統合暦76年12月20日 ”スレイマーン”

「馬鹿な、追いつけなかっただと!」
キャンディス・フォン・ベックマンは配下の青竜騎士団員の報告に思わず声を荒げた。
砂漠での作戦開始を三日後に控えた”スレイマーン”に接触してきた敵飛行機械への迎撃命令が出されたのは10分前のことだ。
直ちに直衛にあたっていたブルードラゴンの小隊が向ったのだが――

驚くキャンディスの耳に竜騎士の声が聞こえてきた。通信晶越しでもその驚愕と狼狽ぶりが判る。
「・・・実に遺憾ながら、とりのがしました。
 敵は後部からなにやら短い炎を出すと、おおよそ380ノット以上と思われる速度まで急加速したのです。
 高度においても敵が優越していたため、我等四騎とも追いつく事が敵いませんでした。」
その言葉の持つ意味をキャンディスはかみ締めた。
逃がした事は事実なのだろう。問題は、それがどういう理由であったかだ。
仮に、自らの不手際を誤魔化すためだけに虚偽の報告を上げているという可能性も無いとはいえない。
だが、報告を行っているのはキャンディスも信頼する男だった。真面目な事で知られる彼がそのようなことをする筈は無い。
しかし、それでも容易に信じることは出来ない。
「380ノット以上といえば熟練した竜騎士が操るブルードラゴンに匹敵するではないか。
 その速度域で竜を操れるのは・・・青竜騎士団でも私とニーとランス、それにフィンレーぐらいであろう。
 それほどの高速だったというのか?」
その問に対して何か答えようとした騎士に対してキャンディスは先回りして言う。
「いや、疑った訳ではない。貴公の忠誠は承知している。貴公が言うのであれば間違いなかろう、マシュー。
 ご苦労だった。”スレイマーン”の空域警備任務に戻れ。」
「は、御意のままに。」
その言葉と共に通信晶は光を失う。騎竜鞍は沈黙に包まれた。

――単騎での突入、交戦の回避という事から見て、敵はおそらく速度特化型の偵察用飛行機械に違いない。
  マシューとその騎竜”ハンナ・ハンナ”でも追いつけない飛行機械が単なる偵察型であるとするならば、制空型には。
対ドラゴン用の新種、という言葉が彼女の頭に浮かんだ。彼女はかぶりを振ってそれを打ち払う。
飛行機械とドラゴンが初遭遇して以来、僅か三年だ。そのような短期間で新種など、絶対にありえない。
キャンディスは薄暗い騎竜鞍の椅子に背をもたれさせて心を落ち着けようとする。だが、彼女は胸騒ぎを抑える事が出来なかった。

飛行機械の逃走を知ったシャイアン司令官は即座に戦闘準備を下令した。
砂漠到着までに綿密に練られた事前計画と日々行われた訓練は伊達ではなかった。
”スレイマーン”の全将兵は僅か5分ほどで防衛戦闘準備を完了させたのだ。
空中要塞は万全の構えで”混沌の大国”の飛行機械の攻撃を受けて立とうとしていた。

青竜騎士団は司令官の戦闘準備命令が下る前に全ての準備を完了させていた。
ハイ=スカイに騎乗していたキャンディスは配下の青竜騎士団員総員への通信回線を開く。
「今回の遠征における我々の基本的な戦い方について説明する。
 ・・・もう既に何度も説明しているが、念のためだ。」
彼女はそこで一息つく。皆が集中している事を確認した彼女は続けた。
「我々青竜騎士団の任務は”スレイマーン”周辺における制空権の確保である。
 しかし、敵飛行機械は数的優位にある可能性が高く、場合によっては各個撃破されることもありえるだろう。
 そうなった場合、本拠地から遠く離れた我等は戦力の補充が困難になり、戦闘が長引くほど我等は不利になるだろう。
 ・・・と、敵は読んでくるはずだ。」
だから、キャンディスは続けた。
「我等は”落とされてはならん”のだ。各自、防御結界を通常よりも三段階は上げろ。
 これで<金属礫>が首筋に当たりでもしない限り、少なくとも死ぬことは無いはずだ。
 最高速度と機動性は多少落ちるが、それでも飛行機械に十分対抗できる。これは以前の実績からも明らかだ。」

確かに機動性は問題ないだろう。だが速度はどうだろうか、彼女はふとそう思った。
敵には”新種”がいる可能性があるのだ。今までは大丈夫だった、そう言い切っても良いのものだろうか。
――今更どうにもならない事だ。仮定の話をしても場が混乱する。今はこのままで話すべきだ。
キャンディスは自分をそう納得させると、事前に用意していた説明を続ける。
「また、これには敵にできるだけ<金属礫>を使わせるという副次的な狙いもある。
 格闘が出来ない飛行機械にとって唯一の武器がこの<金属礫>だ。そして、これは魔力弾の一種と考えられる。
 奴等に出来るだけ無駄弾を撃たせろ。アル・エアル・マイムに溜め込んだ<金属礫>を払底させるのだ。
 <金属礫>が無い飛行機械など怖れるに足りん。だから――」
キャンディスは息を大きく吸い込み、気合の篭った声を出した。
「いいか、この戦いにおいて一番重要なのは”落とされない”事だ。いや、落とされても構わん。
 とにかく生き延びさえすれば、いずれ我等の勝ちが見えてくる。いいな!」

それから二時間ほどして伝令からの通信が騎竜鞍に響いた。
「敵飛行機械の大編隊、北東より接近中!青竜騎士団は直ちに迎撃に向え、との事です。」
とうとう来たか。キャンディスは思った。あとは先ほどの事前想定どおりに事を進めるだけだ。
キャンディス騎竜鞍に魔力を込める。
待機状態のため最低限の灯りしかついていなかった騎竜鞍の室内に外の風景が映し出された。
そこには数十のブルードラゴンの姿があった。皆、彼女の命令を待っているのだ。
発進命令を出そうとした彼女は忘れかけていた胸騒ぎが再びしていることに気が付いた。
理由はわからないが、何か危険な感じがするのだ。
――”ドラゴンが追いつけない高速の飛行機械”という問題はあったにせよ、ほぼ予定通り。
  どうという事は無い。そのはずだ。
久しぶりに飛行機械と戦うという事もあって神経質になっているのかもしれないな、キャンディスは苦笑いを浮かべる。
彼女は直にそれを消すと号令を発した。
「青竜騎士団長より各騎へ。我等はこれより敵飛行機械を迎撃する。
 ”混沌の飛行機械”ごときに一インチたりとも”スレイマーン”の空を踏ませてはならん!いいな!」
人竜一体の雄たけびが”スレイマーン”に響き渡った。

10分ほどの飛行の後、空の彼方に何かの群れが見え始めた。高度は二万フィートほど。
こちらよりも少し高い空を飛んでいるように見える。まず飛行機械に間違いないだろう。
だが、キャンディスは念のために目を凝らした。ここまで来て誤認でした、では済まされない。

昼の砂漠において、空を飛ぶものはドラゴンや飛行機械だけではない。
差し渡し5フィート以上にもなろうかという巨大な蝙蝠の群れも飛んでいるのだ。
地下に潜む鳥の仲間を捕食するそれは通称”屍蝙蝠”と呼ばれている、昼の砂漠を支配する種族だった。
とはいえ”屍蝙蝠”はただの野生動物だ。ドラゴンに――大協約軍にとって脅威にはなり得ない。
飛行機械とは違を間違えたりしたら目も当てられない。

幸い、それは杞憂だったようだ。
目を凝らした彼女は硝子粒を撒いたような煌きを確認する。飛行機械の金属の地肌が陽光を跳ね返しているに違いない。
――ヨコスカ、そしてバレノア沖。・・・三年ぶりか。今度こそ、貴様等の思い通りにはさせん。
キャンディスは威嚇と決意を込めて敵編隊の上空に向けて稲妻を放つ。騎士団全騎がそれに続いた。

彼女は決意を新たにし、配下の全騎に敵編隊に向けての突撃を指示した。
青竜騎士団が突撃を開始した直後、飛行機械の群れも速度を増する。正面からやりあうつもりなのだろう。
双方の先鋒部隊は急速に距離をつめ、そして――

稲妻と<金属礫>が同時に放たれる。稲妻と光を引く礫は空中で交差するとお互いの敵の群れに飛び込んだ。
ブルードラゴン、飛行機械はともに軽快な動きでその攻撃をかわし、そのままほぼ同時に翼を翻す。
竜はそのままの高度で旋回し、飛行機械は降下する。互いに得意とする空戦機動に持ち込もうとしているのだ。
ここでキャンディスは軽い違和感を感じた。何かがおかしい。三年前に飛行機械と空戦を行った時は異なる感覚がある。
竜の編隊を旋回させつつ彼女は飛行機械の群れを見つめた。
ヒースクリフ大公が鹵獲し、今はアケロニアの"黒煉瓦"に戦利品として展示されている飛行機械と同じ作りに見える。
酒瓶に板切れをつけたような不恰好な姿。その基本的な構造は三年前に見たものとさほど変わりは無い。

だが――
彼女は違和感の原因に気が付いた。
"三年前にバレノアの海で見かけた飛行機械よりも随分と小さいな。"
ハイ=スカイの思念波が聞こえた。全く同じ事を考えていた彼女は竜に同意する。
"そうね。ヨコスカで見た飛行機械と同じくらいの大きさに見えるわ。でも、随分と――"
「こいつら、早い!」
誰かの叫び声が通信晶から聞こえた。つい最近教育隊から本隊に格上げされた、まだ若い竜騎士の声だ。
そういえば彼はヨコスカ空襲に参加していなかったな、キャンディスは頭の片隅でそう思った。
だが混乱しかけている彼を放置しておくわけにもいかない。混乱は容易に他人に伝染するからだ。

キャンディスは出来るだけ優しく聞こえるように意識しながら言った。
「落ち着け、ジェレミア。ヨコスカ空襲の時にも同じような機械が少数いた、資料にそう書いてあっただろう。
 少しばかり早いかも知れんが、だからといって我等に対抗しうるほどではない。」
そう言いながらも彼女は四方への警戒を怠らなかった。空中戦闘はもう始まっているのだ。
彼女の言葉でジェレミアは少し落ち着いたらしい。ぎこちなく、だが慌てた様子も無く騎竜を操って編隊に追従する。
他の竜騎士も落ち着きを取り戻したらしい。自分より混乱したジェレミアを見て、逆に落ち着いたようだ。
――なんとも頼もしい。
彼女は自らの配下を誇らしく思った。
ブルードラゴンと飛行機械の群れは互いに優位を取ろうと動き続ける。
しかしそれは容易ではない。ほぼ正対する形から空戦が始まった事も影響している。
つまり、空戦の基本である”見つかる前に落とす”という条件が成立しない状況から始まっているのだ。
大協約軍の思惑通りに戦闘が開始されたにも関わらず、彼等が考えていたようには運んでいない。

キャンディスはドラゴンを旋回させ、飛行機械の背後に取り付こうとした。
だが、飛行機械側はそれに気が付いたのだろう。翼を振り回すように回転すると、頭を下に向けて降下していく。
彼女は舌打ちすると竜を上昇させる。そしてやや大回りに旋回し、そのまま逆落としに降下した。
ドラゴンは空中静止する事が出来る。だから、旋回せずにそのまま追尾することも可能ではあった。
だが彼女はその機動を選択しなかった。その動きでは速度を失ってしまう。
そして、この素早い敵を相手取るのに速度を失うのは得策ではない、彼女はそう判断していた。
だから上昇して高度を稼ぎ、そのまま増速しつつ降下する手を選ぶ事にしたのだ。
彼女が三年前に対戦した飛行機械であれば、その機動で問題なく背後に回れたはずだ。
だが今度の"新種"はそう簡単な敵ではなかった。青竜側の機動を予測していたのか、翼を翻して上昇を開始する。
――垂直面での戦闘を強要しようというのか?
キャンディスは舌打ちした。"空の王"ドラゴンといえども得手不得手はある。

ドラゴンにとって、垂直面での戦闘は得意な分野とは言い切れない部分があった。
竜は巨大な翼に魔力を漲らせる事で空を飛んでいる。ワイバーンや巨鳥のように羽ばたき自体によって飛んでいるわけではない。
羽ばたく事によって魔力を生み出し、その力で大気を制御してその巨体を宙に浮かべているのだ。
だから速度の緩急と水平面での旋回性能に関してはワイバーンや巨鳥類を優越している。
とはいえ、弱点が無いわけではない。

――水平最大速度に比して降下速度はそれほどでもない。魔力が"浮く"事に使われてしまうからな。
  それを最大限に使うつもりか。姑息な連中だ。
彼女はそう思ったものの、これが有効な手であることもまた事実だった。
ドラゴンは水平面での戦闘に相手を引き込もうとし、飛行機械は垂直面で勝負をつけようとする。
互いに互いの思惑を把握しているだけに事は簡単には運ばない。
業を煮やしたキャンディスは状況の打開を図るために集団魔法"重雷破"の発動を命令しようとしたが、それは出来なかった。
防空隊の数の上での主力――黒獅子鳥部隊が壊滅しかけていたのだ。
キャンディスは目を疑った。ドラゴンほどではないが、ワイバーンには優越するはずの黒獅子鳥部隊が次々に落されている。
ブルードラゴンが小型飛行機械に気を取られている隙に、それより大きな飛行機械が黒獅子鳥の編隊を打ち砕いたのだ。
彼女は気が付いた。ドラゴンが拘束されている間に竜以外の制空部隊を駆逐しようという作戦だったのだろう。
あの編隊空戦はこちらを高速するための罠だったに違いない。我等はその罠にまんまとはまったというわけか。
そして、黒獅子鳥の部隊はその罠にかかり壊滅しかけていた。
質、数ともに劣勢になった彼らは”スレイマーン”への撤退を開始し始めている。
本来であれば青竜騎士団長である彼女にも撤退の連絡は入るはずだが、その連絡はない。
おそらく編隊指揮官が撃墜されてしまい、他の部隊に撤退を伝えるような余裕のある者もいないのだろう。

彼女は臍をかんだ。だが今は後悔の時ではなく、行動すべき時だ。
「青竜騎士団長より全騎へ。我等はこれより黒獅子鳥部隊の撤退行動を支援する。
 第一中隊は私に従え。"小型"の群れを振り切り、"大型"と黒獅子鳥の間に割ってはいる。
 他の中隊はフィンレーに従い、我等の突出を援護しろ。」
言い終るのを待たずに彼女は全速で"大型"のいる方向に向けて突撃を開始する。
"小型"飛行機械が幾つか追撃を掛けようとするが、それはフィンレーたちによって防がれる。

――数的拮抗を自ら崩した。部隊の被害を防ぐためにも、ここは急がねばならん。
その空戦を横目で確認しながらキャンディスは思った。
これまでの空戦で青竜騎士団は五騎の損害――被弾したのみで戦闘継続は可能――を出している。
だが、ここからはそうはいかないだろう。質的にそれほど差が無い上に、敵のほうが数で優越しているのだ。
隊を分けるという己の決断にも疑問が無いわけではない。無駄に損害を出すだけかもしれないのだ。
だが、彼女には壊滅かけている味方部隊を見捨てることはどうしても出来なかった。

キャンディス直率いる十二騎の青竜部隊はかろうじて間に合った。
黒獅子鳥部隊は既に半数ほどに減ってはいるが、まだ全滅したわけではない。
"貴様等が這い出てきた混沌に戻してくれる!"
ハイ=スカイが飛行機械の群れを睨みつけながらそう雄たけびを上げる。第一中隊の各竜もそれに続いた。
「その意気だ、ハイ=スカイ。各騎士も各自のなすべきことをなせ。かかれ!」
キャンディスは竜の咆哮に応えるように命令を下す。青竜は三騎ごとに分かれて行動を開始した。
彼女も二人の直衛騎士、ニー・カイラーとランス・ガーレンを従えて敵中に向った。

敵の飛行機械は先ほどより大型だった。小回りもそれほど効くようには見えない。
だがその分、いくらか高速でもあるようだ。油断ならざる敵であることは明らかだった。
先ほどの飛行機械と同じように水平面での戦闘を嫌い、降下と上昇を機軸に機動している。
――想像以上だ。何とか水平面での戦闘か、格闘戦に持ち込まねばな。
キャンディスは上空から逆落としに突っ込んでくる飛行機械と<金属礫>をかろうじてかわしながら思った。
このままではどうにもならない。そのとき、ハイ=スカイの叫びが聞こえた。
"ジェーン!"
その言葉に反応したキャンディスは一騎のブルードラゴンが全身に<金属礫>を浴びているのを見る事になった。
まだ若いが見所がある、彼女がそう評価していた竜騎士が操る青竜は全身を打ち砕かれ、力なく地上に落下していく。
その横を三騎の飛行機械が飛びぬけていく。その胴体と思しき場所には赤い丸の紋章以外にも黄色の紋章が描かれていた。
それを見たキャンディスは敵戦力に関しての報告を思い出した。
バレノア島、ロシモフ戦線の両方で大協約軍に煮え湯を飲ませた部隊、制空型飛行機械騎士団の中でも最精鋭と思われる部隊。
その紋章が黄色のウィスプだった。そしてあの飛行機械の紋章も同じ黄色のウィスプ。
――あれがウィスプ部隊か!
ジェーンを撃墜した敵編隊はこちらに向ってきていた。
速度も速い上にその動きには隙がない。流石は要注意リストの中に入っているだけの事はある、彼女はそう思った。
青竜はウィスプ部隊よりも高度を保ちつつ、水平面での戦闘に持ち込むように動き回った。

激しい空中機動の最中、ふと彼女は視界の隅に違和感を感じた。周囲を警戒しつつ、違和感を感じた方を見る。
”スレイマーン”に数条の煙が上がっていた。よく見れば、その上空に黒い点のようなものが複数見える。
敵の別働隊が空中要塞に攻撃をしかけたに違いなかった。敵は相当数の飛行機械をこの戦いに投入しているようだ。
もっとも、”スレイマーン”が損害を受けた様子はない。あの程度では空中要塞を"沈める"事は出来ないだろう。
キャンディスは冷静にそう分析し、熱くなる感情を押さえつけた。ここで冷静さを失えば、それは死につながる。
そして――作戦成功に気を良くしたのか、"ウィスプ部隊"の一騎に隙が生まれたのが判った。
「あれを叩き落せ!」
彼女がそう命令するよりも早く、彼女に従う騎士は行動を起こしていた。
ニー・カイラーは飛行機械の左側に竜を接近させ、その牙で噛み砕こうとしている。
同じ小隊に所属するらしい飛行機械がそれを防ごうとするのを見たキャンディス達が割ってはいる。
カイラーはそのまま距離をつめ、金属の翼を顎で噛み砕いた。ブルードラゴンはそのまま胴体に足をかける。
"薄汚い鉄の塊が空を飛ぶな!"
彼は叫びと共に飛行機械の翼をもぎ取り、ライトニングブレスを浴びせる。飛行機械は爆砕し、金属片を地表にばらまいた。

青竜騎士団長の直衛騎士であるニー・カイラーが一騎の飛行機械を引きちぎったすぐ後、空戦は唐突に終った。
何事か号令が下ったのだろう、飛行機械の群れは空戦を中断して次々と戦場から離脱する。
キャンディス・フォン・ベックマン青竜騎士団長は大きく息を吐いた。そうしてから自分が張り詰めていたことに気が付く。
彼女は編隊を組みつつある飛行機械の群れに注意を払いつつ”スレイマーン”を振り返った。
”スレイマーン”は健在だった。空中にあって変わらぬその威容を放っている。
数条の黒煙を上げてはいるものの、深刻な損害を被った様子は無い。今後への影響はほぼ無いだろう。
"混沌の大国"の飛行機械が撤退していく様を見つめていた。
編隊を形作った飛行機械たちはその金属で出来た翼を翻して内陸部と<風の海>の二方向に撤退している。
これは今回の攻撃がアル・エアル・マイム空中部隊と海上に展開する飛行機械母艦による共同攻撃であることを物語っていた。
<風の海>に引き上げていく、いくらか数が少ない飛行機械の群れを見ながら彼女は思った。
――追撃をかけるか?もしかすると、今ならば。
だが、すぐにそれが不可能である事に気づいて唇を噛む。
いずれにしても、今のままではやつらとは戦えない。作戦を練り直す必要がある。

今回、飛行機械迎撃戦力として使用したブルードラゴンはほぼ全力の六十二騎。
他にシャイアン直属の空中戦力である黒獅子鳥部隊が百十三騎。
対する敵飛行機械は制空部隊の第一陣が百五十前後、”スレイマーン”攻撃部隊の第二陣が百騎前後。
少なくとも第一陣に対しては数的に拮抗していたはずだ。青竜と飛行機械の性能差を考えれば、むしろ勝ってさえいよう。
だが、結果は――

「団長、追撃は如何なさいますか?」
通信晶からフィンレー副官の声が聞こえた。流石に"喧嘩屋"と呼ばれただけの事はある、彼女は少し微笑む。
初老を迎えるはずだが、彼の敢闘精神には些かの衰えも無い。
だが、心なしか息が上がっているように彼女には感じられた。歴戦の勇士たる彼にとってもこの戦が激戦であったのだろう。
それでもなお追撃を進言してくるあたりは実に頼もしい副官だった。だが、現状においてはその進言を容れるわけにはいかない。
「騎士団の二割を撃破され、残りも疲労困憊したこの状況でか?
 無理だな。このままでは完全に撃破されてしまいかねない。これ以上の戦闘は自殺行為だ。
 まだ戦は始まったばかりなのだ。無駄に損害を増やすことは無い。」

飛行機械との戦闘において、青竜騎士団は十三騎を撃破されていた。
もっとも、演習の結果を受けて厚めに張っておいた防護結界が功を奏し、死亡した竜は六騎。
生きているドラゴンのほとんどは地上に展開している治療部隊に回収されつつある。これだけを考えれば悪い話ではない。
だが。彼女は思った。それは”ドラゴンの命が助かった”というだけであって、戦力としてはもはや使えない。
回収されたドラゴンはどれも深刻な怪我を負っている。治療が終るまで戦線復帰は不可能だ。
【竜宝珠】のもと、最低でも二週間、長ければ数ヶ月の安静が必要だからだ。それに――

「今回の敵飛行機械は以前のものとは比べ物にならんほど強力だ。おそらく、より深い混沌から力を引き出したのだろう。
 敵戦力想定を根本から見直す必要がある。ここは一旦退き、対処を考え直すとしよう。」
フィンレーは反論しなかった。では、そのように、と短く答えると通信を切る。
――フィンレーは端から追撃するつもりなど無かったのではないか。
  もしかしたら私が追撃を主張するかもしれないと考え、先手を打つために進言をしたのかもしれない。
キャンディスはふとそう思った。

"今度の飛行機械は厄介だったな。"
彼女の騎竜、ハイ=スカイが思念波で話しかけてきた。その口調は戦闘中とは違い非常に砕けたものだ。
もはや危険は完全に去ったのだろう。彼はそういう区別だけはしっかりしている。
そう考えたキャンディスは体の力を抜き、彼女の身体がぴったりと収まる騎竜鞍の椅子に身体を預けた。
背中がこわばっていたことに気が付く。まだまだ未熟ね、そう思った彼女はそれを口に出す。
"そうね、ハイ。今回ほど厳しい戦いは無かったかもしれないわ。緊張してた事にも気が付かないなんて。
 バレノア沖、イーシア、ロシモフと厳しい戦いをしてきたつもりだったけど・・・私はまだ未熟ね。"
ハイ=スカイは微かに微笑むと――思念波のみではあるが、キャンディスにはそれが判った――言った。
"それは俺も同じさ、お嬢さん。飛行機械ごときに、バネと歯車ごときにそんな思いをさせられるとは。俺もまだまだ未熟だ。"
"ハイ、それだけど――"
ドラゴンが発した"飛行機械ごとき"という言葉に対し、彼女は言った。
"今回の飛行機械、前のものとは全く違うと思わなかった?姿かたちは似ていたけれど、根本的な部分で違う気がするのよ。"
"同感だ。なんと言うか――トカゲとトビトカゲくらい違うな。"
"ワイバーンとドラゴンではなくて?"
キャンディスの疑問に対してハイ=スカイは答えた。
"所詮はバネと歯車。思考能力の無いものどもなど、トカゲのようなものよ。・・・まあ、少しは骨があるようだがな。"

「今回の戦果、飛行機械各種あわせて七十五騎撃破、うち五十三騎撃墜確実。
 我が方の損害、黒獅子鳥四十七騎に損害、うち完全喪失三十二。ブルードラゴン十三騎に損害、完全喪失六騎。
 ・・・この数字に間違いはないのか?」
報告に対してシャイアン・マクモリス遠征軍司令官は険しい顔で問い返した。
集計を行った参謀は悲痛な表情で頷いくと続ける。
「戦果については個人の戦果報告を基に集めた結果です。とはいえ、空中戦闘では戦果の錯誤はどうしても避けられません。
 多少割りひいて考える必要があるでしょう。実際のところ、撃墜破は計四十前後ではないかと考えています。
 しかし、損害については間違いありません。確認済みの数値です。」
それに対する司令官の返答は唸り声だった。

大会議場には緒戦の結果と事前検討結果の比較分析のため司令官以下の千人隊長以上の指揮官が集合している。
明るい顔をしているものは一人も居ない。苦渋に――あるいは怒りに満ちたものばかりだった。
「黒獅子鳥はドラゴンには及ばないとはいえ、一般的な飛竜よりは優れているはずだが・・・」
戸惑いを隠せぬ口調で誰かが言うのが聞こえる。キャンディスも同感だった。
黒獅子鳥はほとんど黒のように見える紫色の巨鳥だ。
東方大陸に住むロック鳥の近縁だという説もあるが、真偽のほどは定かではない。
何しろ、巨鳥といってもその体にほとんど体毛はないのだ。まるでワイバーンのような鱗状の皮膚をしている。
そして実際、その甲殻はほとんどのワイバーンのそれよりも硬い。昔はこれを利用した防具も作られていたほどだ。
黒獅子鳥の名は巨大な嘴を取り巻くようにしている銀色に輝くたてがみから来ている。
その姿はドラゴンにこそ及ばないものの、圧倒的な存在感を示している。”空の公爵”と呼ばれることすらあった。
一般的なワイバーンよりもはるかに頭も良い。騎乗士との連携もワイバーンよりもはるかに複雑な事が出来るのだ。
騎乗士にしても精鋭を揃えている。質において劣る要素は何一つ無いはずだ、キャンディスは思った。
だが――

「結果から明らかだ。奴らの"新種"制空型飛行機械には、黒獅子鳥では勝てない。そういう事だ。」
司令官は判りきった事実を告げる口調で淡々と言った。あまりに率直なそのその言葉に大会議場内がざわめく。
キャンディスは黒獅子鳥部隊の指揮官達が陣取る一角に視線を送る。
彼らは蒼白になって唇を噛んでいるが反論しようとはしなかった。司令官はそもそも、と言って続ける。
「戦闘前に接近してきた飛行機械に追いつけなかった時点で気が付くべきだったのかもしれん。
 我等は敵を、”混沌の大国”の力を見くびっていたのかもしれんな。」

シャイアンは参謀を見ると頷く。彼は手元で何か操作した。会議卓の情報表示板に表が浮かび上がる。
何かの念写画と名前が並んでいる。飛行機械と、それに対応する識別名称の表だった。
「事前想定では、制空型としては陸上用と思しき"オスカー"または陸海両用の"ジーク"が出てくるという想定だったな。
 そして、ロシモフで義兄貴が――ヒースクリフ大公が鹵獲した"オスカー"であれば黒獅子鳥でも十分対応が可能だと。」
識別表を出した参謀ははい、と答えてから続けた。
「実際に"オスカー"との空戦を経験した者達から情報を収集しました。
 その結果、速度や旋回性能といった空中性能は明らかに黒獅子鳥の方が上回っているという結論が出ています。」
「我々はその前提で今回の戦術を組み上げた。しかし、実際に出てきたのは全く別の飛行機械だった。
 そして、その新種飛行機械は性能において黒獅子鳥に勝る。そういう理解で良いのか?」
参謀の返事に対し、司令官は再度確認するように言った。噛んで含めるような響きがある。
彼が確認したいというより、むしろ皆に聞かせようという意図のほうが強いかもしれない、キャンディスは思った。
「はい、間違いありません。敵飛行機械の新種は黒獅子鳥に優越しています。
 もはや、対抗できる空中戦力はブルードラゴン以外には無いものと思われます。」

会場の目が一斉にキャンディスに集中する。彼女はその視線に期待と不安が入り混じったものを感じた。
――ここは"事実"を言うべきなのだろうか。
  ・・・その"事実"が期待に応えられるものかどうかは判らんが。
彼女はそう思ったものの、この状況では黙っているわけにもいかない。キャンディスは口を開いた。
「新種は二種とも強敵だ。その上、少し小さい方の飛行機械は――」
「我々は小型を"サム"、大型を"フランク"と命名しました。」
先ほどの参謀が口を挟む。キャンディスは彼に軽く礼をすると続けた。
「"サム"は飛行機械にしては小回りが効くし、"フランク"は水平速度においてブルードラゴンに匹敵する場合さえある。
 同数ならば負ける気はしないが、敵の数が多い場合には対抗しきれないかもしれん。
 正直なところ、両者とも銀竜以外では最強の敵と言っても良いだろう。」
大会議場内が再びざわめく。青竜騎士団長からそのような言葉を聞くとは思ってもいなかったに違いない、彼女は思った。

場を治めたのは司令官の一言だった。
「皆、事の重大さは認識であろう。我等は敵戦力を見誤っていた。それがこの大損害につながったのだ。
 しかし、まだ戦は始まったばかり。"サム"や"フランク"の力も判った。最早、我等は敵を見くびったりはせぬ。
 三日後の”ダーブラ・クア攻略作戦”開始までに必要な手当てをし、各自のなすべきことをなせ。それが、俺の望みだ。」
彼はそう言うと解散を命じた。

真暦3185年12月25日 都市国家"アル・エアル・マイム"

五日前から始まった”スレイマーン”迎撃戦闘。
その戦闘をよそにアル・エアル・マイムでは古代から続く"過越しの祭り"の祭事がおこなわれている。
本来なら祭事どころでは無い筈だ、サブゥーはそう考えていた。
だが、人心を安定させるには"日常"を維持させねばならないとする意見が通り、例年通りに祭事が行われている。
とはいえ、テーブルに並べられた料理はいつもよりははるかに質素だった。
軍人達が身を削っているというのに宴会料理でもなかろう、そう言った彼の意見が通ったためだ。

「では、間違いなく"ハヤテ"はブルードラゴンを少なくとも十騎落としたというのだな。」
宴の中、先日の空中戦についてシャイフ・アル・ファーハット十八世がサブゥーに問いかけた。
「はい、間違いありません。シバタ隊長は十七騎と言っておりましたが、戦果には誤認もつきもの、そうも言っておりました。」
「飛行機械の損害は?」
「"レップウ"と"ハヤテ"をあわせて、合計で十八機。うち未帰還は八機。
 軍船の飛行機とあわせれば全体で三十二機に損害、二十機が未帰還。そう聞いております。」
サブゥーが報告すると、謁見室にどよめきが起こった。
飛行機械は”空の王”たるドラゴンをも凌駕しうる。言葉ではそう聞いていたが、なかなか信じる気にはなれなかったのだ。
だが、飛行機械は確とした実績を、ブルードラゴンと互角という実績を残した。もはや疑うものはいないだろう。
肥満した男が満面の笑みを浮かべ、大きな声で話し始めた。王の腹違いの弟、ウサイドだ。
「いやはや、聞きしに勝る戦果ではありますな。天晴れ天晴れ。文字通りの"空の王"と戦い、勝利するとは。
 ドラゴンと――しかも、今回戦ったのはブルードラゴンというではありませんか。いや、兄者の慧眼たるや――」
見え透いた追従だ。その声に周囲のものが眉を顰める。サブゥーも例外ではない。
「ウサイドよ、下らん追従はいらん。黙れ。」
王が不機嫌そうに言う。その言葉に場が静まった時、宴が行われている会堂の扉が開いた。
現れたのは軽装の伝令兵だ。余程急いできたのだろう、肩で息をしている。
「このような夜更けに、何事だ?」
サブゥーは不審気に尋ねた。先ほど語ったように、大協約軍には緒戦でそれなりに損害を与えている筈だ。
だが、事態は彼の予想を上回っていた。伝令は片膝をつくと一気に言う。
「ダーブラ・クアが一万を越えるナイトメアに攻撃を受けています。夜間に飛行機械が戦えぬことを見抜かれたようです。
 ニホン軍も勇戦を続けていますが、いかんせん相手が悪すぎます。最悪の場合、明朝までに陥落していることも考えられます。」

初出:2010年4月18日(日) 修正:2010年5月25日(火)


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