昭和十九年一月一日 福生
日本は"新世界"へ転進してから三回目の正月を迎えた。高梨大尉は、日本が徐々にこの世界と馴染み始めているのを実感していた。
新聞やラジオからも"新世界"という呼称も無くなり、"夢国""呂国"等を特に注釈無く用いつつある。
そして、そんなことよりも――
「凄いですね、この伊勢海老。いくら正月だからって、一人一匹伊勢海老の天麩羅がつくというのは豪勢すぎじゃないですか。
五年前からはとても考えられません。」
高梨は感嘆しながら巨大な天麩羅を箸でつつく。彼はこれほど見事な伊勢海老は食べた事が無かった。
確かに今日の食事は豪勢だった。とても軍隊とは思えないほどだ。
とろろ昆布、納豆と海苔までは普通だ。特に珍しくも無いだろう。しかし、それだけではない。
具がたくさん入った豚汁、尾頭付きの焼き魚。伊勢海老の天麩羅がついている。
餅はさらに別についているという有様だ。幾らなんでも、戦時下の軍隊での食事とは思えなかった。
「確かに、これは豪勢だと思います。全ては同盟との交易が上手くいっているからでしょうね。」
高梨の前に座っていた三木海軍大尉が頷きながら言う。彼は高梨の後を追うように前年の八月にこの福生に着任していた。
海軍の新型艦戦――零戦の後継機の評価をするためだという。詳しいことは聞いていないが、今までの艦戦とは一味違うらしい。
そろそろ疾風との模擬空戦もあると聞いていた。新型機どうしで三木と手合わせするのも悪くない、高梨はそう思っていた。
三木はいつもと同じ薄い微笑みを浮かべながらさらに続けた。
「結局、全てはそう言うことなんだと思います。"大転進"前に同じ事に気が付いていれば、もしかすると――」
「すみません、私、この天麩羅要らないので、お二人で食べてもらえませんか?」
三木の言葉をジェシカ特務大尉が遮る。彼女は騎竜アルフォンスと共に"ドラゴンとの模擬空戦要員"として派遣されていた。
日本軍との付き合いも長く、日本人をよく理解しているというのがその理由だ。
実際、彼女は日本人の知らないようなことまで良く知っていた。じゃんけんの地方による違いを懇々と語った時には驚いたものだ。
食事にしても特に好き嫌いは無かったはずだ。少なくとも高梨が知る限り、彼女が何かを食べないと言ったことはほとんど無い。
そんなジェシカが青い顔をして天麩羅を見つめている。彼女が天麩羅ごときにそんな反応をすると思っていなかった高梨は尋ねた。
「この伊勢海老に何かおかしいところでも?素晴らしく美味そうだが。海老は嫌いだったかな?」
「・・・これ、海老じゃないです。"ロシモフザリガニ"です。泥臭くて、子供の頃からあんまり好きじゃないんです・・・」
彼女の言葉に高梨は三木と顔を見合わせた。よく見れば伊勢海老とは尻尾の形が違うような気がするし、身も何か色がついている。
高梨はため息をついて周りを見回す。彼女の言葉が聞こえていないのか、皆美味そうにザリガニの天麩羅を食べている。彼はつぶやいた。
「まあ、伊勢海老だと思って食べたほうが身のためだろうな。」
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「おいしいじゃん、ロシモフザリガニ。僕は大好きだよ!」
孫が能天気に言いよる。まあ、確かにのう。
「確かにあれはあれで美味い。独特の苦味とエグ味があってな。あんとき、ザリガニじゃと聞いて驚いたモンじゃ。
伊勢海老で無かったのは残念じゃったが。まあ良かったな。」
あんな立派なザリガニのてんぷらというのは流石に想像しておらんかったからなあ。じゃが。
「あんまりにも美味すぎたのがいかんかったんじゃな。育てるのも簡単という事で、あちこちで養殖も始まったのじゃが。
たちまち逃げ出して野生化してな。お陰で、日本国産のザリガニはいまや絶滅寸前じゃ。」
「アメザリはまだいるじゃん?この前、そこの沼で釣ったよ?」
むう、何やら納得していないようじゃな。
「そりゃ、アメリカザリガニじゃろ?アメリカ原産のザリガニじゃ。」
「アメリカって日本のどっかじゃないの?」
ううむ、なんと言って説明しようかのう。そうじゃ、中国はラーメンを発明した国で納得してくれたのじゃから。
「あれじゃ、アメリカはハンバーガーを作った"旧世界"の国じゃ。」
「ハンバーガーって佐世保が本場なんじゃないの?」
孫は無邪気な顔で言ってきおった。うむ、確かに佐世保バーガーは有名じゃ。じゃがなあ。
あれは元々、"大転進"の時に佐世保に住んでおった元米国人が始めたもので、日本古来のものではないのじゃが・・・
他にどう説明すればいいんじゃ・・・世代の断絶を感じるのう・・・
「まあ、とにかくそんなわけで食糧事情は随分良くなっておった。腹いっぱいにハシフ=ハン国産の牛肉が食えたりとかな。
それまでアメリカ人を馬鹿にしておったが、肉をたらふく食えるというのはいいことじゃ。」
「ああ、判った。アメリカって東方大陸の草原地帯のどこかなんだね。」
孫は何やら納得したように頷いておる。この早合点の癖は誰に似たのじゃろうか。
・・・まあ、アメリカの件はひとまず置いておこう。どうせ中学生になったら習うはずじゃ。
とにかくじゃ。大事なことはじゃな。
「"大転進"から二年が過ぎて、日本も随分と落ち着きを取り戻したのじゃな。
戦線が東方大陸の随分奥のほうで、日本の周りが静かじゃったという事もあるじゃろう。
じゃがまあ、何より腹いっぱいの飯じゃな。うん。これに勝るものはそうそうないじゃろうて。」
孫は気の無い様子でふうん、とぬかしおった。愚か者め。まったく、飽食の時代に生まれたもんはこれじゃからいかん。
もっとも、わしらも同じ様なことを言われたがな。まあ、それはともかくじゃ。
「そんな訳で、わしらは毎日たらふく飯を食いながら試験飛行に明け暮れておったわけじゃ。」
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高梨はキ八四は今までの日本軍の戦闘機とは大きく異なった戦闘機だと感じていた。
キ四四を進歩させた"重戦"というだけではない飛行特性。確かに基本的な挙動は重戦のそれではある。
だが、軽快な動きができないというわけでは無い。操縦桿に力を込めればかなり軽快な動作も可能だった。
もっとも、その見かけによらない運動性能が必要になる場合というのはそうは無いだろう、高梨は思っていた。
六百五十キロという高速は――これは戦闘荷重時の値で、実際はまだ上昇が見込めた――ブルードラゴンの最大速度にも匹敵する。
ドラゴンは竜騎士の力や感情の爆発に応じてその戦闘性能が変わるため一概には言えない。
だが、標準よりやや上とされる騎士での速度が凡そ三百五十ノット前後、最速級で四○○ノットとされている。
一撃離脱を徹底する重戦闘機としての戦い方を行うのであれば、互角の戦いができるはずだった。
何よりも異なるのはその防御性能だ。今までのどの日本軍機に比べても圧倒的ともいえる性能を持っていた。
確かにキ四四でも防弾板はついていた。が、これは7.7ミリ程度の機銃弾を防ぐためのものだ。
キ八四は12.7ミリ弾を防ぐ防弾板と、もう一つ――対魔法防御が施されているのだ。
もっとも、魔法防御といっても電撃魔法、実体弾魔法を回避する仕組を施しただけではある。
電撃魔法回避はファラデーの法則で静電遮蔽したものだ。実体は大したものではない。実際、現地改修で対応を施した部隊もある。
実体弾魔法の防御についても同じようなものだ。魔力を減じるための魔方陣を電線で組んだだけであるからだ。
だが、効果は絶大だった。"マジックアロー"は完全に防ぐ事ができるのだ。
マジックアローは、格闘戦に入った竜騎士がよく使う呪文だ。これを防ぐ事ができれば、かなり生存率を上げる事が出来た。
"魔方陣を電線で組む"という技術を開発する途中、思わぬ副産物ができていた。電線を完全被覆する樹脂の導入だ。
元々この"新世界"で床に魔方陣を組むための技術として、"金属棒を樹脂で覆う"という技術が使われていた。
この樹脂――高梨にはよく発音できない名前の木が出す樹脂を使うと、今までとは桁違いに頑丈な被覆電線が作れるのだ。
ある意味ではゴム被覆の技術を応用して新しい材料を使っただけではあるのだが、それでも充分革命的な変化だった。
電装系を強化するためには電線の質を上げる必要があるからだ。地味だが、偉大な発明と言える。
直接的な戦闘性能以外についても今までの航空機とは一線を画している。
生産性を考慮し、機体の各部は単純な形状で作れるようになっていた。ある程度以上の町工場なら工作できる範囲の形状だ。
さらに、それらは機能毎に纏められ、ある部分が壊れたらそこを丸ごと交換すれば済むようになっていた。
この甲斐あって、その生産性は著しく高かった。高性能の機体でありながら、一式戦"隼"よりも生産工数は少なかったのだ。
このようにキ八四はあらゆる面で従来の日本機を上回っていた。だが、高梨の見るところ、欠点が全く無いわけではない。
昭和十九年一月十一日 福生
正月気分も明けたこの日も高梨達は試験飛行に勤しんでいた。高梨達がここに来てもう半年以上になる。
高梨は伊橋と石井を引き連れて編隊飛行を行っていた。既にキ八四の操縦にも慣れている。
もはや自分の手足のように使えると言っても過言ではないだろう。しかし、若干の不安点もあった。
――最初は凄いと思ったこのキ八四だが、慣れてくると色々とあらが見えてくる。美人は三日で慣れる、というのは本当だな。
馴れた手つきで着陸を行いながら高梨は思った。
「どうでした?今日の飛行の感じは?」
すっかり高梨と顔見知りになった中島の糸川技師――聞けば、本職は東京帝国大学第二工学部助教授らしい――が声をかけた。
搭乗席から地上に降り立った高梨は糸川に向って言う。
「少しはマシになりましたが・・・まだまだ補助翼に"蹴られ"ますね。どうにも安定性が今ひとつです。」
高梨大尉は翼端をひと撫でした。整備員達がよってくるのを邪魔にならないように避けてから続けた。
「確かに速度性能は飛躍的に上がっているし、旋回性能も二式単戦に比べれば随分良くなっています。
応錬性能に関しては、戦闘機としての極地にあるかもしれません。ですが、それと引き換えに、どうしても――」
「――安定性が低下する、ですか。それはそうなのですが、こればかりは。」
糸川が複雑な顔をして答える。高梨もそう思っていたが、試験飛行の担当者として言わねばならないと感じていたのだ。
「ドラゴンとの空戦で旋回戦を行うことはほとんどありません。だから、垂直面の戦闘能力を高めることに異論はありません。
そして、その際に有効な横転性能を上げるというのも同意します。ですがとにかく、"補助翼の蹴り"をどうにかしないと。」
「判りました。現在の秒間百六十度という値は少し抑えたほうが良いのかもしれません。
次は秒間百二十度くらいになるように補助翼を調整してみましょう。」
そう言ってしょげ返ってしまった糸川を見て高梨は慌てた。多少おかしなところはあるが、高梨は彼を気に入っていたのだ。
「ああそういえば、発動機はだいぶ良くなった感じがします。なんと言うか、吹け上がりが随分いいと感じました。」
どの回転数でも安定しています。多少の無理をさせてみましたが、特に問題もありませんでしたし。」
高梨の慌てたような言葉に糸川は複雑な顔をして苦笑を浮かべた。
「私は点火栓を変えてみるように指示しただけで、発動機自体はそれほど調整していないのですがね。」
彼は一端言葉を切ると、首を振りながら言った。工学を学ぶものとしては認めたくない現実が、そこにあった。
「同盟国の魔法使いに熱耐性を上げて煤を付き難くする魔法をかけてもらったのです。本来、煉瓦煙突にかける魔法らしいです。
煙突より随分過酷な環境の筈ですが・・・まあ、何にせよ効果があったのなら良い事です。」
高梨は滑走路に併設された待機所に足を運んだ。簡単な整備が終った後、また空に上がる必要があるためだ。
キ八四は今年四月の制式採用が既に決まっている。自然と、日程も押し迫ったものになっていた。
高梨は、もう少し練ったほうが良いの部分が"補助翼の蹴り"以外にもまだあると感じていたが――
「商工省の統合軍需局も随分強引ですね。現場のことを少しは考えてくれればいいのに。」
先に待機所に来ていた石井曹長がぼやいていた。高梨も全くの同感だ。
商工省統合軍需局はこの戦争――日本では便宜上"新世界大戦"と呼ばれる事が多い戦争にあたって新設された部署だった。
元々の予定では商工省を改組し、軍需省として鉱工業管理から電力行政までを一手に担う省庁を作る予定だった。
軍需省の設立は、中国大陸での戦闘開始からあらゆる産業を軍事優先で進めてきた集大成になるはずだったのだ。
しかし、同盟国との活発な交易とそれに伴う国力増大によって事情が変わった。
大協約とのは戦争状態にあるため、軍需品の需要が無くなったわけではない。だが、必要性は落ちている。
現在の日本が主力輸出品としているのは――輸出品としたいのは――利幅が大きく、この世界に普及していない機械製品だ。
そのために必要になる資源にしても、同盟国から格安で購入する事ができる。
"旧世界"において、武力を行使してでも獲得したかった手付かずの市場と資源が手に入るのだ。
既に商社間では"新世界"国家の取り込みのために激烈な競争が繰り広げられている。違法ぎりぎりの線での交渉も日常茶飯事だ。
その様な状況で商工省を改組することなどできよう筈も無かった。そこで作られたのが統合軍需局だった。
――だったな、確か。本当に戦争をしているのか、疑いたくなる部分もあるが。
高梨は待機所に置かれていた”実業之日本”に書かれていた内容を思い出していた。
石井曹長のいう事にも一理ある。だが統合軍需局の言い分も理解できる、そう思った彼は言った。
「仕方あるまい。それに”新年度の頭から新機種を作れ”というのは、実際に戦闘機を作る現場には判り易い筈だ。
戦闘機を含む軍需品の製造工場の整理、統合も統合軍需局の仕事のうちだしな。」
「確かに、予算とかの絡みではそうなのでしょうが・・・」
石井はまだ少し納得しかねる表情をしている。高梨は更に続けた。
「それに、東方大陸で戦っている搭乗員達に、一刻も早くこのキ八四を届けてやらねばならん。
貴様の言う事も一理あるが、大事なのは"使える兵器としてのキ八四"を作り出すことであって、我々が納得することではない。
ただ、だとしても――」
「いずれにしても、"試製疾風"はもう少し揉んだほうが良いと言うのは同感ですね。
あの"蹴り"を別とすれば乙戦としてはまずまずですが、甲戦として考えると少し厳しいと思います。」
いつの間にか待機所に現れた三木六蔵海軍大尉がいつもの笑みを浮かべながら言った。
「三木大尉、前から思ってるんですが。キ八四にはその"しっぷう"っていうのはどうも似合わないと思うんです。
キ八四、もしくは"はやて"と呼んでくれませんか?」
高梨の言葉に三木は困ったような表情をして応じた。
「とは言っても・・・キ八四は海軍式の命名で"試製疾風"として、乙戦としての採用が決まっています。。
私が担当する一七試艦戦も"れっぷう"ですから、キ八四も、少なくとも海軍では"しっぷう"と読むのが自然だと思いますよ?」
「国運をかけた戦闘機なのだから、やはり"大和言葉"で呼ぶべきじゃないですか?」
高梨の反論に、三木は笑みを深めてただ一言答えた。
「三式戦闘機"飛燕"」
――まあ、確かに"ひえん"は大和言葉ではないが・・・・
高梨には反論する言葉は無かった。
「三木大尉殿、"烈風"はどんな具合なのでありますか?」
場をとりなすように伊橋が三木に質問した。この男は小太りな見かけによらず気が効くのだ。
三木は小首を傾げて何事か考えるような表情をした。そのまま言葉を発する。
「"誉"を――ああ、ハ四五という大馬力発動機を積みながらも小型化を追求した、というのは良い事だと思います。
零戦とは最大速度も桁違いですし、全般的な運動性も良いし、低空性能も高いくなっています。」
「六百五十キロ以上出る、という話を聞きましたが、本当ですか?」
石井が興奮した面持ちで尋ねた。軍用機全般が好きなのだ。彼が"航空朝日"を創刊号から持っていることを高梨は知っていた。
その剣幕にさしもの三木もたじろいだように眉を少し動かす。それでもいつものように穏やかな口調で答える。
「ええ、六百六十までは出ます。零戦よりも小さな機体に、零戦よりも強力な発動機を積んでいますからね。結果は明らかですよ。
もっとも、そのせいで翼面加重は艦載機とは思えないほど高いんですが、それを気にしなくても良くなったのは大きいですね。」
「翼面加重が高い航空機は艦載機には向いてないはずです。気にしなくて良い、というのは意外な気もしますが・・・」
高梨の言葉に、三木は私も聞いた話ですが、という前置きをしてから答える。
その顔には微笑とも苦笑ともつかないものが浮かんでいた。
「着発艦促進士官、とかいう名前で"風魔法"を操る魔法使いだか精霊だかを空母に乗せたらしいです。
そのお陰で、なんでも飛行甲板を横に使っても着発艦できるほどに風を操れるのだとか。
お陰で甲板を斜めに使えば離着艦同時にできるだろう、なんて乱暴な意見も出ているそうです。」
――それは随分と乱暴な意見だ。縦のものを横に使ってそう簡単に上手くいくはずが無い。
海軍さんというのはもう少し理知的な組織だと思っていたが、そうでない人たちも居るのだな。
高梨は三木に同情した。
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「結論から言うと、わしは間違っておった。」
「どういうこと?縦で使うものを横にしても上手くいかないでしょ?縦笛を横にして吹く、みたいな事でしょ?」
おおう、思ったより適切なたとえじゃな。わしも当時そんなようなことを考えておった。
こやつはきっと良い搭乗員になるぞ。見所がある。
やっぱりあれじゃ、蛙の子は蛙という奴じゃな。まあ、わしの子供の子供じゃから蛙の子の子は蛙という事になるが。
「えっと、おじいちゃん?」
おお、いかんいかん。空中ではちょっとでもボーっとすると命取りじゃった反動か、最近はボーっとしすぎじゃな。
「うむ、わしは間違っておったのだ。」
「それはもう聞いたよ。」
うむう・・・そんな哀れっぽい目でわしを見るでない。まるでわしが年寄りみたいじゃないか。
それはさておきじゃ。
「確かに、単純に横にしたのでは上手くいかん。じゃから、斜めにしたのじゃな。」
「斜め?」
孫は首をかしげおった。仕方が無いのう、写真を見せたほうが早いか。
ふむ、軍艦図鑑は・・・あった、これじゃ。
「ほれ、ちぃとばかし古い空母であれじゃが、”<風の海>動乱”時の空母"白鳳"の写真じゃ。
ようく見てみい。ここのところがちょっと出っ張っておるじゃろ?これが"斜め甲板"じゃ。」
こいつの親父が小学校の頃に見ておった図鑑じゃからボロボロじゃが、まあ仕方ない。
「軍艦のことは詳しく知らんが、とにかく、こういう斜め甲板をつけることで着発艦が同時に行えるのじゃ。
最初に聞いた時は頭の良いヤツというのは居るもんじゃ、そう思ったのう。」
本当の所は頭おかしいじゃろ、と思ったんじゃが。そこはあえて伏せておこう。子供には夢を与えてやらねばならんからな。
そうそう、これも言っておかねばならんな。
「もっとも、最近の空母はこんな出っ張り無い。三代目の"鳳翔"からは双胴空母が主流になったからな。」
あれは縦横斜めに甲板が使えるらしいが、そんな事して本当に大丈夫なのかのう。他人事ながら心配じゃ。
「まあ、斜め甲板は兎も角としてじゃ。烈風が良い機体じゃったのは確かじゃ。今でもエア・レースで使われておるしな。」
孫はその言葉を聞いてメモを取り始めた。むう、斜め甲板の件は無視か。わしゃ何のために説明したんじゃ。
まあ良いわい。
「そんなこんなで、試製烈風との模擬空戦を迎えたわけじゃ。当然、相手は・・・三木大尉じゃった。」
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昭和十九年二月十六日 福生
冬独特の張り詰めた寒さの中、二種類の機体が発動機の唸りを上げ始めた。
片方は陸軍の新鋭戦闘機である四式戦闘機"疾風"。もう片方は海軍の新鋭戦闘機である一七試艦上戦闘機"烈風"。
両機とも同じ発動機――ハ四五、海軍名称"誉"を装備している。だが、機体の印象は明らかに異なる。
比較的余裕のある機体寸度を持ち、一式戦闘機"隼"や二式単戦"鍾馗"とどこか似た印象を与える四式戦闘機"疾風"。
零戦よりも小さい機体に倍する馬力を誇る発動機を搭載し、零戦よりも俊敏な印象を与える一七試艦上戦闘機"烈風"。
――泰然とした柔の名手と、抜き身を持った剣の名人といった風情だな。
四式戦闘機"疾風"の搭乗席で計器を確認しながら高梨は思った。"烈風"については既に何度も見ている。
それどころか、最近はよく乗ってさえいる。陸軍でも"烈風"を爆撃機随伴用に採用するかどうかを検討しているためだ。
キ九○という陸軍での識別呼称も与えられているが、その名前で呼ばれることはあまり無かった。
誰もがその機体を"烈風"と呼ぶためだ。その機体を見たもの、触れたものは等しく”これこそまさに"烈風"”と評した。
そして、それは高梨も同感だった。
細かい旋回を繰り返す戦闘においては"疾風"は"烈風"に敵わないだろう、高梨はそう思っていた。
"疾風"が"烈風"に優位に立つものが無いわけではない。ただ、求められた方向性が違うという点に尽きた。
"烈風"は"純粋な制空戦闘機"として作られており、"疾風"は汎用戦闘機であることを求められていた。
新世界に"転進"して以来、航空戦で陸軍以上にドラゴンに煮え湯を飲まされ続けた海軍が"ドラゴン殺し"として作り上げた機体。
それこそが"烈風"なのだ。だが、高梨は勝つことを諦めてはいなかった。
"ドラゴン殺し"に勝てるなら、当然の如くドラゴンにも勝てる。だから、この模擬戦、少なくとも負けるわけにはいかない。
――"烈風"は良い機体だ。四式戦も良い機体ではあるが、格闘性能では"烈風"には及ぶまい。
だから、それには付き合わない。四式戦のいいところを出して、勝つ。
誘導員が発進はじめの合図をして敬礼するのが目に入った。高梨は答礼を返すとゆっくりとスロットルを開く。
高梨の操る四式戦闘機"疾風"は滑走路を進み始めた。機体は徐々に速度を上げていく。
離床速度に達し、機体が宙に浮いた。高梨はその感覚を楽しむ。彼は空に浮かんだことを実感できるこの瞬間が好きだった。
充分に高度を取ったところで着陸脚をたたむ。電気式の収納機構は上手く働き、モーター音と共に脚が収納された。
脚の収納が終ったことを計器から読み取った高梨は上昇しながら機首を東へ向けた。模擬戦は高度六千で行われるのだ。
――さあ、三木大尉。あなたとは久々の空戦です。折角だから楽しもうじゃありませんか。
数分後、彼は後悔していた。
――畜生、迂闊だった。三木は決して”ミロク菩薩”なんかじゃない、”死神”なんだ。
死神と楽しめるはずが無いじゃないか。
そう思いながらも必死に機体を操る。少しでも気を抜くと内懐に飛び込まれて撃墜されてしまうからだ。
もっとも、それは三木も同じはずだ。闇雲に格闘戦を仕掛けて来ているのではないところにそれが伺える。
旋回を行うと必然的に速度は低下する。もし、高梨が三木の期待通りに動かなければ、三木は速度を失い続ける事になる。
最高速度は若干ではあるが"疾風"が"烈風"を上回っている。だが降下性能は"烈風"が上回っていた。
それだけでも難しい問題であるが、両機の搭乗員がお互いの機体に乗った事があるという事実が複雑さに拍車をかけていた。
三木が機体をひねりこませ、内懐に入り込む。何とか攻撃機会は失わせたものの、後ろにつかれてしまった。
単純な旋回でかわす事は無理だ。旋回性能では"疾風"は"烈風"には敵わない。降下性能も向こうの方が高い。
高梨は不規則に機体を振った。とはいえ大振りにすれば三木に決定的な機会を与えてしまう可能性がある。
それに操縦桿を下手に操作すれば速度損失は避けられない。よって"疾風"が"烈風"に勝る横転能力を生かしてロールを繰り返した。
左右への不規則なロールお繰り返しつつスロットルを微妙に操作して緩急をつける。単調に動けば直にやらられてしまうだろう。
高梨はそのまま蛇行気味に飛行してあえて距離を詰めさせた。逃げているだけでは埒が明かないからだ。
果たして、決定的な好機を与えないままにお互いの距離が詰まる。ここで高梨は水平面での蛇行を始めた。
"疾風"と"烈風"はお互いに絡み合うような機動を描いて飛ぶ。追いかける"烈風"が徐々に距離を詰める。
追いかける"烈風"の方が蛇行の幅が狭くなるからだ。そうして徐々に速度が詰まっていき、"烈風"と"疾風"の軌道が近づく。
高梨はこれを待っていた。軌道が交差する瞬間を狙って螺旋状に旋回する。高梨の"疾風"は三木の"烈風"を出し抜いたのだ。
追うものと追われるものの立場は逆転した。今度は"烈風"が狩られる立場になるのだ。"烈風"は降下するそぶりを見せた。
――二人の搭乗員は互いの技量の限りを尽くしていた。地上にいる誰もが、その戦いに魅入られていた。
「高梨大尉、三木大尉、ご苦労だった。予定時間だ。基地に帰還しろ。」
無線機から声が聞こる。予定されていた三十分という時間が過ぎたことを知らるためだ。高梨は我に帰った。
戦闘機の全力発揮時間はたいして長く設定されているわけではない。熟成しきっていない機体であればなおさらだ。
実戦ならいざ知らず、模擬戦で搭乗員を失う危険をおかすのは馬鹿げているという常識的な判断で三十分に制限されていたのだ。
――結局、"烈風"も"疾風"もお互いを落とすことはできなかったが、その高性能を知らしめる事は充分にできただろう。
いずれにしても、もう二度と三木とはやりあいたくない。
疲れきった身体をだらしなく座席に預け、高梨は大きなため息をつく。風防越しに見える空はただひたすらに蒼かった。
"烈風"との模擬空戦を終えた高梨を意外な人物達が迎えた。
「高梨!なかなか見事な操縦ぶりだったぞ。だがまだまだ精進が足らん。ここは一つ、俺が鍛えなおしてやろうか?」
かつての上官、泊少佐の言葉。
「泊、言ってくれるな。こいつはこれでも我が戦隊で指折りの逸材なのだ。コイツを取られたら、俺が困る。」
今の上官――高梨の籍は未だに独立飛行四十七戦隊にあるのだ――が言葉をかけた。
高梨は驚いた。二人がこんなところに居るとは思ってもいなかったのだ。
「泊少佐殿、坂川少佐殿も。お二人ともどうしてここにいるのでありますか?」
高梨の言葉に二人の少佐は楽しげに笑った。泊少佐が応じる。
「何、百四十四戦隊も独立四十七戦隊も四式戦を装備することが決まっているからな。
お披露目の模擬空戦とあれば、当然飛んでくるさ。ましてや、陸軍側の代表が貴様とあってはな。」
泊少佐はそういうと悪童の笑みを浮かべた。
「それにしても貴様、久しぶりに見ると随分と風格が出てきたな。いっぱしの撃墜王みたいじゃないか、ええ?」
高梨はええ、まあ、等とへどもどとした応答しかできない自分がもどかしかった。
だが仕方が無い事でもある。三木との死闘は高梨の身体と精神に非常な重圧となっていたのだ。
そんな高梨の様子を見た坂川が呵呵大笑しながら言う。
「三木との空戦がよほど堪えたらしいな。だが、あいつは平気らしいぞ。あっちを見てみろ。」
彼は坂川少佐が指差したほうを見た。三木は幾人かの海軍軍人に囲まれながら談笑している。
その様子はいつもと変わらない。高梨はげんなりした。あいつは、本当の化け物だ。
「ところで、どうだ。四式戦は?貴様の操縦を見た感じでは使い物になりそうだったが、そう思うか?」
落ち込んでしまった高梨の様子を見かねたのか、泊少佐が助け舟を出した。高梨は元上官の好意に甘えることにした。
彼は頷いて後方を振かえると、整備員が取り付きつつある機体を指し示しながら答えた。
「キ八四は良い機体です。一式戦の機動力を受け継ぎつつ二式単戦以上の高速を持ち、三式戦以上の重武装と重防御。
自分が今まで乗ってきた機体で、文句なしに一番の性能です。」
「ほう、そこまで言い切るか。貴様がそこまで言うからには余程の機体なのだろうな。」
泊少佐が目を見張った。やや軽率なきらいはあるが、慎重な物言いが多い高梨には珍しい台詞だったからだ。
「流石は”大トーア決戦機”と号されるだけの事はあるな。伊達ではない、ということか。」
坂川少佐は納得したように頷いた後、居住まいを正して言った。
「高梨大尉。貴様の試験部隊暮らしももうすぐ終るぞ。次の任地について話がある。
石井曹長と伊橋曹長を伴い、一五〇〇に本部棟の第三会議室に来い。」
「砂漠、ですか。」
高梨は呻いた。満州の荒野やロシモフの平原など”緑の見える場所”ならいざ知らず、砂漠となれば勝手が違う。
墜落しても、少なくとも緑が見えている場所であれば何とか生き抜くこともできるだろう。
だが、砂漠とあっては大規模な街があるとは考え難い。おそらく、野営することになるのだろう。
――満州も昼と夜の寒暖差が激しかった。あれよりも過酷に違いない。
そんなところで野営できるだろうか。
彼の思いをよそに坂川少佐は淡々と続ける。
「今のところ、連中が主導権を握っているからな。好き嫌いを言っている場合ではない。」
と、坂川戦隊長が顔をしかめた。高梨の思いが顔に出ていたのだろう。
「確かに、過酷な環境であることには間違いない。だが、別に砂漠で野営するわけではないぞ。」
「違うのでありますか?」
石井曹長が声を裏返しながら質問した。彼も高梨と同じようなことを考えていたに違いない。
高梨は伊橋の方を見た。伊橋はあからさまな安堵の表情を浮かべている。
――コイツら顔に出すぎだ。だがまあ、そうだよな。それが普通の感覚だ。
しかし、砂漠に街といっても大したことはないだろう。せいぜい、粗末な煉瓦でつくった小屋がある程度だろうな。
高梨のその考えも顔に出たのだろう。坂川少佐はにやりと笑うと言う。
「安心しろ。立派な街だ。いや、街という規模ではないな。何せ二百万人が暮らす都市国家だそうだからな。」
高梨はその言葉に驚きを隠せなかった。二百万といえば下手な県より人数が多い。十分に大きい都市といえる。
都市国家ということはそこだけで完結した生活圏が得られているという事だ。
"旧世界"での砂漠地域では、その規模の都市は川沿いや海辺などの地域にあったことを考えれば。
「なるほど、水が豊富な、砂漠地帯には珍しい場所なのですね。だから敵軍もそこを抑えたい、ということでしょうか。」
高梨は戦隊長に言った。少佐は困ったような顔をして答える。
「いや、俺もそう思ったのだが、どうもそれが違うらしい・・・地図で見る限り、一番近い海岸でも百キロ以上は先だ。
ジェシカ特務大尉にも聞いてみたが、旧態然としてどうのこうの、という話ばかりだった。」
まあ、それは良いだろう。行けばわかる話だ。坂川少佐はそう言うと三人に命じた。
「ともあれ、我が独立飛行四十七戦隊は、今年八月に砂漠地帯の"アル・エアル・マイム市"に進出する。
目的は都市の防御と、大協約の侵攻までに時間的に余裕があれば、かの都市に売却される一式戦の搭乗員育成だ。
三月中に四式戦の先行量産型を受領し、直ちに慣熟訓練に移る。貴様等には転地訓練を受けてもらうぞ。」
昭和十九年七月七日 <風の海> 航空母艦"蒼龍"艦上
<風の海>の名称に恥じず常に強風が吹きすさぶこの海域において、今日は珍しいほどの無風状態だった。
陸軍兵である高梨達にとって強風とそれにともなう荒波による船の揺れは耐え難いものがあった。
彼らも船で移動した経験が無いわけではない。だが、荒天が何日も続くような荒海を航海した経験は無い。
久方ぶりに悪天候から解放された高梨達は飛行甲板に出てきていた。もっとも大半の陸軍兵はまだへばっている。
彼らが飛行甲板まで上がったのも"自分達は平気だ"という事を兵に示す為、という意味合いが強かった。
実際、高梨は許されるならそのまま寝ていたいと思っていたのを、半ば無理やり三木に連れられて来ていたのだ。
「確かになかなか荒れていますがね。冬の北太平洋に比べれば、別にどうという事は無いと思いますよ。」
まぶしげに太陽を見ながら、三木は何事もないような顔で言った。高梨達と同じところにいたとは思えないほど爽やかな表情だ。
こいつは本当にどうにかしているに違いない、高梨は確信した。
「”吠える四十度、狂う五十度、叫ぶ六十度”でしたっけ?」
ジェシカ特務大尉が伸びをしながら言った。三木と同じように何事も無い表情をしている。これは修練等によるものではない
魔法を使って船酔いを回避したのだ。彼女はその呪文を教えてくれたが、あまりにも長くて高梨には覚えられなかったのだ。
「それは南極の方ですが・・・まあ、大体一緒ですね。」
「南極ですか・・・私達の文明は、未だに南極点に到達した事が無いのでわかりません。」
三木の言葉にジェシカが少し眉根を寄せて言う。高梨は興味本位で尋ねた。話ていれば少しは気がまぎれるというのもある。
「それはまた、どうして?」
「巨大な海龍が出たり死の結界が張られた大陸があったりで、南の海は危険海域なんです。
だから、”軍艦建造のための海龍捕獲”とか、そういった理由が無ければ好き好んで南に行くことはありません。」
なるほど、"世界"によって色々あるものだな。また"別の世界"に行けば物事の道理が違ったりするのだろうか。
そのようにとりとめの無い話をしながら三人は飛行甲板を歩いた。甲板上には"烈風"が防水布をかけられて露天繋止されている。
「こんな状態で大丈夫なんですか?機体が劣化したりするんじゃ・・・。」
防水布を触りながら高梨が言う。三木は肩をすくめながら――妙に様になっているのが高梨には悔しかった――言葉を返す。
「この布も特殊なモノらしいですよ。良くは知りませんが、少なくとも今まで海軍で使っていた帆布とは違います。
とにかく防水防塩効果は相当にあるという事です。それに、こうしておけば即時発進の体制も取れますからね。」
「こんな荒海で発進するつもりなのか?」
高梨は驚いた。航海すらやっとのように見えるこの海で空母から飛行機を飛ばそうというのか。三木は少し微笑むと短く言った。
「それが海軍ですからね。」
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「そもそも、なんで空母に乗ってたの?そういうのって、輸送船の役割じゃないの?」
おお、こやつも随分と学習しておるのう。前なら流しておるところじゃろうに。
「うむ。これはまあ、偶然でもあり、必然でもあった。」
「何で?」
「大人の事情じゃ。」
さっぱり判らんという顔をしておるな。じゃが、世の中はそういうもので満ちておるのじゃよ。
「大きくは3つじゃ。
まず一つ、フネの数が足りんのじゃ。最初は民間船舶を徴発することを考えておったようじゃが、そうもいかなくての。
貿易額が年々三倍増していくような状況ではな。商工省が横槍入れるまでも無く、民間も”うん”とは言わんわな。」
「ああ、儲からないもんね。僕だってお小遣いもらえないお使いはやりたくないし。」
うむ、よくわかっておる。人間、儲からんことはあまりせんものじゃ。
じゃがお使いはするもんじゃぞ。
「二つ目、日本周辺は非常に安定していたのじゃ。このころの大協約<<大いなる海>>艦隊は規模が小さくてな。
戦艦と巡洋艦が少々で空母は無かった。一方、海軍さんは戦艦、空母含めて新型艦が続々就役しておった。
多少古びていた"蒼龍"やら"赤城"やらが居なくても、まあ何とかなると思ったんじゃろうな。」
今乗っているフネはもう第一線戦力には入ってない、そう聞かされた時は悲しかったもんじゃ。
栄光ある南雲艦隊に送ってもらえる、そう思って興奮したあのときの気分を返して欲しいのう。
「最後に、"疾風"の艦上運用を実地で試してみようとしたらしいんじゃな。まあ、これは後で聴いた話じゃが。」
「どういうこと?」
「四式戦闘機は陸軍では”はやて”と読むが、海軍では”しっぷう”と読むという話をしたじゃろ?
海軍さんは元々は防空戦闘機として”はやて”を採用するつもりだったのじゃが、事情が少し変わっての。
”しっぷう”を艦上戦闘爆撃機として運用したいと考えはじめたのじゃ。烈風は爆弾を積むなかったからな。
"烈風"がドラゴンを抑えつつ、"疾風"と"流星"で雷爆撃。"流星"が逃げられるように"疾風"も空戦をする。
まあ、そんなことを考えておったわけじゃな。」
というか、それなら"疾風"一本で調達すれば良かったんじゃなかろうか、そう思うんじゃがな。
「いずれにしても、わしらは苦労しながら砂漠まで行ったわけじゃ。」
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昭和十九年八月十七日 砂漠地帯港湾都市 "ダーブラ・クア"
高梨達が乗った"蒼龍"他の”輸送艦隊”は、特に何事もなく砂漠地帯の港湾都市"ダーブラ・クア"に入港した。
港の設備自体は立派だった。輸送用の竜と思しき生物――ロシモフのそれとは違い、立派な角を持った竜もいる。
神州丸やあきつ丸のような特殊船からは歩兵や戦車が次々に陸揚げされているのが見て取れる。
特に戦車はチハ――九七式戦車とはまるで違う、椀を伏せたような砲塔を持つ重厚な戦車だった。
防御戦闘に特化した重戦車だろうか。おそらく、この町の防衛戦力として使われるに違いない。
聴いた話では北樺太で鹵獲したソヴィエトの戦車を複製したものらしいが、高梨には良く判らなかった。
しかし、彼にはそれをゆっくり眺めている余裕は無かった。彼はこれから重大な任務が待っているのだ。
――畜生、何だって陸軍航空兵が空母から発艦しなきゃならんのだ。起重機で降ろせば良いじゃないか。
高梨達が受けた「転地訓練」とは”空母からの発艦”だった。陸軍の鳥取中佐という人物の発案らしい。
陸軍航空兵も空母から発進するだけならできるだろう、という彼の案は当初は無視されていたらしい。当然の判断だ、高梨は思う。
元々陸軍航空隊はそういう訓練を受けていないし、航空機もそのように作られていない。
だが、海軍が一式陸攻を空母から飛ばしてしまったことで事情が変わった。
海軍としては"精霊力"を活用することで、広大な<<大いなる海>>で陸攻を空母でも使えるかの実験のつもりだったらしい。
これが鳥取中佐の発案と結びつき、"陸海軍共同洋上航空基地構想"となって陸海軍共同の研究対象とされ、結果――
「発艦準備よし。」
高梨は緊張した顔つきのまま無線で報告した。無線機から落ち着き払った声が聞こえる。
「貴公、緊張しておるのか?」
「それは、まあ。訓練では何度か発艦していますが、やはり本職の海軍飛行隊とは違いますからね。」
「案ずるな。全て拙者に任せておくが良い。貴公を間違いなく空に送ってしんぜよう。」
高梨と会話しているのは発艦促進士官、風の精霊の顕現だった。多少おかしなところはあるが気はいい奴、高梨はそう思っている。
精霊は平然とした口調で続けた。
「発艦準備確認。風力増加魔法準備よし。発艦を開始せよ。」
精霊の指示で、高梨はスロットルを目一杯に開く。発動機が唸りを上げると共に、翼が空気を掴む感触が伝ってくる。
彼の機体は百メートルほど滑走して難なく浮き上がった。訓練含めて数度の空母からの発艦のうち一番良かった、高梨は安堵した。
高梨は"蒼龍"艦上を振り返る。着流しの男が見事な陸軍式の敬礼をしているのが見えた。
独立飛行四十七戦隊は一機も欠けることなく発艦し――高梨は正直なところ非常に不安だった――"アル・エアル・マイム"に向った。"ダーブラ・クア"から地上を進むと一ヶ月以上かかると聞いているが、航空機であればあっという間だ。
だが、高梨は少し不安になっていた。二時間も飛べば着くという話だったが、いつまでたってもその姿は見えてこないのだ。
「空中庭園を擁する都市と聞いていたが・・・何も無い、ただの砂漠だな。」
高梨はつぶやいた。確かに、地平線まで建物の影は無い。見る限り、茫漠とした砂と岩からなる光景が広がっているだけだ
川、湖は言うに及ばず小さな池すら見えない。とても、人間が住めるような場所には思えなかった。
百万規模の都市国家であれば農地等の地域もあるはずだが、そういったものがありそうにも見えない。
いわんや、空中庭園などどこにも存在する余地は無いように思える。それが唇をついて出たのだ。
高梨がほとんど無意識のうちに口に出したその言葉は無線で聞こえていたらしい。ジェシカがそれに答えた。
「もう少しで日が暮れます。そうすれば――。」
彼女が言ったときだ。高梨は遠くにある岩が露出した場所で何かが動いたのを感じた。黒い何かが立ち上っているのだ。
陽炎か何かか、最初はそう思った。だがどうやら違うようだ。その"何か"は傾きかけた太陽を浴びて影を作っている。
幻は影を作らない。それは明らかに質量を持っている。高梨がそれに気が付いたとき、その"何か"は急激に伸びた。
そして、それは一つではなかった。最初の一つに続き、数十もの"何か"が立ち上がっていく。
立ち上がった"何か"は枝のようなものを広げる。枝からはさらに葉のようなものが広がっている。
数分前まで何も無かった砂漠に"森"ができていた。だが、この"森"は木でできているのではなかった。
一つ一つの"木"は明らかに金属、またはそれに類する何かで出来ていた。"木"や"枝"、"葉"にも無数の窓らしきものも見える。
つまり、これは――
「こいつは・・・建物か?・・・これが"アル・エアル・マイム"という事か?」
高梨はやっとの思いで言った。あまりにも想像を絶した光景に他のものは声も出ないようだ。
「はい、これが"アル・エアル・マイム"の"天井都市"、住民達の居住区です。
昼間は地中にあって、夕方になると地上に出てくるのです。砂漠の昼は暑いですからね、地下で過ごすんです。
・・・お話していませんでしたか?"アル・エアル・マイム"は地底都市なのです。」
「いや、旧態然とした都市だという話だったじゃないか。これはどう見ても最新鋭の・・・」
ああ、そういうことですか。ジェシカは呆れた口調で言った。
「”球体然”とした都市、そう言ったつもりでしたが・・・。地下に球体状の空間があって、都市国家はそれを利用しています。
いつからこうなのか、誰が作ったのかも判りませんが、少なくとも三千年前からあるという事は判っています。」
この自体にあっても冷静さを保っていた――或いは先に正しい情報を得ていたのか――坂川少佐が告げた。
「"建物"群の西側に滑走路があるはずだ。そこに着陸する。全機、着陸準備をなせ。」
初出:2010年3月14日(日) 修正:2010年5月25日(火)