昭和二十年十一月十六日 銀座
銀座。洒落た男女が集うこの街を一人の軍人が歩いていく。
よく日焼けした様子と鋭い眼光からして戦地から帰ってきたばかりなのかもしれない。
彼は腕時計を見ると軽く舌打ちした。予定の時刻を少し過ぎてしまっている。急がなければならない。
どこからとも無く流しのアコーディオンの音色が聞こえる中、彼は西五丁目の小道を曲がった。
手前にブロードウェイを臨み、反対側の角がヨーローになっている角を西に出て右手の店に入る。
看板には英語で”バー・ラインゴールド”と記されていた。
店は込み合っていた。客は日本人と外国人――"前の世界"と"新世界"の両方――が半々程度だ。おかげで見た目も様々だった。
三つ揃えを着こなしている英国人らしき紳士がほとんど裸のエルフ魔道士と話をしている。
ドワーフが女給に注文を出しているが、立ち居地が悪い。隣の角帽を被ったミノタウロスが邪魔で姿が見えないのだ。
ソーセージをむさぼるように食べながら話すワータイガーと肩を組んで談笑しているのは米国人だろうか。
ここにあるのは平和そのものの光景だった。とても遠く離れた大陸と大戦争を遂行している国とは思えない、彼は思った。
だが、戦争は現実に行われている。何しろ、彼はその最前線から帰国してきたばかりなのだ。
彼は店内を見回した。彼の連れがいる筈なのだが、こう込んでいては見つけるのは――
「遅いぞ、高梨大尉!」
店の奥まったところから本田一郎陸軍少佐の声が聞こえた。柿本大輔陸軍大尉の姿もある。
高梨隆将陸軍大尉は軽く手を挙げると彼らのもとに向った。苦労してたどり着くと挨拶もそこそこに言った。
「まったく、本田さん・・・何もこんな所でなくても良いじゃないですか。そりゃ、帰国祝いをやってくれるのは嬉しいですがね。
折角一年半ぶりに日本に帰ってきたんだから、もう少し日本っぽいところが良かったですよ。」
本田少佐は豪快に笑ってから言った。
「潜水病というのを知ってるか?いきなり気圧の違うところにいくと体調を崩すそうだ。下手すると死ぬらしい。だから――」
「日本も随分変わりましたからね。こういう雑多な雰囲気のほうが良いんじゃないかと思いまして。」
高梨の後輩でもある柿本大尉が言葉を引き取った。高梨は両手をあげて降参のポーズを取る。確かにそうかもしれない。
ここまで来る間も色々と驚くような事もあったし、少しずつ慣れていく方が良いかもしれない。柿本がグラスを高梨に渡した。
それを確認した本田少佐は気取った仕草でシャンパンが入ったグラスを掲げる。
「それでは、我等が撃墜王の帰還を祝して!Salute!」
彼は何故かイタリア語で乾杯の音頭を取る。彫りの深い風貌でどこか日本人離れした様子がある彼の仕草は実に堂に入っていた。
「しかし、それにしても・・・帰ってくるたびに日本が進歩しているのを感じるよ。」
シャンパングラスを机に置きながら高梨が言った。視線はホールのあちこちに注がれている。
”ラインゴールド”店内にいる人々の顔は明るく、身なりも悪くない。メニューにも変わった所が無い。
"新世界"においてそれを実現するためにどれだけの努力が払われているか、高梨はよく判っていた。
だが、何よりも彼が驚いているのは――
「テレビジョンがこんなに一般的になっているとは。時代の流れの速さを実感するよ。」
高梨は店の一番目立つ場所に置かれているテレビジョン受信機を見た。
映画と同じように白黒の画像と音声が流されている。今は報道映画――とは言わないのかもしれないが――が流れている。
”日本製鐵、新型高炉を建造”という文字が躍るテレビジョンの画面を見ていた柿本は高梨に視線を移していった。
「高梨さんたちが日本を出た後くらいに、急激に値段が下がったんですよ。
魔法石の研究から生まれた増幅回路とかなんとかいうやつを使って性能が上がって値段が下がった、という事らしいです。」
「そうなのか。時代の動くのは早いな。浦島太郎になりそうだよ。」
高梨はおどけた。女給にワインを頼んでいた本田少佐が高梨に向き直って言った。
「時代は常に動いているぞ。見ろ、今日から始まった十一月場所。双葉山が休場だ。このまま引退かもしれん。
あの強力無双の双葉山でさえ引退する世の中だ。もう、何が起きても不思議じゃあるまい。」
本田はそう言ってテレビジョンをちらりと見てから言う。報道映画は次の話題にうつっていた。
数種類の航空機が飛んでいく映像と、その航空機を生産している工場の風景が映っている。
高梨はその風景と機体に見覚えがあった。あれは、”疾風”を作っている中島の工場に違いない。
「”疾風”を月産三百、”烈風”を月産百、それに加えて”隼”月産二百とは・・・豪勢な話だな。」
本田少佐が言った。高梨も身を乗り出してテレビジョンの画面を見た。少し距離があるため、文字は小さくしか見えない。
だが、彼らは搭乗員だけあって視力は良い。本田少佐が言っていたことを確認した彼は言った。
「それだけ"新世界"貿易が順調だって事でしょう。売れるものが武器と農産物しかないのはどうかと思いますがね。」
「除虫菊か。あれは魔法儀式に欠かせない秘薬らしいから、相当高値で売れているらしいな。」
でしょうね、高梨は頷いた。彼も新聞くらいは読むから、それについては良く判っている。
彼は三年ほど前の――もはや遠い昔のことのようにも思われるが――ムルニネブイ首都、アムリエルでの事を思い出していた。
「何でアムリエルの紅玉騎士団駐屯地で蚊取り線香が金の容器に入っていたか、ようやく納得できましたよ。
彼らにとっては最大限の敬意を払ってくれた、という事になるのでしょうね。」
「そうだな。我々にはまったく伝わっていなかったがな。」
「アムリエルかあ、懐かしいなあ。」
不意に柿本大尉が言った。懐かしむというよりは、どこか夢見るような表情だ。酔っている以上の何かがある。
懐かしい、の言葉とその表情を見て怪訝な顔をした高梨に気が付いたのか、柿本が説明する。
「高梨さんたちと入れ違いくらいに自分も行ったんですよ。三式戦と一緒にね。
いやあ、ほんと良い所ですよね。アムリエル。酒は美味いし。」
「姉ちゃんはキレイ、か?そうだよなあ、あちらの人は皆キレイだよな。」
本田が茶々を入れる。シャンパン一杯で早くも赤い顔をしている柿本は頭をかいた。その様子だと何か"色々と"あるらしい。
「まあ、それはともかく、アムリエルはいい所でしたよ。”夢見る都”の名に恥じない都でした。」
柿本は照れ隠しのように言った。後で追求してやろう、高梨は思った。
シャンパンを飲み干し、最近統制品から外れたウィスキーをちびちび飲んでいたほろ酔い加減の本田少佐が言う。
「そういや、撃墜王殿は次はどうする事になっているんだ?」
「教官をやる事になっています。いや、もうやっているというほうが正しいですかね。」
「そうか、大事な任務だな。戦訓を入れて後進を育てようというんだな。流石だな。」
「いや、そうじゃないんですよ。これが――」
続けた高梨の言葉を聞いた本田は表情を微妙なモノに変える。
「そういうことか。なるほど、筋は通っているな。」
微妙な言葉ではあったが、それも仕方ない、高梨は思った。彼も最初に聞いたときには同じ言葉を発し、同じ表情を浮かべたのだ。
「何にせよ、無事帰国できて何よりだ。撃墜されて行方不明と聞いたときには、こりゃあ駄目だな、正直そう思ったぞ。」
本田少佐はおどけた調子で言うと、グラスを呷って壽屋のワインを空けた。
先ほどの会話を最後に机に突っ伏していた柿本が不意に起き上がった言った。
「いや、ホント悪運が強いですよね。本当に、よく生きてかえって来れましたね。」
「運良く現地の”ガランガ族”というのに助けられてな。そうでなかったら死んでたよ。」
高梨がそう言うと、近くにいたターバンを巻いた男が彼のほうを向いた。高梨と目が合う。
まだ若いその男は笑顔を浮かべると高梨達のテーブルまで来て、彼らに向かって言った。
「"失礼、”ガランガ族”という単語が聞こえたもので・・・日本でその名前を聞くと思いませんでしたからね。"」
本田少佐が高梨と男とを交互に見つめた。その視線に気が付いたのか、男は笑い声を上げる。
「"申し後れました。私はサブゥー・アル・ファーハット、アル・エアル・マイム出身です。
ここであったのも何かの縁、ぜひともお話を聞かせてください。タダでとはもうしません、一杯ご馳走しましょう。"」
高梨が何かいうより早く柿本大尉が反応した。
「女給さん、赤玉もってきて!赤玉!」
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「テレビってそんな昔からあったんだ・・・」
孫がつぶやきおった。・・・そこなのか?まあ、仕方ないか。子供じゃしな。
「昭和初期には、実験だけは成功しておったらしいからなあ。わしは見たことないが。
それにあれじゃ、昭和十一年のベルリンオリンピックはテレビ放送されておったとも聞いておる。」
「そんな昔にオリンピックやってたの?昭和三十九年のオリンピックが最初って言ってた気がするけど・・・?」
何でそんな年代まで覚えておるのじゃ。わしも咄嗟には思い出せんというのに。
・・・そういえばアムリエル五輪が近いから特集番組をやっておったな。それか。
「いや、"前の世界"でもオリンピックをやっておったのじゃよ。
それに、本当なら東京オリンピックも昭和三十九年ではなく、昭和十五年に"前の世界"で開かれる筈だったんじゃ。」
「随分延期されたんだねえ。」
呆れたように言っておる。だが、そういう事ではなかろう。あの時はそれどころではなかったのじゃ。
大戦のことだけでなく、"前の世界"での戦争もいずれは言って聞かせねばならんかもしれんのう。
じゃが、まあ今は良かろう。随分脱線してしまったしな。
「とにかく、白黒テレビはもうその時代にはあったのじゃ。とはいっても、大体は街頭テレビじゃがな。
庶民でも無理すれば変えない値段でもない程度の値段じゃったらしいから、ちょっと気の効いた店には置いてあったぞ。」
「らしいって、おじいちゃんは買わなかったの?」
なるほど、そう来たか。しかしじゃな。
「・・・いや、当時はオリオンズ戦中継が無かったからな。」
あれば買っておった。結構本気じゃ。
なるほどね、と軽く流した孫は一応メモを取る。なるほどとは何事じゃ。オリオンズを馬鹿にするのか。
何もしらん小童にミサイル打線の凄さを語って・・・うん、なんじゃ?何か聞きたそうじゃな。
「ねえ、気になったんだけど、おじいちゃんにお酒奢ってくれたサブゥーって人、もしかして。」
あいつのことか。有名人じゃからな。
「そうじゃ。アル・エアル・マイム王のサブゥー七世じゃ。見聞を広めるために日本に来ておったのじゃな。
まあ、最近は会ってないが、テレビで見たところ元気にやっているようじゃな。」
あいつ、老けたじゃろうなぁ。そうとう苦労しているはずじゃからな。
「見聞を広めるために日本に来ておったのじゃな。あの当時の地下都市住人にしては、随分な行動力じゃよ。
辻さんに色々教わったとか言っておるし、色々あるのじゃろう。」
・・・本当に、”色々”あったからのう。
「そんな形でサブゥーと初めて会ったわけじゃが、別に前線から帰って来てからずっと飲んだくれておったわけではないぞ。
軍隊というところは、あれでなかなか人を遊ばせてくれるところではないからのう・・・」
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昭和二十年十一月二十三日 豊岡上空
十一月の乾いた空気の中、橙色に塗られた飛行機――九五式一型練習機が単調な音を立てながら飛行していた。
"赤とんぼ"とも呼ばれる飛行機は空に浮かぶまばらな雲に飲まれるのを避けるかのように雲の上まで高度を取る。
雲は滑走路や付随する施設を含めた陸軍航空士官学校の敷地全体に濃青とも黒ともいえる色合いの影を落としている。
飛行場の幾何学的模様と相まって、それはある種のキュビズムの絵画を思わせる。
画家を志すものが見ればある種の霊感を得られることは間違いないだろう。
しかし、九五式一型練習機の前席に座っている高梨大尉は地上の様子を見ている暇はまるで無かった。
乗員が吹き曝しにされる"赤とんぼ"では常に風に晒される。そして、速度はそれほど出していないとはいえ、季節は初冬。
文字通りに身を切るような寒さといっていい。さらに――
――こんなに下手じゃない筈だ。今日はどうしたって言うんだ。
高梨は候補生の操縦ぷりに首を傾げていた。
いつもは優等といってもいいほどに安定した飛行が出来る候補生なのだが、今日に限っては酷いものだ。
スロットルの開き加減、フットバーの踏み込み、ラダーの操作、操縦桿の扱い――全てがまるで駄目だった。
機首が上がったり下がったり、右へ左へふらついたりでまるで落ち着きが無い。
離陸してここまで上がってきたのがいっそ奇跡的とすら言えるだろう、高梨は思った。
一定速度で飛ぶ事ももちろん出来ていない。速度計の針がふらふらとして落ち着かない。増減速が激しすぎるのだ。
これでは訓練にならない。耐え切れなくなった高梨は伝声管越しに注意する。
「どうした、落ち着け。速度を一定に保て。」
「・・・はい。」
候補生の返事は遅く、口調にも覇気が感じられなかった。高梨は眉を寄せる。
一応返事をした、というだけに聞こえたからだ。現に、今の操縦も少しおかしい。少し右によれている。
練習空域から出てしまうとまではいかないが、このままでは不味い。
高梨は操縦桿を少し動かし、"赤とんぼ"の進路を少し変更してから候補生に言う。
「いいか、操縦中は余計なことを考えるな。飛行機を飛ばすことだけを考えるんだ。」
「はい。」
今度の返事は早かった。相変わらず力ない声ではあるが、少なくとも反応は早い。
高梨はとりあえずはその返事だけでも納得することにした。
「よし、では速度を一定に保つんだ。」
それから暫くの間は一定速度での飛行が続く。時折、操縦桿に無用な力が篭るのを高梨は感じた。
とはいえ修正を加える程ではないため、激しく叱責はしない。
基本的には厳しく接するが、何しろまだ初等教育段階だから無理もない、彼はそう思っていた。
航空機の操縦には経験が必要だ。
そして後席に座っている候補生は、飛行機を飛ばすという経験が圧倒的に不足している。
とはいえ、全体的には随分と落ち着いたようだ。少なくともふらつきは先ほどよりはマシだ。
高梨は身体に食い込む座席ベルトとパラシュートの厚みを感じながらようやく地上を見る。
――俺が卒業した頃から比べても結構かわったな。
彼はそう思った。昔は道路といってもそれほど広くないし、車もそうは通っていなかった。
しかし今は道路の幅も随分と広くなり、車らしきものが地上を蠢く姿もかなり見える。
日本は、祖国は日々進歩しているのだな、高梨は思った。同時に、自分はどうだろうか、そんな事を思う。
――俺はここを出てからどれだけ成長したのだろう。"敵"との空戦を経験した事以外、それほど変わっていないかもしれない。
日々の鍛錬は欠かしていない心算だが、それでも――
一瞬だけ意識を逸らした高梨だったが、"赤とんぼ"の飛行の異常に気が付いて考え事を止めた。
速度計を見る。さきほどまでのように針は激しくぶれている。高梨は思わず声を張り上げた。
「貴様、速度を一定に保てと言っているだろう!」
「速度は一定でーす。」
候補生の間の抜けた声が聞こえる。高梨は目を剥いた。速度一定のはずが無い。速度計を見れば一目瞭然の筈だ。
こちらを馬鹿にしているのでなければ、計器をまともに見ていないのかもしれない。
いずれにしても良い事ではない。高梨は激怒した。
「何だとッ!」
彼は座席ベルトを外してパラシュートを脱ぐ。自分の操縦桿を外して棍棒代わりにし、前席から立ち上がった。
とたんに激しい風圧が全身に襲い掛かる。だが、高梨はそれに耐えて立ち、機体を這うようにして進むと後席を覗き込んだ。
速度計の針は激しく動いている。機能に問題は無さそうだという事を確認した彼は候補生を怒鳴りつけた。
「貴様の目は節穴かッ!しっかりしろ、馬鹿ッ!」
言い終わるやいなや高梨は候補生の頭を操縦桿で叩く。
候補生――ジェシカ・ディ・ルーカ、銀竜騎士団員にして日本陸軍特務少佐は抗議の声を上げた。
「いたいっ!痛いです、高梨さん!」
結局、高梨はその日の訓練飛行を切り上げざるを得なかった。
変な癖をつけられたらたまったものではないし、何よりこの調子では命が幾らあっても足りそうに無い。
"赤とんぼ"から降りた高梨はうなだれるジェシカに声をかけた。
彼女はダーブラ・クア防衛戦で功績をあげて――というのは表向きで、実際は政治的な配慮らしい――特務少佐に昇進している。
練習機上では教官だが、地上に降りれば特務とは言え階級が上なのだ。
「さっきは済みませんでした。ついカッとなってしまい・・・」
「良いんです、不安定な操縦をしていたのは確かですから。」
高梨は真面目な顔で尋ねる。
「どうしたって言うんですか?」
「大したことじゃないんです。ただ、<葛城>が出航してしまったらしくて――」
「三木大尉と連絡が取れない、ですか。なるほど、それで。」
「ごめんなさい、そんな理由で。」
ジェシカはどこか悲しげな笑いを浮かべながらいった。叱咤の言葉を言おうとしていた高梨は毒気を抜かれる。
彼はこの数年を共に過ごした三木六蔵海軍大尉の菩薩のような不思議な笑みをたたえた顔を思い出しながら言った。
「確かに、二月"<風の海>海戦"の惨敗ぶりを見れば不安にもなるかもしれません。でも、悲観したものでもないでしょう。
アイツにはトンでもなく腕が良い。けろっとした顔ですぐに戻ってくるに違い有りませんよ。」
「・・・そうですね、そうに決まってます。アルフォンスも同じような事を言ってました。」
彼女の騎竜、シルヴァードラゴンのアルフォンスも何度となく三木大尉と空戦をしている。高梨はそれを間近で見ていた。
無論模擬空戦ではあるが、シルヴァードラゴンと三木の操る"零戦""烈風"は実戦さながらの機動を繰り返していたのを覚えている。
高梨は慰め半分、本気半分で言った。
「だったら余計に操縦訓練に身を入れないと。あいつが帰ってきた時にキ八三で出迎えっていうのも良いでしょう?
あれは七百六十キロ出るらしいから、三木の"烈風"を後ろからぶち抜いてやればいい。奴さん、惚れ直すに違いないですよ。」
銀竜騎士団員であるジェシカが航空機操縦を訓練しているのは"竜騎士団の緊急展開能力向上"の試験としてだった。
シルヴァードラゴンやスチールドラゴン等同盟側のドラゴンは空中戦闘能力は高いが、いかんせん飛行可能距離が短い。
竜騎士の消耗を考えなければ四千キロ以上を楽に飛べるブルードラゴンとは比べ物にならない。
かといって、ドラゴンにドラゴンを載せるわけにも行かない。竜の背は以外に狭く、騎竜鞍以外に乗れる場所は無い。
竜に簡易住居のような部屋を持たせて飛ばすことは出来るし、実際に取られることもある。
だがそれは一般的ではない。荷物を持ったドラゴンはさらに飛行可能距離が短くなってしまうし、室内も快適とは言い難い。
そこで考えられたのが、竜と竜騎士を航空機で運ぶという方法だった。
「しかし、黒江さんがヴァーリでやった無茶が、まさかこんな形で役に立つとはなぁ。」
高梨は独語するように言った。
以前、二式単戦に無理やりルビードラゴンを押し込んで移動させた事もこの決断の一助になっていると聞いている。
高梨も合理的な決断だと考えていた。まさか新式の戦闘機をそれにあてるとはまでは思わなかったが。
「確かに早いですよね、"旋風"は。"烈風"ならアルフォンスでも何とかなりますけど、"旋風"は全然追いつけませんでした。」
ジェシカはキ八三を海軍式に"せんぷう"と呼んだ。やはり三木の影響なのだろうか。
声に少しだけ張りが戻っている。慣れない航空機上で不安感が増幅されていたのが、地上に降りて少し落ち着いたのだろう。
三木の奴、全く面倒な事しやがって。高梨は少しだけ思うが、そう思うこと自体は嫌ではなかった。二人ともいい友人なのだ。
何かしら話していれば気がまぎれるだろう、そう思った高梨は話を続ける。
「早いだけじゃないですよ。大型機だからそこそこの汎用性もある。
正直、タービンロケット機が本格化してなかったら間違いなく主力戦闘機の一つになってたでしょうね。」
「タービンロケット機って、ペラ無しの妙な飛行機ですね?プロペラなくて良く飛べますよね。」
高梨は微妙な表情をする。確かに高梨も同じような感想を抱かないではない。
だがドラゴンなどという非常識な存在を操って空を飛ぶ竜騎士がいうのは何か違うだろう、そう思わざるを得ない。
その思いがせめぎあって出来た、困惑とも諧謔ともつかぬ表情のままで高梨が言う。
「たしかに、奇抜な形をしたやつが多いのは確かですね。理屈を聞けばなるほどとは思うんですが。
キ二〇〇なんかは比較的まともだと思うんですが、萱場のキ二二九なんかは何で飛べるのか判らないような形をしていますし。」
「ああ、あの翼だけのアレですか。確かにそうですね。なんで飛ぶんでしょうね、アレ。」
笑顔が随分自然なものになる。少しは持ち直したのかもしれない。
高梨は安堵のため息をつきたいのを抑える。変に誤解させてまた落ち込ませるわけにはいかない。
ジェシカは次期銀竜騎士団長の最有力候補でもあり、やたらに機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
だからこそ教官としてジェシカを良く知る自分が選ばれたのだ、高梨はそう理解している。
「まあ、それはそれとして――」
ジェシカが笑み浮かべてを言った。無邪気さを装ってはいるが、どことなく邪悪な笑みだ。
「さっきはよくもぶん殴ってくれましたね。今日の魔法剣術の修行は相当厳しくなることを覚悟しておいてくださいね。」
「・・・また"<旧き剣>に捧げる聖歌"を一時間歌え、と?それだけは勘弁してくださいよ。」
高梨は本気でげんなりしながら言った。その様子を見たジェシカが明るい笑い声を上げる。高梨も釣られて笑う。
先ほどまで基地上空にあった雲はきれいに無くなり、初冬の凛とした空気に太陽が暖かい光を注いでいた。
初出:2010年6月26日(日) 修正:2010年7月4日(日)