昭和十九年十二月八日 アル・エアル・マイム第三飛行場

数機の一式戦が砂漠の晴れ渡った空を編隊を組んで飛行している。
その姿はお世辞にも綺麗とはいえない。”偶々そういう位置関係で飛んでいる”だけのようにさえ見える。
これが――
「アル・エアル・マイム航空軍第一飛行隊の精鋭、ね。俺の部下ならとても合格点はやれそうに無いな。」
上空を仰ぎ見ながら先任中隊長の黒江大尉が言う。その顔からは様々な感情が見て取れた。
寄せられた眉からは困惑が、瞳からは呆れが。しかし、唇にはかすかな笑みが浮かんでいる。
「仕方ないでしょう。連中、生まれてこの方、飛行機なんて見たことも聞いたことも無いのです。
 むしろ半年でここまで飛ばせるようになったというのは褒めても良いのでは?」
高梨大尉は右手をかざして陽光をさえぎりつつ言った。
「それは判っている。それに、曲がりなりにもここまで飛ばせるようになった事は評価している。
 何しろ、航空機のコの字も聞いた事が無いような連中が飛ばしているわけだからな。」
黒江大尉は笑みをおさめると続けた。
「まあ、ここまで出来れば後は時間の問題だ。あと三ヶ月もあれば”使える”戦力になるだろう。
 最大の問題は――」
「時間が無いこと、ですね。」
高梨が言葉を引き取った。黒江大尉は苦い顔をして頷いた。

後は時間の問題という点については高梨も同じ考えだった。
搭乗員候補生達は皆揃って優秀だった。少なくとも、彼が今まで見てきたどの候補生よりも優秀なのは間違いない。
八月後半になるまでまともに戦闘機に触ることすらなかった筈なのに、現在こうして飛んでいることからもそれは伺える。
流石は都市国家の中から選抜された人材だけある、と唸らせられたことも一度ではない。
彼らは日本が"転進"してくるまではこの世界に存在していない”空を飛ぶ機械”に乗る、という事も受け入れていた。
驚くべきことだ、高梨は思っていた。彼等の今までの人生では想像もした事が無いだろうというのに、大したものだ。
少なくとも、初めて飛行機を目にした日本人だったらこう上手くいったかどうか。高梨はそう考えている。

しかし、いかんせん時間が足りない。
大協約軍の空中要塞”スレイマーン”がこのアル・エアル・マイムにたどり着くのはあと二週間ほどとされている。
黒江大尉の言うような、三ヶ月もの時間をかける事は出来ないだろう。
「とはいえ、なんと言っても数があるからな。空戦において倍以上の戦力を持って当たれる、というのは大きい。
 それに我が陸軍では旧式化したとはいえ、一式戦闘機はまだまだ十分な戦力だ。かなりやってくれるだろうよ。」
彼等と並んでアル・エアル・マイム”空軍”を眺めていた坂川少佐は言った。
二人とは異なり、彼は黒眼鏡を着用している。砂漠に来る前に仕入れてきた、アメリカ製の眼鏡との事だった。
照りつける太陽を避けるにはうってつけの装備といえるだろう。
少佐をうらやましげに見ながら高梨は言った。
「しかし、思い切りましたね。一式戦にしても、まだまだ現役でやれる機体のはずです。
 しかもI型の中古だけならまだしも、新品のII型やIII型までも売却対象とは思いませんでした。
 場合によっては"疾風"よりも使い勝手が良いかも知れない、そう思わないでもありません。」

砂漠の都市、アル・エアル・マイムに売却された一式戦は百機を越えている。
部品取り用の予備機を含めると二百機にはなるだろう。かなりの大盤振る舞いと言える。
それに、最初に送られてきた機体はほとんどが中古であったが、今増強されているのは紛れも無く新品の機体である。
如何に前世代の航空機とはいえ、未だに使える戦力であることには変わりないのだ。
高梨はそのことを言っていた。

「しかし、生きるためには食わねばならん。食うためには金が要る。そのためには売れるものを売るしかないだろう。
 それにだ、そのお陰で四式戦の全軍配備に拍車が掛かったのだ。悪いことではなかろう?」
黒江大尉が言った。視線は未だに上空に固定されている。

――確かにそれはそうだ、高梨は思った。
一式戦闘機の販売価格は陸海軍調達価格の四倍と聞いている。
酷い暴利だ、そう思う反面、そうでもしなければいけない国内事情もあるのだ、とも思った。
新聞や雑誌は”日本は世界唯一の工業国として確固たる地位を示さねばならない”という内容を繰り返している。
航空機や軍艦は、今のところ値段が高くても売れる機械でもある。ならば、それを売るのは理に適っているだろう。
確かに、同盟国に一機の旧式戦闘機を売って二機の新型戦闘機が揃えられるならそれはそれで良い筈だ。しかし。

「しかしまあ、よくもこれだけ買う金があるもんです。そこは素直に感心しますよ。」
高梨の言に坂川少佐が皮肉げに言った。彼にしては珍しく、その詳細な背景を知らないらしい。
「俺も詳しいことは判らん。大方、砂漠のどこかに埋まっている財宝と引き換えなんだろうよ。」

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「あの時は本当に時間が欲しかったのう・・・」
あと三ヶ月、いや、一ヶ月あれば、もう少し色々出来たんじゃろうがな・・・
「飛行機の免許って、半年くらいで取れるんじゃないの?」
孫がどこか不審気に尋ねてきおる。まあ、それはそうじゃが。
「今まで”それがある事”さえ知らなかったものを取り扱うというのはエラく大変なんじゃぞ。
 そして、アル・エアル・マイムの連中はそれまで飛行機なんぞ知らなかったのじゃ。苦労したはずじゃぞ。」
何となく解せない表情をしておるの。仕方ないか。
見たことも聞いたことも無いものを動かすのがどんなに大変なことか、まだ小学生では判らんじゃろうな。

それは兎も角じゃ。
「砂漠の都市国家は排水の浄化に”アブラクラゲ”を使っておったから燃料だけは何とかなったし、天気も安定していからな。
 訓練だけはほとんど毎日できたのが唯一の救いではあった。」
そうでなかったら、あんな短期間で、曲りなりにも飛べるようにはならんかったろうな。
「いずれにしても、あいつらほど訓練をしている優秀な搭乗員はそうそうおらんじゃろうなあ。」
もちろん日本空軍は別じゃがな。なんと言っても月月火水木金金じゃ。まあ、これは海軍さんの歌じゃが。
我等が後進達の鬼気迫る訓練振りにはわしでも頭が下がるからのう。

孫は頷いておる。ふむ、何を納得しておるのじゃろう。
「そうだよね、砂漠都市国家の戦闘機隊は世界最高、ってテレビでもやってたよ。そうなんでしょ?」
なんじゃと?聞き捨てならんな。
「何を馬鹿な事を。世界一は日本の戦闘機隊に決まっておる。」
当たり前じゃろう。こいつは何を言っておる。教育を間違えたじゃろうか。
むう、なんじゃ。何を怪訝そうな顔をしておるんじゃ?
「アル・エアル・マイムの”ロイヤル・ファルコンズ”っていったら世界最高のアクロバット飛行チームじゃないの?
 この前、テレビでそう言ってたよ?」
ふん、何を言っておる。そんなもん、取材に行った連中がおべっかを使ったに決まっておるじゃろう。
第一、そんなことよりじゃ。
「確かに”ロイヤル・ファルコンズ”も”ロシモフナイツ”も”シルヴァー・エンジェルス”も良い飛行隊じゃ。
 じゃが、世界最高の曲芸飛行隊は、誰がなんと言おうと我が空軍の”ブルー・インパルス”に決まっておる。」
たとえ小学生であろうとも、これだけは譲れんな。

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昭和十九年十二月二十日払暁 アル・エアル・マイム第三飛行場

「<風の海>で警戒中の戦艦"榛名"より入電!
 ”我、だーぶら・くあ沖合ニテ未確認飛行物体ヲ確認。目標ハ岩塊ノ如クニテ極メテ大ナリ。
 敵空中要塞"すれいまーん"ノ公算高シ。我コレヨリ本隊ニ合流セントス ○三四二”」
息を切らせて待機所まで走ってきた伝令兵の言葉に対して室内は大きくどよめいた。
敵襲が近いという事が明らかだったせいもあるだろう。どの顔にも張り詰めたものが浮かんでいた。
いつ来るか判らない敵を待つ時間というものは思いのほか長い。無理も無いことだろう、彼はそう考えていた。
だから、伝令の言葉は、むしろその緊張を和らげる効果をもたらしていた。
高梨もその一人だ。彼は気を落ち着けるために大きく深呼吸し、待機所を見回す。

煉瓦と木を組み合わせて作られた、広く機能的だが華美ではない室内には当直の航空兵五十人ほどが詰めている。
陸軍兵だけでなく、海軍の飛行服に身を包んだ者達も居る。
このアル・エアル・マイムに進出してきたのは海軍第六航空隊――三木のいる飛行隊――を筆頭とする数個飛行隊だ。
坂川少佐の話によれば、彼等の本来任務は”輸送路の護衛”らしい。
もっとも、実際に防衛戦闘が始まれば統一した指揮の下で動くことになるだろう、そうも聞かされていた。

――やはり、海軍にも坂川少佐や泊少佐の協力者がいるのだな。
意気上がる海軍航空兵を見ながら、高梨ふと思った。
陸海軍の上層部で何らかの合意が取れているのだろう。そうでなければ、陸海軍の間で”統一した指揮”など出来る筈も無い。
同じ目標を攻撃する事があったとしても、指揮系統は違うのが普通だからだ。
実のところ、この戦争において日本軍が戦っている戦場はそれほどない。
緒戦で取った昭南島周辺と独立混成旅団が展開していたヴァーリを除けば、大きな戦闘はほとんど発生していなかった。
だから本来、このような大きな「改革」を成し遂げるほどの理由は無いはずだ、高梨は思っている。
確かに横須賀を空襲されたというのは一大事件に違いないが、それだけでこのような流れになるのは不自然だ、そう考えている。
本来であれば――高梨にとってはどうでも良いことだが――陸軍が海軍を叩く、絶好の機会だった筈だ。
それがむしろ逆に作用している。陸軍飛行隊と海軍航空隊はその距離を非常に近づけつつあるのだ。

「いよいよですね。アル・エアル・マイム航空隊共々、全力を尽くしましょう。」
三木の言葉で高梨は我に帰った。彼はいつものような微笑を浮かべているものの、どこか興奮しているようにも見える。
そうだ、今は考え事をしている場合ではない。それが空戦に関係ないのなら、なおさらだ。高梨は気を引き締めた。

「戦艦"榛名"からの情報を受けて第三艦隊が発進させた"彩雲"偵察機が未確認飛行物体の偵察を行った。
 その結果、未確認飛行物体は敵軍の空中要塞”スレイマーン”だという事が判明している。」
現在時刻は五時十五分。榛名が未確認飛行物体を発見してから一時間半が経過していた。
砂漠に派遣されている日本軍は事前の計画に従い、既に戦闘態勢に入っている。
出撃準備を終えた陸海軍の飛行兵達を前に、この攻撃隊の総指揮官を務める柴田武雄大佐が作戦説明を行っていた。
これが終れば、空中要塞に向けて”一の矢”を放つことになるはずだ。

陸海軍それぞれの飛行服を着た搭乗員達は直立不動の姿勢を維持しつつ、柴田大佐の言葉を聞いている。
彼の背後には大きな地図が張られていた。アル・エアル・マイムを中心とした、半径千五百キロほどを描いたものだ。
港町ダーブラ・クアとアル・エアル・マイムには青い印が幾つかつけられていた。同盟軍の印だ。
もっとも、日本以外の同盟軍は少ない。理由は判らないが、砂漠の住人達は”日本軍”を頼りにしているようだった。
高梨は親しくなったアル・エアル・マイムの民に理由を聞いてみた事がある。だが答えは得られなかった。
王の意志らしいという事までは判ったが、それだけだ。お偉いさんの気まぐれというヤツだろうな、高梨はそう考えている。
地図にはダーブラ・クア、アル・エアル・マイムの他にも幾つかの都市国家が記されている。
それらの都市国家には中立を示す黄色の印がつけられていた。彼等はこの状況でも律儀に中立を守っているのだ。
地下に篭っていれば安心、そう思っているのかもしれない。だがあまりに暢気に過ぎる、高梨は思っていた。

柴田大佐の説明は続く。
「空中要塞を直接的に撃墜することは、現状ではほとんど不可能だ。
 とはいえ、このまま侵攻してくるのを手を拱いてみているわけにはいかん。よって――」
彼は指揮棒で地図上の一点、<風の海>を示した。そこには同盟国艦船を示す青い船の印がある。
「<風の海>に展開中の第三艦隊、空母"赤城"、"蒼龍"、戦艦"日向"を中核とする機動部隊で”スレイマーン”に先制攻撃を行う。
 機動部隊からは攻撃隊の編成は既に完了したと連絡が入っている。」
かれは指揮棒を左に動かした。その先には小さな赤い印があった。
「我々は第三艦隊の攻撃を支援するため、空中要塞の敵防空部隊を拘束する。その間に艦載機によって損害を与えるというわけだ。
 偵察機によれば、周囲には多数のドラゴンまたはワイバーンが展開しているそうだ。敵さんもやる気十分、という事だな。」
そこで一旦言葉を切った彼は芝居がかった様子であたりを見回す。ところで、と言ってから続けた。
「その偵察を行った"彩雲"の電信員が面白い電文を発しているので紹介しよう。
 ”敵航空部隊多数ニヨル追撃ヲ受クモ、我ニ追イツクどらごん無シ。繰リ返ス。我ニ追イツクどらごん無シ!"」
搭乗員達から津波のような歓声が上がった。

夜は明けたといっても太陽はまだ昇りかけで、その熱を感じさせるまではいたっていない。
砂漠の朝は寒い。十二月ともなれば、吐息に白いものが混じることも珍しくなかった。
それでいて昼間は高温になるのだから、砂漠は本当に機械に――いや、人間にも優しくない環境といえる。
高梨はそのような悪環境の中、"疾風"と"烈風"が次々と発進していく様を搭乗席から眺めていた。
「回せーッ!」
息どころか体中から湯気を立てている兵が叫んでいる。彼等が発動機をかける事で戦闘機に命が吹き込まれるのだ。
その様子は立て続けに飛び立つ戦闘機の数の多さに疲労困憊しているようにしか見えないが、声には未だ張りがある。
彼らは次々と飛行機に取り付いては発動機を始動させていく。実に見事な手際だった。
日本から遠く離れたこの砂漠で機械を動かすというだけでも大事だろうに、それを全く感じさせる事が無い。
高梨は頭が下がる思い出それを見つめた。実際に空戦を行うわけではないが、彼等も立派な空の勇士だ、そう思っている。

蜂が群れるような音を聞きつけた彼はふと上空を見上げた。そこには無数と言ってもいい航空機の姿がある。
その数はおよそ百。これだけでも随分な数であるが、尚も増えつつあった。まだ発進を完了していない戦闘機隊があるのだ。
総数は凡そ百五十になる予定だった。このアル・エアル・マイムに展開している日本軍戦闘機隊のほぼ全力でもある。
ノモンハンでの大航空戦に参加したことのある黒江大尉は兎も角、高梨はこれほどの戦闘機が編隊を組む姿を見た事が無かった。
――壮観だな。これだけの規模で攻撃すれば、いかにドラゴンであっても忙殺されるだろう。
  その間に海軍さんがうまくやってくれる事を期待するほか無い。長期戦になれば弾がなくなってしまうからな。
発進準備を待ちながら、高梨はそんなことを考えていた。

ここアル・エアル・マイムには相当量の物資が運び込まれている。急遽立てられた数十の倉庫がそれを物語っている。
とはいえ、港町であるダーブラ・クアとは違い、その集積は必ずしも十分なものではない。
いかに輸送用の角竜を使って運び込んだとはいえ、陸上輸送は水上輸送に効率では及ばない。
十月を過ぎてからはドラゴンが牽引する”鵬”滑空輸送機まで使って色々と運び込んだとはいえ、それでもなお十分ではない。
高梨は偶然知り合った海軍主計中尉――短期現役士官で海軍に籍があるが、本職は内務省職員らしい――の言葉を思い出していた
「いずれにしても数が足りません。このままでは、三ヶ月経たずに戦力を消耗しきるでしょう。」
鷲鼻で気の強そうな顔をした男は木箱の山を前にそう言いはなった。あまりに直截な物言いに高梨はたじろいだ。
「中曽根中尉、それはあまりに悲観的に過ぎないか?少なくとも、俺はこれほどの物資をみた事が無いぞ?」
彼はかぶりを振ると、まるで出来の悪い生徒を哀れむ教師のような口調で言う。
「高梨大尉、これだけあっても、機動部隊が一会戦で使用する弾薬量よりも少し多い程度なのですよ。」
爆弾の代わりに銃弾だから少しマシですが、それでもとても足りません。海軍主計中尉の言葉に高梨は押し黙るしかなかった。

――あいつは癖はあるがなかなか面白いヤツだな。頭も切れる。内務省に戻ったら、きっと出世するに違いない。
  しかし、あいつが言うのだから・・・物資が不足するのは間違いないのだろうな。
高梨が漠然とそう考えた時、無線機から滑走路に向えという指示が聞こえてきた。
とうとう独立飛行第四十七戦隊の発進順となったのだ。彼は機体を滑走路に向ける。
彼が物思いにふける間に、既に戦隊長とその直属機は発進を開始していた。高梨の離陸も、もう間もなくだ。
計器の最終確認を行い、誘導員に従って滑走路の端で機体を待機させながら彼は思った。
――確かに弾薬は不足するかもしれないが、それならこの戦闘でドラゴンを全滅させてしまえば良いだけのこと。
  余計な事を考えず、とにかく目の前の敵を落とすことに集中するべきだ。
そう考えて姿勢を正したその時、発進の合図がかかった。
彼はスロットルを開く。プロペラが一際高い唸り声を上げ、機体が滑走路を進み始めた。
ゆっくりと動いていた機体は次第にその速度を上げ、やがて翼が風を掴む。
高梨の"疾風"は明るくなった砂漠の空に舞い上がっていった。

高梨の離陸から少しして攻撃隊はその空中終結を終え、敵空中要塞に向けて進撃を開始した。
天候は砂漠に来てから当たり前のようになっている快晴だ。
文字通り雲一つない。風は多少吹いているものの、微風といって差し支えない風量だ。
そこに百五十機を越える編隊が飛んでいる。壮観以外の何物でもないだろう。
この攻撃にあたっては、アル・エアル・マイムの市民に与える心理的影響も考慮してある、高梨はそう聞いていた。
はじめは何を言っているのかとも思ったが――

――これは確かに壮観だ。飛行機を見慣れている我々ですら、この光景に圧倒されている。
  居残りのアル・エアル・マイム空軍だけでなく、一般市民に与える影響は相当なものだろう。
ここまでたくさんの戦闘機が滞空しているのを一時にみた事が無い、高梨はそう思っていた。
戦隊ごとに個性ある塗装を施している"疾風"の群れと、没個性といっても差し支えない"烈風"の集団。
陸海軍の垣根を越えた攻撃隊だ。日本軍の歴史上特筆すべき事だといえるかもしれない。
軍同士が互いに対立していた過去の陸海軍の姿は、少なくともここには無い。

高梨はその一員であることを誇らしく思うと同時に、責任の重さも痛感していた。
これだけの感銘を与えた航空隊が万が一、壊滅などしたら――アル・エアル・マイムに与える心理的影響は計り知れない。
何がなんでも、この緒戦は勝たなければならない。

”スレイマーン”への往路は何事も無く過ぎ去っていく。嵐の前の静けさというべきだろうな、高梨は思った。
彼は空中を警戒しつつ――空で気を抜くことは死を意味する――地上の様子を見た。
翼下には美しい光景が広がっていた。
朝の光を浴びて煌く砂漠。"疾風"が飛ぶ高度から見ても、砂と岩で作られた大地が地平線の果てまで続いている。
一見すると生命の痕跡など全く見られ無さそうなそこには、しかし確実に生命の息吹があった。
砂漠を移動する小さな胡麻粒のように見えるものはスケイルバックの群れに違いない。
数少ないオアシスを巡回している途中に違いないだろう。
スケイルバックは体長1mほどの、げっ歯類の仲間だ。この砂漠地帯の広くに分布している。
背中の体毛が鱗のように変化し、装甲板のようになっているのが特徴である。
背中の鱗は外敵を威嚇する時に鳴らす事が出来る。それがこの動物が身を護る手段の一つだった。
高梨はこのスケイルバックの丸焼きが気に入っていた。醤油をつけて食べるのが絶品だ、そう思っている。
げっ歯類ではあるが、その肉は良く締まっており野性味があるのだ。

スケイルバックの群れがうごめいている付近には、上空から観察できる文明の痕跡があった。
僅かに踏み固められている道、アル・エアル・マイムからダーブラ・クアへと続く道と、それを示す石灯籠の列だ。
交易用の角竜達行き来できるように、人間が数千年の時をかけて作り上げたものでもある。
高梨は人間の強さ、したたかさを感じずにはいられなかった。

――このような厳しい環境でも人間は力強く生きている。生きるために努力をしている。
  だから、我々は彼等の努力を無にしないためにも、この砂漠を護らなければいけない。
  それが巡り巡れば、きっと日本のためにもなる筈だ。
高梨は思いを新たにした。もちろん、その間も警戒を怠ることは無い。
高梨達の独立飛行第四十七戦隊はこの攻撃隊の左翼に位置している。
第二中隊は編隊の内側でもあり、同じ高度以下の前後方及び左側は他の機体による見張りが機体出来た。
だから彼は主に上空を警戒している。今のところ、特に異常は見られないが――

――これだけ天候がよければ、数十キロ先からでもこの大編隊の姿が確認できるだろうな。
  囮としては十分な成果を上げられるに違いない。奇をてらわない、正攻法な作戦でもある。
攻撃隊の指揮官は海軍の柴田大佐だ。機体に対し、搭乗員の技量によらない部分を重視する事でも知られている。
直接指揮下に入るのは今回が初めてではあるが、無茶はしても無理はしない人だろう、そう高梨は考えていた。

それから間もなくのことだった。編隊に動きが生じた。
大編隊の戦闘をいく海軍の"烈風"隊の一部が何かを投下したのが見えたのだ。
続いて編隊のあちこちからも何かが投下されていく。それは白い霧のような尾を引きながら砂漠へと消えていく。
今回の出撃においては爆装の戦闘機隊はない。"烈風"隊は増槽を投下したのだろう。
高梨は気を引き締めた。つまり――

「敵航空部隊らしきもの接近しつつあり。全機、戦闘準備。空中戦に備えよ。」
柴田大佐からの命令が下る。これを受けて、今回の攻撃隊全機が増槽投下をはじめているのが見えた。。
高梨は左手で操作桿を握り締めると左に九十度回転させ、力いっぱい引き上げる。
とたんに機体が軽くなる感触。燃料タンクの投下に成功したのだ。
彼は浮き上がりそうになる機体を押さえつけつつ、僚機の様子を確認する。
ジュラルミン製の燃料タンクが次々と機体から放り出されていく。それはまるで転がるようにしながら地表に吸い込まれていった。

全機無事に投下を行った事を確認した高梨は前方に気を配った。
果たして、彼は視界の隅になにか空中でうごめく黒い染みのようなものを見つけた。
"烈風"隊がその染みに向けて加速していく姿が見える。同時に無線機から坂川隊長の声が聞こえてきた。
「いいか、今回、この緒戦を取る事の意味は非常に大きい。
 だが、ただ勝つだけでは駄目だ。戦い、生き延びる事も任務のうちだ。いいな。絶対に死ぬな。」
坂川少佐は全員がその言葉を飲み込むの間少しだけ沈黙し続けて命令を発した。
「四十七戦隊全機、突撃開始!驕敵を撃滅せよ!」
指揮官の言葉に従い、"疾風"の群れは一斉に速度を上げ、文字通りの疾風となって敵に向った。

当初は数十キロあると思われた彼我の距離は急速に縮まっていった。
"烈風"も"疾風"も最高速度は六百キロを軽く越えるし、敵空中戦力――ドラゴンにしてもそれは同じだ。
日本軍機はゆるく上昇しつつ敵に向っている。ドラゴンの頭を抑えるためだ。
同盟軍ドラゴンとの模擬空戦により、高度六千以上での上昇力においては飛行機に分がある事は判っている。
ある程度以上の高度を保ちつつ垂直面を使っての空戦を行えば、大協約軍のドラゴンにも優位に戦えるはずだった。
もっとも、旋回性能ではドラゴンにかないようも無い現状においては他にとりえる手段が無いことも事実ではあった。
――今回来襲するのは横須賀を襲った青い竜という話だが、あの時とは違う。
  今度は、いや、もう二度と好き勝手にやらせはしない。

高梨がそう考えた時、下から数十条の稲妻が空に向って放たれるのが見えた。
自然現象ではありえない。ブルードラゴンがこちらに対して威嚇の意を込めた稲妻を放ったに違いないだろう。
だが、あまりに遠い距離で放たれたそれは日本軍機と搭乗員達に何も影響を与えなかった。
事実、先行する海軍の"烈風"隊はそれを気にする風も無く降下と襲撃を開始し始めていた。
高梨は襲撃を前に敵集団を観察した。予想通り、敵はブルードラゴンを中心とした空中部隊らしい。
青竜数十と、見た事がない黒い小柄なワイバーンらしきもの多数が日本軍の編隊に向ってきている。
黒いワイバーンは青竜よりも若干小柄なうえ低速のようだが、それでも十分に俊敏な印象を与えている。
高梨は黒い小柄なワイバーン――ロック鳥のような巨鳥にも見える――に狙いを定めた。
現在のところ、"烈風"隊は青竜と互角以上に戦えているようだ。その間にまずは数を減らすべきだ、そう思ったのだ。

高梨率いる第ニ中隊は黒いワイバーンに向けて全速で降下すると十二ミリ七を一斉に放った。
その一撃で三頭のワイバーンが翼や頭を砕かれて墜落していく。"疾風"はそのまま急降下して敵編隊を突き抜ける。
ワイバーン達もが"疾風"を追って降下を始めようとする刹那、"疾風"は円を描くような上昇軌道に移行した。
敵指揮官は追従しようとしたのか、ワイバーンの群れは降下を中断してその場で急停止し、大きく羽ばたいて上昇しはじめた。
だがそれは悪手であった。
降下によって高度を失った上、空中静止まで行ってしまったワイバーン部隊は絶望的なまでに速度を失っていたのだ。
そして、"疾風"の群れはそれを見逃さなかった。降下に転じた戦闘機隊は再び十二ミリ七を放つ。
今度は五頭のワイバーンが空中から脱落していった。翼を砕かれたワイバーンが甲高い声を上げながら高梨の視界から消えていく。
――やつらはやはり鳥の仲間だな。
血と羽毛を撒き散らしながら落ちていく彼等を見ながら、高梨はそう思った。

そこから乱戦が始まった。
垂直戦闘の不利を悟ったワイバーンは"疾風"の機動に一切付き合うことなく、水平戦闘を強要するように動き始めたのだ。
時速五百キロを越える速度で飛行しながら極小さな旋回半径でターンを決め、連続して火球を放つ。
これに気を取られると危ない。敵の僚騎が即座に距離を詰め、文字通りの"格闘戦"を挑んでくるからだ。
ワイバーン達はどういう身体構造をしているのか、まるで疲れを知らぬかのごとくに動き続けていた。
しかし、日本の戦闘機隊は水平面での戦闘で敵と渡り合う事はしない。
"疾風"が如何に優れた戦闘機であっても、生物と張り合えるような空中機動が行えるわけではないからだ。
果たして、徐々に日本軍が押し始めた。黒い巨鳥が興奮し、が次第に騎乗士のいう事を聞かなくなってきていたからだ。
騎乗士たちは自分達の不利を悟ったのか後退し始める。それを追おうとした高梨達の前にドラゴンがその姿を現した。

若干小ぶりで、しかし見るからに俊敏そうな体つき。
頭も翼もどこか尖っっており、翼の周囲に稲光をまとっているように見えるその姿。
青い体は圧倒的な存在感と強烈な意志を感じさせ、まさしく"空の王"の名に相応しい。
――美しい。
高梨は三年ぶりに見たブルードラゴンにたいしてどこか場違いな感想を抱いた。
同盟のドラゴン達も力強いと思っていたが、空中における青竜は別格の存在と言っても良いだろう。
彼らはそれほど圧倒的な空気を放っていた。

現れた青竜の群れ十騎ほど。彼等は巨鳥と"疾風"の間に立ちふさがるような陣形をとっていた。
巨鳥の撤退を支援しようとしているのだろう。彼らは長い首を振り回すように動かすと威嚇の咆哮を上げる。
そして一切の予備動作なしに一直線に加速を開始した。数的には"疾風"隊に劣るものの、動きは先ほどまでの巨鳥達とは段違いだ。
高梨達は巨鳥の追撃を諦め、ブルードラゴンとの空戦に集中した。

「クソッ、相変わらず素早い!」
だが、高梨は思った。前とは明らかに違う。その違いは歴然としていた。
ブルードラゴンは急旋回で高梨機の追撃をかわし、そのまま小回りに旋回して背後に回るつもりに違いなかった。
だが、高梨達はそれには付き合わない。編隊を維持し、降下と上昇を繰り返している。
"疾風"は青竜の速度には追従できている。だが、旋回性能ではどうやっても及ばない。
であるならば、彼等の得意分野に付き合う必要は無かった。
あくまで重戦闘機らしい戦いに徹すれば、勝機は自ずからやってくるはずだ。高梨はそう考えている。
実際、数的優位に立っているせいもあるとはいえ、青竜に攻撃の機会をほとんど与えていない。
同様のことは海軍航空隊にも言える。高梨が見るところ、"烈風"も良い勝負が出来ているようだ。
「疾風隊全機、烈風隊全機ともに一撃離脱を徹底しろ!格闘戦は最低限度にしろ!」
この攻撃隊の総指揮官、海軍の柴田大佐からの命令が聞こえる。
もっとも、この命令も確認以外の意味合いを持っているとは言えないだろう。
ワイバーンは兎も角、少なくともドラゴン相手に一撃離脱以外の戦闘を仕掛けるような搭乗員はいない。

大協約のドラゴン、日本軍の戦闘機隊ともに激しく空中を動きまわっている。
旋回、上昇、下降、横転。様々な機動が空中に描かれ、稲妻と銃弾が大空を交差するが、互いに決定的な優位を作り出せなかった。
その一進一退の攻防が続く中、高梨は大空の片隅で数条の黒煙が上がったのに気が付いた。

高梨はドラゴンに気を配りつつも黒煙の方を見つめる。その下には何か巨大なものが浮かんでいるのが見えた。
この空域で浮いているものといえば、敵空中要塞以外には有り得ない。という事は。

――海軍さん、やったか!
高梨は頭の片隅でそう思った。空中要塞への爆撃が成功したのだ。
どれだけの打撃を与えられるのか判らないが、少なくとも緒戦においての目的は――
彼がそう考えた時だった。
「伊橋が!」
無線機から石井曹長が叫ぶ声が聞こえた。高梨は振り返り、伊橋機がいる筈の後方に視線を送る。
伊橋機は確かにそこに居た。そして――青竜がその機体に牙を突き立てようとしてているのに気が付く。
「畜生!」
高梨もそうだったように、伊橋も空中要塞に気を取られたに違いない。青竜はその隙を見逃さなかったのだ。
彼は機体を反転させて伊橋機に取り付いているドラゴンに攻撃をしようとする。
高梨よりも先に動いていた石井は射点についている。だが、青竜を攻撃することは出来なかった。
両者はあまりにも接近しすぎているのだ。ブルードラゴンは伊橋が駆る"疾風"の左翼すぐ後方に迫っている。
余程接近しなければ、伊橋機にも流れ弾が当たりかねない。しかし伊橋も六百キロ以上の高速で動いている以上、接近は困難だ。
噛まれまいとして必死に機体を小刻みに動かしている。なおさら困難だ。
それでも何とか至近距離まで機体を近づけることに成功した高梨は青竜だけに射撃を開始しようとしたが――
「ああッ!」
石井曹長の声が無線機から届く。青竜が"疾風"の翼に噛み付き、金属でできたそれを引きちぎったのだ。
"疾風"はその一撃でたちまち姿勢を崩す。ドラゴンはそれを見逃さずに翼を鉤爪のついた手で鷲づかみにし、根元からもぎ取った。
左翼を引きちぎられた伊橋機はきりもみしながら機首を下に向けて墜落していく。
ブルードラゴンは落ちていく"疾風"に対して追い討ちをかけるように稲妻を放った。"疾風"は爆炎を上げて四散する。
「伊橋ぃ!」
高梨は、石井の絶叫が無線機から響くのをただ聞いていることしか出来なかった。

それが合図になったかのごとく、青竜部隊が引き始める。柴田大佐からも撤退命令が下った。
作戦は完全に成功した。”スレイマーン”への爆撃とワイバーン五十余、ドラゴン十七撃破確実という戦果を上げたのだ。
日本軍の損害は機動部隊の艦載機とアル・エアル・マイム航空部隊の撃墜破あわせて三十機に満たない。極めて軽微と判定された。
――しかしこの日、高梨の率いる第二中隊は初の未帰還機を出した。

初出:2010年4月11日(日) 修正:2010年5月25日(火)


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