統合暦74年9月29日深夜 ヴァーリ前面大協約陣地後方・ヒースクリフ大公旗艦・氷上船<揺籃の星>号
軍艦としては標準的な、陸上を往く構造物としては破格の大きさである氷上船。
五隻からなる船団の旗艦、<揺籃の星>号の司令室で二人の大協約軍高官が会談を行っていた。
「よし、これで貴公への指揮権委任の儀式は済んだな。これからは貴公が遠征軍最高司令官だ。
もっとも、私は兼務を解かれて本来の職位である大協約軍総軍総司令官代行代理に戻っただけだが。」
地位だけは高いが飾りだからな、大きなグラスに注がれた東方大陸産のワインをあけながらヒースクリフ大公は笑った。
「ヒースクリフ大公殿下は如何なされるのですか?」
グラスを傾けながらアドニスが訊いた。
「先ほどの話どおり、貴公には明日の昼に総攻撃を開始してもらう。邪魔にならぬように後方に詰めておくよ。
猛撃猪突重騎兵団の持ち味である突進能力を邪魔するわけにもいくまいしな。」
「もったいなお言葉にございます。」
アドニスは一礼する。ヒースクリフはさらに続けた。
「事前の魔法戦については魔法剣士兵団の総力を挙げて支援しよう。こちらにはその用意がある。
その後は貴公に全て一任する。まあ、もし万一旗色が悪くなりそうであったら吹雪で支援しよう。」
正確には彼女が助けてくれるのだがな、ヒースクリフは傍らの寝台で眠る"雪の女王"に視線を移しながら言った。
アドニスは先日から疑問に思っていたことを尋ねることにした。
「ポラス参戦は10月1日の朝という事ですが、我等の総攻撃はその前で良いのでしょうか?
国境側とこちら側とで同時に攻撃したほうが効果が上がるのではありませんか?」
彼の軍団でヴァーリ前面陣地を抜くことは――同盟側にルビードラゴンが居ない限り――問題なく可能だ。
とはいえ、物事には時機というものがある。突撃を多用する彼はその事を良く知っていた。
ロシモフ中央部と西部のポラス国境で一斉に行動を起こしたほうが全体としての作戦成功確率は高くなる。
今の計画でも問題ないかもしれないが、作戦成功の可能性をより上げる事もできるはず。彼はそう主張していた。
それは判っているが、ヒースクリフはそう言いながらグラスを置く。彼は言った。
「貴公の軍が先行して攻撃を掛けることで、こちら側にルビードラゴンを引き付けられるかもしれない。
そうすれば、ポラス国境からの進撃が楽になる。そちらの方が全体としての効果はより高いのではないかな?」
「なるほど。我等の”囮任務”は本日ただ今より始まるというわけですな。」
そういう事だ、大公はそういうと再びグラスを傾ける。彼らの軍議はこれから始まるのだ。
東方暦1564年9月29日朝 ヴァーリ前面同盟軍陣地”ウイリアム将軍”天幕
「ルビードラゴンを持ってくるのは今日じゃったか?昨日の会議で誰かがそう言っておった気がしたが・・・」
スィルニキと甘いジャムを入れたお茶の匂いが充満する朝食の席で”ウイリアム将軍”ことライレー老人はいきなり言った。
ユリアとニーナは目を瞬かせる事しか出来ない。そんな話は聞いた事が無かったのだ。
同盟軍高官あつかいで将官級の会議にも出席している”最高齢金竜”ルーティが後を継いだ。
「左様にございます、ご隠居。何でも、ヴァーリ近くに作られた”ヒコウジョウ”とかいう場所に、飛行機械で飛んでくるとか。」
「ほう、飛行機械でとな。ポラス国境まで2000マイル近くあるではないか。
あの距離を一気に飛べるのか。どこかの金竜とはえらい違いじゃ。大したもんじゃのう。」
「ご隠居、私とて昔はその程度飛べたのですぞ。"長飛びルーティ"の渾名もあるのですから。」
「ふふん、そんな話は聞いたことが無いぞ。でっち上げるのも大概にせい。」
ニーナは彼らのやり取りを無視して質問する事にした。そう、この流れに巻き込まれちゃ駄目。
「ところで”将軍”、昨日までやっていた魔力込めの作業は終りました。今日からはどうするのですか?
ヒースクリフの氷上船も行方が知れないし、そうでなくても今日明日にも敵の攻勢が予想されるのでしょう?」
ヒースクリフの氷上船団が行方をくらましたのは昨夜夕方過ぎのことだった。
太陽が落ちると同時に猛吹雪の後も残さずに行方をくらませた、という報告が上がっている。
もちろん、あれだけ巨大な氷上船を普通の方法で隠したはずは無い。
空間自体の方向感覚を狂わせる強力な幻覚魔法”迷いの森”を使用しているのに違いない。
無生物である「空間」を”騙す”、最上級の幻覚魔法だ。もちろん、これほど強力な魔法を人間風情が使えるはずが無い。
これは通常は各種の精霊王が居城としている「妖精城」を守るための魔法なのだ。
つまり今回のヒースクリフ氷上船団には何らかの精霊王が味方しているという事になる。
状況から見て、ヒースクリフに――あるいは、大協約に味方しているのは"雪の女王"だろう。
ただでさえ兵力的に不利であるのに加え、精霊王まで敵に回すとあっては勝てる道理がなくなってしまう。
彼女でなくても心配になるだろう。
しかし、”ウイリアム将軍”は落ち着いたものだ。暢気にスィルニキにかぶりつき、お茶を啜りながら言った。
「おぬしが心配するのもわかる。じゃがまあ、ルビードラゴンを持ってくるのじゃ。五分以上に戦えるじゃろう。」
彼はお茶にジャムを追加しながら言った。
「”ヒコウジョウ”とやらにはカトウもおるのじゃろう?見舞いがてら、ルビードラゴンを迎えに行こうではないか。」
ニーナたち四人は、”ヒコウジョウ”に行くというニホンの軍隊の自動荷車に同乗させてもらうことになった。
ルーティが竜型を取って飛べばあっという間ではある。
だが、今それをやってしまうと敵軍を無駄に挑発することになるのではないか、ニーナがそう主張したためだった。
「"この"ばす"とかいう荷車は、馬車や竜車よりも乗り心地が良いのう。中々気に入ったぞ。"」
「"左様でございますな、ご隠居。ゴムを袋状に固めて空気を入れるなどという簡単な仕掛けでここまで乗り心地が変わるとは。
なんで我等はいままでそれに気がつかなんだのでしょうな?"」
同乗しているニホンの軍人――ハラ将軍の部下との事だった――が苦笑しながら言った。
「"流石に、バスは自動車ですからね。例えばチハと比べれば乗り心地は段違いに良いですよ。"」
ライレー老人は嬉しそうに頷いた。
「"おお、そうじゃ。チハじゃ、チハ。あれは面白い形をしておるのう。
わしはホロとかいうチハが気に入っておる。短い魔道砲に余計な囲いが無いのがキリリとして格好よいではないか。"」
「"流石はご隠居でございますな。ですが、チヘというチハも中々にございますぞ。"」
「"おう、あのツルリとした感じも捨て難いのう。おぬしの頭と良い勝負じゃ。"」
ニホン人が苦笑を深めた。いつもなら放って置くところだが、ニーナはニホン人の為に割ってはいることにした。
「"アレは"センシャ"という種類らしいですよ。チハ、というのは"センシャ"の一つの種類です。
あの種類の乗り物全てをチハというわけではありません。"」
すかさず老人二人が反論する。
「"じゃから、"センシャ"というのがチハなんじゃろ?何も間違っておらんではないか。」
「"ご隠居の仰るとおりです。つまり、チハというのが"センシャ"なのでしょう?
ならば"センシャ"はチハです。論理的には何の間違いもないように思えますがな。"」
彼女はなんと言っていいのか咄嗟には判らなかったが、何かが間違っているという感覚はあった。
ニーナは反論の言葉を探す。その沈黙をつくように、"ばす"の御者が淡々と言った。
「"まもなく到着します。降車準備をしておいてください。"」
老人二人は相変わらず元気に反応した。
「"おう、準備は万端じゃぞ。早く”ヒコウジョウ”とやらを見てみたいのう。"」
「"まったくでございますな、ご隠居。飛行機械も楽しみですなあ。"」
若干のやるせなさを感じたニーナはふと姉のほうを見た。
ユリアは壁にもたれかかって熟睡していた。この煩い中良く寝ていられたものだ、むしろニーナは感心した。
彼女達は”ヒコウジョウ”に付いたが、歓待を受けるというわけにはいかなかった。
飛行機械がなにやら腹の下にぶら下げて慌しく飛び立っていく。兵士達も怒号を発しながら駆けずり回っている。
その喧騒の中、一緒に来たニホン人に案内されて本部らしい天幕に向かったニーナ達はこの慌しさの理由を知った。
「"大協約がヴァーリ陣地に対してトロールと猪による攻撃を仕掛けてきた、ですって!?"」
天幕の中には痺れがまだ治らないために飛行機械に搭乗しないカトウがいた。
旧交を温める間もなくカトウは状況を告げた。
「"ええ。昨日夜まではお互いの砲の射程外から嫌がらせのような小部隊による攻撃ばかりを行っていたのですが、敵の歩兵部隊が前進を開始すると同時に魔法攻撃が始めたようですね。
敵は魔法攻撃で陣地を制圧し、突撃を掛けてくるつもりのようですな。
我が軍の重砲隊も良く応戦はしていますが・・・兵力差は如何ともし難いところです。本来なら――"」
カトウは言葉を切ると悔しげに言った。
「"私も飛行しなければいけないのでしょうが、まだ痺れが完全に取れてはいません。
随分良くなってきてはいるのですが、軍医にとめられているのです。
機材を無駄にするわけにはいかないので、その判断は間違いではないと思っていますが・・・悔しいのには違いはありません。"」
”ヒコウジョウ”は慌しい空気に包まれている。彼女達は天幕の横でその様子を眺めていることしか出来なかった。
ニーナとユリアは陣地に戻ろうと主張したが、老人達がそれを止めたのだ。
「今更わしらが戻っても何もできんじゃろ。特に連携の訓練を行ったわけでもないのじゃから、邪魔になるだけじゃ。」
「左様にございますな。もう少し、時を待つべきです。」
時?ニーナは思わずライレーを見つめた。彼は暢気にあごひげをしごきながら言った。
「我等はルビードラゴンを待っておるのじゃから、あいつらと一緒に動けば良い。そのはずじゃ。」
しかし、太陽が中天に差し掛かろうとする頃――
「"飛行機械が故障した、じゃと?"」
「"はい。なんでも、急に電撃を受けたとか。お陰で発動機が――ああ、まあ心臓みたいなものです――がとまってしまいました。
何とかエルヤーン飛行場に到着したらしいですが、到着には今しばらくかかる見通しです。"」
間もなく到着時刻だろうとニホン人に声を掛けたライレーは思わぬ返答に怪訝な顔をする。嫌な予感がしたニーナは思わずつぶやいた。
「"急な電撃?まさか――"」
その言葉を聞きつけたライレーが頷く。
「"エルヤーンの町の周辺に、対ドラゴン用の警戒魔法罠を埋めてていったのじゃな。飛行機械に当たったのはその余波じゃろう。
・・・ルビードラゴンが近くまで来たのを大協約の連中に気取られたと考えたほうが良さそうじゃな。"」
統合暦74年9月29日正午 ヴァーリ前面大協約陣地後方・ヒースクリフ大公旗艦・氷上船<揺籃の星>号
”ルビードラゴンが、でありますか?”
乱戦を指揮する中慌てて駆けつけたのだろう、通信晶が送る映像の中でアドニスが肩で息をしながら言った。
ヒースクリフはその様子を見ながら沈痛な面持ちで語る。
「そうだ。エルヤーンの外れに埋めさせておいた対ドラゴン用警戒魔法罠の発動を確認した。波長は紅。ルビードラゴンに間違いない。
どうやったのかは判らんが、やつらはハン=ジーレ陥落から僅か1日でルビードラゴンをここまで持ってきたらしいな。
ポラス国境の軍にとっては僥倖であろうがな。」
”囮としての立場上、これも想定はしていましたが・・・早すぎます。ヴァーリ前面に拘束されている現状のままでは、死の宣告にも等しいものです。
現在、猛撃猪突重騎兵団は敵陣地への突撃途中であり、ここで止めることは出来ませぬ。”
敵の魔力弾には何らかの付加魔法がかかっていたらしく、魔道砲による攻撃でトロールは重大な被害を被っていた。
だが、巨獣――猪は今だ健在で、敵の陣地に深く入り込みつつある。それだけに撤退は難しい。
アドニスはそう報告した。ヒースクリフは頷いて言った。
「判っている。しばし待て。氷上船団から猛吹雪を発して戦場全体を覆うとしよう。その間に卿は軍を纏めて撤退させるが良いだろう。
二時間後を目処に猛吹雪の展開を行うとしよう。卿のために氷上船<新世界秩序>号の搭乗口は開けておく。待っているぞ。」
同時刻 トーア同盟軍総司令部
「警戒魔法罠か。ヒースクリフめ、どこまで小細工をすれば気が済むのだ。」
報告を受けたドミトリー総参謀長は"電撃"の正体をそう看破すると舌打ちしながら言った。
「これで大協約に気が付かれてしまった。たしかに、ヴァーリ前面の敵は排除できるのだろうが――」
アレクサンデルが言葉を引き取る。彼は地図を見ながら言った。
「西部国境の敵軍が動き出す可能性がある、か。確かに大協約軍から見れば今が好機ではあろうな。ポラス国境だけでなく――」
彼は指を動かし、イーシア国境付近をたたきながら言った。
「イーシア周辺の中立国境付近もきな臭い。防衛線が長すぎる。いかにルビードラゴンがいようとどちらかは一気に押し切られるだろう。
ここはむしろ全軍を思い切って後退させ、大協約軍を東方大陸内部に引きずり込む方が良いのかもしれないな。」
ドミトリーが頷いて何事かを言おうとしたとき、机上の通信晶が黄色い光を放つ。
「"ご隠居"からだ。一体何事だ?」
彼はにこやかに話し始め、眉を顰め、最後にため息をついて判りました、というと通信を切った。疲れた表情でアレクサンデルの方を見ると言った。
「ヴァーリにやってくるルビードラゴン部隊の指揮官にした上、飛行機械の一部も指揮させろ、との仰せだ。老人達は無茶を言うよ。」
同時刻 ヴァーリ第二臨時飛行場
「ふむ、これで良いじゃろう。」
ライレーは満足げに通信晶をしまう。ユリアは肩をすくめながら言った。
「”すまんが、ルビードラゴン部隊の指揮官にしてくれんかのう”だなんて・・・幾らなんでも無理でしょう?」
「いや、大丈夫じゃったよ。」
彼女の言葉をさえぎった彼はけろりとした表情で言った。
「まあ、そうでしょうなあ。マードック如き猿顔に任せておくわけにはいきません。わしらの伝番でしょうな。」
ルーティも続ける。ニーナは思わず尋ねた。
「一体、あなた方は・・・」
「ああ、そういう面倒な話は後じゃ。まずは、ルビードラゴンがあとどのくらいで来るのか確かめねばならんな。」
ライレーはそういうとひょこひょこと歩きながら天幕の方に向かっていく。カトウに話を聞くつもりなのだろう。
ニーナ達は慌てて付いていった。
「"エルヤーン臨時飛行場から、二式単戦に載せて飛び立ったと報告がありました。あと一時間以内には到着する筈です。"」
何やら機械を操作している兵から紙を受け取ったカトウは言った。ライレーはしきりに頷いている。
「"そうか、間もなくじゃな。わしの部下達がやってくるのは。バラカスの小僧は少しはマトモになったのかのう。"」
彼の言葉を無視してニーナはカトウの脚の具合を尋ねた。実際に治療魔法を行使したものとしては気になるところだ。
「"カトウさん、脚の具合はどうですか?"」
「"もうほとんど問題ないとは思うのですが、まだ若干痺れています。咄嗟の動作は遅れるかもしれません。
これさえなければ飛べるのですが。"」
「"ふむ、ご隠居?"」
「"・・・そうじゃのう、カトウの力が必要かもしれん。やるか。"」
カトウの言葉を聞いた老人達はなにやら相談すると、カトウの方を見て言った。
「"カトウ、おぬしを助けてしんぜよう。
まず、ルビードラゴンを待つ間、ルーティがお前さんの脚を直す薬を調合する。それでたちどころに痺れが直るはずじゃ。
それと、お前さんが飛ぶための飛行機械はあるのじゃろうな?"」
「"予備機として持ってきた一式戦があります。ロシモフでの運用試験を兼ねていたので、機体だけは潤沢にあるのです。"」
「"ふむ、ではその飛行機械のところへ案内してもらおうか。わしが直々に加護を加えてやろう"」
ルーティを除く全員が困惑する中、ライレーが好々爺の表情を浮かべながら言った。
ヴァーリ第二臨時飛行場の片隅においてある"イッシキ"とかいう飛行機械。
ライレー、ユリアとニーナはこの周りに棒を使って急造の円と三角形を描き、あちこちに宝石を置いて急造の魔方陣を作り上げた。
ニホン人たちは慌しくしながらも横目でちらちらと見ていく。何が行われるのか、気になるのだろう。しかし――
「何なの、このペンタグラム。こんな術式見たこと無いわ。えらく古めかしいってのは判るけどね。」
ニーナはかがめていた腰を伸ばしながら言った。
ライレーはいつの間にか軍服ではなく、以前着ていた白いローブに着替えている。
「ほほう、”古めかしい”というのが判るだけでも上出来じゃ。やるではないか。」
でしょう、と褒められてあっさり追求を止めた姉を横目で見ながらニーナは言った。
「本当に古めかしいですね。でも、どこかで見たような・・・」
「さあさあ、詮索は止めじゃ。これからワシが呪文を唱えるから、誰にも邪魔させんように見張っておれ。
もしかすると、儀式が終る前にルビードラゴンが来てしまうかもしれんが、そん時は待たせておけ。」
彼女達が何か言うよりも早く、ライレーは瞑目する。そのまま抑揚をつけながら何事かを詠唱し始めた。
三角形の頂点に置かれた宝石が内側から輝き、地面に穿たれた筋でしかない魔方陣の線が白く光り始める。
「これは――」
ニーナがつぶやいた。ユリアも頷くと妹にささやきかけた。
「いくつかの儀式を同時にやるつもりね。一つは”破幻船の術”。妖精王の城へたどり着くため、”迷いの森”の術を打ち破る術。
どこかで見たことあるっていうあんたの言葉で思い出したわ。随分前に二人で調べた”失われた魔法”の本に載ってたわね。
乗り物に魔力を掛けることで、妖精王の”迷いの森”に対抗する精霊魔術。
"魔方陣は伝わっているが、呪文の内容は既に失われて久しい"って書いてあったのを覚えてるわ。
一人の術者が一度に一つしか掛けられないし、効果も一日しか持たないから、それほど便利なわけでもないのよね。
でも、失われたはずの”破幻船の術”の魔法を知ってるなんて、ライレーって一体・・・」
彼女達の戸惑いをよそに、ライレーは一心に呪文を唱え続けていた。
"イッシキ"に対してのいくつか儀式が終るのとルビードラゴン到着の知らせが届いたのはほぼ同時だった。
ただし、その知らせには予想していない内容も含まれていた。
「"・・・気絶しておる、じゃと?"」
「"はい、変わった髪型をした大柄な方が。余程怖かったのでしょうか、うなされているようです。"」
額に光る汗をぬぐいながらライレーが天を仰いだ。
「"あの馬鹿、手間ばかり掛けさせおって・・・"」
ルビードラゴンが寝かされている天幕まで移動すると、丁度、ルーティの薬も調合が終ったところだった。
ニホンの軍人と話していたカトウを呼ばわるルーティの声を聞きながら、ライレーは人型をとる竜の頬をぴたぴたと叩いている。
赤紙で大柄なアルビノの男は呻くばかりで目を開ける様子が無い。ライレーは傍らに立つ男を見るとげんなりして言った。
「マードック、おぬしが付いておりながら何たるザマじゃ。」
「実に申し訳ありません、としか言いようがありません。しかし御前様、あれは中々に怖かったのですぞ。」
猿顔の男がライレーに謝っている。軍服の徽章を見るに紅玉竜の竜騎士であるらしいが、それでもライレーには頭が上がらないようだ。
――いきなり将軍になる件といい、さきほどの魔法といい、この老人は一体?
そんな事を思っていたニーナはライレーが声をかけたのに気が付いていなかったらしい。
「嬢ちゃん、覚醒魔法じゃ。・・・どうした?ボーっとしおって。はよう、このウドの大木に覚醒魔法をかけるんじゃ。」
彼女は我に帰り、慌てて覚醒魔法をかける。幻覚魔法を応用した、どんな生物にでも効果がある数少ないの魔法の一つだ。
嗅覚神経を刺激し、エルフや人間なら強烈な酢を嗅いだような感覚を与える強烈な幻覚魔法。だが、眠っている場合にしか効果が無いので覚醒魔法として使われているのだ。
その覚醒魔法をかけられて、目を閉じていた男が咳き込みながら目を覚ました。明らかに状況を認識できてない様子であたりを見回している。
「ここはどこだ?俺は死んだのか?これが”あの世”なのか?」
「呆けるのも大概にしておけ、このボケ竜めが。さっさと出撃の準備をするのじゃ。」
「ああ?この俺様にボケ竜とはいい度胸――」
悪態をついたライレーに悪態で返した男はそこまで言うと固まった。慌てて起き上がり、その場に跪くと青くなりながら詫びる。
「御前様!咄嗟に気が付かなかったとはいえ、暴言を吐きましたことをお許し願えますでしょうか。」
「ああよいよい、今はそんな事を気にしておる場合では無いだろう。」
老人が鷹揚に頷いた。天幕の別のほうからはカトウが驚きの声を上げるのが聞こえてくる。
「ご老人!確かに痺れが消えました。これは一体・・・」
「老人の知恵というやつですな。最初の回復魔法での手当てが早かったからこれで済んでおるのです。ニーナさんにお礼を言うのですね。」
カトウたちのやり取りを耳に挟んだライレーが真面目な顔をして言った。
「"さて、これで役者が全て揃ったわけじゃな。では作戦会議じゃ。
ちなみに、これからこの作戦の間中、ここに居る全員はこの”ウイリアム・ライレー”将軍に従ってもらうぞ。
カトウ君もじゃ。上層部の許可は取ってあるから、そこは心配せんでも良いぞ。"」
不安なら念のために確認してみたらどうじゃ、そう言ったライレーに従い、カトウはヤマシタに詳細を確認した。
確かに間違いではなかったらく、彼は驚いた表情で老人達を見つめる。
「"山下閣下によれば、私だけでなく六十四戦隊の搭乗員は全てライレー閣下に従うようにとのお話でした。俄かには信じられませんが・・・・"」
「"・・・ドミトリーは些かやりすぎたようじゃが、まあ良い。さて、では軍議を始めようかの。"」
とはいえ、ライレーの作戦は非常に単純だった。
「"今は乱戦になっておるらしいからな。このタイミングでルビードラゴンで乗り込んでいっても、味方も巻き添えにしかねない。
よって、まずは後顧の憂いを断つためにヒースクリフの船団を見つけ出して叩く。
そうすれば、奴等は降伏するに違いない。猪程度でルビードラゴンに対抗するほど、やつらも阿呆ではあるまい。"」
そう言うと彼はカトウを見つめて言った。
「"あやつは”迷いの森”の魔法で船団を隠しておる。じゃから、まずカトウが上空を飛んで氷上船を見つけ出すのじゃ。
おぬしの飛行機械ならばそれが出来る。そのための魔法もかけておる。
猛吹雪への加護もついでにつけてあるから、どうなっても安全じゃ。
ただし、結界内部にはホワイトドラゴンがいる可能性が高い。空戦もあり得るから、そこだけは注意するんじゃ。"」
「判りました。氷上船を見つけたらどうすれば?」
「”迷いの森”の結界を内側から破壊する。そのために――」
老人はポケットから何か小さな薬瓶を取り出した。虹色に光る怪しい液体が詰まっている。
ニーナはその液体から強烈な魔力を感じた。ただし、どのような種類の魔力かは全く見当がつかない。
彼女は驚いた。服の中にそんなものをしまっていたのに気が付かないはずは無い筈だった。
姉も同様の表情をしている。あきらかに怪しいが、今はそれを追及している時間はない。
ライレーはそれをカトウに渡しながら告げた。
「"フウボウ"とかいったか、兎に角、飛行機械搭乗席のガラス囲いを開けてこの中身を空中にばら撒くのじゃ。
これ一瓶で、暫くは――そうじゃな、長ければ10分程度は結界が無効化されるはずじゃ。」
「"僅か10分ですか?"」
ニーナは問い返した。”迷いの森”の魔法を無効化するとはいえ、10分ではあまりに短いように思えたのだ。
「"10分もあれば充分じゃろう?その間に――"」
ライレーは竜と竜騎士に向かい直ると言った。マードックとバラカス以外にももう一組いたが、そちらはどことなく影が薄い。
「まず、わしが探知魔法で氷上船団の中核を見つけて攻撃するから、そのおぬし達はその船に追撃を行うのじゃ。
さすれば氷上船団は壊滅し、大協約軍は降伏。お味方大勝利は間違いなし、といったところじゃ。」
なにか質問はあるかの、というライレーにニーナは尋ねた。
「私達は何をすれば良いんですか?」
彼は小首を傾げ、何かを考え込む。しばらくして、明らかに今思いついたという口調で言った。
「うむ、おぬし達には決着がついた後に動いてもらうとしよう。それまではわしとそこのハゲと行動を共にしてもらおう。」
ニーナ達はライレーとともに金竜ルーティの背に乗ると一足早く戦場に戻った。ルビードラゴン達は"ばす"で戦場に向かっている。
「勝機は今しばらく来ないじゃろう。少し時間を空けてくるくらいで丁度良かろう。」
そういったライレーの言葉に従った結果である。とはいえ、"ヒコウジョウ"と戦場とは指呼の距離だ。半時ほどで到着するに違いない。
金竜の背から降り、たどりついた戦場は混沌としていた。
地面に掘られた、人の背丈ほどの溝――ニホン人たちが”ザンゴウ”と呼んでいるそれから首だけを出しているエルフの魔道士たち。
彼らが口を開くたびにそこから青白い光が伸びて大協約の兵士達を打ち倒していく。おそらく、大地の力を借りる精霊魔法の攻撃呪文を水平発射しているに違いない。
たしかにあの”ザンゴウ”であれば、大地の精霊の力を借りやすい。ニホン人達は面白いことを考えるものだ、ニーナは思った。
ただ、肝心のニホン兵達は例の不思議な個人用魔道砲――彼女は、ニホンの兵士が"キュウキュウシキ"とか言っていたのを思い出した――を撃っているだけだ。
精霊魔法を使っているものは居ない。魔道士と思われる髭の男はサーベル状の剣を振り回しているだけだ。
魔力を回復する間、ああやって剣を振り回しているのだろう。何の意味があるかは分からないが、何か効果はあるに違いない。彼女はそう考えた。
虎人が作ったと思しき木を削った防獣柵も、ニホン人が持ち込んだ棘のついた針金も効果的に作用しているようだ。
大協約軍の人間歩兵達がそれらに足止めされていところに、”ケーキ””ジューキ”から降り注ぐ小型魔力弾が降り注ぐ。
身動きの取れない彼等は無残に引き裂かれていく。
本来であれば、人間歩兵達がそれらに掛かる前に戦場を”掃除”するはずのトロールたちは、ニーナたちが仕込んだ魔力弾によって撃退されていた。
トロールの武器はその巨体と怪力、そしてその超回復力である。魔法であれ剣であれ、小さなダメージの蓄積で倒すような先方はトロールには通用しない。
細かい傷は、その超回復力で即座に回復されてしまうのだ。だから、彼らを倒すには一撃で殺しきる強大な力を行使する必要がある。そのはずだった。
彼女達がルーティの指示で"超回復逆転魔法"の魔力を込めた魔力弾とその破片は、そのトロールの超回復力を完全に無にしている。
巨体と怪力は健在ではあったが、"超回復逆転魔法"が聞いている今、彼等は少しの傷でもあっというまに化膿して壊死するほど脆弱な存在になっていた。
虎人はその隙を容赦しなかった。彼らが飛びつき、その爪で引き裂き、牙で噛み付くだけでトロールたちが続々と倒れていく。
彼らの雄たけびが戦場に響いていた。
「ハタリハタマタ!」
陣地を蹂躙せんと迫る猪の群れに対抗しているのは、ニホンの"センシャ"達だ。
特に、先の夜襲では姿を見せていなかった"トツゲキホウ"、"ジソウホウ"とかいう"センシャ"の活躍は目覚しい。
素人目にもチハよりも明らかに大きな魔道砲を積んでいるのが分かるそれらが吼えるたびに、猪が胴を打ち抜かれ、四肢を吹き飛ばされ、頭が爆ぜていく。
特に"海軍のセンシャ"、"ジロ車"と呼ばれていた、巨大な砲を持つ"ホウセンシャ"の活躍は目覚しいかった。彼等は圧倒的な力を発揮している。
巨大な"オイ車"も途轍もない速度で砲を撃ち続けている。ニーナは、ハラ将軍が「きっと活躍してくれる」といっていたことを思い出していた。
「・・・もしかして、押してるの?」
ユリアが聞いた。ライレーは首を振る。
「確かに、今は勝っているかも知れん。だが、魔法使い達はそろそろ限界に見えるし、魔道砲の弾もいずれ尽きる。
ヒースクリフもまだどこに隠れているかも分からん。まだ、予断は許さんよ。」
彼がそういったとき、彼らの右前方に空から頭を打ちぬかれた三匹のホワイトドラゴンが落下してくるのが見えた。
飛行機械が三機、翼を炎で赤く染めながら急降下してくるのが見える。おそらく、あの飛行機械達が撃墜したのだろう。
ただでさえ数的劣勢にあったホワイトドラゴン達は、この様を見て大協約陣後方に引き返す機動を取り、距離を置き始めていた。
ライレーがつぶやいた。
「まもなくじゃな。カトウ、頼むぞ。」
そういった直後。風が吹き、雪が舞い始める。ヒースクリフの氷上船団が姿を現そうとしているのだ。
同時刻 ヴァーリ前面大協約陣地後方・ヒースクリフ大公旗艦・氷上船<揺籃の星>号
”では、刻限でございますな?”
「そうだ。これから吹雪を展開する。貴公は<新世界秩序>号に移動し、膠着状態にある軍を立て直せ。」
ヒースクリフはアドニスとの通信を終えると、"雪の女王"を見る。ここからが大事な局面だった。
だが、”迷いの森”を越えて吹雪を吹かせ始めた"雪の女王"は少し不快気に顔を歪めている。
「どうしたのです?」
彼女は目を閉じ、額を押さえながら言った。
「何かがわらわの”迷いの森”を強引に突破しておる。強引に入ってきておる・・・」
そこまで言った”雪の女王は”顔を更に歪めて頭を抱えた。
同時刻 氷上船団上空
加藤中佐はただ一機で猛吹雪の中に突入していた。あの老人の魔法を信頼することにしたのだ。馬鹿げているという自覚はあったが、後悔はしなかった。
そして、それは正しかった。吹雪の影響も”迷いの森”の魔法結界の影響もなく氷上船団の上空にたどり着いたのだ。
彼は風防をほんの少し開ける。外は猛吹雪だったが、雪が吹き込む事はなかった。それどころか、寒さ一つ感じる事もない。
彼は魔法の威力に驚嘆しつつも、ライレーから渡された小瓶の中身を空中に振りまいた。気のせいか、少し機体が軽くなった感触がある。
だが、加藤にはそれを訝る余裕はなかった。彼の接近を察したホワイトドラゴン部隊が集まってきたのだ。
加藤中佐は風防を閉じるとドラゴンとの空戦に入る準備をした。列機が居ない状態での空戦など無謀だとは思うが、ここはやるしかない。彼は機体をドラゴンに向けた。
「敵は僅か一騎だぞ!一騎すら落とせないとは何たるザマだ!それでも白竜騎士団の精鋭か!」
オーガスト白竜騎士団長は激怒し、通信晶に向けて罵声を浴びせている。
ただ一騎で吹雪の中に入り込んだ飛行機械を撃墜するのは容易い仕事のはずだった。
だが、現実は違う。その飛行機械は今まで見聞した飛行機械とは違い、強大な魔力で守られていた。
ホワイトドラゴンのブレスは無効化され、魔法はかき消される。オーガストはこれほどに強力な結界を見た事が無かった。
――何か、道の魔法ということか。我等の魔力を無効化する混沌の呪法か?
彼は一瞬そう思ったが、すぐにその考えを打ち払った。
ヒースクリフ大公の話では、ニホンの奴等には何の魔力も無いらしい。やつらにこのような魔法が使えるはずが無い。
それに、そんな事はどうでも良い。今は戦闘中だ。結果が全てなのだ。
彼がそんなことを考えている間にも、飛行機械は白竜騎士団と交戦している。
こちらの攻撃が届かない中、飛行機械は吹雪の中を悠々と飛び回り、ホワイトドラゴンを次々と撃墜している。
魔法もブレスも効果が無い、ならば――
「格闘戦だ!全騎、格闘戦に持ち込め!やつには牙も爪もない!接近すれば勝てる!」
彼はそう叫ぶと、格闘戦を挑むべく騎竜”ストーンコールド”と共に突撃していった。
白竜騎士団の全騎は隊長の言葉を受け、飛行機械への包囲を開始した。その牙が届くまで、あとわずかだろう。
――二式単戦の搭乗員、高梨大尉とかいったか。あいつから話を聞いておいて良かった。
彼は高梨の言に従い、一撃離脱に徹していた。一式戦は軽戦であり、必ずしも一撃離脱に向いているわけではない。
だが、そうする他は無かった。いかに軽戦とはいえ、ドラゴンの常識外れの空戦機動に追従できるはずも無い。
それに、あの老人のかけてくれた魔法。
加藤には理屈は分からないが、彼の駆る一式戦は吹雪だけでなくドラゴンの使うあらゆる魔力が無効化されていたのだ。
こちらを攻撃手段を敵がもっていないのであれば、いかにドラゴンの空戦機動が卓越していようとも結果は見えている。
彼は遠距離武装が無効化されたドラゴンを立て続けに五騎ほど撃墜していたのだ。しかし――
――”格闘戦”に持ち込む気になったか。もはやこれまで、かもしれんな。
加藤中佐はどこか冷静に考えていた。一式戦は飛行機だ。噛み砕く牙も引き裂く爪も持っていない。
あるとすればプロペラだけだが、それを失えば墜落してしまう。
一頭のホワイトドラゴンが至近距離まで近づいてきた。牙をむき出しにして、翼に噛み付こうとしている。
もはやこれまで、彼が覚悟したときだった。白く小柄な竜に炎球が命中し炸裂した。ドラゴンは地上に落ちていった。
加藤は驚いて周囲を見渡す。巨大な金竜と視線が合った。金竜は口角を上げると、ルーティ老人の声音で言った。
「ここから逃げましょう。私について来てくださいな。」
ニーナは空気が軽くなったのを感じた。思わず瞬き、あたりを見回す。周りの様子に特に変わった様子はない。
吹雪は相変わらずつんざくような音をたてて荒れ狂っているし、気温も下がり続けている。だが、何かが違う。これは――
「カトウがやってくれたのじゃ。これからが正念場じゃ。」
「ルーティはどこに行ったの?」
ユリアはライレーに尋ねた。気が付いたときには既にルーティの姿は無かったのだ。
「カトウを助けに行っておる。飛行機械には牙も爪もないから、苦戦しておるじゃろうと思うてな。」
ライレーは何でもないことのように答えた。
「じゃあ、はじめっからルーディにやらせれば良いのに・・・」
ユリアの言葉に、老人は短く「理由があるのじゃ」とだけ言うと、呪文を詠唱し始める。
事前の計画通り、敵の本陣を探そうというのだろう。ニーナたちは彼の詠唱を見守った。
「頭の中で蛇がのたくっている・・・ヘクター、わらわを、わらわを見捨てないでたもれ。」
"雪の女王"は苦しげに呻いている。その冷たく白い手を取りながらヒースクリフ大公は言った。
「まもなく”しるし”が現れるはずです。そうすれば、吹雪を一時的に解く事が出来るはず。しばしご辛抱ください。」
――ここからが一番重要な一幕だ。アドニス、うまくやってくれよ。
アドニスは事前計画通り、<新世界秩序>号に座乗を完了していた。
豪奢な作りの指揮官個室でソファに腰をおろしながらアドニスは考えていた。
――吹雪の発生も予定通りの時刻だった。このまま行けば、撤退は上手く行くだろう。流石はヒースクリフ大公殿下。
あとは、このまま我等も撤退し、10月1日の宣戦布告後の混乱に乗ずれば――
そのとき、彼はテーブルの上に「遠征軍最高司令官宛」と書かれた封緘命令書とヒースクリフの書置きを見つけた。
手早く書置きを読んだ彼は封緘命令書を開き、その命令に従って指揮官個室にあった大きな壷を開いた。
充填されていた巨大な魔力が解放され、あたりを圧倒していくのが感じられた。
「そこか!ほれ、今じゃ!」
ライレーが吹雪の只中の一点を指し示した。後方からルビードラゴンの大音声が響き、巨大な火球が炸裂する。
一瞬の後、吹雪がかき消され、炎上する一隻の氷上船が姿を現した。
「今です、"女王"陛下!今なら吹雪をとめるのです!」
何かが炸裂する轟音が聞こえるや否や、ヒースクリフは叫んだ。女王は吹雪を止めるとその場にくずれおちる。彼は口角を上げた。これで、大抵の奴等は騙せたはずだ。
轟音と共に吹雪がやんだ。加藤は驚愕し、地上の様子を伺う。炎上した氷上船と、それに向かって撤退しつつある敵の軍勢が見える。
――何故、撤退する必要がある?やつらの方が明らかに優勢だろうに。
その答えはすぐに分かった。轟音と共に軍勢の只中に巨大な火球が炸裂したのだ。加藤中佐は頭を巡らせ、火球を放った存在を探した。
――探すまでも無かった。それは圧倒的な存在感を放ちつつ、高みからあたりを睥睨していた。
紅玉に覆われた肌を見れば、誰でもその名前の由来に気が付くだろう。
「あれが、ルビードラゴン・・・」
その独語をどうやって聞きつけたのか、傍らを飛ぶ竜型のルーティが言った。
「カトウさん、余所見をしている暇は無いですよ。急がなければ。」
彼は自分が逃走中であることを思い出した。スロットルを目一杯に開く。臨時飛行場に帰り着くまでが彼の戦闘だ。
オーガスト白竜騎士団長は飛行機械の追撃をあきらめた。あの機械を護衛している金竜の心当たりがついたからだ。
――あれは”偉大なる金竜”<ラヨシュ・ティヤシュ>。神話時代から生きる伝説の金竜だ。我等ごときがかなう存在ではない。
見たことも無い魔法結界が張られている理由もこれで理解できた。その程度は”偉大なる金竜”であるならば容易い芸当だろう。
あの飛行機械を見逃すのは口惜しいが、ここで白竜騎士団を全滅させることは出来ない。
彼がそう決断したとき、<ラヨシュ・ティヤシュ>が飛行機械に話しかけた声が聞こえた。
――そうか、あの飛行機械の騎士は”カトウ”というのか。・・・覚えておくが良い。貴様は必ずこの私が落とす。必ずだ。
白竜騎士団長はそう決意すると、配下の全騎に氷上船型竜母船<造物主の掟>号への帰還を命じた。
「やったじゃない!これで勝てそうね!」
はしゃいだ様子の姉の言葉にニーナも頷いた。敵がいかに大軍とはいえ、上空援護のドラゴンは不足している。これで勝てるだろう。
ルビードラゴンは姿を現した氷上船を完全に破壊し、矛先を軍に向けている。敵軍に次々と巨大な火柱が立ち上り、何かが吹き飛ばされていく。
いつの間にか戻ってきていたルーティも汗を拭きながら満足げにしていた。ライレーだけが厳しい表情を崩さずに炎上した氷上船を見つめている。
ヒースクリフは満足していた。<新世界秩序>号に積んでいた"雪の女王"の魔力を込めた”囮”の解放は上手く機能したらしい。
これで、あの船が旗艦と認識されたはずだった。万が一を考えての策ではあったが、この局面で上手く機能した。
実際、ルビードラゴンは”旗艦”を破壊したと判断したらしい。氷上船への攻撃をやめ、矛先をアドニスの軍勢に向けている。
ヒースクリフは顔色を取り戻しつつあった"雪の女王"に優しげに声をかける。
「陛下、今ならば撤退できます。吹雪と”迷いの森”の結界をお願いします。・・・帰りましょう、アケロニアに。」
"雪の女王"が頷くと共に、氷上船団は再び吹雪に包まれる。ヒースクリフは矢継ぎ早に命令を下しながら思った。
――完全ではないにしろ、こちらの思惑を読んだ者が居るとはな。馬鹿と無能ばかりではない、ということか。
「この波動は・・・やはりヤツをしとめきれなかったのか!ヒースクリフめ、小癪な事を!ならば!」
再び吹き荒れ始めた吹雪の中、ライレーは全身に魔力を漲らせながら叫んでいる。今までニーナ達が見てきた老人とはまるで別人だ。
ニーナには人の体であれほどの魔力を発揮しているのが信じられなかった。彼女の最大魔力量の優に十倍以上はあるだろう。
「御前様!落ち着きなさいませ!」
ルーティがライレーに向けて呼びかけた声で、ニーナは我に返った。ルーティの口調もいつものようなものでは無かった。
それだけ切羽詰まった事態なのだろう。しかし、金竜を慌てさせる事態とはどのようなものか、彼女には想像がつかない。
ライレーは返事をしなかった。彼は目を閉じ、険しい表情を崩さぬままなにやら呪文を唱えはじめていたのだ。
だが、その旋律はニーナが聞いたことも無いものだ。カトウの飛行機械に加護を加えたとき同様、古代の呪文なのだろう。
傍らにいるユリアに目をやるが、彼女も首を振る。様々な魔道書に通じている彼女でもわからない呪文なのだ。
ライレーを中心に尋常ならざる魔力が渦巻き始めた。渦はどこか禍々しい。まともな呪文ではないように見える。
渦はやがて球体として纏まっていく。それは黒く光ながら稲妻を放ち、雷が爆ぜる音が辺りに広がる。
大気が焼ける匂いが充満していた。ライレーはそれを気にすることも無く呪文の詠唱を続ける。
”ルトラェウセク・ムロル=ェウネスク、そおけ・とかぇう、ソェウイザ。 いず・トスロトェウイザ、イトハ・・・・”
詠唱が佳境に入ったのだろう、球体に集まる魔力がより一層強大なものになっていく。
ルーティはいつもの緩慢な動作からは想像できない素早さで瞬時にライレーの元に移動し、彼を羽交い絞めにして詠唱を中断させた。
黒い球体は明滅し、唐突に姿を消す。それが存在していた証は大気が焼けた匂いのみだ。
ルーティは叫ぶように言った。
「御前様、いけません!まだその刻限でありません!」
ライレーは激怒しながら叫んだ。その怒声ですら尋常ならざる力を感じさせた。
「離せ!邪魔をするな!今ここでヤツを始末すれば、それだけ多くの命が――」
「確かに仰る通りではありますが、まだ刻限ではありません。
ここで討ち果たした場合、”修正”の余波がどれだけのものになるか見当もつきませぬ。
今まで積み重ねてきたものを、この数万年を、特にこの三千年を無にするおつもりですか!?」
ライレーは言葉に詰まり、ルーティを睨みつける。唇をかみ締めながら、彼に全く似合わない吐き捨てるような口調で言った。
「この好機を見逃せというのか。この、絶好の機会を。」
ルーティは大きく息を吸い込んで深呼吸してから言った。彼も、本心では穏やかな気分ではないのだろう。
「ヤツを始末するのは我等が悲願。私も、刻限でさえあれば喜んで手を下します。
ですが、先ほども申し上げたとおり、まだ刻限ではありません。どうか、ここは――」
ライレーはしばらくルーティを睨む。そして、地平線上に姿を消そうとしている氷上船のほうに目を逸らすと言った。
「・・・命拾いしたな。刻限までは・・・ヒースクリフよ、その命、貴公に預けておこう。」
東方暦1564年11月13日 ムルニネブイ東方海上・貨客船「氷川丸」船上
「結局、ライレーとルーティって何者だったんだろうね・・・」
ムルニネブイ首都・アムリエルから日本へと向かう貨客船「氷川丸」の船上。
雲ひとつ無く晴れ上がった空を見ながらユリアが言った。姉の言葉を受けてニーナは応じた。
「何者だったんでしょう・・・それを知るためにも、ニホンに行く必要があります。」
あの後、大協約ロシモフ遠征軍司令官兼猛撃猪突重騎兵団団長アドニス伯爵が降伏してヴァーリ前面での戦闘は終った。
大量に発生した残務処理――ニーナとユリアは、軍隊も所詮は"お役所"なのだと思い知った――を彼女達に押し付け、いずこともなく姿を消していた。
全てが終った後で残されたものは、彼らが宿舎代わりにしていた<青い巨星>亭のスイートルームの文机に置かれた書置きだけだった。
”残務処理が終ったらニホンに来てくれんか。渡航費用と報酬はギルドに預けてある。わしらは先に行っておる。トーキョーで会おうぞ。”
何をすれば良いのかは書いていなかった。それを確かめるためにギルドに行った彼女達は、依頼内容と報酬の額に目を疑った。
依頼内容は3年間の探索任務。詳しいことは判らないが、伝説の<ドラゴンスレイヤー>――竜殺しの長剣を見つければ良いらしい。
報酬は、手付けに一人5000ゴールド。探索中の費用は老人達が持ち、発見に成功すれば成功報酬として三万ゴールドだという。
探索案件としては破格といえる。ちょうどニホンには行ってみたかった事もあり、彼女達はこの依頼を受けることにしていた。
本来であればもう少し早くニホンに迎えるはずだったが、大協約による西部ロシモフ侵攻の混乱でここまで遅れていたのだ。
「何ていったっけ?その、探すやつ。」
ユリアが気だるげに言った。ニーナは慣れないニホンの言葉を思い出しながら応える。
「"トツカノツルギ"の一つ、"アメノハバキリ"とかいう剣です。ニホン神話での"創造神"がもたらした伝説の神剣です。
彼らの神話では、荒ぶる神がこの剣で巨大竜"ヤマタノオロチ"を退治したのだとか。」
答えながらも、彼女には今ひとつ自信が無い。いかに経験豊富な冒険者といえど、ニホンに関する知識は付け焼刃の域を出ない。
ムルニネブイで東方語に訳されたばかりの"ニホンの神話"という本を買ってはいたが、まだ探索に必要なだけの知識を得たとはいえない。
実際のところ、探索に必要な神話や伝説の知識を得るだけで一年以上はかかるだろう。姉妹はそう考えていた。
彼女は現代ニホンについてかかれた本の内容を思い出しながら言った。
「神話時代の剣のうち、"クサナギノツルギ"は"アツタ"という神殿に現存します。それを見れば少しは手がかりになると思います。」
他に手もないし、まあそんなトコよね、姉は気のない様子でそう答えると伸びをしながら言った。
「でもニホンの学者さんが探すならともかく、なんであの人達がそんなもん探すのよ。ま、ニホンにいけるし、お金ももらえるから良いんだけどね。」
そう、そこだわ。ニーナは思った。根本的な疑問は解決されていない。何故、異世界から来たばかりの国の神器をあの老人達が知っているのだろうか。
妹の複雑な思いを無視するかのように、ユリアは吹っ切れた表情で明るく言った。
「ま、その辺は後で考えればいっか。それより、ニホンに行ったら手付金で"リクオウ"を買うわよ!あれに乗って、ニホン中を旅するんだからね!」
統合暦74年11月25日 神都アケロニア"法の宮殿"、神官王祈祷所"祈りの高台"
神官王の祈祷所、通称"祈りの高台"は、広大な"法の宮殿"の中でも特に高貴な場所とされていた。
大広間の中に高台が築かれており、神官王に許された人間以外は誰であろうと近づくことは出来ない結界が張られている。
そして、今――そこに三人の人影が向かっていた。
神官王ヴィンセントの腹心、アンケル侯爵。
そして、小箱を携えたトーア攻略部隊遠征司令官にして神官王娘婿のヒースクリフ大公。
もう一人はなにやら薄いヴェールを被った女性だった。三人は高台に上る。
ヴィンセントは三人に背を向け、<法の神々>の神像に向けてなにやら唱えていた。
アンケルとヴィンセントが神官王の背後で跪くと、それを察したように神官王が後ろを振り返る。
その表情はいつもの如く慈父のそれだった。ヒースクリフ大公が言葉を発した。
「ヘクター・ハースト・ヒースクリフ、御前に。
・・・なかなか刺激に富んだ旅路でしたが、こちらの"雪の女王"様のお陰で快適に過ごせました。」
「わらわも中々楽しませてもらったぞ。あのような形で力を振るったのは久しぶりじゃ。」
ヒースクリフ大公の言葉にヴェールの女性――"雪の女王"は答えた。
ヴェールの奥にのぞく額に光る黒い宝石の輝きが異彩を放っているのに比べ、その表情はどこか虚ろだった。
声にもどこか張りが無い。"雪の女王"は続けた。
「長旅であったゆえ、わらわは疲れた。もう下がっても良いか?」
神官王は彼女の手を取ると優しく言った。
「大協約の民を統べるものとして御礼を申し上げる、"雪の女王"よ。全てが終った暁には、必ず報いて見せますぞ。」
「うむ、楽しみにしておるぞ。・・・ではな、ヒースクリフ。」
彼女はそのまま身を翻すと高台を降りていく。このまま宮殿内に作られた彼女の居室に向かうのだろう。
"雪の女王"が大広間を出たことを確認した後、神官王ヴィンセントは皮肉な顔をしてヒースクリフに問いただす。
「ヘクター、随分となつかれておるようだな。ステフを、わが娘を泣かせるようなマネはしておるまいな?」
「お戯れを。いかに私といえど、ステファニーを泣かせるような事はいたしませぬ。それに――」
アンケル侯爵に目線を送る。アンケル侯爵はいつものごとき鉄面皮で淡々と答えた。
「"雪の女王"の自我は<漆黒の輝石>に食われており、精神年齢は十歳程度です。あれは子供が兄に懐くような行動でしょう。
<漆黒の輝石>は効果を完全に発揮しております。まさに<祭祀書>どおりです。」
神官王は頷くと、ヒースクリフに問いかけた。
「して、ヒースクリフ、そちの首尾はどうであった?」
「上々にございます。鹵獲いたしました"混沌の武具"についてはこちらをご確認ください。」
そういって小箱から目録を取り出して捧げる。受け取ったヴィンセントはからからと笑うと、楽しげに続けた。
「卿の稚気は相変わらずであるな。余が何を欲しているか、判らぬ卿ではあるまい?」
「判っております。ですが、表向きの理由も一応はご確認いただきませんと。」
ヒースクリフも楽しげに答える。彼らにとって、これは極普通のやり取りだった。
もっとも、神官王にこのような態度に出る事が出来るのはヒースクリフ大公以外には居ない。
「ふむ、道理ではあるな。もっとも、読まずとも大筋は分かる。
彼奴等に魔力などかけらも無く、あの”歯車機械”には混沌の加護などかかっていない、そういう事であろう?」
ヒースクリフは感じ入ったという表情で頷くと言った。
「ご賢察の通りです。我等の推察どおりです。きゃつ等はただの"平民"と同じ、烏合の衆に過ぎませぬ。」
「そうであろう。分かりきったことだ。まあ、これは後で読んでおこう。<八者>どもが色々と煩いからな。」
神官王はあまり興味が無い様子で冊子を脇に置いた。
ヴィンセントの口調が真剣なものに変わる。明るかった場の空気が一気に張り詰めたそれに代わった。
「すでに報告は受けているが、念のために尋ねる。間違いないのだな?」
ヒースクリフ大公も笑顔をおさめて言った。
「はい。巨大な金竜が一撃のもとに白竜を撃破していく様をオーガスト白竜騎士団長以下数名の竜騎士が確認しています。
ドラゴンのブレスも魔法も無力化する結界といい、今回の"雪の女王"の結界を破る力といい、間違いありません。
<ラヨシュ・ティヤシュ>が目覚めたのは確実と思われます。」
アンケル侯爵が口を挟んだ。
「氷上船に残されていたホワイトドラゴンの検死も行い裏も取っています。。
残留魔法調査の結果、数万年単位の魔力の蓄積が確認されています。”偉大なる金竜”の痕跡と見て良いでしょう。」
神官王はその言葉に頷くと言った。
「今回遠征の"真意"が同盟内部に知られたと思うか?」
「いえ、それは有り得ませぬ。」
ヒースクリフは即答した。彼は続ける。
「"彼等"は、必ずしも"同盟の守護者"という訳ではありません。"彼等"には"彼等"の目的もあります。
大協約総軍の諜報網にも、"我等"の諜報網にも、"真意"が知られたという情報は上がっておりませぬ。」
ヒースクリフは、それに、と言うとアンケル侯爵の方を見る。侯爵は大公の言葉を補足した。
「"封印"を解く必要がある以上は、彼らに知られずにいることは不可能です。
いかに彼ら自身では"封印"を解けぬとはいえ、常に監視していることには変わりないのですから。」
彼の言葉を受けてヴィンセント言った。
「同盟に知られること自体はどうでも良い。だが、つまらぬ横槍が入るのも面白くない。
ここまで来たのだ。最後まで気を抜かぬようにせねばな。」
「御意にございます」
ヒースクリフが頭を垂れた。それを見た神官王は再び笑顔を浮かべると言った。
「さて、ヒースクリフ。改めて問う。首尾はどうであった?」
「上々にございます。」
ヒースクリフ大公は笑顔を浮かべると、先ほど冊子を取り出した小箱からさらに何かを取り出した。
人間の頭ほどの大きな琥珀の中に、何かの動物が封じ込められているようだ。
彼はそれを神官王に捧げる。ヴィンセントはその琥珀を手に取ってると、顔の高さまで持ち上げて眺めた。
拳大の、哺乳類の胎児状のものが封じ込められている。気のせいか、胎児の心臓の辺りが脈打っているようにも見える。
ヒースクリフは言った。
「<祭祀書>どおり、ハン=ジーレの地下深くに埋められているのを発見してから早5年。
随分とお待たせして申し訳ございません。思っていたよりも大事になってしまいました。」
ヒースクリフはわざとらしくため息をつくと言った。
「これを掘り出すためにはハン=ジーレ要塞内の"祭壇の間"を元通りに修復する必要がありました。
そしてそのためには、近くの町に持ち去られていた<喜びの鐘>を奪回しなければなりませんでした。」
まこと綱渡りでした、苦労させられました。まったく苦労していない口調でそう言う。
だが、実際に危うい状況であったのは確かだ。仮にエルヤーンに強力な守備隊がいた場合、事がこのように進んだかどうかはわからない。
ニホンの空中部隊とミノタウロス部隊があと3日早く攻撃を仕掛けていたら。一週間早くアースワームがハン=ジーレに向かっていたら。
もし、そのような事があれば彼はここに"琥珀"を持ってくることは出来なかったに違いない。
しかし、ヒースクリフ大公はそんなことはおくびにも出さず続けた。
「さらには、<目覚め>にナイトメア級の夢魔数千の力が必要な上、証拠隠滅のための自爆も行う必要があるとは。
全ては"法の神々"の定めどおりとはいえ、大変な手間をかけさせられたものです。
それでも、こうしてここに戻ってこれたのは、ひとえに我等が軍の"優秀さ"によるものでしょう。」
彼は皮肉げに言った。
神官王ヴィンセントは笑顔を深めると、いつものように楽しげに言った。
「しかし、まさかこのような手段を使うとはな。流石はヒースクリフよ。余は思いも付きましなかったぞ。
"同盟軍の中枢を食い破る奇襲作戦"と"それを支援する街道封鎖"、おまけに"混沌の武具の鹵獲"か。
まあ、成功しておれば確かに効果は高いだろうがな。」
「ドラゴンオーブで要塞の機能を生き返らせる必要があるとあっては、軍を動かさねばどうにもなりませぬ。
かといって、ポラス国境から進軍してもハン=ジーレまでたどり着くには年単位の時間が掛かるでしょう。
いや、そもそも進出できるかどうかもやってみなければ見当がつきません。
それでは”百万世界の合”に間に合いませぬ。これしか手はありませんでした。とはいえ――」
ヒースクリフは皮肉げに言った。
「如何に義父上の"ご助言"があったとはいえ、この作戦を承認するというのは如何なものでしょうな。
総軍司令部作戦本部の能力に若干の疑問を持たざるを得ません。
実際、猛撃猪突重騎兵団は壊滅したわけですから。」
「人聞きの悪い。先々を見越して、卿が壊滅させたのであろう。アドニスの名誉の為に、それだけは言っておこう。」
神官王はそういうと呵呵と笑った。
そのとき、琥珀の中に閉じ込められた"胎児"は目を動かしたように見えた。それを受けてヒースクリフは言う。
「琥珀で封じ込められてはいますが、間違いなく生きております。日に日に魔力も上がっているようです。これが――」
「<始祖の竜>だな。そして、これこそが<始祖竜の琥珀>という事か。」
ヴィンセントは楽しげに言うと、巨大な琥珀を弄んだ。アンケル侯爵が口を開く。
「これで<七つの聖遺物>のうち五つまでが集いました。
<漆黒の輝石>、<秩序の杖>、<明星の護符>、<滅神の槍>そして<始祖竜の琥珀>。
残るは<真実の杯>と――」
「<毒の剣>です。両者とも行方は知れませんが、この次元界に存在していることは間違いありません。
少なくとも、<真実の杯>に関しては砂漠地帯のどこかにある事までは確認が取れております。」
アンケル侯爵の言葉をヒースクリフ大公が引き取る。神官王はその言葉を聞くと大きく頷き、二人に告げた。
「もっとも大切なのは<毒の剣>だ。これと、<漆黒の輝石>と<秩序の杖>があれば、最低限の<儀式>は行えるからな。
見つからぬというのは時が満ちていないという事でもあろう。<真実の杯>を手に入れれば、自ずから出てくるであろうよ。
とはいえ、何が起こるかはわからぬ。アンケル侯爵、引き続き調査を続けよ。」
は、そうアンケル侯爵が短く返事を返した刹那、琥珀に封じられた<始祖の竜>の目が威嚇するようにぐるりと回った。
ヴィンセントがその目を見つめると、<始祖の竜>は再び眼を廻らせる。神官王はそれを見て、大声で哂った。
初出:2010年1月31日(日)