昭和十七年九月二十九日 エルヤーン臨時飛行場

高梨は二式単戦"鍾馗"の搭乗席で腕時計を確認した。
11時35分。
間もなく、西の空からキ七七と護衛機の編隊が見えてくる筈だった。
――どうなることかと思ったが、ここまでは何とか無事に実行されている。
  あとは、ヴァーリまで送り届けるだけだな。

キ七七と護衛機は、九時間三十分の飛行の後に無事にポラス国境の紅玉竜騎士団駐屯地にたどり着いていた。
全機無事、の報を聞いた高梨達は天幕の中で万歳三唱したものだった。
そして、休養もそこそこに駐屯地を後にしたのが夜中の二時。
この強行軍の裏側には何としても昼間のうちにヴァーリに到着したい、という思惑があった。
敵が攻勢準備を開始していたのだ。早ければ二十九日中、遅くとも三十日の夜から朝にかけて仕掛けてくるはずだ。

ヒースクリフの氷上船はこの夜明けから行方をくらませている。
あれだけの巨体と吹雪で目立たぬはずはないのだが、ヴァーリ近郊で突如として姿を消したのだ。
ジェシカの話によれば、幻視魔法で姿を消すのと同時に”迷いの森”の術――方向感覚を狂わせる魔法を周辺一体にかけたに違いないとの事だった。
相当強大な魔道士が付いていないと出来ない技だらしいが、向こうについているのは精霊王の一柱"雪の女王"だ。
そのくらいのことは出来るのだろう、とユリウスもジェシカの意見を肯定していた。
姿は見えずとも、彼らが敵陣付近に潜伏しているのは間違い無いだろう。
彼らが出てくる前に――いや、彼らが出てきても問題が無いように、同盟軍の戦力を増強しておく必要がある。
その最重要の要素こそ、キ七七がポラス国境からつれてくるルビードラゴンとその竜騎士だ。
高梨たちはそう聞かされていた。

――とうとう、ルビードラゴンとやらにお目にかかれるわけか。しかも――
キ七七がつれてくるのは二人のルビードラゴンとその竜騎士。老練の竜と、若い竜のペアだという。
ムルニネブイにあれだけの施設を作らせるというその実力を早く見たいものだ、そう考えたときだった。
西の空に何かが見えた気がした。それと同時に、無線から三木の声が聞こえてくる。
だが、それは急を告げる声だった。

「つい先ほど、キ七七に電装系の問題が発生した。発動機も一基故障。緊急着陸の要ありと認む。滑走路を空けてください!」

十分後、エルヤーン飛行場の一同が見守る中、キ七七は着陸した。
右側の発動機からは煙が上がっている。ここまで飛行できたのが奇跡のようなものだ、高梨は思った。
キ七七から駆け出すようにして四人の軍人が降りて来た。おそらく、人型の紅玉竜とその竜騎士に違いない。
彼らはそのまま士官天幕に駆け込んでいく。事後の検討をするためだろう。
彼がそう思ったとき、無線機から高梨を呼ぶ声が聞こえた。

「高梨大尉、状況の確認と作戦の変更がある。至急天幕へ来るように。」

高梨は整備員に手伝ってもらいながら二式単戦から降りる。
彼の機体の近くでは、キ七七の整備が始まっていた。整備長の刈谷大尉とキ七七搭乗員の会話が聞こえる。

「一体どうしたんだ、これは?」
「落雷です。いや、もしかすると何らかの攻撃魔法なのかもしれません。
 エルヤーンを視認する直前に発動機に電撃を受けました。右の発動機と無線機をはじめとする電装系はもう駄目です。」

榊や立花といった腕利きの整備員達が早速キ七七に取り付いていたが、彼らの表情からすると良い状況とは言えそうに無い。
――これではヴァーリにキ七七で飛ぶは無理かもしれない。どうするんだ?
高梨は先行きに不安を覚えながら坂川少佐達の所に向かった。
天幕には士官以上の他に四人の同盟国軍制服を着た軍人が居た。頭髪は黒髪、金髪が一人ずつと真紅が二人。
真紅の髪を持つ人物はアルフォンスと同じ、抜けるような白い肌と赤い目。一見するとアルビノのような姿をしている。
だが、アルビノの弱さは全くない。むしろ力に溢れているといってよいだろう。人型のルビードラゴンに違いなかった。
他の二人はその竜騎士に違いない。ジェシカとなにやら話をしていた。
高梨が入ってくるのを見つけた坂川少佐は口を開いた。

「来たか。――状況は大体判るな?」
「はい。キ七七は相当不味い状況のように見えました。少なくとも、今日は飛べそうに無さそうですね。」
「今日は、じゃないな。ありゃあ、暫く駄目だ。少なくとも一週間は手をかけないと無理だ。」

高梨の声を否定する声が聞こえる。刈谷大尉だった。彼は天幕に入りながら続けた。

「ハ115が手にはいりゃあ、まだ何とかなるだろうが。今ここにある機材では無理だな。」
「どうします?重爆か司偵、それが駄目なら海軍さんの飛行機をこっちに寄越してもらうよう要請しますか?
 あるいは、ヴァーリに送った鋼竜騎士団を呼び戻してもらうという手もあるかと思いますが。」

黒江大尉がそういったとき、伝令が飛び込んできた。その表情はただ事ではない。坂川少佐はその場で読み上げるように命じた。

「大協約軍がヴァーリに対して総攻撃を開始しました。至急、紅玉竜騎士団を送られたしとの事です!」
「不味いな。向こうは正面に居る分だけで四万以上、こちらは三万とはいえ、軍隊は二万に満たない。あとは義勇軍に過ぎない。
 それに、どこにいるかわからない伏兵まで居る。急がねばならんが、しかし――」

坂川少佐が考え込む。ふと、黒江大尉が何かを思い出したように言った。

「刈谷大尉。二式単戦の脱出口はいつでも使えるようになってますよね?」
「そりゃあ、点検と整備は欠かしていないが・・・まさか?」

黒江大尉は頷くと、坂川少佐に言った。

「二式単戦の胴体内に"お客さん"を積んで、全速で向かいましょう。戦闘が始まっている以上、もはや事は一刻を争います。これしか手はありません。」

黒江大尉の案は採用された。少なくとも、今すぐ可能な手立てはこれしかなかったのだ。
準備を進めている整備班を見ながら、高梨は呆れたように言った。

「よくまあ、こんな手段を思いつきましたね。」
「・・・実を言うと、俺自身がこうやって運ばれたことがあるんだ。満州での初陣に向かうときにな。
 適当な飛行機が無くて、九五式戦闘機の胴体の桁にくくりつけられて飛んだ。快適とはいえなかったな。だが――」

大柄な人影が苦労しながら脱出口にもぐりこむのが見えた。黒江大尉はそれを見て、苦笑しつつ言った。

「今にして思えば、いい経験だった。お陰で、今日の決戦に役立っている訳だからな。人間万事塞翁が馬、というところか。」
「しかし、まさか人型の竜を戦闘機の胴体に積んで、見知らぬ大陸を飛ぶことになるとは・・・
 去年の夏には、想像もしていませんでしたよ。」

高梨はつぶやいた。考えて見れば、去年の夏――関東軍特別演習の初日に濃霧に包まれて以来、高梨はもとより日本を取り巻く環境は激変していた。
――ロスケ、英米、中国。いずれにしろ友邦独伊以外の世界中と敵対していたのに比べると今は天国みたいなものだな。
彼は思った。黒江も同じ事を感じたのだろう、独語するように言った。

「だから、我々は此処で戦わなければいけない。日本の安寧を守る為に。」


彼と黒江大尉がルビードラゴンを、それぞれの列機――安部兵曹と石井兵曹が竜騎士を運ぶ手筈になった。
全員、最低でもワイバーンを五匹以上撃墜しているという歴戦の航空兵ぞろいだ。
とはいえ、胴体内に人間を――あるいは竜を――積んだままでは空戦は出来ないだろう。中に居る人物が持たない。

「バラカスさんでしたか、高梨です。ヴァーリまでの飛行、よろしくお願いします。」

彼は筋骨隆々とした男だった。赤い頭髪を中央部だけ残して剃り上げている姿は軍人らしくないが、よく似合っていた。
黒い軍服に首飾りのように戦功章をぶら下げている。制服に付けきれないほどの数があるのだ。歴戦の勇士なのだろう。

「おう、よろしく頼むぜ。ちいと狭いが、ヒースクリフの野郎をぶん殴るためだ、我慢しようじゃねえか。」

ドラゴンらしからぬ伝法な口調に苦笑しつつ、高梨は発動機をまわさせた。これから先は、発動機の轟音で会話が出来なくなるだろう。

**********************************************************************

「いやあ、黒江大尉が”胴体に入れる”といったときには本当に吃驚したのう。
 そんな事は考えたことも無かったしのう。」
「そうなの?飛行機の胴体に乗るって、ジャンボジェットとかもそうじゃない?別に普通でしょ?」
・・・まあそうじゃが。そういう事ではない。
「そもそも、戦闘機は人を乗せて運ぶものではないからな。そういう風には出来ておらんのじゃ。
 何せ、座席も無いところに、無理やり柱に縛り付けて乗せるわけじゃからのう。」

よくよく考えてみれば、一歩間違えればイジメじゃな。

「でも、だったらどうしてそんな場所があるの?」

うむ。そう思うわな。

「今の飛行機はどうかしらんが、昔の飛行機は結構スカスカだったのじゃ。
 で、その場所を利用して脱出するための孔が作られておった。それが脱出口じゃ。
 何かの事故で脱出しなければいけなくなったときに、風防が開かんと困るからのう。」
「ふうぼう?」
「ああ、ガラスで覆われておるところじゃ。乗るときに閉じるんじゃが、何かの拍子で空かなくなることもあるからな。
 そのときには胴体の中から出れるように作ってあるのじゃ。」

今の飛行機は射出座席じゃから多分そんなものは無いのじゃろうがな。少なくとも昔はそうじゃった。
孫はメモを取っておる。うむ。感心なことじゃ。

「バラカスさん、だっけ?その人、本当にそんな喋り方なの?」

メモを取り終わった孫が尋ねる。

「ドラゴン族とは礼儀正しいものと思っておったからのう、あの口調には驚かされたのう。」
「そうだよね。僕、ドラゴンの人で乱暴な言葉の人なんて見たこと無いよ。
 先生も言ってるよ。NHKのアナウンサーの人か、ドラゴンの人みたいに正しい日本語を使いなさいって。」

ドラゴンの人、か。何かおかしい気もするが、まあ良いじゃろ。

「そうじゃな。確かに大体のドラゴン族の言葉は綺麗じゃし、そもそも上品じゃ。
 色んなドラゴン族を見てきたが、バラカス殿は確かに例外じゃろうな。あんなやつは他にはおるまい。」
「そうなの?」

孫が尋ねおる。そうじゃな。

「うむ。言動といい髪形といい、ドラゴン族としては異端じゃったらしい。しかし、それにも意味があるといっておった。
 ああ見えて紅玉竜の中では一番の魔道具使いじゃったらしいから、誰も何も言えんかったのじゃな。」

**********************************************************************

竜と竜騎士を乗せた四機は、四十七戦隊全機に護衛されながらヴァーリに向かっていた。
ヴァーリまでは二百五十キロほど。二式単戦の能力からすると攻撃飛行としてはギリギリだが、片道ならば何の問題も無い距離だ。
一時間もしないうちに、地上で煌く砲火が見え始めた。戦が始まっているに違いない。
双方の陣内で火柱が立ち上がっているのが見えた。
大協約側からは何か大きなものが肉眼でもわかる程度の速度で投げられている。
ミノタウロス兵団が使っていたものと同様の投石器に違いない。
ただ、今回大協約が使っている武具の方がより大重量を投射できるのだろう。この前見たものとは爆発の規模が違っていた。
そして攻撃魔法。以前、エルヤーンでみたものと同様、投石器の攻撃とは格が違っていた。
突如として同盟軍のただなかに巨大な稲妻の嵐が巻き起こり、天から何かが大きな火の玉が降り注いでいく。
高梨には誰が何をどうしているのか全く見当が付かなかったが、そうであるが故に魔法が使われたのだと判った。

そして、対するヴァーリ側――同盟側からの砲火は二種類あった。
投石器によるもの。魔法によるもの。そして、日本軍の砲撃によるもの。
最初のそれはミノタウロス兵団が使うものと同様、大協約側よりも小さい弾らしい。上がる火柱も小さい。
そして、日本軍の砲撃。
高梨の知る砲といえば、野砲と山砲くらいで、あとは速射砲があるか無いかぐらいだ。
しかし、独立混成第一旅団は違っていた。とても日本軍とは思えないような勢いで重砲を放っている。
砲戦車や自走迫撃砲といったほとんど試作車両に見えるものがほとんどだが、それらが揃って砲撃する様はまさに圧巻といえた。
――もともと、独立混成第一旅団は同盟軍との連携戦術訓練のために来ていたらしいからな。見得もあるだろうし、基数以上を使っているのだろう。
高梨はそう思ったものの、それでもこの光景には圧倒されていた。

同じ型式の車両が二~三両ずつしか見当たらない事から見て、高梨の抱いた"試作車両"という考えは当たっているのだろう。
だが、その中でも幾つか異彩を放っている車両があった。
どう見ても九七式戦車の車体にしか見えないものに、長口径のカノン砲――おそらく、十二サンチはあろう砲を積んだ車体。
一応は旋回式の砲らしいが、砲の周りを覆う装甲は存在しない。それが射撃するたびに車体が撓むのが上空からでも判った。
高梨はかすかに錨が描かれているのが見えた気がした。
――海軍さんの砲戦車か。三木と同じ理由か?
彼はそう思った。それならば筋は通るが、しかし何故海軍さんが砲戦車などを用意しているのかまでは判らなかった。
やけにくたびれた車体に、これも大口径の砲を積んだ車両も見える。こちらは、少なくとも射撃で車体が撓むことは無かった。
――まあ、砲戦車だったらこのくらいは当然だな。海軍さんも、まだまだというところか。
高梨は思った。

「戦隊長機より各機へ。これより一旦戦域を離れてヴァーリ第二臨時飛行場に向かう。
 "お客さん"を運んでいる機体から着陸し、その後、全機燃料を補給して戦域に向かうぞ。」

坂川少佐の声が無線機から聞こえる。そうだ、これからが本番なのだ。
高梨は気を引き締めた。

"お客さん"を運んでいる四機は何事も無かったかのように着陸した。
まずは一安心といえる。あとは、二式単戦から"降りて"もらうだけなのだが――

「バラカスさん?バラカスさん?」

他の三人はふらふらしながらも何とか自力で脱出口から降りてきたのだが、バラカスだけが出てこない。
高梨は機体の外から脱出口を開け、中を覗き込んだ。

「こりゃあ、気絶してるね。まったくいつも面倒ばっかり起こすなぁ。」

高梨の後ろから覗き込んでいた黒髪の同盟軍服を着た男が軽い調子で言った。
猿のような印象を与えるこの男は、バラカスに騎乗する竜騎士、ドワイト・マードック子爵だと自己紹介をした。
"叫ぶ狂猿"のニックネームを持つ立派な竜騎士だ――彼は高梨にそういって続ける。

「まあ、こいつは俺が適当に介抱しておくよ。お前さん方はちゃっちゃと大協約軍をぶちのめしてきてくれ。」

マードック子爵の言に従い、気絶したバラカスを彼に任せた高梨は整備兵が燃料を補給するのを眺めていた。
彼は同じように機体を眺めている人影に気が付く。高梨がふと視線を送ると、向こうも気が付いたらしく目があった。
相手の襟にある中佐の階級章に気が付いた高梨は敬礼する。相手も色気のある答礼で応じると、気さくに声をかけてきた。

「これが二式単戦"鍾馗"か。六百キロ出るというのは本当か?」
「はい。最高速度なので、よほど条件が良くないと出せませんが。それでも、素晴らしい機体です。」
「貴公はドラゴンやワイバーンと戦ったことはあるのか?」
「ええ、幾度も。――これは重戦ですが、奴等を相手にするには良い機体だと思いますよ。」

格闘戦では勝てませんから、軽戦では向かないと思います。高梨は見知らぬ中佐にそう話した。中佐はため息をつくと頷いた。

「そうか。一式戦も良い機体だと思っていたが、やはりこれからは重戦の時代なのかもしれないな。
 ああ、まだ名前を言ってなかったな。加藤だ。加藤建夫。六十四戦隊の戦隊長を拝命している。」
「失礼しました。自分は独立飛行四十七戦隊第二中隊長の高梨隆将大尉であります、中佐殿。」

そのとき、高梨は加藤が松葉杖をしているのを目にした。加藤は苦笑すると言った。

「この前撃墜されてな。その時以来、脚に少し痺れが残っている。だから軍医から止められてな、まだ飛行機には乗れないのだ。」

加藤は続けて何か言いかけたが、そのとき天幕から彼を呼ぶ声が聞こえた。彼は高梨に健闘を祈るぞ、そう言って天幕に戻っていった。

ヴァーリ第二臨時飛行場から戦場までは二十キロもない。まごう事なき前線飛行場だ。
ルビードラゴンの受入のためだけに作られたため、戦場まで異常なほどの近距離にある。
――キ七七でなく、二式単戦で無理矢理搬送したのは正解だったのかもしれない。
先ほど、戦域上空にはドラゴンもワイバーンも居なかったが、もしいたとするならキ七七では避け切れなかっただろう。
そう考えるとむしろ良かったのだ、そう高梨は思った。給油と簡単な機体の確認が終り、四十七戦隊は出撃する。
二十キロは航空機であれば指呼の距離といえる。離陸するなり戦場が見えてきた。
先ほどまでの砲火のやり取りは終ったらしい。
北側の陣が――大協約の陣が、大きく動いているのが見えた。
発動機の轟音にも屈しない、巨大な雄たけびが聞こえた。大協約軍の主力――トロールと巨大猪の声だろう。
時を同じくして、敵陣から何か白いものが舞い上がる。間違いなくドラゴンだった。
ヒースクリフの船団から分派されたものだろう。それらは、真っ直ぐこちらを目指している。
坂本少佐が全機に指示を出した。

「いいか、離陸前に伝えたとおり、スチールドラゴンは、今回は地上戦の補助に回る。
 だから、今回は久々にドラゴンとの空戦になる。奴等はとにかくすばしこく結界も頑丈だそうだ。
 思い切り近づかなければ、十二ミリ七では打ち抜けない。心しておけ。」

ドラゴンは高度を上げながら、四十七戦隊は高度を下げながら会敵した。
高度があった分、四十七戦隊"鍾馗"の群れの方がやや分が良かった筈だった。
だが、白竜はその突撃をいなすように軽々とかわし、後ろを取るような機動を見せた。
二式単戦は下降時に得た速度を生かしつつ再び高度を取るためにループを描いた。
単純にな機動ではあったが、そのまま上昇するよりは遥かにましだった。
ドラゴンは即座に追従し、たちまち後ろについて来る。だが、どちらかと言えば――

――編隊を崩そうとしているのか。

高梨は気が付いた。よく見れば、向こうの総数は十数騎。こちらは総数四十を越える。
一匹で三機以上を相手にすることになる計算だ。流石にそれは避けたいと考えているのだろう。
そして、その目論見は成功しつつある。
単純な速度で言えば青竜をも上回るかもしれない速度と、ドラゴン特有の出鱈目な空戦性能がそれを可能にしていた。

――一体、どうすればいい。高梨は自問した。

高梨は周囲の状況を確認した。
数はこちらが圧倒的に多いが、速度では向こうが若干上回っているせいもあるだろう、追い回されている機体も見受けられる。
ただ、青竜や赤竜とは大きく違う点もある。ドラゴンの飛び道具――冷凍光線がそれほどの射程距離が無いのだ。
おそらく、有効距離は50m前後だ。よほど肉薄されなければ当たることは無いだろう、高梨はそう思った。
それでも、運悪く冷凍光線が命中する機体はあった。翼や発動機を凍らされて高度を下げていく様子が見える。
稲妻や火球とは違い、即座に爆発することが無いのは唯一の救いといえた。
だが、状況は決して良いとはいえなかった。ホワイトドラゴンの機動性と速度が二式単戦に優越しているのが原因だ。
白竜は"鍾馗"がどのような機動を行っても的確に追尾していた。
高度を取る"鍾馗"に対しても、限りなく垂直に近い上昇で追尾しているのだ。
とはいえ、やはりそれは無理がある機動なのだろう。その上昇速度は"鍾馗"よりも明らかに遅い。

――垂直上昇?

高梨はひらめいた。使えるかどうか試したことは無いが、このままではどうにもならない。
ぶっつけ本番でやるしかない、そう考えた彼は無線機に叫んだ。

「石井、伊橋、俺の機動にそのまま追従しろ!」

高梨は列機に命じると返事も聞かずに直線的な上昇を開始する。白竜は高梨達の機動に気が付くと追尾を開始した。
ホワイトドラゴンが追いかけてくるのを確認した高梨は上昇角度を徐々に急角度にしていく。
高梨の列機、石井兵曹と伊橋兵曹も高梨に追従していた。
機体が垂直に近づいていく。高梨の視界には、もはや空が広がっているだけだ。
彼は一瞬それに見とれた。と、次の瞬間、翼から揚力が失われる感覚が伝えられる。
機体は一瞬停止し、そのまま翼を支点にして回転すると、発動機を下に向けて落ちはじめる。

――三木はこんな機動をしていたのか!

高梨は思わず青くなった。"機体を操っている"という感覚は最早ない。
どちらかといえば、"機体に操られている"といった方が正しいだろう。
だが、面食らっているのは高梨だけではない。敵も同様だ。
追従してきているホワイトドラゴンは、速度を落とすことも出来ないままただ戸惑っているだけだ。
彼等がうろたえている間に相対距離は近づいていきー

――今だ!

高梨は引き金を引き絞り、十二ミリ七を放つ。至近距離から放たれたそれは、ドラゴンの頭部を打ち砕いた。
石井と伊橋も上手くやったらしい。それぞれ一機のホワイトドラゴンを撃墜していた。
だが、高梨には戦果を喜ぶ余裕は無かった。早いところ失速状態を脱しなければ、このまま無様に墜落してしまう。
三木がやった様に、何とかして背面飛行に持ち込もうと方向舵を操作するが上手くいかない。
石のように落ち続けている。高梨は何とか落ち着こうとしつつ思った。

――そうか、零戦は艦上機だからこういう機動には多少向いていたんだな。
  やはり、二式単戦で、重戦で真似するのは無謀だったのか?

高梨が半ば諦めかけた頃、ようやく翼が風を掴む感触を取り戻すことが出来た。
彼は機体を制御することに全力を費やす。ようやくの事で背面飛行の目処をつけると列機の状態を確かめた。
二人も何とか追従することに成功したらしい。
――危なかった。今回は上手くいったが、次も同じに出来る自信は全くないな。もう二度とやるまい。
背面飛行も安定して、少し余裕が出てきた高梨はひそかにそう誓うと地上を見た。
地上でも激戦が行われている様子が見えた。

現在の高梨の高度は地上五百メートルほどだ。そこからは戦場の様子がよく見える。
突撃を行っているらしい、何か巨大な茶色い物体が見えた。おそらくこれが猪だろう。
バスやトラック程もある巨体には歩兵らしき鎧を着た人間達が鈴なりにぶら下がっている。
おそらく跨乗歩兵なのだろう、高梨は思った。
彼が観察していた猪の頭部が不意に爆ぜる。弾着の様子などからすると大口径カノン砲の直撃だろうか。
高梨は反射的に砲撃を行ったと思われる方角を見た。彼が目にしたものは意外なものだった。
遠めにはかつて「陸軍画報」で見たことのある「シャーマン戦車」にも似た戦車だった。
その印象は砲と車体のバランスが似ているところから来ている。随分とモダンな戦車に見えた。だが――

――何だ、あの大きさは?尋常じゃないぞ!

その戦車の横には、随分と小さな戦車が随伴している。だが、それはどう見ても九七式戦車だ。
傍に居る人影から見ても間違いない。その九七式戦車よりも、優に三倍はありそうな巨体をしている。
それ自体が戦車ほどの大きさがある主砲塔の下に、さらに二基の副砲塔が付いている。
その副砲ですら、九七式戦車のものと同じかより大きな口径に見える。

――対ソ戦用の秘匿兵器か!よくも内地に残っていたものだ。

高梨はそう思っていた。
あれだけの砲を持つ戦車にも関わらず今まで秘密にされていたという事は、相当な期待を掛けられた新兵器に違いない。
――これだけの秘匿兵器を公開するからには、この戦、ぜひとも勝たねばならん。
彼はそう気を引き締めると、機位を正常に戻した。まだ戦闘は続いているのだ。

高梨達の突撃の効果もあったか、敵ホワイトドラゴンは数機にまで数を減らしていた。
不利を悟った彼らは全速で戦場から離脱をはじめている。空戦には、ひとまずケリがついたと見て良いだろう。
そして、地上でも同盟軍は善戦していた。
日本軍だけではない。ムルニネブイ虎人兵団と思しき漆黒の外套をなびかせた軍団が阻止攻撃を行っているのが見える。
茶色の巨体を誇る巨大猪に、黒い染みがまとわり付いている。その染み一つ一つこそが虎人だろう。
そして、側面からは間断なく稲光や火球の爆発が見える。義勇軍の魔法使い達による攻撃だ。
遠くから見ると人間らしき影が絡み合っているようにしか見えない光景は、きっと剣と剣との格闘戦に違いない。
さらには、ドラゴンだ。スチールドラゴンとシルバードラゴンが地上を闊歩してトロールを引き裂き、歩兵をなぎ払っている。
空中で恐るべき威力を発揮する彼らは、地上でも変わらず破壊と殺戮を振りまいていた。
そして、それら全てを援護するように駆け回っているのが一式戦だ。
七ミリ七の武装故にドラゴンとの空戦は避けていた彼らだが、掃射や低空飛行での威嚇などで存分に猛威を振るっていた。

――上空から見る限り、敵の突進力は完全に奪うことに成功している。このままなら勝てるか?少なくとも、負けはないか?

高梨が思ったときだった。風防に何かがあたった音がする。高梨は目を凝らす。雹が舞い始めている。

――氷上船!まさか、この時を狙って?

彼がそう思った刹那、雹はたちまち大きさを増していく。このままでは機体にも影響が出かねない。
日本軍航空部隊が吹雪の外に退避した直後、戦場全体を猛吹雪が包む。一機の一式戦がそれに巻き込まれて姿を消していた。

「不味いことになった。電波が通じない。鋼竜騎士団、銀竜騎士団、独立混成第一旅団のいずれとも連絡が取れない。」

坂川少佐の声が聞こえる。日本軍航空部隊は吹雪の周辺空域を周回することしか出来なかった。
無理に突入しようとした中隊もあったが、その試みは無駄に終った。猛烈な風の影響で外周から近づく事が出来ないのだ。
おそらく、空中に浮かぶものを排除する特殊な結界が張られているに違いない。五分、十分、十五分。むなしく時が過ぎていく。

――ここまでなのか?

高梨が諦めかけたとき、途轍もない爆音が響いた。あれだけ激しかった吹雪が唐突に治まる。
彼の視界に、一隻の氷上船が炎上しているのが映った。そして再びの轟音。氷上船は文字通り消し飛んだ。
巨大な咆哮とともに何かが近づいてくるのが見える。四足歩行で長い首と長い尾をもち、皮膚には赤くて美しい、だが鋭く光る結晶がびっしりと生えている。
全長五十メートル以上あろうかというその巨体は、太陽の光を受けて全身を煌かせながら悠然と歩いていた。

――これが、ルビードラゴン。なんという・・・

高梨達日本人は呆然としながら、ルビードラゴンが咆哮して火球を吐き出すのを眺めた。彼等は猪の群れをあっという間に消し飛ばしていく。
敵の氷上船団は不利を悟ったのだろう、小規模な、だが絶対的な吹雪の結界を張ると、あっという間に戦場を離脱していった。
残された敵軍が降伏を申し出たのは、氷上船が戦域を離脱した二時間後のことだった。


「ヘクター・ハースト・ヒースクリフ大公から日本の航空部隊への伝言、だと?」

坂川少佐は不機嫌に言った。彼にしては非常に珍しいことだった。
同盟軍の連絡武官としてその報せを持ってきたジェシカが若干たじろいだように高梨には見えた。
アドニス伯爵が降伏した後、彼らは北方に撤退したヒースクリフ大公の氷上船を攻撃しようとして――果たせなかったのだ。
――結局、あの猛吹雪はやむことが無かった。あれに守られていては、手の出しようが無い。
高梨は仕方ない事と考えていたが、戦隊長がそう考えていないことはこの態度からも明らかだった。

「はい。彼らの氷上船が立ち去った後、周辺地域を調査していた部隊が小箱を発見しました。
 ヒースクリフ大公の紋があるその箱には西方共通語でこう書かれていたそうです。
 ”親愛なるニホンの航空部隊の方々へ”と。」
「それで、その内容をジェシカ特務大尉が預かってきた、というわけか。」

黒江大尉がとりなすように言った。

「はい。・・・同盟軍総司令部から、こちらにも回すようにと。」
「内容は?もう読んだのだろう?」
「はい。ですが、私としては・・・皆様にお伝えするべきか、躊躇しております。」

かまわん、読んでくれという坂川少佐の声にジェシカは頷くと読みはじめた。

「では読みます。心して聞いてください。
 ”親愛なるニホンの諸君、確かに君達は勇敢だ。それは認めよう。だが、友達は選びたまえ。
 我々大協約連合は、本当は西方大陸と東方大陸の争いなどに君達を巻き込みたくはないのだ。
 君達は我々の戦争目的を知っているか?知らないことに首をつっこむのは止めたまえ。
 とはいえ、今回は楽しかったぞ。再戦するのも悪くなかろう。では、ご機嫌よう。
 大公ヘクター・ハースト・ヒースクリフ”
 ――以上です。」

「こんな馬鹿な戦争があってたまるものか。戦争を遊びかなにかと思っているのか、こいつは。」

高梨がそう独語した時だった。

「大体、この戦争の本当の原因は何だって言うんだ?俺達は、どうみても巻き込まれただけだろう!」

誰かそうが叫んだ。高梨と同様にやりきれなくなったのだろう。場を静寂が包む。
ジェシカが静かに言った。

「それは、私達にもわかりません。それを知っているのは――アケロニアにいる、神官王ヴィンセントだけでしょう。」

初出:2010年1月17日(日) 修正:2010年6月6日(日)


サイトトップ 昭南疾風空戦録index