統合暦76年9月18日 ロシモフ戦線中央部「ゴールデンベルト」地帯

どこまでが空で、どこまでが大地なのかが分からなくなるほどに広大な大地。
ここは農業国であるロシモフを支える穀倉地帯である。
季節はもう秋。一面に収穫の時期を迎えた小麦が実り、地平線の果てまで黄金の煌きで満たされる筈の大地。
その圧倒的な光景から俗に「ゴールデンベルト」とも呼ばれる地帯だ。
だが、現在はただの荒野でしかない。キャンディス・フォン・ベックマン青竜騎士団長は地平線の彼方まで続く荒地を眺めた。

「進んでも進んでも荒野ばかり。いかに我等に利用されたくないからといっても、これはな。
 同盟軍は極端な事をする。確かに、我等の進軍にも影響は出るだろうが――」
「どうみても、ここに住む者たちへの影響の方が遥かに大きいだろうな。」
傍らに立つアシュリー・ケンドリック赤竜騎士団長がキャンディスの言葉を受けて言った。
「空間を利用した戦術を――焦土戦術を使うことは予想されていたとはいえ、ここまでとは思わなかった。
 大地に流れる命の力を無秩序に暴走させ、あらゆる草木を弱らせる禁呪”国潰し”を使うとはな。」
彼女はそう言うとキャンディスが見ているのと同じ荒野を見つめた。
そこに生えているのはハマスゲのようないわゆる"雑草"の類だけだ。小麦のような、いわゆる"農作物"の姿は無い。
人工的に品種改良された彼等は、暴走した大地の力の影響を受け易いのだ。このままでは――
「”国潰し”の魔法を解除するまで、この地で農作物が実ることは無いだろうな。
 解除するにしても、この魔法――いや、呪いだな、とにかくこれをかけた魔道士を連れてくる他には解除しようも無いとは。
 全くもって恐れ入ったとしか言いようが無いよ。」
アシュリーはそう言ってかがみこんで土をひと掬いする。顔に近づけて匂いを嗅ぐと、彼女はため息をついた。
「命の匂いがしない。魔法の匂いだけだ。それも、どうしようもなく嫌な匂いだけ。まったく酷いものだ。」

キャンディスもため息を一つつくと言った。
「だが仕方あるまい。彼らにとっては余程の事なのだろう。」
彼女の言葉を聞いたアシュリーは軽くあたりを見回し、周囲に人が居ないのを確認して囁くように言った。
「ロシモフ侵攻の初動が良くなかった。秩序回復隊が好き勝手にやり過ぎた。
 あんな目に遭うくらいなら、農地を荒れ果てさせてでも逃げ延びるほうを優先するだろうよ。」
「"イニゥト=ハの浄化"、か。」
キャンディスは顔を顰めた。

大協約軍による東方大陸最大の国家、ロシモフ大公国に対する侵攻は統合暦74年10月1日に始まった。
ルビードラゴンのような圧倒的な戦力を持たないとはいえ、巨獣とトロール、オーガーを中心とした大協約軍の侵攻。
これに対し、ロシモフ駐在の同盟軍は決戦を避け、戦線を後退させる事を選択した。
北極海から<凪の海>に至る数百マイルの防衛が事実上不可能である以上、取れる戦術が限られているからでもある。
同時期に大陸中央部のヴァーリが狙われた事も影響しているだろう。
下手に前方で戦線を作って再度後背を突かれたら目も当てられない、そう考えても不思議は無い。
敵を懐深くまでおびき寄せ、補給線を限界まで延ばし、疲れ果てたところを叩く。
一歩間違えば懐どころか腹の中まで入られかねない戦い方ではあるが、空間を生かした合理的な戦い方といえた。

ただし、同盟軍が後退する事は大協約軍としても折込済みだった。ロシモフ軍は歴史的にこの戦術を好んでいたからだ。
かつてトーア大陸同盟が成立する以前にはドワーフとエルフとは戦争を繰り返していた歴史がある。
そして当時、この先方でロシモフのエルフ・ホビット軍はドワーフ軍を幾度も撃退していたのだ。
大協約東方大陸遠征軍首脳部は今回の"解放戦争"においても同じ事をしてくるに違いないと読んでいた。
そして、歴史からロシモフ首脳部は各都市の無防備都市宣言を行う事で住民は移動させないとも考えていた。
古代の戦争法規、"エレクの法規"では無防備都市宣言を行った地域での戦闘が禁じられている。

「だから住民に"法"の摂理を説くことで"混沌"から解放しようと考えた。
 "法"の正しさを認識した住民達は全て"法"の支持者となり、再び"混沌"を奉じることは無いだろうと考えて。」
アシュリーはキャンディスに囁くように言った。キャンディスも同じように囁き返す。
「その考え方が間違っていたとは思えない。我々は東方大陸を"混沌"から解放するためにここにいる。しかし――」

ポラス国境から80マイルの位置にある中規模都市イニゥト=ハ近郊に大協約軍が到達したのは統合暦74年10月21日の事だった。
"エレクの法規"に従い、大協約軍本隊はイニゥト=ハに足を踏み入れる事は無かった。代わりに入城したのは"法の司祭"達からなる軍随伴の修道組織――"法の鏃"だった。
通称"秩序回復隊"とも呼ばれる彼らがそこで何をなしたのか、正確にはキャンディスは知らない。彼女が知るのはその結果だけだ。

「25日にはその町で生きている者はいなかった。全ての住民が――いや、全ての生物が"法の神々"の名の下に殺されてしまったからな。
 愚かな事に、秩序回復隊はそれを大々的に宣伝までしてしまった。」
「"かくてイニゥト=ハの浄化は成れり。賢き住民達は神の御許に召されたり。法の神々に栄えあれ"だったな。
 これではまるで、我々は――」
キャンディスの言葉にアシュリーは何か続けようとしたが、それは出来なかった。彼方から爆発音が聞こえて来たからだ。

爆発音は一度ではなかった。複数の爆発が連続して起きている。それなりの規模の敵襲らしい。
敵襲を知らせる角笛があちこちで響きはじめた。音色を確かめたアシュリーが顔を顰めながら言う。
「またパルチザンか。飽きもせずよくやる。」
――そうだな、よくやる。キャンディスも同感だった。
だが、これを招いてしまった最大の原因が"イニゥト=ハの浄化"に代表されるような大協約軍の愚行である事も理解していた。
住民との関係がここまでこじれてしまった以上、最早どうにもならないという事も。
彼女はどこか覚めた目で慌てふためく地上軍の歩兵達を眺めていた。
赤い十字が描れている白い腕章を身に着けた兵士達が忙しげに駆け回っている。
この紋章は"エレクの法規"に定められた衛生兵の紋章だった。この一連の爆発で負傷者が相当数出たのだろう。
高価そうな鎧を身に着けた、千人隊長級と思われる騎士が担架で運ばれていくのが見えた。
「隊長級の士官を狙い打ちにしているのか。酷いものだな。」
アシュリーが言った。彼女の言葉どおり、ここ数日で百人隊長級から千人隊長級の指揮官が次々と負傷している。
手口は様々だ。今のような爆発によるものもあれば、グラップリングバインによるもの、フェアリーによる悪戯まである。
「いずれにしても、ただのパルチザンだろう。我々の出番では無さそうだ。」

彼女がそう言った時、青竜騎士団の角笛が響きはじめた。旋律からして非常召集らしい。赤竜騎士団のそれも聞こえる。
青竜騎士団長と赤竜騎士団長は顔を見合わせた。パルチザンごときでは竜騎士が出る必要は無い。
どこかで空中部隊を伴う軍隊による攻撃があった事を理解した彼女達は自陣へと駆け出していった。

「状況は!」
青竜騎士団本営にたどり着いた彼女は即座に副官のフィンレーに尋ねた。
周囲では青竜とその竜騎士たちが走り回り、準備の出来たものから次々と離陸している。まさしく緊急発進だ。
「50マイル離れた前線基地が航空攻撃を受けています。直援と前方警戒のワイバーン部隊は既に大損害を受けて後退中です。」
慌しく発信準備を指示しながら壮年の副官は答えた。
「敵はグリフォン百十数騎とロック鳥数十騎です。後続する空中部隊も、種類は未確認ですが確認されています。
 中でもグリフォン隊はかなりの手練のようで、先ほども申しましたとおりワイバーン一個大隊が敗走しています。」
「如何に凄腕とはいえ、空戦でワイバーンがグリフォン如きに遅れを取るとはな。・・・やはり、あれか?」
キャンディスは副官に問うた。フィンレーは頷いて答える。
「ええ、例によってやつらは"混沌の金礫"を使っています。」
キャンディスは思わず天を仰いだ。ニホンの奴等め、こんな地の果てでも我々を苦しめるのか。

少なくとも、つい数年前まではドラゴンをその頂点とする"空戦の序列"は揺るがないものとされていた。
強力な魔法とブレスを持つドラゴンを頂点とし、ブレスを持つワイバーンが続く。
魔力もブレスも持たないグリフォン、ペガサスなどはその後塵を拝すものと誰もが思っていた。
魔道士が騎乗していれば状況は違うとはいえ、魔道士かつ飛空士などというものはほとんどが竜騎士になっている。
少なくともグリフォンに騎乗するような飛空士は魔法を使わないのがほとんどだ。少なくとも今まではそうだった。
だから、ワイバーンはグリフォンが近づく前に撃破する事が出来ていたのだ。
しかし、"混沌の大国"ニホンが<<大いなる海>>西方海上に姿を現して以来、その常識は変わりはじめていた。
かの国がもたらした、金属の鏃を飛ばす武器――大協約では通称"混沌の金礫"と呼ばれる武器の登場が原因だ。

空の王たるドラゴンとニホンの飛行機械が互角に渡り合える事実は全世界の軍事関係者に大きな衝撃を与えた。
空中戦力において大協約軍に劣る大陸同盟軍は驚喜し、そして大協約軍は恐怖した。
もし、この戦力が前線に大量投入されたら。制空権の優位によって"解放戦争"を戦っている大協約軍はたちまち苦境に陥るだろう。
彼等は同盟内部に張り巡らせている情報網を駆使して飛行機械の情報を集めた。
結果、"航空力学"という"混沌の邪法"で飛んでいること以外は良く判らなかったものの、一つ大きな成果を得ていた。
飛行機械の数についての情報だ。おびただしい犠牲の果てに得られたその数字に大協約軍幹部は安堵を覚えた。
それによれば、飛行機械の総数は五千ほどだった。中でもドラゴンに対抗できるとされた制空型の飛行機械は千を越えない。
大協約軍はドラゴン千騎以上、ワイバーンにいたっては一万騎以上を保有している。
如何に飛行機械が優れた性能を持とうとも、十倍以上の敵に抗しよう筈も無い、そう考えたのだ。

その予想は正しく、同時に間違っていた。
一昨年に鹵獲した敵の飛行機械からその武装を回収した大協約軍だったが、動作原理については判らなかった。
おそらく魔道砲と同じような原理であろうと予測はされていたものの、彼らが理解出来たのはそこまでだったのだ。
金属礫が弾頭と不思議な金属筒、枠の中に詰められた発火性の物質から構成されていることは判っている。
だが、何の魔力も感じさせない物質が何故爆発的に発火するのかは見当がつかなかった。
彼等は原理の解明を後回しにする事にした。もっと重大な脅威に気が付いたからだ。
飛行機械がドラゴンに対抗できたのはその空中機動性能によってではない。その武器によってである。
そして、金属の鏃を高速で放つその武器は飛行機械から取り外すことが出来る事が判っている。
であれば、もしかすると――これは飛行機械でなくても搭載できる武器なのかもしれない。
これに気が付いた大協約の魔道技術者達は愕然とした。もし、同盟の空中戦力、グリフォンやペガサスがこれを装備し始めたら。
彼らの懸念が現実となったのは統合暦76年初夏の事だ。それ以来、空における大協約軍の優位は次第に怪しくなりつつある。

"グリフォンとロック鳥ごときを狩るのに、空の王たる我等ドラゴンが出なければならんとはな。世も末だ。"
"契約"で定められた儀式が終り、キャンディスの騎竜たるハイ=スカイが彼女に思念波で話しかけた。彼は面倒そうに続ける。
"それも、この一週間で既に三度目だ。全くもって、最近のワイバーンはなってないな。"
"・・・ハイ、それは仕方ないわ。あの混沌の武器をどうにかしない限りは、もうワイバーンでは制空権を維持できないもの。"
"お嬢さん、そうは言うがな。あの武器は魔道砲のようなものだろう?ならば、弾が尽きるように仕向ければ良い筈だ。違うか?"
生物を殺すのは矢や弾であり弓や砲そのものではない。矢も弾も有限である以上、それを使い切らせれば脅威ではなくなる。
ハイ=スカイの言っている事についてはキャンディスも完全に同意していた。
"それは判ってるわ。でも、そうもいかないのよ。あの武器を”持っているかもしれない”という心理的圧力はどうにもならない。"

実際のところ、グリフォンが搭載する"混沌の金礫"によって落とされたワイバーンはそれほど多くは無い。
だが「ドラゴンさえ倒しうる武器」が自分に向けられている”かもしれない”という脅威に勝てる飛空士はそれほど多くなかった。
その”かもしれない”という脅威におびえ、ブレスを放つタイミングを逸したり、上空警戒がおろそかになる。
そうして隙が出来た所を狙われて撃破される場合がほとんどだったのだ。
混沌の武具は「ドラゴンさえ倒しうる」という実力よりも、その悪名で戦果を上げていると言えた。

"何たる惰弱!そんな事だから連中は竜騎士になれんのだ。"
キャンディスはそれには答えずに通信晶を操作し、騎士団長の声音で麾下の全騎に命令を下す。
「青竜騎士団はこれより敵航空部隊の撃破に向かう。全軍、我に続け!」
彼女が言い終わると同時にハイ=スカイが青い翼を力強く羽ばたいて上昇する。
ロシモフ戦線に展開する青竜騎士団の半数、三十余騎のブルードラゴンがそれに続く。その光景を見た味方から歓声があがった。
青竜の群れはそれに答えるように上空で雁行形態に編隊を組みなおし、目的地に向けて進撃を開始する。
出撃に意気上がる部下達をよそに、キャンディスはどこか暗鬱な影を感じていた。

――あれが前線基地か。既に地上戦が始まっているのだな。
キャンディスは目を凝らした。幾筋かの煙が上がる中、ロック鳥の群れが上空を旋回しながら警戒しているのが見える。
グリフォン部隊の姿は見えない。だが、彼らの継戦能力からしてロック鳥より先に撤退することはありえないだろう。
ワイバーンを駆逐して制空権を確保した以上、あとは地上軍を支援することに全力を置いているのに違いない。
おそらく、地上近くまで降りて支援戦闘を行っているのだろう。
空戦機動ではワイバーンに劣るが、地上数フィートに滞空する能力ではグリフォンが大きく勝る。
歩兵の頭を文字通り押さえ、地上軍の行動を支援する。それがグリフォンの主要な役割だ。

現在滞空しているのはロック鳥だけだ。ドラゴンに匹敵するほど大きく、高速で飛べる鳥だ。
その巨体と高速は脅威ではあるが、ドラゴンどころかワイバーンにすら劣る存在だった。
ドラゴンに相対したら逃げ惑うことしか出来ない。少なくとも今年の春まではそうだった。だが、今は違う。

"トンビ風情がこちらに向かってくるとはな。”混沌の武具”一つ持った程度で、随分と気が大きくなることよ。"
ハイ=スカイは嘲笑混じりに言う。キャンディスも同感だった。ドラゴンは続けた。
"あの程度ではワイバーンならいざ知らず、空の王たるドラゴンを落とすことなど出来ないというのにな。"
"そうだな。二年前の春に戦った機械どもの攻撃とは比べ物にならん。"
それは事実だった。彼等は既に"混沌の金礫"を装備した同盟軍空中部隊――ドラゴン以外――との戦闘を経験している。
だが、あの時ほどの攻撃力はない。ニホンが提供したのはおそらく旧式な武具なのだろう、キャンディスはそう考えていた。
"ニホンの軍港――ヨコスカといったか。あの時のように礫の威力を知らぬのなら兎も角、今更あの程度は落とされんよ。"
ハイ=スカイはそう言うと、何かを待ち受けるように静かになる。キャンディスは軽く微笑んだ。流石、ハイは良く判っている。
彼女は号令を下すべく通信晶を操作した。
「青竜騎士団長より全騎へ。これより敵の空中部隊に攻撃を開始する。我等に刃向かう無粋な愚か者どもを一騎残らず叩き落し――」
キャンディスはそこで一呼吸おき、息を大きく吸い込んだ。さあ、狩の時間だ。
「空の王が誰であるのかを思い出させるのだ!かかれ!」
通信晶は竜騎士の雄たけびと竜の咆哮で満たされた。

ドラゴンが咆哮した事によって巨鳥が怯む。騎乗士が如何に強気でも生物の本能がそうさせるのだ。
結果、敵の編隊は乱れ、大きな隙が出来る。
青竜騎士団はその隙を見逃さなかった。三十七騎のブルードラゴンはロック鳥部隊に襲い掛かる。
ブルードラゴンの群れが1000フィートほど上空にいた事もあり、青竜は圧倒的優位を確立していた。
彼等はその優位を生かし、敵編隊に降下しつつ稲妻のブレスを吐く。たちまち二十騎のロック鳥が落ちた。
残ったロック鳥は何とか急降下で逃れようとするが既に遅かった。ブルードラゴンは編隊の奥深くに入り込む。
青竜の群れはそのままロック鳥に格闘戦を強要し、その鋭い爪と牙で文字通り切り裂いていった。
引きちぎられた羽毛が宙を舞う。地上からは空中に白い花が咲いたたように見えるだろう。
飛空士の中には"混沌の金礫"で反撃を試みようとしたものもいる。巨鳥の背中から火線が幾つかあがる。
幾つかは命中したものもある。だがそれは尽くドラゴンの鱗と結界によって止められた。竜騎士も緒戦の敗北から学んでいるのだ。
勇敢な同盟軍飛空士への返礼は火線に倍するライトニングブレスだった。飛空士と騎鳥は着雷と同時に絶命する。
生きながら羽を毟られているロック鳥の甲高い断末魔の声が大空に響いていた。

地上で大協約軍の兵士の頭上を脅かしていたグリフォン達も上空での騒ぎを聞きつけたらしい。
彼等は戦闘を中止して急角度で上昇してくる。通常の生物であれば追従は不可能だろう速度だ。
数も百を優に超えている。正面からぶつかり合えばドラゴンといえど苦戦するかもしれない。
だがキャンディスは全く心配していなかった。確かに、この場にいるのが青竜騎士団だけであればそうかもしれない。
ドラゴンにとっても、数に勝る巨鳥とグリフォンを同時に相手をするのは些か骨の折れる仕事ではあるのだ。しかし――

地上からほぼ垂直に上昇してくる白い鷲の頭と黄金の獅子の体躯が唐突に火球に包まれた。
攻撃を意識していなかったグリフォン部隊が混乱に包まれる。敵は上空のブルードラゴンにだけ意識を集中していたのだろう。
横合いから攻撃があるというのは全くの予想外だったに違いない。そして、火球はさらにその数を増しつつあった。
彼女達が来たのだ。

「遅くなってすまない、ベックマン卿。この高度を飛ぶのも久しぶりでな。」
アシュリーからの通信が入った。キャンディスは軽く笑いを含んだ声で赤竜騎士団長に応じる。
「まったくだ。いっそ、卿らが来る前に終ってしまうかと思ったぞ。」

青竜騎士団と赤竜騎士団はほぼ同時に緊急発進していたが、この戦場には僅かな時間差をおいて到着している。
ブルードラゴンとレッドドラゴンでは速度も空戦機動も異なるという理由ももちろんある。
だが、今回はそれが主要な理由ではない。それよりも"如何に不意をつけるか"という戦術的な理由が大きかった。
両竜騎士団あわせても、今回戦場に出せるドラゴンの総数は七十を僅かに超える程度だ。
総数二百を越える敵に対するのは流石に分が悪いと考えたのだ。
単にグリフォンとロック鳥というだけであるならば一対三という戦力比でも問題は無い。だが、相手は混沌の武具を持っている。
飛行機械との交戦で少なからぬドラゴンを"混沌の金礫"で失った両竜騎士団長は危険を冒すつもりは無かった。
戦力の分散という危険をおかしてでも奇襲効果にこだわったのだ。その思惑は見事にはまったようだ。

通信に混じってグリフォンの断末魔の叫びとドラゴンの歓喜の声が聞こえていた。
時折、何か硬いものが破裂する低い音が聞こえてくる。アシュリーの騎竜がグリフォンの骨を噛み砕いているのだろう。
レッドドラゴンとグリフォンの戦いも、ブルードラゴンとロック鳥の戦闘と同じように格闘戦に入ったに違いない。
純粋な格闘に入ってしまえば竜騎士の出来る事はあまり無い。下手に指示を出すよりもドラゴンに任せたほうが確実だ。
「どうやら"混沌の武具"を使わせないことには成功したようだ。ドラゴン達も喜んでいるし、このままにしておこう。」
アシュリーは無邪気に言う。キャンディスもそう思った。同時に、彼女は何か漠然とした哀しみがこみ上げてくるのを感じていた。

ブルードラゴンとレッドドラゴンの群れは敵空中部隊を壊滅させた。両騎士団に損害は無い。
敵の地上部隊はドラゴンが現れた直後に姿を消していた。キャンディス達は同盟軍の撃退に成功したのだ。
基地に戻ったキャンディスには達成感は無かった。出撃前に考えていた事を思い出してしまったのだ。
確かに戦場では戦闘の高揚を感じて忘れていたものの、それも一時的なものに過ぎなかったようだ。
自分達は一体何のためにここにいるのか。我々の戦争は本当に"解放戦争"なのか。
――今更、こんな青臭い考えに取り付かれようとはな。
キャンディスは目を瞑ってため息をつく。疲れているに違いない、そう考えた彼女は従卒に酒を持ってくるように告げた。

数分して酒を持ってきたのは彼女の従卒ではなかった。
三十がらみの逞しい男が火酒を片手に天幕に入るのを見たキャンディスは声をかける。
「ダグラス卿?遠征軍独立部隊司令官ともあろうお方が、何もそのような。」
「何、構わんよ。ちょうど卿とケンドリック卿に用があったのでな。」
赤竜騎士団長殿にはここに来るように使いを出しておいた、大協約軍の高官たるダグラス卿はそう言うと手近なテーブルに着く。
彼は置いてあったグラスに火酒を注ぐと彼女に手渡しながら言った。
「細かい話はケンドリック卿が来てからすることにしよう。今はまず、今日の勝利に乾杯しようではないか。」

ほどなくアシュリーも姿を見せた。三人でしばし歓談した後、唐突にダグラス卿は切り出した。
「我等はロシモフから転戦する。次の戦場は砂漠地帯だ。何でも、アンケル卿の発案だそうだ。」
砂漠地帯を制圧し、<風の海>経由でムルニネブイとニホンを締め上げる作戦らしい、彼はそういうとグラスに火酒を注いだ。
「ロシモフでの戦の後は砂漠送りとはね。まったく人使いが荒いよ。」
しかし、それでもダグラス卿は楽しげだった。豪奢な青竜騎士団長天幕内で火酒を傾けながら言った。
「・・・砂漠は中立諸国が統治する地域です。これは明らかに戦争法規に反しているのでは?」
「"イニゥト=ハの浄化"が全世界に知らされてしまった以上、今更だな。もはや我が軍で"エレクの法規"を気にしているのは我等だけかも知れぬ。」
アシュリーの問にダグラスが答える。唇には笑みが浮かんでいるが、どこか苦味がある。
「・・・良いのですか?コワルスキー公爵の”伝言”については?」
キャンディス・フォン・ベックマン青竜騎士団長は訊いた。この命令の出所がアンケル侯爵の進言によるものである以上、何かがある。
ダグラス卿は少し首をかしげて上を見ると、もの思いにふけるように言った。
「アレだけではな。何に気をつければ良いかも判らん。だが、この命令の背後にヒースクリフがいるのだとすれば・・・
 その場合、少しだけ心当たりがある。あいつとは公爵の門下で共に学んだ事があるからな。」
今は言えんが、必ず卿らにも知らせよう。ダグラス卿はそういうと右の眉を軽く上げた。

初出:2010年3月7日(日) 修正:2010年5月25日(日)


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