたことではあるが、実際にその事を伝達されたのは今回が始めてだった。
柴田少将が軽く手を上げた。どよめきは消えたものの、興奮はまだ治まってはいない。
彼は皆を窘めるかのように言った。

「まだこの戦争の勝利が確定したわけではない。油断すると足元をすくわれる可能性はある。
 大協約軍はここに巨大な要塞線を築きつつあるし、船団にしてももしかすると増援部隊なのかもしれない。
 それに、その他の理由もある。」

そういうと柴田少将は机の左端、地図に入らないに場所に少し大きな駒を置いた。
高梨は何気なくその駒に目をやった。楕円形の岩のようなその形には見覚えがあった。彼は目を見張る。あれは、まさか。

「何名かの者はこの駒に覚えがあるだろう。」

柴田少将は高梨や三木を横目で見てから言った。つられて高梨も三木に視線を送る。三木は彼にしては珍しく険しい顔をしていた。
やはり、間違いない。あれは――

「大協約軍の誇る空中要塞”スレイマーン”がアケロニアを発進し、東方大陸に向かってきているという情報が入った。
 目的地は不明だが、ル・ティエュ=ギイユまたはサン=クェルダンのどちらか以外には有り得ないだろう。
 空中要塞の速度から考えると、到着は早くても一ヵ月後と思われるが・・・気を抜くことはできん。心しろ。」

――空中要塞と再び見える日が来ようとはな。伊橋の、そして坂川さんの仇は必ず取る。

高梨は決意を新たにする。柴田少将が今後の作戦について説明を始めていた。

昭和二十三年二月二十七日 ル・ティエュ=ギイユ近郊

「こりゃあ凄い。」

ル・ティエュ=ギイユ近くで雲が切れ、地上を見た高梨は思わず声に出した。
眼下の山間から平原部にかけて、上空からもそれと判るほどの同盟軍の大軍が布陣しているのだ。
地上を埋め尽くさんばかりにして屹立する軍旗と天幕の群は何度見ても圧倒的だった。

同盟軍がこの地に――イーシア平原部に送り込んだ兵力は各種族合計で優に三百万を超えていた。
主力はもともとこの地にいるドワーフ軍と、同盟の主力である各種獣人歩兵部隊だ。
それにエルフの魔法戦士団と各種ドラゴンからなる部隊を組み込み、師団規模の部隊を形成する形をとっている。
特定の種族で固めた場合、その種族固有の弱点を突かれて敗れる可能性を考慮してのことだった。
実際、この戦争においても虎人兵団がまたたびの粉末を空中散布された結果、戦力を失ってしまったという実例があった。
よほど兵力が足りていないときは別であるが、そうでなければ諸族を統合した部隊の方が望ましいのだ。
原色鮮やかな各種族の軍旗と天幕、それと好対照をなす漆黒の軍服が大地に複雑な模様を描いている。

――これだけの数がいながら、この地にいるのはル・ティエュ=ギイユ包囲部隊の一部にしか過ぎない。
  大協約軍は航空戦力を温存し、空中要塞が戦力を満載して到着すれば戦局を一変できる、そう考えているかもしれないが・・・

再び地上を見た高梨は軽く微笑んだ。いかに空中要塞といえど、所詮は要塞に過ぎない。
これだけの数を相手にすることは不可能だろう。
高梨はその事実に半ば圧倒されながら再び地上に視線を送る。彼は地上攻撃部隊の上空支援部隊としてここに来ていた。
幸いそれはすぐに見つかった。いくつもの同盟軍陣地を飛び越えながら、砂塵を巻き上げて進む部隊の上空に到達する。
地上では数百の騎兵が幌竜車相手に突撃を敢行しているのが見えた。ル・ティエュ=ギイユへの大協約補給部隊に対する攻撃だ。
車輪のような何かを引いた部隊を引き連れた騎兵隊は、補給部隊に対して突撃を行っていた。
騎兵の群は日本製の重火器で武装しているらしく、三点射された曳痕弾が赤く光を放っているのが高梨のところからも見える。
だが、ただの騎兵ではない。確かに四つの蹄で地上を駆けているのだが、そこに"乗り手"の姿がない。
文字通り人馬一体となって地を走っている。彼らこそ同盟軍が誇る快速軽騎兵、ケンタウロス族だった。
元々は投槍、石弓や長弓といった武器を好んでいた彼らだったが、日本の武器を目にしてからはその嗜好に変化が生じていた。
人間を遥かに超える膂力を誇る彼らは重機関銃以上の巨大な銃器を片手で軽々と扱う事ができたのだ。
弓よりも突撃中の射撃に遥かに向いていることもあり、ケンタウロスは機関銃を標準的に装備しているのだ。
機関銃は本来は高価で希少な兵器であるはずだが、彼らは豊富な地下資源と交換でそれを手にしている。

高梨が見ているのはそうしてケンタウロスが作り上げた"近代的軍隊"が示した一つの形だった。
その火力密度は圧倒的だった。彼が見る間にもケンタウロスは幌竜車の群れを破壊していった。
ゆるやかに白煙を引いて飛翔し、敵の牽引用角竜を爆砕する。高梨はそれが六式七十五粍発条型簡易無反動砲だと気がついた。

六式七十五粍発条型簡易無反動砲は無反動砲の簡便さと破壊力を気に入ったケンタウロスが作らせた、彼ら用の無反動砲だ。
五式四十五粍簡易無反動砲をはじめとした通常の無反動砲はどうしても後方へ爆風が発生してしまう。
二足歩行を行うのであれば、後方に人がいない事を確認しさえすれば問題はないが、四足歩行のケンタウロスではそうはいかない。
どうやっても胴体に火傷を――むしろそれで澄むのが不思議ではあるが――負ってしまう。
そこで開発されたのが薬室後方を塞ぎ、中に仕込まれたバネを利用して発射する六式簡易無反動砲、日本での通称"バネ擲弾"だ。
一応、推進剤としての発射火薬も用いられているためまったくのバネ鉄砲というわけではない。
だが実質的にはそれと変わりない。発射火薬の量は申し訳程度だし、発射後には毎回バネを引く必要がある。
もっともケンタウロス達は全く意に介する様子はなかった。彼らにしてみれば、それは強力な石弓と大差ない事を示すに過ぎない。
ケンタウロス達はこの兵器を「ピャッ」「ピアッ」あるいは「ピア」と呼んでいた。
日本人がケンタウロスにバネを引き方を聞かれて「ピャッと引くんだ」と言ったためだという話だが、本当の所は判らない。
少なくとも高梨はその話は嘘だと考えている。いくらなんでもそんな説明をする軍人はいない筈だ、彼はそう思っていた。

――だがまあ、あのバネがとんでもなく硬いのは何とかならんのだろうか。
六式無反動砲と思しき投射兵器による爆発を見ながら彼はそう思っていた。
高梨も親しくなったケンタウロスの好意で引かせてもらったことがあるが、普通の人間ではとてもあのバネは引けないだろう。
彼がそう考えているうちにも襲撃は続いている。幌竜車が次々と炎上し、護衛の騎士たちが地に倒れていく。
だが、大協約側も反撃の準備を整えつつあった。護衛の角竜が姿勢を低くし、上目遣いに角を掲げた防御陣形を取り始める。
彼らの固い頭蓋骨と頑丈な襟は鉄兜によりさらに補強されている。無反動砲の直撃であっても、あるいは耐えられるかもしれない。
それを見たケンタウロスは反転を始めた。高梨は気を引き締めた。そろそろ援護をする必要があるかもしれない。
彼の"疾風"は翼下に対地噴進弾を搭載している。ここ数日は対地支援装備での出撃は一度もなかった。
大協約軍が航空戦力を温存しているため、空戦になることがないのだ。半ば肩透かしをされたまま、対地攻撃支援を行っている。
援護が必要か無線で問合せをしようかと考えた、その時――

後方で何か車輪のようなものを引いていたケンタウロス達が前に出ると、その車輪を一斉に解き放った。
後方から噴射炎を引きつつ、車輪は角竜部隊へと突進していく。角竜がそれを振り払おうと頭を振るが、それは愚かな選択だった。
衝撃を受けた車輪は大爆発を起こす。その直撃を受けた角竜は跡形もなく吹き飛んだ。

”"どうだ、タカナシ。我々のパンジャンドラム戦法は素晴らしいだろう!"”

不意に無線機から聞き覚えのある声が響いた。ケンタウロスの王、ハシフ=ハーンからの交信だ。
高梨はその子供っぽい通信内容に苦笑しつつ応じる。

「陛下、仰せの通りです。ですが、これは何も御身が出てくるほどの任務ではありますまい?」
”馬鹿を言うな!常に最前線に身を置かずして、何のための王か!”

理屈になっていない、高梨は思った。だが、豪勇で鳴る彼の性格からそれができないというのも良く知っていた。
彼と高梨は顔見知りだった。その巨体と王族格闘術をもつハシフ=ハーンは勇者を好む。
そうであるからか、この豪快な王は高梨を妙に好いているのだ。
おそらく、ブレイドエッジ将軍が”ドラゴンスレイヤー”として紹介したのも影響しているのだろう。
今回の任務に高梨が選択されたのも、あるいはハシフ=ハーンのご指名なのかもしれない。

”で、どうだ。タカナシ。どう思う?”

ハシフ=ハーンが先ほどの返事を催促した。その言葉に従うように、高梨は地上を見る。
車輪――爆薬を仕込んだ発条式自働二輪架台、通称パンジャンドラムが敵角竜部隊に激突して次々と爆発していく。
角竜はその本能から車輪を避けるよりも受け止めるという選択をしてしまうため、被害は拡大していく一方だ。
その混乱をよそに、ケンタウロス部隊は撤退を開始していた。十分に損害を与えたと考えたのか、深追いはしないらしい。
高梨は感心しつつ通信の主に答えた。

「流石です、ハシフ=ハーン陛下。”破壊王”の名前は伊達ではないというところを見せていだだきました。」
”"そうだろう。まさに”時は来た”のだ。東方大陸から、大協約のおぞましい軍勢を追い払うという――"”

ケンタウロスの王は不意に口ごもった。何事かと高梨は地上を見る。だが、特に何事もおきているようには思えない。

「陛下、如何なされました?支援が必要であれば――」
”タカナシ、北の空を見ろ。あの入道雲、少し不自然ではないか?”

ハシフ=ハーンの言葉に従い、高梨は北にある入道雲を見つめた。確かに少し大きいが、言うほど不自然なところは・・。・
高梨はふと違和感に気づいた。入道雲は全く形を変えることなく、姿が徐々に大きくなってきている。
よく見れば色も形も不自然だ。雲の白さとはどこか雰囲気が違う白さと、紐のようなものを垂らしたその姿は、まるで――
高梨達は思わず呻いた。近づいてくるのは雲ではなかった。巨大な海月が空中を音も無く飛んでいるのだ。
そしてその海月の背後に見える、岩のような物体。ハシフ=ハーンもその姿に気がついたのか、無線機から苦い声が聞こえた

”"スレイマーン"・・・予定よりも三週間早いな。しかし、それにしても・・・”

海月型巨大空中生物が牽引する空中要塞は、その巨体に似合わぬ速度で戦域に接近している。
このままにしておくわけにはいかない。高梨は配下の全機に”海月”への突撃を命じた。


初出:2010年8月29日(日) 修正:2010年9月5日(日)


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