昭和二十年十二月十四日 豊岡・陸軍航空士官学校

一機の九五式一型練習機が着陸態勢に入る。安定したその姿勢は中々に見事だった。
練習機はそのまま着陸する。冬の乾燥した空気のせいか、滑走路に砂埃が少しだけ舞うのが見える。
機体は少し地上を走ってからその動きを止めた。まだ発動機は唸りを上げたままだ。。
何やら機上で動きがあった。発動機が切られたのだろう、規則正しい爆音は徐々に収まっていく。
それにつれてプロペラはその回転を緩やかにし、やがて完全に動きが無くなった。
最後まで何やら計器を確認していたらしい二人の乗員が機体から地面に降りたつ。
高梨大尉とジェシカ特務少佐だ。教官の高梨が候補生のジェシカの前に立つ。
彼は重々しく告げた。

「今日の飛行は中々宜しかった。この調子で精進するように。」
「ありがとうございます!」

飛行服姿のジェシカが直立不動の姿勢まま覇気に溢れた声で答えた。
表情も冬の空気と同じように凛としたものだ。いかにも歴戦の武人、といった風情がある。

――こうしてみると竜騎士団の幹部というのも頷けるな。
  大福を危うく喉に詰まらせそうになっていた人物と同じとは思えない。

彼は昨日の騒ぎを思い出した後、口調を少佐に――というよりは友人に――対するそれに変えた。

「随分良くなったじゃないですか。もうじき、単独飛行も出来るでしょう。
 事に空での目の置き所は非常にいいと思いますよ。伊達に子供の頃から空を飛んでいる訳ではありませんね。」
「確かに。高度計とか速度計とかは騎竜鞍も大体同じようなモノですから、大体判ります。
 でも、ほとんど考えたとおりに動くドラゴンと飛行機では操縦感覚は全然違いますよ。
 飛行機の方が”操ってる”感は高いです。当たり前なのかもしれませんけど。」
「ドラゴンは”操ってる”のではない、と?」
「・・・そうですね、”操る”というよりは”補い合う”というのが適切かもしれません。
 お互いの感覚、魔力、経験などを補完しあうことで、竜と竜騎士はより高みに上る事が出来るんです。」

飛行機を飛ばすようになってからハッキリとわかった感覚ですけど、ジェシカはそう言って微笑んだ。
そんなものだろうか、高梨は思う。彼はドラゴンを”操縦”した事が無いから確かなことは判らない。
だが、腕を置くけば意思疎通が出来る騎竜鞍と腕力で押さえつける必要がある操縦桿とでは感覚は随分違うというのは判った。

「それにしても――」

高梨はそこで言葉を切り、顔を動かしてジェシカを上から下まで見てから言う。

「その飛行服、何とかなりませんか?」
「おかしいですか?」

ジェシカは小首をかしげ、軍服の袖を摘んでくるりと回った。
彼女の飛行服は同盟軍仕様だった。基本的な形は日本陸軍の第一種航空衣袴と同じだが、色が漆黒である事が違う。
ある種の野暮ったさがある飛行服だが、色が違うだけで随分と印象が変わっていた。
黒の布地に、薄黄色をした毛皮の襟がよく映えている。あちこちに付いている物入も統一感を損ねることは無かった。
銀座あたりを歩いても、あるいはジェシカなら様になるかもしれない。それほどに華やかな雰囲気を醸し出している。
とはいえ、それは着ているのが彼女だからかもしれない。

「いや、飛行服は別におかしくないですけどね。その何だ、首に巻いている――」
「良いでしょ、これ!結構高かったんですけど、思い切って買っちゃいました。」

彼女は漆黒の飛行服に真紅のスカーフを巻いているのだ。彼女の容姿とあわせ、目立つことこの上なかった。
高梨の批判がましい視線を気にした様子も無く、ジェシカは目を輝かせて弾んだ声で言う。

「私に良く似合ってると思いません?」

――確かに、似合ってはいる。似合ってはいるが、しかし――
高梨は苦笑しながら言った。

「似合っているかそうでないか、で言えば良く似合ってますよ。」
「でしょ?」
「でも、この前も言いましたが・・・もう少し腕が上がってから身に着けたほうが良いと思いますよ。
 正直なところ、"スカーフに巻かれている"としか見えない。」

ジェシカは怒ったような、しかしどこか照れたような表情を浮かべながら言った。

「だって、三木さんともおそろいだし、"良く似合うよ"って言ってくれたものだから、そのぉ・・・」

語尾ははっきりせず、口の中でもごもごと言うだけだ。毎度の事だった。
高梨はつかの間苦笑すると、表情と口調を改める。教官としては、締めるところは締めねばならない。

「ジェシカ候補生!」
「はいッ!」
「何をだらしない顔をしておるかッ!なっとらん!罰として腕立て伏せ五十回、はじめッ!」

「・・・何やってるんだ?」

腕立て伏せをしているジェシカを仁王立ちして見ている高梨のもとに来た関本大尉があきれたで話しかけてきた。
彼の任務も高梨とほぼ同じで、彼がムルニネブイに行った際に知り合った同盟軍人の教育だった。

関本はちょっとした力士のような体躯をした男だ。搭乗員にあるまじきほどの巨体ではあるが、太っているという印象は無い。
首と腕の太さは尋常ではなかった。高梨の部下だった伊橋大尉同様、飛行機乗りとは思えない体躯だ。
だが、彼の太い首と腕は空中戦において非常に有効な武器だった。
その強力は、四式戦"疾風"の重いとされる操縦桿ですら軽々と扱い、その秘められた格闘性能を最大限に搾り出している。
速度を考えない、単純な格闘性能では"疾風"よりも優れている筈の九七戦に格闘戦で勝ったという噂さえもあった。
流石に高梨はそれは眉唾だと考えているものの、それだけの事をやってのけてもおかしくない雰囲気がこの男にはあった。
高梨とは違い、教育相手は竜騎士でもなんでもないドワーフが相手らしく、結構大変だと聞いている。
とはいえ、小柄だが頑健な肉体を誇るドワーフには関本の操縦理論はわかりやすいらしく、近頃は随分腕が上がったと聞いていた。

「いや、ちょっと・・・どうした?」

ジェシカが随分苦労しながら、しかし汗一つかかずに腕立て伏せをしているのを横目で見ながら高梨は尋ねた。
関本の表情が幾分硬いのに気が付いたのだ。

「海軍さんがやってくれたらしい。高梨、お前とジェシカ少佐に関係がありそうな話だ。」
「何の話だ?」

空中にいたのは僅か一時間ほどではあるが、戦況に何か進展があったらしい。
ようやく腕立てが終ったジェシカが立ち上がって埃を手を払いつつ高梨達を見た。関本は続ける。

「海軍の機動部隊が敵軍の<<大いなる海>>における二つの重要軍港のうちの一つ、<カザンの門>を破壊したらしいぞ。
 盛大なあだ討ちというべきものを、赤穂浪士の討ち入りの日に合わせるとは中々気が利いてるじゃないか。
 引き続き上陸作戦が敢行されているらしいが、紅玉竜騎士団も投入されているとの事だし、勝ったも同然だな。」

表情を緩めかけた高梨はジェシカの方を見る。彼女は心配そうな表情で俯き、手を硬く握り締めている。
高梨が何か声をかけようとした時、ジェシカが顔を上げて関本に尋ねた。

「機動部隊の損害はどうだったのです?」
「”損害は軽微”ということでした。実際にどうだったかは、まだ判りません。」

関本大尉はそっけなく聞こえる口調で言った。ジェシカが表情を硬くする。
この調子では午後の座学は頭に入らないかもしれないな、高梨が思った。しかし、関本が続けた言葉は意外なものだった。

「と、言いたいところですが・・・少なくとも制空隊に被害は無いようです。
 何しろ、敵の制空隊がいなかったらしいですから。被害を受けたのは爆撃隊のごく一部だけとのことです。」

あからさまな安堵のため息をつくジェシカを横目で見ながら高梨は関本に尋ねる。

「敵の制空隊がいなかった?そんな馬鹿な。重要拠点なのだろう?」

彼は<<大いなる海>>の地図を思い起こした。<カザンの門>は<<大いなる海>>のほぼ中央部に位置するはずだ。
僅かに珊瑚礁から島になったような小島が多い周辺海域において、それなりの陸地を持っている唯一の島だ。
三木が以前話してくれた事が確かなら、"前の世界"の太平洋で言えば布哇のパール軍港にも匹敵する軍港の筈だ。
そこに何の飛行隊も配置されていないというのは明らかにおかしい。
関本は頷いて言った。

「それが、全く無かったらしい。敵の制空部隊はその姿を見ず、という事らしい。多少の対艦ワイバーンはいたらしいが。」
「全くいなかった?」

高梨は問い返した。明らかにおかしい。それに――

「でも、そうでなくても、対空兵器である【裁きの雷】はあるはず。それによる損害は?」

彼はかつてバレノア島攻略で猛威を振るった【教会】からの電撃を思い出していた。
現在は一撃で落とされる事が無いように航空機も随分改善されたと聞いているが、それでも被害が亡くなることは無いだろう。
いかに航空隊を配備していないとはいえ――いや、であればこそ、対空兵器に力を入れていると考えるのが自然だ。
だが、関本の答えは意外なものだった。

「・・・それも、無かったらしいぞ。どうも撤去されたらしい。事前の地図にはあったそうだからな。」

高梨とジェシカは顔を思わず見合わせる。どうやら考えていることは一緒のようだ。
そんな筈は無い、高梨は思った。大協約はその思想信条に理解し難い点があるが、戦場における彼らの軍は恐るべき敵だ。
少なくとも、これは何かの罠に違いない、高梨はそう思った。
それが顔に出ていたのだろう。関本大尉は、これは俺の考えだがな、そう前置きした上で言った。

「おそらく、敵さんは守りきれないと踏んだんだろうな。無駄な戦力消耗を抑えたいのだろう。
 もう一つ奥にある軍港、<ミカエルの門>とかいったか、そっちに全軍を集中しているんじゃないか?」
「確かにそうかもしれません。実際のところ、<カザンの門>の軍事拠点としての能力は<ミカエルの門>程ではありません。
 <ミカエルの門>よりも小さい島ですし、陸戦部隊の配置にも限界があります。
 そう考えれば、守りきれないという判断は理解できなくはありません。」

ジェシカが考えながら言う。少なくとも高梨や関本よりはこの世界の軍を知っている彼女のいう事には説得力があった。

――そんなモノかもしれない。

高梨は思った。だが、何か言い知れぬ不安のようなものも同時に感じてもいた。

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「大変だったんだねえ。」

孫がメモを取りながら言いおる。今の話のどこをメモしておるのか非常に気になるが、まあええ。

「うむ。確かに大変じゃった。毎日が苦労の連続じゃったぞ。」

実際にはジェシカの方が大変じゃったろうがな。
何しろ数年前まで飛行機なんぞ見たことも聞いたことも無いのに、軍の命令で動かす羽目になったわけじゃからな。
とはいえじゃ。

「わしらはまだマトモな方じゃった。少なくとも、ジェシカは飛行機を見知っていたからな。
 それに竜騎士でもあったから、空を飛ぶ事に抵抗感は無かった。
 じゃが、同盟軍のほかの生徒達を教えておった助教たちはトンでもなく大変だったようじゃ。」
「何で?」

孫が尋ねるが、まずは麦茶じゃ。喉を潤さねばな。

「同盟軍は何を思ったか、竜騎士以外ではワイバーンからグリフォン、ペガサス等に"乗れないもの"から訓練を始めたのじゃ。
 じゃから、同盟軍の候補生には"飛行機を見たことも無ければ空を飛ぶ事など考えたことも無い"ものが沢山おってのう。
 相当苦労したらしい。風習から何から全部違うから、当然といえば当然じゃが。
 虎人を教えておったやつから聞いた事があるが、連中、何か都合が悪くなると”ハタリハタマタ”で済まそうとするらしい。
 意味を持たせない、つまり人間には理解できない”ただのハタリハタマタ”じゃな。
 これは極端な例じゃが、他にもそんな奴等が一杯いたらしいからなあ・・・」

お互い、よく頑張ったもんじゃ。

「戦争の最後のほうは割と適当だったかもしれんが、少なくとも昭和二十年はまだちゃんとしておったぞ。
 もっとも適当といってもそれほど悪いもんでもないぞ。そうでなくては、あれだけの数の操縦者なんぞ育成できん。」

ふむ、何やら言いたそうじゃな。なんじゃ?

「でも、飛行機ってどうしてたの?作るの結構大変なんでしょ?」

おお、それか。

「確かに大変じゃ。じゃから、図面渡して木で飛行機を作ってもらったんじゃ。エンジンは日本で作っておったぞ、もちろん。」
「木?木で作った飛行機なんて飛ぶの?」

驚いておるのう。現代航空機が、「梓七四七型」なんぞのような大型機が木で出来ておったら怖いからのう。

「その昔は木は航空機材料の究極とも呼ばれておったのじゃぞ。天然の炭素繊維素材みたいなもんで、軽くて丈夫じゃからな。
 特に疾風の木製機は中々良く出来ておってな、わしも乗った事があるがほとんど金属製と変わらんかった。」

へえ、そういうとメモになにやら書き込む。まだ続きがあるわけじゃがな・・・

「まあ、いろいろと思い出深い機体もあるのう・・・。」

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昭和二十一年 五月十八日 豊岡・陸軍航空士官学校

「これがキ一二六か。見た目はちょっと変わった"疾風"という感じで、全体的な印象はそれほど変わらないな。」
「"疾風"の練習機だからな、当然といえば当然だ。」

高梨の言葉に関本がぶっきらぼうに答える。
他人から見れば無愛想に見えるかもしれないが、高梨には友情に近いものだと判っている。
高梨は友人の不器用さに苦笑しながらも細かくキ一二六を観察した。

彼らの目の前にあるのは練習機として配備されたキ一二六、"疾風"を木製にしたものだ。
同じように作ってあるとはいえ、金属と木材とでは重量が違うため、そのまま作ったのでは重心位置がおかしくなってしまう。
その関係で機首が幾分長くなった――高梨はそう聞いているが、長くなったというよりは"変わった"という方が正しいだろう。
おそらく、発動機がハ四五でなく、ハ三三になっている事も影響しているのだろう。
それだけではない。プロペラも四翅から三翅に変わっていた。機首部分の見た目についてはかなり大きく変わっている。
そのほかの部分は主脚が若干違う以外はそれほど変わっていないようにも見える。
もっとも、フラップが蝶型からスプリット式に変更されるなど細かいところは随分と変わっている。
最早ほとんど別機体と言った方が良いのかも知れない、高梨は思った。

だが、機体全体を見渡せばそれはやはり"疾風"の眷属だった。
比較的大きな機首から伸びた胴体が後部にかけてキリリと絞り込まれていく姿は己が"疾風"の一族であることを主張している。
戦闘機としての性能も文句が無い。飛行特性もそれを裏書している。
発動機の出力は五百馬力ほど低下していたが、発動機と機体の重量が全体的に軽くなっているのが幸いしたのだ。
お陰で翼面荷重が一割以上減少しているのだ。最高速度はいくらか落ちているが、飛行特性はむしろ向上したとも聞いている。
機体を構成している木材については強度も工作精度も全く問題が無い。
エルフがその秘術を尽くして加工した大樫と南方の樹木をあわせた合板はかなりの強度を誇っている。
さらに、金属材料と異なる利点もあった。この合板は"生きて"いるのだ。
よって金属素材の飛行機とは違い、森の守り手たるドルイドが魔法の祈りを捧げれば破損修復が可能という特性を持っている。
これだけ見れば夢の飛行機ではあるのだが――

「・・・飛行機なのに水をやったり液体肥料をやったりする必要があるというのは、ちょっとな。」

高梨がどうしても納得できない点を先回りするように関本が小さな声で言った。
高梨もそれには同感だった。いかに"生きている"とはいえ、水と肥料を要求する飛行機など尋常ではない。
今までの常識から言えばとてもありえないことだ。とはいえ――

「仕方ないだろうな。むしろ"新世界"の人間にとっては、"呪文で直る"こっちのほうが整備し易いだろうよ。
 なんと言うか、"強力な魔法の道具"として扱う分には丁度良いじゃないか。」
「確かに、そうかもしれんな。同盟軍で使うには便利であるのは確かだしな。
 整備士もそれほど用意できないし、発動機だけ直せればいいならまだ何とかなるかもしれん。
 とはいえ、これは立派な"疾風"の一族だ。これを売るとは、我が国も随分と豪勢なものだ。」

高梨は肩をすくめると――暫く外地にいてジェシカ達"新世界"人と行動を共にするうちに移った癖だった――言った。

「アレだ。タービンロケット機に実用の目処がついたのが大きいんだろう。
 そうでなくては、いかに同盟国とはいっても一線級の機体を売ったりはしないだろうよ。
 ――時間か?」

関本が腕時計を見たのを高梨は見逃さなかった。
高梨はこのキ一二六が練習機として使えるかどうかを確認する試験飛行を担当することになっていた。
彼の言葉に関本が頷く。

「そのようだな。では、コイツがどれくらいできる飛行機なのかを見せてくれ」

関本の言葉に高梨は笑顔で頷いた。

――ここまでの飛行感覚は"疾風"とさしてかわらないな。

高度六千まで駆け上がった高梨は思った。零戦の最新型にも搭載されているハ三三は快調に動いている。
馬力が足りない分、上昇力は"疾風"よりも若干劣っているように高梨は感じていた。
もっとも全体重量が一トン近く軽くなっているなので、本来はそれほど変わらないはずだ。
おそらく誤差の範囲だろう、高梨はそう考えた。上昇についての考えに納得した彼は無線に向って告げる。

「これから特殊飛行に入る。」

地上からの了解した旨の声が入った。次の瞬間、高梨はフットバーを蹴り、操縦桿を力を入れて引いた。
キ一二六は機首を右に落として水平に回り始めた。三回ほど回ったところでスロットルを急激に閉じる。
速度が落ちた機体は徐々に機軸を下にして回り始める。それまでは水平線が回っていたが、今度は大地が回っているのだ。
高梨は回転速度を見極めるため、飛行場の芝生が見えた回数を数える。数えながら彼は高度計を見た。
高度四百ほど、二十回近くも回った次に飛行場の芝生が見た後、急停止の舵を切った。
キ一二六はもう一回転してから止まる。彼はここで上げ舵を使って機体を引き起こした。
飛行場までの距離はもう五十メートルほどしかない。彼は着陸姿勢をとる。主脚を出し、そのまま飛行場に着陸した。
完璧だな、この飛行機は。高梨はキ一二六に満足していた。

笑顔を浮かべてキ一二六を降りた高梨を出迎えたのは意外な顔だった。
年のころは六十歳ほどではあるが、品の良い顔をした男だ。陸軍中将の軍服がよく似合っている。
彼はこの陸軍航空士官学校の校長、徳川好敏中将だった。日本人として国内初飛行に成功した、空の先駆者だ。
徳川は笑顔を浮かべて手を叩いている。まるで孫を可愛がる祖父のような表情だ。だが、内心は何を考えているかわからない。
高梨は慌てて笑顔を消すと敬礼する。徳川中将は答礼を返してから言った。

「中々見事な特殊飛行であった。ご苦労。」

これは叱責かもしれん、高梨は思った。あのアクロバットを見て機嫌を悪くしたに違いない。多少調子にのり過ぎたかもしれない。
だが彼が何か謝罪の言葉を言うよりも早く徳川少将は言葉を発した。

「報告が済み次第、高梨大尉はジェシカ特務少佐を伴って校長室に来るように。軍刀を吊ってくるのを忘れるな。」


「・・・高梨さん、何をやったんですか?」

同盟軍の礼装に身を固めたジェシカが高梨に問いただす。同様に正装した高梨は頭をかきながら言った。

「やはりあのアクロバットが良くなかったかもしれません。」

高梨はそう言って錐揉み降下についてジェシカに話した。もうすぐ搭乗員資格が得られるジェシカが呆れたように言う。

「ご禁制の機動じゃないですか。それは徳川中将も怒りますよ。」
「いや、でも特殊飛行の試験だから・・・。自分と飛行機がどの程度無茶が効くのかが判ってないと空戦なんかできませんよ?」
「それはそうですが・・・というか、特殊飛行が原因なんでしょうか?違うような気もします。」
「確かにそれが判らんのですよ。アクロバットはジェシカ少佐には全く関係の無い話だと思うのですが・・・?」

二人は呼び出された理由について話しながら歩き、とうとう校長室の前に立つ。
咳払いを一つして気合を入れなおしてドアをノックする。入れ、の声に覚悟を決めて白手袋でドアノブを回して部屋に入った。
意外なことに部屋には高梨達のほかに先客がいた。徳川中将の前に座っているのは、軍服からすると海軍の人間らしい。
階級章は中将であることを示している。まだ真新しいところを見ると、昇進したてなのかもしれない。
高梨は敬礼をしていないことに気が付き、慌てて敬礼する。海軍中将が答礼を返すと徳川中将が話し始めた。

「彼がさっきのアクロバットをやっておった搭乗員だ。そちらのお嬢さんは銀竜騎士団の次期団長候補で男爵令嬢だな。」

徳川中将はにこにこと二人を紹介する。高梨とジェシカは事の成り行きが読めないままに自己紹介をした。
海軍中将はそれを頷きながら聞いている。どうやら叱責されるわけではないらしいと気が付いた二人は少し安堵した。
彼らのその表情を見た徳川中将は多少怪訝な顔をしたが、彼は追及することなく別の言葉を発した。

「どうだね?腕も良く、実戦経験もあり、魔法も使える。ジェシカ少佐も含め、高梨と四七戦隊は使いでがありそうだろう?」
「そうですな、確かに逸材です。これなら安心して空軍の基幹要員として活躍してもらえそうだ。
 ・・・ああ、失礼。名前を言い忘れておったな。私は加来止男。今は海軍中将だが、もうすぐ空軍大将になる予定だ。
 諸君等を含めた独立四十七飛行戦隊は、日本空軍準備委員会の配下、つまり私の指揮下にはいる。
 一致団結して帝国空軍の礎を共に作ろうではないか。」

加来が差し出した手を高梨は反射的に握る。高梨は何か大きなうねりに飲み込まれつつあるのを感じていた。

初出:2010年7月4日(日) 修正:2010年7月11日(日)


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