真暦3185年9月15日 都市国家"アル・エアル・マイム"

砂漠地帯の地下には直径数マイルにも及ぶ球体状の空間がいくつも存在する。
いつ、誰が、どうやって、そもそも何の目的でこの空間を作ったのかは誰も知らない。
だが、少なくとも3185年前――砂漠民の共通暦たる"真暦"が作られた時には既に存在していたとされる。
そして、彼らの祖先が見つけたときには、これらの球体空間は既に放棄されて久しい状態であった。
<真正典>の記述によればそうなっている。
あまりに長期間放棄されていたために活動不能になっている箇所もあったが、人が住む分には殆ど問題は無い。
彼らの先祖はここに住み着くことにした。
"中立"の教義ゆえに砂漠に追い立てられた彼らにとっては、誰が何のために作った空間か、等という事はどうでも良かったのだ。
そうして、三千年あまりの時が流れた。

――今日も”空”は青いな。いいことだ。
角竜に引かせた車に乗って王宮を目指しながら、サブゥー・アル・ファーハットは”空”を見つめた。
”空”は青く、そして高かった。はるかな上空にはかすかに雲がかかり、"天井都市"の威容を覆い隠していた。
ここで生まれ育ったサブゥーでさえ、時折ここが地下であることを忘れそうになる。
それほどに自然で美しい”空”がそこには広がっていた。

もちろん、そこは本当の"大空"ではない。よく見れば雲の合間から"天井都市"の先端部が見えるとおり、ここは地下なのだ。
通称、”空”と呼ばれてはいるが、そこは"壁"であり"天井"である。
この球体空間は外界は異なり、独自の天候を持っている。雨も雪も降れば、嵐さえも起きる事がある。
歴史書にはこの"アル・エアル・マイム"地下全域が浸水するような洪水になった事がある、と記録されてさえいる。
この閉鎖された地下空間の中で、どうしてそのような変動があるのかはたびたび議論の対象になっていた。
あるものは"空間"自体がもつ魔力の暴走だといい、あるものは"空間"の持つ"記憶"の再現だという。
だが未だに結論は出ていない。そもそも、この"空間"を制御している筈の魔力や精霊力すら満足に検知できていないのだ。
魔力も使わず、精霊の力も借りず、どうやってこの場所が維持されているのかは誰も知らなかった。
いや、学者達は三千年の永きに渡って研究を重ねているのだが、未だに答えが出ていない。
だが。大多数の住民達にとっては、それはどうでも良いことだった。
住む家があり、食べるものがあり、着る服がある。外敵からも護られている。
これ以上、何を望む事があるというのだろうか。

彼はは大きく息を吸い込む。清浄な空気が彼の肺を満たす。
――この空気がどこからもたらされているものか、俺は知らない。
  だが、この空気が綺麗なこと、美味い事はわかる。それで良いじゃないか。
王族たるサブゥーにとっても、この空間がどうして存在しているかはどうでも良かった。
細かい議論は学者達に任せておけばいい、大事なのは"それが使えるかどうか"だ。彼はそう考えていた。

サブゥーは布で飾り付けをされた華麗な作りの椅子に背を預け、彼が乗る二輪車の天蓋を見つめた。
そこには<真正典>に記されている"中立の神々"の物語が複雑な刺繍で記されている。
"法"と"混沌"の争いから一歩身を引いたところで眺める"中立の神々"。その姿に彼はしばし見入った。
覇権を求めて争う"法"と"混沌"の神々に比べればどこか儚げだ。力強い腕も恐ろしげな棍棒も持っていない。
だが、それでも"中立の神々"は誇らしげだった。その手にあるのは本と筆だ。
"中立の神々"は、その中立である立ち居地を生かし、世界の始まりから終わりまでをその本に収める事がその使命なのだ。
彼は天蓋の絵巻を最初から読み解いていった。
"法の神々"と"混沌の神々"が絡み合うようにして生まれている。"中立の神々"がその様子を記録する様子が描かれていた。
"法"と"混沌"が生まれる前から"中立の神々"は存在している。絵巻はそれを示しているのだ。
三種の神々は、しばしの間は何事も無く共存していた。物語にはその間の不思議な均衡が記されている。
角ある混沌の魔獣の背で、光の衣を纏った法の女神がくつろぐ。法の神が持つべき剣を混沌の鍛冶師が鍛える様も描かれていた。
彼らは助け合いながらこの世界を作り上げていったのだ。その様子は穏やかさに満ちていると言えた。
しかし、ある時――絵巻の色調が、それまでの優しいものから一転して極彩色のそれに変わった。
そこから先の物語は"法"と"混沌"の争いと、それを局外から書物に記していく"中立の神々"の話に変わる。
何が原因だったのか、それについてはこの絵巻からは判らない。<真正典>にはその記載が無いためだ。
だが、語られている物語は凄惨以外の何者でもなかった。
先ほどまで助け合っていた魔獣と女神は互いに角を振り上げ、棍棒を打ち下ろしている。
混沌の鍛冶師が作り上げた剣は何処かに持ち去られ、注文主である"法の神"は契約に従い鍛冶師の首を刎ねる。
復讐が復讐を呼び、穏やかだった世界はたちまち地獄と化した。"中立の神々"はそれに加わることなく、ただ書を記している。

この物語には学ぶべき点が数多くある。サブゥー・アル・ファーハットはそう考えている。
――我等は、"法"と"混沌"の争いなどに巻き込まれるべきでないのだ。
  今からでも遅くない。ニホンなる"混沌の大国"とは手を切り、あくまで"中立"を貫くべきなのだ
彼はそう確信していた。彼が王宮に――アル・アジザ宮殿に向っているのもその為だ。

"アル・エアル・マイム"の空間最表層、その中央に立つ"アル・アジザ宮殿"はその美しさで世に知られている。
中央の巨大なドームと、それを囲むように立つ小さな四つのドーム。
白の大理石を基調とし、ラピスと黒玉でを幾重にも象嵌した色彩豊かな宮殿だった。
その前庭には幾何学的なモザイク模様が施され、水しぶきを上げる噴水がその彩に華を添えている。
各ドームの間をつなぐアーチ上の構造物は水道橋を兼ねており、幅広の水面には小船が浮かんでいた。
その水道橋は複雑に絡み合い、水路上で他の船と交差することなく別のドームまで行く事が出来る様になっているのだ。
中央の巨大ドームを持つ建物は長方形の建物だった。玉座がある謁見室はここにしつらえれれている。
高い天井には古代の王が鷹狩を楽しむ様子がモザイク細工で描かれており、室内中央には噴水を持つ池まで設置されていた。
この謁見室の一際高い場所にある玉座、そこにいる人物こそがこの"アル・エアル・マイム"の統治者なのだ。

「叔父上、何故あのような輩をこの誇り高きアル・エアル・マイムに留め置くのですか!
 今すぐ放逐し、同盟とも手を切って”栄光ある孤立”を選ぶべきです!」
謁見の礼が終るや否や、サブゥー・アル・ファーハットは玉座に向って叫んだ。
列席する侍女たちが顔を顰める。いかに次期王位継承者の最有力候補とはいえ、礼儀というものはあるはずだ。
彼はそれを気にするそぶりもなく、さらに続けた。
「確かに連中の持ってきた飛行機械、"ヨンキセン"とか言いましたか。あれは良いものです。ドラゴンにも対抗できるでしょう。
 ですが、そもそもあのようなモノは我等には必要ありません。"法"と"混沌"の争いなどほおって置けばよいではありませんか!」

その言葉に侍女たちがうんざりした顔を浮かべた。彼はこの半年以上、毎日のようにやってきては同じ事を繰り返しているのだ。
だが、叔父――シャイフ・アル・ファーハット十八世にはそれを気にしている様子はない。
彼は目を細めると短く言った。
「それでどうせよというのか、我が甥よ?」
「ニホンの軍を放逐し、買い取った"イッシキセン"も放棄して厳正中立の立場に戻るのです。
 今ならまだ間に合います。ヒースクリフ大公からの密使もそのように述べています。
 密使の話が確かなら、あと三ヵ月後には”スレイマーン”が到着します。そうなってからでは全てが遅いのです、叔父上!」
「・・・なるほど、我が甥よ。お前はそのように聞かされているのだな。」
サブゥーの渾身の説得に対してシャイフは軽く頷くのみだった。彼は表情をほとんど崩さないままで言った。
「<書庫>に行こう。そこで話をしようではないか。」

<書庫>はアル・アジザ宮殿から竜車で一時間ほどの場所にある。
王族専用竜である白い角竜が引く竜車は宮殿から<書庫>へと続く石畳の上を軽快な音を立てながら進んでいる。
車輪と石畳が作り出す心地よい振動を感じながら、サブゥー・アル・ファーハットは周囲に広がる麦畑を見回した。
はるか彼方まで続く黄金色の穂がかすかな風に揺れている。今年も豊作のようで何よりだ、彼は思った。
もっとも、アル・エアル・マイムの"最表層"は他の都市国家と比べても土壌が良く保たれている。
不作になることはほとんど無かった。彼の記憶では、この百年でも十三年前に一度あっただけの筈だ。
”外”の砂漠で一年間砂嵐が吹き荒れるという異常気象だったからよく覚えている。
――いや、今年は異常ではあるか。なんと言っても――
彼の言葉を読んだかのように、横に座る叔父が声をかけた。
「それほどまでにニホンとかの国のもたらすものが嫌いか、我が甥よ?」
「嫌いではありません。彼らの見せる礼儀正さや"科学"とかいう魔法には学ぶべき点がある、そうも思います。
 ただ、"法"と"混沌"の争いに巻き込まれてまで友誼を結ぶべき存在ではない、そう思うだけです。」
サブゥーは答えた。叔父はふむ、と気のない返事を一つしただけであとは黙り込んだ。
それきり、車内は沈黙に包まれる。車輪が奏でる音と、農民が使っているらしい角竜の鳴き声だけが聞こえた。

サブゥーは焦らなかった。この数ヶ月上奏を続けてきて、今日やっと進展があったのだ。
たとえこのまま何も無いのだとしても、あと三ヶ月のうちに――”スレイマーン”が到着する前に答えが出ればいい。
ヒースクリフ大公からの密使はそのように告げていた。サブゥーは大協約からの使者を信用することにした。
軍機であるはずの”スレイマーン”の準備状況から三日後に発進することまで教えてくれたのだ。
叔父にそれを伝えれば必ず考えを変えてくれるだろう、そう言った密使の目論見は当たったのだろう。
<書庫>で話をするという以上、そういう事に違いない。サブゥーはそう考えていた。

竜車が止まった。もの思いにふけっていた彼は、そのかすかな動きで我に帰る。
"第二層"に続く昇降床に到着したのに違いない。小さな車輪が回る音が聞こえ始めた。昇降床へと続く柵が開かれたのだろう。
竜車はゆっくりと動き、すぐに止まる。昇降床に乗り切ったに違いない。
少しの間をおいて、サブゥーは体が浮きあがるような感覚をえた。床が"最表層"から"第二層"へと降り始めたのだ。
彼はこの感覚が好きだった。ほんの少し、落ち着かない気分にさせてくれるのがたまらない、彼はそう考えている。
不意に地に足が着いたような感覚。目的地たる<書庫>がある"第二層"についたのだろう。
柵の向こうにはさほど高くない”空”が見える。その空の下にへばりつくように建つ長い建物、それこそが<書庫>だった。
再び柵が空く音とともに竜車は動き始める。<書庫>まではもうあと僅かだ。
「何故わしがニホンと友誼を結んだのか、何故ニホン人をこのアル・エアル・マイムに留め置くのか。
 あまつさえ、彼らの飛行機械を購入したのは何故か。・・・それが知りたいのだったな、我が甥よ?」
<書庫>の"王族の間"に着くなりシャイフは言葉を発した。そのあまりの直截さにサブゥーは驚く。
いかに人払いがされており、ここには彼と叔父しかいないとはいえ、普段の叔父からすると想像できない物言いだ。
彼はどうにかして動揺を抑えると応じた。
「その通りです、叔父上。この三千年の間、我等は"法"とも"混沌"とも距離を置いてきました。
 確かに此度の戦は今までの歴史上かつて無いほどに激しい戦ではありますが、所詮、"法"と"混沌"の争い。
 我等"中立の神々"を奉じるものがこのような戦に加担する必要は毛頭感じられませぬ。」

シャイフはそれには答えず、甥に向けて一冊の本を差し出した。随分古ぼけている。サブゥーは思わず尋ねた。
「これは・・・?」
「これは<真正典>の外伝だ。その内容が”未来”を含むものであるため、一般には公開されていない。
 王と、王位を継ぐものだけが読むことを許されている。・・・もはや、現存するのはこの一つ。その筈だ。」
彼は驚愕した。そのようなものを彼に見せるという事は。
「何を驚いている。わしはお前に王位を譲ると決めた、それだけの事だ。兎も角、今は三章十六を読んでみよ。」
サブゥーは高鳴る胸を押さえながら第三章を探し、項を注意深く数える。指定された十六項を見つけると声に出して読み上げた。
「"見よ、この循環が終る時。”原初の意思”の引く弓が<<大いなる海>>に現れし、その時を。"
 "五つの幹で作られし数多の光を纏う弓。それこそは”終局の弓”。我が子等はその”弓”を引く。"――これが何か?」
彼は少しだけ落胆していた。これでは、そこらにいる"自称預言者"のいう”未来”と指してかわりが無い。
"王と王位継承者"にのみ閲覧が許されているからには、衒学的な表記でなく直接的な未来が書いてあると思っていたのだ。
しかし書かれていたのはどこか抽象的な言葉だ。このようなものはどうとでも解釈できる、彼はそう思った。
だが叔父はそうは考えていないらしい。サブゥーがそう考えたのを見透かしたように言った。
「ここに書かれている”終局の弓”。これは、ニホンの事だ。わしはそう考えている。」
「馬鹿な!どこにもニホンなどという言葉は――」
反射的にそう叫んだ彼は自分が口にしてしまった言葉に気が付くと即座に謝罪する。
もしここが王宮であったなら、如何にサブゥーといえど処分は免れなかっただろう。
だが、シャイフは特に気にしたそぶりも見せずに新たな紙を差し出した。これはまだ新しい。
「その"外伝"だけならまだしも、これがな。昨年末に届いた、大協約の神官王ヴィンセントから来た親書だ。開けてみるが良い。」
親書は僅か数行が記されているだけだ。しかし、それを読んだサブゥーは言葉を失った。

統合暦76年10月25日 大協約神都アケロニア "法の宮殿"、神官王祈祷所"祈りの高台"

静寂につつまれた"祈りの高台"で、神官王ヴィンセント・マクモリスは<法の神々>の神像に祈りを捧げている。
その表情は厳しくも優しい。まさに"当方大陸を照らす太陽"という尊号が相応しい。
背後には二人の腹心――ヒースクリフ大公とアンケル侯爵が跪き、同じように祈りを捧げている。
祈祷が最高潮に達したのだろう、神官王の前にある祭壇の中央に魔力による明かりが灯ると祈祷所全体に光が溢れた。
光はしばし祈祷所全体を覆っていたが、やがて明滅をはじめる。それが収まった時、祈祷所は聖なる魔力によって満たされていた。
ヴィンセントは余韻に浸るかのように瞑目して天を仰ぐ。腹心達は頭を垂れたまま主が口を開くのを待った。

「”スレイマーン”が砂漠地帯に着くまであと二ヶ月を切ったか。」
神官王は振り向くと言った。その顔は上気したように火照っている。祈祷により得られた魔力が彼を満たしているのだろう。
普段から光を纏っているように見える彼の身体はいつにもまして輝いているように見えた。
まさに聖なる王者、神官王の名に相応しいと言えるだろう。その様子を無表情に眺めていたアンケル侯爵が答えた。
「はい。予定では十二月二十三日に”杯の座”にたどり着く予定です。」
ヴィンセントは幾度も頷くと、いつものように愉快気に言う。
「しかし、連中がああも易々とニホンと組むとは、余は思っておらなかったぞ。もう少し捻った手でくるかと思っていたのだがな。
 砂漠の民というのは真っ直ぐなものよの。我が臣民も大いに見習わねばなるまいな。」
ヒースクリフは義父と同じような口調で答える。
「仕方ありますまい。送った内容があまりにも酷すぎます。
 "アル・アジザ宮殿の玉座を渡すか”終局の弓”を引くか、好きな方を選べ"
 ――彼等の預言書の詳細は知りませぬが”終局の弓”を引け、というのは結局は滅びよという事。いささか直截に過ぎますな。」
「<真実の杯>がかの地に封印されている以上、どうしようありませぬ。やむをえない処置です。」
アンケル侯爵がいつものように鉄面皮のままで言う。何を当然の事、そういわんばかりの口調だった。

その乏しい表情から何かの感情を読み取ったのか、ヒースクリフが言葉を発する。
「貴公、この期に及んで何かまだ反対しておるのか?」
彼の言葉は先ほどアンケルが言った内容とは正反対の内容を指摘していた。神官王の意に反している、そう糾弾してもいる。
しかしそれを告げるヒースクリフの口調は楽しげだった。アンケル侯爵は気にした風もなく相変わらずの平板な口調で答える。
「攻撃自体には異論はありません。攻略戦力としての”スレイマーン”投入にも同意いたします。
 かの都市国家が戦闘態勢に入らない限り<真実の杯>がその姿を現さない以上、”スレイマーン”による攻撃は不可避です。」
ですが、とアンケルは続けた。
「それに"女神"達と"岩戸"を用いるのには反対です。これは<<祭典>>に向けての不確定要素となりえます。」
「だが彼奴等は片付けねばならん。少なくとも当面、このアケロニアからは遠ざけておく必要がある。
 "障害"を、この"戦争"を利用して処分するというのは、元々は貴公の発案であろう?今更何をためらうというのだ。」
「処分自体に反対しているわけではありません。」
大公はアンケルに身体を向けると怪訝そうな表情を浮かべてアンケルを見つめた。
アンケルはいつもと同じ表情を浮かべており、そこから感情は読み取れない。
だが、その目には何らかの感情が渦巻いているように見える。反感というよりは不安や恐怖といった種類のものだ。
この鉄面皮が何かを恐れている?神官王の前ですらそういったそぶりを見せない男が?

ヒースクリフは怪訝そうな声で尋ねた。
「アンケル、貴公は何を警戒して――いや、怖れているのだ?」
アンケル侯爵は大公の目を真っ直ぐに見ながら答える。
「ニホンの出現以降、我等の"工程"は少しずつですが狂いつつあります。ニホンが絡んだ場合にはとりわけそうです。
 本来完了しているべき"女神"達と"岩戸"の処分が未だ終らないのも、彼の国と関わったが故とも考えられます。
 そしてニホンは砂漠に軍を展開しています。・・・これ以上"混沌の大国"と"岩戸"達を関わらせる事は危険と考えます。」
「だが――」
「はい。このまま東方大陸戦線におけば"勝って"しまうでしょうし、西方大陸に留め置くのは危険に過ぎます。
 よって、”スレイマーン”と共にアル・エアル・マイムに送り込む他に手が無いことも承知しております。」

「そういえば、東方大陸戦線は"予定通り"進んでいるな?」
ヴィンセントが話題を変えた。ヒースクリフが答える。
「はい、義父上。我が軍は"予定通り"ロシモフ有数の要衝"フランカ"攻略作戦を実施しております。
 東方大陸派遣軍の凡そ六割がこの作戦に投入されており、現在のところ優位に戦いを進めております。」
「軍事作戦上の目標と"工程"との間で不都合は無いのだな?」
「はい、矛盾点はありません。"黒煉瓦"における東方大陸侵攻作戦計画でも"フランカ"は奪取すべき目標とされてきました。
 今のところ、その計画との齟齬は有りません。損害、戦果共に想定の範囲内です。」
ヴィンセントは満足げな表情を浮かべ、大きく両手を広げて謳うように言った。
「全般的に計画通りに進行しておる。アンケルの言うように一部には誤差もあるが、”百万世界の合”までには修正も出来よう。
 何よりも<始祖の竜>は既に我等の手中にあり、全ての神器は間もなく揃う。我等の悲願実現まで、あと僅かだ。」

戦果は予定通りではなかった。キャンディスは歯噛みする。
――ニホンの飛行機械に拘りすぎたか。まさか角竜部隊ごときに戦線を突破されようとは。
  あそこで、魔法剣士兵団が耐えてくれなければ――
「厳しいところでしたな、ベックマン卿。」
魔法剣士兵団・スレイマーン派遣部隊隊長のマリーベル・ガートナーが額の汗をぬぐいながら言う。
鳶色の瞳に力強い意志を秘めたまま彼女は続けた。
「ニホンの飛行機械はなかなかのものですからな。私もロシモフでみた事があります。
 ワイバーンは圧倒するでしょうし、乗り手次第ではドラゴンにも勝てるでしょう。ベックマン卿がこだわるのも判ります。」
マリーベルはそういうと眼前の地図を見た。キャンディスもそれに倣う。
そこにはアル・エアル・マイム及びその周辺地域に展開する両軍の戦力が記されていた。
マリーベルは都市国家の角竜部隊をあらわす駒を指で弾き倒して脇にどけ、魔法剣士兵団の駒を一歩進ませてから言った。
「しかし、これでアル・エアル・マイムの角竜部隊による反撃も何とか抑えました。
 青竜騎士団が飛行機械を完全撃破した事も良い方に作用したようです。
 このまま何事も無ければ、”スレイマーン”の主砲による攻撃で全てが終るでしょう。」
「そう上手く行くかな。アル・エアル・マイム側にも”最終兵器”があると聞いているが。」

キャンディスがそう答えた時、彼女達がいる部屋の扉を叩く音が聞こえた。
彼女は入れ、と短く告げる。扉を明けたのは魔法剣士兵団の若手将校だった。
兵団長同様に瞳に力を持った男だ。だが、キャンディスは彼にもマリーベルと同様の狂気に似た危うさを感じている。
マリーベルが男に問いかける。
「何事か、ガイウス?」
「司令部より連絡であります。アル・エアル・マイムから巨大な魔力反応を検知したとのことです。
 司令官殿はこれをアル・エアル・マイムの”最終兵器”と判断し、排除を命じられました。
 青竜騎士団と魔法剣士兵団も直ちに出撃し、この”最終兵器”を撃破せよとの事です。」
マリーベルは口角をゆがませて獰猛な笑みを浮かべながら言う。
「そうか、これで決着だな。どのようなものかは知らぬが、我が正義の剣によって必ずや打ち滅ぼしてくれん!」

――果たして三時間後、全軍による攻撃を受けてアル・エアル・マイムの”最終兵器”は崩壊した。
マリーベルとキャンディスを中心とする攻撃側幹部が満足げに頷きあったその時、通信晶からシャイアン司令官の声が響く。
「状況終了だ。これより直ちに演習で明らかになった問題点の検証を行う。関係各位は30分後に大会議場に集合せよ。」

円形劇場のような作りの大会議場は多数の人影でごった返していた。
各種兵団長とその副長だけでなく各兵団勤務の参謀達も集められているためだ。その総数は二百を越えていた。
その活況を眺めながらキャンディスは副官のフィンレーを伴って指定されている座席に向った。
青竜騎士団長たる彼女の軍内部における格は最高クラスだ。よってその席は司令官席に程近い、最前列中央に近い場所である。

キャンディスは着席し、この席にある豪華な設備を眺めた。いつ見ても贅沢な設備だ、彼女は思った。
座り易い椅子と、丁度良い高さの机。これだけならばどうという事はない。
だが、机の一つ一つに通信晶と映像投影用の雲母板が設置されている点は特筆すべきだった。
大協約全体でもこれほどの設備を備えた会議室を持つ施設はそうは無いだろう。
事実、ここも十年前まではこれほどの規模では無かった。司令官に就任したシャイアンが私財をも投入して作り上げたのだ。
彼は正しい情報を全体が共有してこそ正しい結果が得られるという事を数々の実戦経験で学んでいた。
その思いが結実したのがこの大会議場であり、今回の演習でもある。

室内の証明が僅かに落とされ、シャイアン司令官が大会議場に入室する。
着席していた全員が立ち上がって司令官に敬礼を行った。シャイアンは僅かに頷いて答礼すると全員に着席するよう促す。
皆が着席したのを確認した司令官はよく通る声で言った。
「二日間に渡る図上演習、ご苦労であった。
 ことにダグラス卿、ベックマン卿、ケンドリック卿は着任早々に無理を言ったにも関わらず良くやってくれた。
 結果は俺の期待以上のものだ。流石は大協約軍有数の精鋭であるな。」
そういうと彼はキャンディスたちの方を見る。その顔は満足げだ。
司令官の言葉にキャンディスは軽く笑顔を浮かべる。確かに様子が判らない部分もあったが、最善は尽くしたはずだ。
多少の混乱を招いた部分はあったものの、結果としては上々ではあった。
シャイアンは会議場をぐるりと見回して納得したように頷くと再び声を張り上げた。
「では早速、今回の演習の総括を行うとしようではないか。
 まずは黒軍――”アル・エアル・マイム”側の作戦意図からだ。作戦参謀、頼むぞ。」

この図上演習は”スレイマーン”が砂漠地帯に出発してから二回目の大演習だった。
大協約軍の伝統に則り、参謀以上が黒軍――敵対軍と白軍――大協約軍に分かれて数日間にわたって行う本格的なものだ。
この演習は偶然性を演出するために賽を使う以外は全てが実戦どおりに動かされている。
結果も公平に出される。事実、キャンディスたちは参加していないが、前回の演習では黒軍が”勝利”していたらしい。

壇上では黒軍の作戦を担当していた参謀が作戦意図の説明を終えるところだった。
「結論としては、基本的には前回演習と同様に”飛行機械による制空権獲得”を中心とした迎撃作戦だった、という事です。」
「前回の成功要因と今回の失敗要因は何だと考えている?」
司令官の問に作戦参謀は答えた。
「前回は小規模な囮部隊を使って決戦空域に”スレイマーン”制空隊をおびき出しました。
 囮部隊を追って”スレイマーン”を出てきた小規模な部隊を数的優位を保って各個撃破したのです。
 前回はこれを数度繰り替えして制空権を奪うことに成功したのです。
 ですが、今回は青竜騎士団に先制攻撃されて主導権を奪われただけでなく、常に数的劣勢にたたされたまでした。
 すなわち、前回は「主導権」と「数的優位」を獲得したが故に勝ち、喪失したが故に負けた、そう考えております。」

「飛行機械とドラゴンの性能差によるものではない、という事か?」
シャイアン・マクモリスは怪訝そう眉根を寄せて言った。
彼はこの結果に対して、作戦という要素はあるものの、基本的にはドラゴンと飛行機械の性能差も要因だと考えていたのだ。、
この問に黒軍空中部隊指揮官として参加していたアシュリー赤竜騎士団長が答える。
「飛行機械とドラゴンの間にはさして性能差はありません。少なくとも、速度は平均的赤竜に勝り、青竜に多少劣る程度です。
 飛行機械側も乗り手によって性能は変わるでしょうから一概には言えませんが、空戦ではほぼ赤竜と同じと考えるべきかと。」
ここで言葉を切ったアシュリーはそれよりも、と言って続けた。
「この演習における都市国家側の空中兵力見積は正しいのでしょうか?制空型百二十騎というのはやや過大ではありませんか?
 ”混沌の大国”における制空型飛行機械は、三年前の段階で五百前後という話ではありませんか。
 多少は戦力を増加させたでしょうが、とても百二十もの飛行機械を砂漠まで派遣するとは思えませぬ。」
黒軍を率いるものとしては使いでがありましたが、そう言って彼女は言葉を締めくくった。
シャイアンはアシュリーの言葉に機嫌を損ねることなく、むしろ愉快そうに言った。
「敵を侮って結果を誤るよりは良いではないか。強敵と戦うのは武人の本懐でもあろう。
 それに、アシュリー卿の言ももっともであるが――」
そう言うと彼は手元で何かを操作する。各自の座席にある雲母板に敵戦力情報、の文字と幾つかの棒グラフが浮かんだ。
会議場はどよめきに包まれた。内容を見た者達が思わず呻いているのだ。キャンディスとて例外ではない。これは――
「アル・エアル・マイムから送られてきた、かの都市が国内向けに発表した最新の状況だ。
 これによれば、五万の陸軍と角竜二千の動員は完了。ニホンも飛行機械二百を配備させ、未だ増強中との事だ。」
国内向けだから話半分と考えるべきであろうがな、そう言ったシャイアンは言葉を継いだ。
「このような状況だ。飛行機械百二十というのも妥当であろうよ。さあ、演習で判明した課題に話を戻そうではないか。」

初出:2010年4月4日(日) 修正:2010年5月25日(日)


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