昭和十九年十二月二十日夜 アル・エアル・マイム

岩と砂からなる光景が地平線まで続く砂漠地帯。
容赦なく照りつける太陽とは正反対の静謐な空気を作り出す下弦の月が星空に浮かんでいた。
――月齢四といったところか。緯度のせいか星座は日本と随分と違うが、月は変わらないな。
高梨は月を見上げながら思った。

彼は一人砂漠に来ていた。
高梨は岩の砂を軽く払うと腰を落とし、そのまま胡坐をかく。
手にした二つの枡に、持参した一升瓶から酒をなみなみと注ぐ。
彼はそのうち一つを差し向かいに丁寧に置き、もう一つを右手にもって高々と掲げた。
持つもののいない枡をしばし眺めてから高梨はむしろ明るく言った。
「伊橋、今までご苦労だった。お前は良くやったよ。
 後のことは俺達に任せておけ。必ず、お前の仇を取り、この戦争に勝利してみせる。
 だから――」
「中隊長殿、こちらにおられましたか。」
その声に高梨は座ったまま首だけで振り返る。石井曹長が立っていた。
手には一升瓶と杯が二つ。どうやら同じ事を考えていたらしい。高梨は苦笑を浮かべながら言った。
「石井、お前も伊橋と飲もうという腹だな。悪いが先に始めさせてもらっていたところだ。」
「中隊長殿、伊橋を独り占めしようとはずるいですよ。自分も混ぜてください。」
石井はそう言うと高梨の横に腰を下ろした。高梨は石井の杯に一升瓶から酒を注いでやる。
ありがとうございます、石井はそう言って畏まった。
彼は少しの間、杯に写る月を眺めていたが、やがて先ほどの高梨のように杯を掲げると言う。
「飛行機に乗っていないときのお前は本当にいいヤツだったよ。
 出来れば、お前がよく話してくれた美人の姉とやらに会いたかったものだが――」
「中隊長殿?石井もいるのか?」
先ほどの高梨のように、石井の言葉は闖入者の言葉によってさえぎられた。ただし、今度の闖入者は複数だ。
二人が振り返るとそこには第二中隊の面々がそれぞれ手に酒と肴を持って立っている。
「これじゃあ、夜間待機のものが居なくなってしまうじゃないか。・・・まあ、ほどほどにな。」
高梨は苦笑しながら数時間前に坂川少佐と交わした会話を思い出していた。

「撃墜四、伊橋機未帰還。以上であります。」
坂川戦隊長に戦果報告をした高梨は敬礼し、回れ右してそのまま去ろうとする。戦隊長はそれを引き止めた。
「待て、高梨大尉。」
その言葉に歩きかけていた高梨は立ち止まった。彼は戦隊長の方に向き直る。
坂川少佐は高梨の目を真っ直ぐに覗き込んだ。その視線に高梨はたじろぎ、思わず視線を逸らしてしまった。
戦隊長は視線を逸らさずに淡々と言う。
「高梨、伊橋は未帰還ではあるまい。あいつは、もうこの世にはいない。空中で火の玉になる様子は俺も見た。
 アレでは助かるまい。・・・あいつは戦死した。俺たちより先に、靖国に行ったんだ。」

その言葉に高梨は落ち着きなく視線をさまよわせる。それを見た戦隊長は唇に苦い何かを浮かべてから言った。
「勘違いするな。俺は、別に貴様を責めている訳ではない。高梨、貴様を責めているのはおまえ自身だ。違うか?」
坂川少佐はそこで一呼吸置くと座っていた椅子から立ち上がった。
砂漠の都市国家で長年使われてきたであろう金属製の椅子は軋んだ音を立てる。高梨の心に、何故かその音は響いた。
椅子の背もたれに手を置いた少佐は続けた。
「高梨、貴様が部下を亡くしたのはこれが初めてだったな。満州、中支と渡り歩いてきたとはとても思えないほどだ。
 それだけに、今回のことは貴様にとって相当堪えているのではないか――そう思ってな。」
高梨は弾かれたように坂川の方に顔を向ける。その目は、今度こそは坂川戦隊長に真っ直ぐ注がれていた。

彼は少佐を見つめたままつぶやくように言った。
「戦である以上、いずれはこういう日が来るのではないか、そうは思っておりましたし、覚悟もしておりました。
 しかし、いざその時になってみると・・・。少佐殿、自分がもう少し注意深くしておれば、伊橋は――」
高梨が言いかけた言葉を坂川少佐が遮った。
「伊橋は最善を尽くした。そう考えてやれ。そうでなければ、アイツが可哀想だ。
 我々は日本がこの戦争に勝利するためここにいる。我々の全ての行動は、この国難を打ち払うためにある。
 伊橋曹長が何を思い、何のために此処で"疾風"に乗っていたのか、それを決して忘れてはならん。
 何のために生きて、誰のために喜ぶのか。そんな問に答えられないような人生ではいかんだろう?」
坂川少佐はそういうと戸棚を開けて何かを取り出す。どうやら一升瓶のようだ。
「久保田の万寿だ。俺のトッテオキでな、いい酒だぞ。貴様のようなザルには味が判らんかもしれんがな。
 ・・・月を肴に伊橋と飲んで、笑顔で別れてこい。戦争はまだ続くからな。」
一升瓶を高梨に渡す少佐の顔は穏やかだった。高梨は敬礼とともにそれを受け取った。

”天に代わりて不義を討つ 忠勇無双の我が兵は 歓呼の声に送られて 今ぞ出で立つ父母の国
 勝たずは生きて還らじと 誓う心の勇ましさ”
車座になった中隊の面々から”日本陸軍”の歌が聞こえ始めた。これはこれでいいか、高梨はそう思った。
――あいつは以外に湿っぽいのが苦手だったからな。これはこれで、伊橋には良いかもしれない。
  静かに伊橋と飲もうっていうのが、そもそも無理があったのかもしれないな。
彼は酒を酌み交わす中隊の皆を眺めた。どの顔もまだ若い。まだ二十歳そこそこなのだ。
世が世なら――いや、今の世であっても、"新世界"への"転進"と戦争さえなければ、もっと他の生き方もあっただろう。
その彼らの命をどう使うか――その責任の一端を俺は担っている。彼らの命を無駄にしないために、さらに精進せねばな。
笑いさざめく場を横目にしつつ、高梨は決意を新たにした。
歌はいつしか”大江戸出世小唄”になっている。どこか明るく場違いなその歌は、しかし何故だか伊橋に相応しいように思えた。

伊橋を送り出す宴は小一時間ほどで終った。空中要塞は未だ遠いとはいえ、もう戦闘は始まっている。
明日の課業に影響を出すわけにはいかないという高梨の言葉に皆もおとなしく解散に応じた。
「中隊長殿、必ず伊橋の仇をとってやりましょう!」
皆は口々にそういうと宿舎に帰っていく。高梨は去っていくその背中を黙って見送った。少しして砂漠はもとの静謐さを取り戻す。
その静謐の中、高梨は随分高く上がった月を見上げて深呼吸して姿勢を正した。そのまま月に向って見事な敬礼をする。
――じゃあな、伊橋。今度、靖国でな。
彼は、空のどこかで伊橋が答礼をしてくれたような気配を感じていた。

高梨は岩場に取って返し、そこおいてあった万寿の一升瓶を手にして宿舎に戻ろうとした。
その時、遠くの岩陰に誰かが座り込むのが見えた。中隊のだれかだろうか、そう思った高梨がそちらに向おうとした、その時――
「高梨さん、いけません。"人の恋路を邪魔するヤツは、熊に踏まれて死んでしまう"という諺があるじゃありませんか。」
高梨は飛び上がらんばかりに驚くと声のするほうを振り返った。ジェシカの騎竜、アルフォンスがにこやかに立っている。
「熊じゃなくて馬だし、踏まれるんじゃなく蹴られるんですがね・・・どういう事です?」
アルフォンスは薄く微笑むと人差し指を立てて唇に当てる。そうか、こいつが出てくるということは――
高梨が気づくよりも早く、夜眼にも鮮やかな金髪が岩陰に滑り込んだ。彼らは横に並ぶと肩を組むようにお互いを支えあった。
「まったく、ディ・ルーカ男爵家令嬢にして次期銀竜騎士団長最有力候補ともあろうお方がこんな砂漠で密会とは。
 三木大尉も三木大尉です。やましいところがないなら、こんな砂漠でなく、もっと堂々とすればいいのに・・・。」
言葉は苦く、だが口に浮かべた微笑はあくまで温かく人型の銀竜は言う。
高梨は岩陰を眺めた。よりそう二つの影はまるで宗教画であるかのように気高く、美しかった。

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「坂川少佐殿は初めて部下を亡くしたわしを気遣ってくれたのじゃ。」
うむ、流石に神妙な顔つきで聞いておるのう。良い事じゃ。
ついでじゃ、もう少し続けるとしようか。
「戦場というのは命をやり取りする場所じゃという事を・・・その時、改めて思い知ったな。
 あちこち渡り歩いて色々と判ったつもりで"死ぬのは怖くない""命を惜しむな、名を惜しめ"等随分嘯いたものじゃったが・・・
 自分でなく、部下が死ぬという事がこれ程堪えるもんじゃというのはよう判っておらんかったな。
 結局、何だかんだといっても二十歳そこそこのアンちゃんじゃった、そういう事じゃったのじゃろう。」
おお、今、わし、良い事言ったぞ。

孫は目を見開いた。ふむ?今の言葉のどこに食いついたのかのう?
「え!?おじいちゃん、その時いくつだったの?」
そこか!もっとこう他に・・・まあ、仕方ないのう。
「昭和十九年じゃから、二十五かのう。」
「えええええええ!じゃあ、おじいちゃん、その時は前田日明より若かったの?」
大声を上げて驚きおった。多少比べる対象が若干おかしいとは思うが、まあ仕方ないじゃろ。
「・・・まあ、そういう事じゃ。というか、わしの歳を知っとるじゃろ。
 今が昭和六十三年じゃから、計算すれば簡単に出るじゃろうに。」
「そうだけど・・・」
なんじゃ、何を口ごもっておるんじゃ?
「おじいちゃんの話をきいてると、とても"二十歳そこそこ"なんて思えないよ。
 ・・・じゃあ、ひょっとして、黒江さんや坂川さんも"二十歳そこそこ"なの?」
良いところに気が付いたのう。
「黒江さんが大正七年生まれでわしの一つ上じゃから、昭和十九年で二十六。
 坂川少佐殿は・・・確か明治四十三年生まれのはずじゃから三十五、いや、三十四のはずじゃ。」
ううむ、当時は数えで歳を言っておったからな。今となっては良く判らん。
「・・・皆、若かったんだね・・・」
いやいや、小学生にそう言われると何だか変な気分じゃな。じゃが。
「そうじゃな。確かに皆若かったが、無心で必死に国を護るために戦っておった。
 どの一日をとっても無駄に生きたくはない、御国の為にここで戦う、当時はとにかくそう思っておったな。
 しかし、奴等はそんな事などお構いなしに容赦ない攻撃を続けおったのじゃ。」

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昭和二十年一月十三日 アル・エアル・マイム

「南西より、敵飛行部隊らしきもの接近中!距離五万、数およそ20!」
去年の十一月末に設置されたばかりの対空電探基地からの連絡が入った。
電探員の声に宿直の搭乗員達が即座に反応する。高梨も例外ではなかった。
「空襲、くうしゅーッ!」
サイレンと共に聞こえてきたどことなく間延びしたその声を聞くよりも早く、彼らは待機所を飛び出す。
「畜生ッ、奴ら夜襲ばかり掛けてきやがって!」
高梨は走りながら誰かがそう叫ぶのを聞いた。

十二月二十日に砂漠地帯に到達した空中要塞との戦闘において、日本軍を含む同盟軍は先手を取ることには成功した。
だが――いかに青竜を含む多数を撃墜し、”スレイマーン”に対して爆撃を成功させたとはいえ、十分な戦果ではなかった。
まだ多数のドラゴンは健在であったし、何より空中要塞に対して数十発の爆弾程度では損害を与えられなかったのだ。
果たしてその五日後、十二月二十五日から大協約はダーブラ・クアへの攻撃を開始していた。
ナイトメア多数による夜襲を受けた港町はその夜のうちに陥落するかとも思われたが、かろうじて現在でも持ちこたえている。
歩兵の頑張りはもちろん、大は重戦車や対空車両、小は自動小銃にいたる陸軍新型兵器の活躍と――

――座礁すれすれの位置まで近づいた戦艦の艦砲射撃に助けられたのだ。
  海軍さんも意地を見せてくれている。ここは一つ、我々も意地を見せなければいけない。
  しかし、それにしても夜襲ばかりとは・・・奴等は梟か何かなのか?
高梨は機体に向けて走りながらそう思っていた。

敵空中要塞の攻撃はその全てが夜襲という形を取っていた。
これまでに行われた日本軍との戦闘により「戦闘機による夜間戦闘能力はそれほど高くない」事を知ったのだろう。
確かに、有視界戦闘が前提となっている日本軍の戦闘機は、夜間は昼間ほどの戦力を発揮できない。
もっともこの事は日本軍にも判っていた。だからこそ、この基地に電探が設置されたのである。
電探による誘導と管制ができれけば効果的な邀撃が出来るはずだ、坂川少佐や柴田大佐はそう言っていた。
当初は「あんな”花魁の簪”で見張りなど出来るものか」等と馬鹿にするものもいた施設だったが、今や馬鹿にするものはいない。
如何に歴戦の見張り員であっても、夜間に三万もの距離で音と気配を消して飛ぶドラゴンを見つけることは出来ないからだ。
とにかく、空中戦の要諦は"先に敵を見つける"事に尽きる、搭乗員たちはそれを身をもって知っているのだ。
大協約が電波を捕捉できるのであれば"闇夜の提灯"等と影口を叩かれることもあっただろうが、少なくとも今はその怖れはない。

あちこちで「回せーッ!」という怒鳴り声があがっているのを聞きながら、高梨は自分の機体に飛び乗った。
始動車がついていた彼の機体は既に発動機の唸りを上げ始めている。
高梨は僅かな灯りを頼りに機体を離陸線まで走らせ、そのままスロットルを開いた。
"疾風"は砂塵を巻き上げながら夜の砂漠を走る。翼が風を受けて揚力を発生さ、ふわりとした感触とともに空に浮かび上がった。
彼はそのまま左旋回しながら星空の中を上昇した。満天に輝く星のおかげで夜空は意外なほど明るい。
その空に向って数条の光が地上から延びているのが見える。探照灯の照射だ。
光は敵をそのうちに捕らえようと規則正しく動き回っていた。とはいえ――

――航空機とは違うから、なかなか難しいだろうな。航空機であれば聴音機で概略方位を知ることも出来るが、生物では。
  電探と連動すれば捕捉できるから良いのかもしれんが、それが出来るくらいなら対空射撃と連動したほうが良いだろう。
  現状では、まぐれ以外で捕捉するのは難しいかもしれないな。
高梨はそんな事を考えながら機体を操る。"疾風"それに応え、急角度で上昇を続けた。
そのまま、機銃の試射をするために短く引き金を引く。腹に堪える重い音と共に機銃が放たれた。曳光弾が夜空に消える。
高梨はそれを満足げに眺める。このところの連戦で、一部には機銃に不具合も出始めているのだ。

距離五万で捕捉したということはもうそろそろ会敵できるはずだ。高梨がそう考えた時、無線機から声が聞こえた。
「管制から高梨機へ、連絡遅れてすまん。二次の方向から敵編隊の一部が速度を上げつつそちらに向っている。
 高度は貴官の方が上だ。そのまま直上方から攻撃できるだろう。・・・まもなく会敵の見込だ。攻撃準備をなせ。」
いつもながら良くこちらが判るな、高梨はそう思った。
魔法を利用した敵味方識別装置とやらが組み込まれたらしいとは聞いている。
確かに、敵味方の区別がつかない夜間戦闘においては必要な装置だろう。
だが、肝心の事が――どうやって電探と連動させているのかは高梨には皆目判らない。
一応、座学では電探の電波を魔鏡が反射するときの反響波をどうこうという説明を受けていはいるが、良く判らなかったのだ。
――まあいい、とにかく誘導と敵味方の識別が上手くいけば、後はなんでも良い。
  大事なのは、これが役に立つという事、それだけだ。
管制からの連絡を受けたあとの一瞬、高梨はそんなことを考える。それとは別に、彼の口は反射的に言葉を返していた。
「了解。このままカラスに攻撃をかける。」

高梨は下方に目を凝らした。うっすらと何か黒光りするものが見えた。彼は降下しつつその正体を確かめる。
敵軍が夜間攻撃の主力としている黒獅子鳥――日本軍がカラスと呼んでいる巨鳥だ。

高梨は照準機に鳥を納めると機銃を放った。小気味良い発砲音と共に機銃から炎が瞬く。
彼は攻撃の成否を確かめる間もなく素早く降下し、そのまま敵小編隊の中を通り過ぎるように飛び去る。
戦果確認はしない。着弾と同時に何がしかの煌きが見える航空機とは違い、巨鳥に対して夜間肉眼での確認は困難だからだった。
速度を稼いだところで機体を左に傾けて再び夜空に向けて上昇する軌道を取る。
上昇しながら見る星空には、ところどころ星とは異なる輝きを確認する事が出来た。
小さく瞬く輝きから生まれて素早く飛び去る光と、それに比べれば遥かに大きい炎の尾を引いて飛ぶ大きな火の玉。
高梨と同じように迎撃戦闘に出ている搭乗員達がそれぞれの機体から放つ機銃と巨鳥が吐く火球に違いない。
どれ一つとっても互いにとって致命的な一撃になりうる恐るべき攻撃だ。命中すればただ事では済むまい。
だが、高梨は何故かその光を綺麗だと思った。例え、それが彼の命を奪うものなのだとしても。

「高梨大尉、貴官が先ほど攻撃したカラス三匹のうち一匹が速度を落としているのを確認した。
 敵は高度四千で飛行場に向いつつある。そのまま上昇すれば会敵できるはずだ。」
管制官の声に了解、とだけ短く応えた彼はスロットルをさらに開く。
プロペラが唸りを上げ、彼の"疾風"は一層鋭く暗闇の中を天空に駆け上がっていった。
ほどなく、彼は星空の一部が欠けているのに気が付く。そこには敵編隊がいるに違いない。
"疾風"は高度を五千まで上げる。巨鳥に向けて一撃離脱攻撃を仕掛けるためだ。
ドラゴンほどではないとはいえ、黒獅子鳥もなかなかの強敵だ。格闘戦をして勝てるほどに甘い相手ではない。
急いては事を仕損じる、高梨は攻撃に逸る心を抑えた。

高度五千。高梨は慎重に四式戦を操り、先ほどアタリをつけた空域に向けて降下を開始する。
"疾風"は時速七百キロを遥かに越える速度で敵に向う。頑丈な機体はそれに良く耐えた。
降下を開始して直に高梨は彼方に敵編隊の姿を確認した。
高空での暗闇にも随分目がなれたせいか――或いは極度に集中したせいだろう。
――確かに一匹、はためきがぎこちないのがいるな。
  アレを確実に落とそう。
彼はそう決意すると操縦把を軽く握り、その"カラス"に対して"疾風"の機首を向ける。
降下の勢いを殺さぬよう注意しながら至近距離にまで接近する。"カラス"の背に跨った搭乗員が高梨の方を振り返った。
敵兵は逃げられない事を悟ったのだろう。高梨の方を見て抜刀すると剣を高く掲げ、同行する二匹から離れる軌道を取った。
高梨はその動きに一瞬気を取られた。だが、敵兵が掲げた白刃を見て直に我に帰ると二十ミリを放つ。
敵搭乗員と黒獅子鳥は共に空中で砕け散った。

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「まあとにかく酷いもんじゃった。」
うむ。わしは今、きっと暗い顔をしているに間違いなかろう。
孫もどことなく沈欝な顔をしているようにも見える。まあ、そうじゃろうなあ。
「空戦というのは、単純に言えば、個人と個人とが空で命のやり取りをする、という事じゃ。
 相手を殺さねばこちらが殺される・・・それをする為だけに技を磨いておる訳でな。」
孫が顔をそむけるようにした。殺すの殺されるのというのは穏やかではないからな。
とはいえ、これは大事なことじゃ。
「砂漠での夜間戦闘で見た光が美しく感じられたのは、それだからだったのかもしれん。
 あの光が当たれば、そこでは命が失われている。それを美しいと表現するのはある種の傲慢でもあろう。
 じゃがな。飛行士、いや軍人は皆、何かを護りたい、護らなければならない、その一心で戦っておるのじゃ。
 その思いが。その決意の表れが、あの輝きから感じられるような、そんな気がしてならんのじゃよ・・・」
孫はしばらく考え込んで追ったが、やがてわしの目をまっすぐ見つめて頷きおった。わかってくれればいいのじゃ。
うむ。賢くて良い子じゃのう。どれ、頭をなでてやろう。
「うわっ、あの、おじいちゃん?」
何となく迷惑そうな顔をしておるな。むう。大人になると滅多になでられる事などないのじゃから、今のうちになでられておけ。

「でもおじいちゃん。さっきのお話からすると、敵は夜にしか攻撃してこなかったってこと?」
おお、あれだけだと確かにそう聞こえかもしれんな。誤解は解いておかねばな。
「いや、昼間も攻撃してくる事もあったぞ。その辺は不規則に色々混ぜておったな。
 全く何も来ない日があるかと思うと、30分おきに色々来る日があったりとか、もうそれは色々あった。
 とはいえ、基本は夜間攻撃じゃったな。あの時はほんとに良く眠れんかった。」
「眠れなかっただけ?」
なにもそんなに驚かなくても良いじゃろう。
「まあ、結果から言うとそうなるな。実際、魔力弾での地上攻撃というのはあまりなかった。
 だからといって地上攻撃されなかったわけではないぞ。地上に降りた黒獅子鳥や赤竜による攻撃というのもあったからな。
 ・・・とはいっても、それは嫌がらせ程度にしかなっていなかったがな。」
「じゃあ、何しにきてたの?」
そうじゃな、もっともな疑問じゃな。
「わしらに弾と燃料を無駄に使わせ、飛行機を酷使させる事が目的だったわけじゃ。本当に食えない連中じゃ。
 正面からでは勝てないかもしれんと思って搦め手から来たわけじゃな。そして、それがわしの運命にも多少影響したわけじゃ。」

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昭和二十年二月三日 砂漠地帯

晴れ渡る砂漠の空に、黒い点の集まりが規則正しく並び、航空発動機の唸りが轟々ととどかせて移動している。
"疾風"、"烈風"を中心とした日本軍航空隊、それと"隼"を装備したアル・エアル・マイム軍の総計百三十機からなる編隊だ。
砂漠での戦闘開始当初は全く頼りにならなかったアル・エアル・マイムの"隼"部隊だったが、ここのところ急速に腕を上げている。
半年以上かけて高めてきた基本技量が実戦を通じて一気に開花したのだろう、黒江大尉がそう言っているのを高梨は聞いていた。
彼も全くの同意見だった。付け加えるとすれば"負けたら後がなくなる"という気合の部分くらいだろう、そう思っている。
日本軍航空隊については言うまでもない。陸軍の四七戦隊、海軍の六空をはじめとした一騎当千の精鋭ぞろいだ。
堂々たる大編隊の威容に相応しい内容を誇っているといえるだろう。にも関わらずが高梨は若干の不安を隠せなかった。
――何故だ。首筋の後ろ辺りがひりひりするし、どことなく気分が落ち着かん。
  これだけの威容を揃えているのだから、負けるはずはないというのに。一体、俺は何が気に入らないのだ?
高梨は自分が感じている漠然とした不安感に首を捻った。

敵空中要塞の執拗な夜襲により、当初は十分と思われた弾薬と機材には不足が目立つようになってきていた。
かといって地価に篭ったまま迎撃をしないという選択肢をとる訳にはいかない。
航空機と違い、大協約の空中戦力――ドラゴンと黒獅子鳥はかなり高度な地上戦を展開できる。
未だに激闘が続くダーブラ・クアにおいての最大の脅威が赤竜による地上格闘戦である事からもそれが伺えた。
当初は高梨達と共にいたジェシカ達が港町における防衛戦線に駆り出されてしまっていた。
この状況を打破するために司令部が選択したのが今回の作戦だった。
敵空中部隊の数的主力である黒獅子鳥は、夜戦でさえなければ航空機の敵でない事は既に明らかになっている。
質的中心を担うブルードラゴンは"疾風"と"烈風"と互角ではあるものの、その数は決して多くはない。
であれば、敵を待ち構えるのではなく一気に叩いてしまったほうが良い、そう結論づけたのだ。
だが高梨が聞いたところによればそれだけではないらしい。

――元々、柴田大佐や坂川少佐を始めとした日本軍はそのつもりだった。だが、都市国家の上層部がそれを拒んだ。
  "出撃先で壊滅してしまったら誰がこの街を護るのか"と言ったらしいな。
  そして、名目上とはいえ指揮権は向こうにある。だからここまで時間が掛かったらしいが・・・何故、今になって・・・
彼にはあまり納得がいかなかった。”スレイマーン”はダーブラ・クアとアル・エアル・マイムの中間地点で腰をすえてしまった。
動かない空中要塞に無理に手をだす必要もない。向こうが音を上げるのを待つというのも、それはそれで理に適っている。
向こうも補給には苦労しているはずだ。今になって行動を起こさせる意味はあまりない、彼はそう考えていた。

その時だった。先頭を行く海軍部隊――"烈風"編隊に対し、ほぼ直上から無数の稲妻と火球が降り注ぐのが見えた。
突然の攻撃に数機が直撃を受ける。あるものは爆発し、あるものは錐揉みしながら地上へと落ちていく。
それを見た高梨は反射的にフットバーを蹴り機体を横転させる。"疾風"はその操作に応じて翼を翻した。
直後、先ほどまで高梨機がいた空間を稲妻と共に何かが通りすぎた。彼は目を見開いた。あれは、まさか――
無線機から誰かの悲鳴が聞こえてきた。どうやら高梨の見間違いではないらしい。
「青竜!畜生、やつら、待ち伏せてやがったのか!」

完全な奇襲を許し、何機かの"烈風"を失ってしまった日本軍ではあったが、立ち直りは早かった。
編隊を散開させ、そのまま上空から突進してきたブルードラゴンの一団をかわす。
青竜はそのまま電撃を放ちながら航空隊の中に突入する。そこから彼ら得意の格闘戦が始まるかと思われた。
だが、高梨は不穏なものを感じた。ドラゴンの群れは今まで以上に統率の取れた動きをしている。
――まるで、何かを探しているようだ。
彼がそう感じたその時、一糸乱れぬ見事な編隊で行動しているドラゴンの群れは高梨達四七戦隊に向き直る。
一瞬、確認するかのような間をおいた後――ドラゴン達は血も凍るような雄たけびを上げた。
高梨は悟った。ブルードラゴンは確かに何かを探していた。いや、"何か"ではない。彼ら四十七戦隊を探していたのだ。

そこから先の空戦は凄惨を極めた。ドラゴン達は戦隊の四七戦隊指揮官級の機体を執拗に追いまわし始めたのだ。
そして高梨もその対象だった。彼の上空で十数頭からなるドラゴンの編隊が散開するのが見えた。
まるで傘が開くようだ、彼はそう思った。
――もっとも、この傘は俺を殺すために開かれた傘だ。
  なんとしても、ここから体勢を立て直して逆転しなくては。
彼は機体を降下させながら横転する。危険な機動ではあるが、今はそんな事をいっている場合ではない。
奇襲前は六千だった高度も既に四千五百まで下がっている。高梨はそこから更に低空を目指す。
平坦な、大きさを測るものがない砂漠に向って落ちていくというのはそれ程心地いいものではないが、そうも言っていられない。
降下速度において"疾風"はドラゴンに勝る。彼を追っていたドラゴンは一騎また一騎と落伍し、とうとうその姿を見なくなる。
彼は後方を振り返るとついてくる青竜がいない事を確認して安堵のため息をついた。
――よし、ここから上昇すれば、何とか・・・
そう思ったのは瞬きする間よりも短い、ほんの一瞬だけだったが、その一瞬が油断につながった。
先回りしていたのだろう、一際立派な角を持つドラゴンが彼の眼前にいた。竜はその太い腕を振り下ろし、発動機を破壊する。
推進力を失った機体は地面にたちまち墜落した。衝撃が高梨を襲う。金属がひしゃげる音を聞きながら、彼は意識を失った。


初出:2010年5月9日(日) 修正:2010年5月28日(金)


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