"まだ我等は完全ではない。敵艦を沈めるほどの魔力が出せるかどうかは判らんぞ。"

ハイ=スカイはキャンディスに念を押すように言う。

"・・・判ってる。でも、やるしかないのよ。"

キャンディスは答えた。彼女にも確実な勝算がある訳ではないが、ここで引くわけにはいかない。


艦隊上空で旋回待機していたドラゴン達は一足早く敵艦隊を見つけた。
確かに信じられない速度でこちらに迫ってきている。艦首ではじける白波の激しさが、その速度が30ノットを超えるという事実を物語っていた。
敵艦までの距離は既に30マイルを切っている。間もなく旗艦"聖竜王ゲオルグ号"の射程に入るはずだ。
キャンディスたちは辛抱強く待った。そして――

「旗艦発砲!」
「青竜騎士団は全騎突撃せよ!」

旗艦を注視していたフィンレーの声にかぶせる様にキャンディスの号令が響く。青竜達は全力で突撃を開始した。
敵艦隊――正確には敵巡洋艦部隊――は艦隊を挟み込むように二隊に分かれて展開していた。
青竜騎士団は北側の部隊に、赤竜騎士団は南側の部隊の攻撃に向かう。
海面からは魔道砲斉発の轟音が複数轟いた。後続する四隻の戦艦が砲撃を開始したのだ。

35000ヤード離れた敵艦隊への着弾には暫くかかる。二斉射目が弾着する間にドラゴン達は敵艦隊上空にたどり着くだろう。
――絵に描いたような同時攻撃になるはずだ。小型艦ばかりで無謀な突撃を行ったことを悔いるが良い。
キャンディスがそう決意したとき、敵艦隊の方角から光が複数発せられたのが見えた。
敵艦隊も砲撃を開始したのだ。
暫く後、大協約艦隊の初弾が弾着する。想定外の速度の艦隊を相手にしているせいか、全てが遠弾となる。
"混沌の艦隊"からの砲撃も外れる。二つの艦隊はともに最大射程での砲戦は無理があると悟ったのか、急速に距離を縮めていく。
キャンディスたちが敵艦隊上空に着いたときには、双方の距離は30000ヤードにまで縮まっていた。

敵艦から光の弾が打ちあがった。形は違うが、"光の球"の呪文と同じ効果を持つものだろう、あたり一面が照らされる。
昼間のように――とはいかないが、海面がそれなりに明るくなる。それと同時に対空射撃が開始された。
いかにドラゴンが夜目が効くとは言え、騎乗している竜騎士まで夜眼が効くわけではない。
まぐれでも何でも、当たれば撃墜されてしまうだろう。キャンディスは命じた。

「ライティングの魔法を打ち上げた艦を集中攻撃する。これ以上好きにさせるな!かかれ!」

青竜達が巡洋艦と思しき船に一斉にブレスを叩きつける。敵艦上で複数の稲妻が同時に炸裂した。
だが、敵巡洋艦は戦艦ほどでは無いにしろ頑丈ではあるらしい。艦の各所が激しい稲妻を受け、一部では火災が発生しているが夜目にもわかる程の損害は受けていない。
機動性にも影響は無いように見受けられる。戦闘力に何か影響を与えたようには見えない。。
キャンディスの予想どうりといえた。ブルードラゴンのブレスのみでは沈む様子が無い。魔法も混ぜる必要があるだろうが、ドラゴンの魔力はそこまで回復していない。

――恐るべきは混沌の魔法力というところか。しかし。

キャンディスは不敵に笑った。ブレスには耐えられたとしても、戦艦の砲撃、ことに単純な金属弾である巨塊弾の連打には耐えられまい。
今回の作戦は"海と空からの挟撃"だ。彼女達竜騎士団の目的は直接打撃を与えるだけでなく、敵艦隊の動きを拘束することにもあった。
果たして、青竜のブレスで炎上した敵巡洋艦に放たれた"聖竜王ゲオルグ号"の五斉射目が命中する。
魔道士によって多少の誘導が行える金属弾は、炎を目標にすることで命中率を上げられたのだ。
三発の命中弾を受けた巡洋艦は速度を落としはじめている。

――やはり、"命ない鉄"で出来ている分、ブレスや魔力弾など魔法による攻撃よりも金属弾に弱いのだな。

キャンディスは看破した。それならば、我等のやるべきことは。

「この船は戦艦に任せるとしよう。青竜騎士団は巡洋艦群に攻撃を集中させる。炎上させ、戦艦の砲撃を誘導するのだ!」

ブルードラゴン達はその命令の直後、三隊に散るとそれぞれが別の巡洋艦に向かっていく。
少し間が空いた後、三箇所で同時に閃光が発生して海面を照らす。ブルードラゴンたちが目標の攻撃に入ったのだ。
最初に炎上した巡洋艦は、その後さらに四発の命中弾を受けて大火災を起こし、洋上に停止している。
残りの三隻も複数の巨塊弾を受けはじめていた。戦闘能力のいくらかが失われ、航海能力にも少しは影響が出ているようだ。
味方の巡洋艦部隊は小型艦の排除に向かっていた。夜戦は、大協約軍の優位に進んでいるようだった。
距離およそ22000ヤードの地点で、敵艦隊は少し変針したようだ。何かを海中に投棄した様子が見える。

――武装を投機してさらに高速で近づこうというのか。させるか!

キャンディスの直属部隊は小型艦の群れに突撃する。大協約巡洋艦からの魔力弾投射も始まっており、いくらかの命中弾も出ていた。
だが、やはり魔力弾では分が悪いようだ。艦の一部を吹き飛ばすのみで終っている。
彼女達は既に三発の魔力弾の直撃を受けていた小型艦にライトニングブレスを集中する。
ほぼ同時に魔力弾の着弾。何かの爆発魔法の結界が解けたのか、艦の中央部で大爆発が起きた。小型艦は文字通りに真っ二つになり波間に消えていく。
戦果に満足したキャンディスが新たな目標に狙いを定めたとき――それは起こった。

左舷を守る八隻の巡洋艦群の先頭を進んでいた"サヴィアー号"の左舷に爆音とともに水柱が立ち上った。
水柱は一本だけではなかった。全部で三本の水柱が発生し、収まった後――"サヴィアー号"は急速に傾斜していく。
そして悲劇は"サヴィアー号"のみで起きたわけではなかった。
後続する"デトレフ号"、"アルノー号"、"ドード号"にも同様の水柱が立ち上っていた。
水柱が収まった後、四隻の巡洋艦は洋上から消えつつあった。
聖水による周辺海域の清めに問題は無い。海魔の主要生息域からもかなり離れている。これは間違いなくニホンの攻撃だろう。

――"長槍"か?しかし、どうやって?
キャンディスはふと、小型艦の群れが"何か"を放りだしていたことを思い出した。顔から血の気が引いていくのが判る。
――あれが"槍"だったのか!航跡を引かなかったということは、何か仕組が違うのか?
何かが違っていたとしても効果は同じだった。水面下からの巨大な爆発魔法による攻撃。間違いなく"長槍"だ。
飛行機械しか"槍"を積んでいないと考えたのは誤りだったのだ。
小型艦部隊は突撃部隊かもしれないが、同時に"槍"部隊でもあったのだ。
そうと判っていれば、もう少しやり方もあっただろうに。彼女は己の迂闊さを呪った。
だが、彼女が悔悟に浸っている余裕は無かった。いまだ戦闘は続いているのだ。
己の誤断を悔やみながらも、別の小型艦に攻撃を集中させる。
先ほどへし折った小型突撃艦と同じように中央部に攻撃を集中させれば、"長槍"の投擲を防げるかもしれない。
ブルードラゴンは攻撃を小型艦の群れに集中させた。幸い、小型突撃艦は巡洋艦ほどに頑丈ではないらしい。
青竜騎士団は生き残った巡洋艦群との共同攻撃を行い、さらに二艦ほどに火災を発生させ、隊列から脱落させることに成功する。
これが功を奏したのか、敵艦隊は7000ヤードほどのところで変針を始めた。

――やつら、とうとう諦めたのか?
キャンディスは思った。だが、それは最悪の形で裏切られることになる。

"やつらはまた"長槍"を投下したようだぞ!"

ハイ=スカイの緊迫した思念波が聞こえる。
彼女は目を凝らした。だが、ドラゴンほどには夜眼が利かない彼女には何も見えない。
かすかに青白い何かがとてつもない速度で海中を進んでいるのが見える気がしたが、気のせいかもしれなかった。
だが、ハイ=スカイには何かが見えているようだ。ここは彼を信じるしかないだろう。
キャンディスは決断する。

「青竜騎士団全騎は艦船に対する攻撃を中断、敵の突撃艦から打ち出された"長槍"の迎撃に向かえ!」

彼女は命じた。しかし――

「団長、"長槍"を確認できません!」
「海面でブレスが拡散され、魔法が弾かれます!」

悲鳴のような叫びで通信晶が満たされる。海中を進む"長槍"はそもそも視認が困難な上、既に投下されてしまった以上はドラゴンに出来る事はほとんど無かったのだ。

青竜騎士団は可能な限りの手を打った。ブレスが海面に砕け、魔法が波間に散る。
しかし"長槍"は何の痛痒も感じていないようだ。ブルードラゴンの存在を無視するように50ノット近い高速で波間を進む。
航跡を引かないことから見つけるのも困難である上、夜間であることも災いした。
そもそも迎撃に迎えないドラゴンも多数出たのだ。如何に夜眼が効くとは言え、夜間に水中を見通す事は非常に困難だ。

「何としても防げ!」

キャンディスは具体性を全く欠いた、普段の彼女なら絶対に発しないであろう命令を下す。
彼女は激しく後悔していた。昼間の攻撃において、魔力弾で攻撃すべきは"一本橋"構造物の船ではなかった。
全通甲板の、飛行機械の母艦らしき船を攻撃対象にすべきではなかった。
この、一見何のとりえも無さそうな小型突撃艦こそが、大協約艦隊に対する最大の脅威だったのだ
騎士団長という立場にいなければ、彼女は喚き散らしていたに違いない。
立場が彼女に冷静さを強いている。マジックミサイルの呪文を食いしばるように詠唱しながら、両の拳は硬く握り締められていた。

青竜騎士団にとって、永劫とも思える時間が――だが、現実には三分ほどであった――が過ぎる。
そして、破局が訪れた。
"神授王権号"の左舷に三本の水柱が立ち上る。それを皮切りに、"復讐号"、"樫の女王号"、"雷天使ラミエラ号"に続々と水柱が立ち上っていった。
先ほどの巡洋艦は即座に沈没の憂き目に会ったが、流石に戦艦はそこまで柔ではなかったらしく、いまだ海上に浮いている。
とはいえ、三本の命中を受けた"神授王権号"は浸水が激しいのだろう、少しずつではあるが左舷に傾きつつある。速度の低下も著しい。
沈没は時間の問題に思えた。
他の三隻は計ったように同じく二本ずつの命中だった。"長槍"の打撃は確実に戦艦の力を奪っている。
"復讐号"の後部から吹き出る水流が乱れて、間欠泉のような動きを繰り返している。水霊機関にも影響が出ているのだろう。
主砲はいまだ健在とはいえ、速力も落ち、戦闘力は格段に下がっている。
他の二隻は艦首と艦尾に"長槍"を受けたようだ。つんのめるような挙動をした後、少しずつ速度が下がってきている。

巡洋艦群も無傷ではない。"サムワン号"、"ジャガッタ号"にも"長槍"は命中した。
戦艦よりも華奢な巡洋艦は一発でも致命傷になることは先の三隻が証明している。
"サムワン号"の命中した"長槍"は一本ではあるが、水流の取込口という急所にで爆発したらしい。船が海面から飛び上がったかと思うと小刻みに震わせつつ喫水を下げている。
"ジャガッタ号"はもっと悲惨だった。戦艦すら三本で撃沈しうる"長槍"を四本も受けたのだ。
彼女は四つに折れ砕けた。爆発と水柱が収まったとき、波間にその姿は無かった。
もはや左舷守備の巡洋艦で無事な艦は"シットパイカー号"、"イスタス号"の二隻のみだ。

右舷からも爆発音が響く。赤竜騎士団も、艦隊を守るという任務に失敗したのだ。
"フィルス号"、"タクタロフ号"に水柱が上がっていた。
また、そちら側にいるはずの巡洋艦のうち、"ゲラン号"、"ハーロン号"、"シャビル号"の姿は既に見えない。
こちら側にいた巡洋艦群と同じように"長槍"を受け、撃沈されたのだろう。

しかし、右舷側の突撃艦隊の本命の標的は巡洋艦群でも戦艦群でもなかった。
その後方についていた巨竜母艦四隻だった。巨竜母艦に次々に爆発が発生し、水柱が立ち上る。
昼間に飛行機械から"槍"を二本受けて速度が18ノットに低下していた"熊蜂号"は、更に三本の"長槍"を受けて沈んでいく。
中にいるワイバーン達は夜間は飛べない。もはや彼等は救えないだろう。
"不撓不屈号"には四本が命中する。既に"爆発筒"の損害を受けている彼女にとって、"長槍"の打撃は耐え切れないものだった。
巨竜母艦はその損害に耐え切れずに波間に消えていく。

――あれには。"不撓不屈号"には治療中のレッドドラゴン八騎が乗っている筈だ。
脱出できればよいが、あの沈没速度では難しいかもしれない。それに、脱出したとしても――

キャンディスが思ううちに、"白鷺伯爵号"、"大雀蜂号"にも"長槍"が命中する。
命中数はそれぞれ一本ではあったのが救いではあるが、しかし――

――脱出したとしても、救助行動が可能な艦は最早無い。この状況下では、全ての船が己が生き残る為だけに行動せざるを得ない。

彼女はどこか諦観とともに状況を見ている自分がいることに気が付き、自己嫌悪を覚えた。
この戦いは、我等の負けだ。たとえ竜騎士団の大半が健在であっても、巨竜母艦四隻全てに"長槍"による損害を受けているのでは竜の回復もままならない。
それに戦艦、巡洋艦といった護衛艦艇が大損害を受けている状況でもある。これ以上は作戦行動を継続できない。敵の大型戦艦に捕捉されたら、あっという間に撃沈されてしまうだろう。
彼女は思わず搭乗席を殴りつける。拳の痛みが、これが現実であることを物語っていた。

"またしても。またしても、我等ドラゴンが煮え湯を飲まされたのか。このような事が!"

ハイ=スカイが激高している。その様を見た彼女は少しだけ冷静さを取り戻した。
そうだ、司令官に撤退を具申しなくては。幸い、"聖竜王ゲオルグ号"には"長槍"は命中していない。
今ならば、まだ艦隊を救えるかもしれない。損傷艦を見捨てることになるかもしれないが、全滅するよりはましだ。
悲壮な思いを抱きつつキャンディスは"聖竜王ゲオルグ号"の方を見る。船は健在だった。安堵した彼女がコワルスキー公爵に通信を入れようとした、まさにその刹那。
"聖竜王ゲオルグ号"の周囲に水柱が立ち上る。見れば、夜眼にもかすかに赤い色がついているのが見える。
先ほどの"長槍"によるものではない。となれば、それを行ったのは。
"戦艦の、巨塊弾!?この距離で、しかも初弾から夾叉だと!?まだ40000ヤードは離れているはずだ!"
ハイ=スカイの驚愕はキャンディスの驚愕でもあった。

通信晶が緑の光を放つ。旗艦に座上するコワルスキー公爵から通信が入っていた。
キャンディスは深呼吸を一つしてから回線を開いた。司令官が話し始めた。

「我等の負けだ。大協約<<大いなる海>>派遣艦隊戦艦部隊は、ここで滅びる。」

公爵はさばさばした声で語った。彼女が二の句を告げないでいるうちに続ける。

「これより残余の戦艦、及び主力護衛隊の巡洋艦全艦で敵"混沌の巨艦"に突撃を行う。
 青竜、赤竜の両騎士団は巨竜母艦及びその護衛巡洋艦の撤退を援護せよ。
 ・・・我等に構わず、全力で<カザンの門>まで帰還するのだ。」

「コワルスキー公爵!まだ諦めるには早すぎます!私もキャンディスもまだ竜騎士魔法の最上位攻撃呪文を使用していません!
 それらを使えば、あるいは!」

アシュリーが割って入る。キャンディスも答える。

「少し数は足りませんが、滞空している青竜騎士団全騎の魔力を総合すれば"重雷破"の魔法を一発は使えます。
 サンダーブレイクを撃ちつければ、"混沌の巨艦"と言えども重大な損害を被るはずです。
 その間に全艦揃って撤退すればよいではありませんか。」

通信晶越しではあるが、彼女達にはコワルスキー公爵が苦笑したのが判った。

「代わりに竜たちは全ての魔力を失う。巨竜母艦が損傷した今、回復には数日掛かるだろう。
 それでは駄目だ。間もなく夜が明ける。ニホンの飛行機械が再び来襲し、致命的な"槍"攻撃を行うだろう。それに」

旗艦からの通信はそこで一旦途切れた。"聖竜王ゲオルグ号"の周囲に赤い水柱が九本立っているのが見えた。

水柱が収まった後、コワルスキー公爵は何事も無かったように続けた。

「それに、彼等が分離した戦艦五隻、これも25ノット前後でこちらに向かってきているらしい。会敵はおよそ一時間後になる見込だ。
 つまり、あの"混沌の巨艦"を仮に撃沈したとしても、一時間後にはドラゴンの援護がない状態で互角以上の砲撃戦能力を持つ敵と対峙することになる訳だ。
 もちろん、敵の小型突撃艦もまた襲来するだろうな。もはや・・・もはや、全てが手遅れなのだよ。」

半ばその存在を忘れていた敵戦艦別働部隊の事を思い出した彼女達は押し黙った。反論する言葉が見つからない。
しばしの沈黙の後、アシュリーが声を絞り出した。

「判りました。しかし公爵、負けたなどと仰らないで下さい。必ず勝って、再びアケロニアの"黒煉瓦"で会いましょう。ご武運を。」

アシュリーは通信を切る。命令が伝えられたのだろう、赤竜騎士団のレッドドラゴンはしばし呆然と滞空した後、巨竜母艦の方に翼を巡らした。

「赤竜騎士団は去ったか。青竜騎士団も早々に撤退したまえ。」

コワルスキー公爵はそう言った直後、ふと何かを思いついたように呟いた。

「そうだ、ベックマン卿・・・ウェインに、ダグラス卿に伝言を頼まれてはくれないだろうか。」

キャンディスは二人の関係を思い出した。ダグラス卿はかつてコワルスキー公爵に師事していたと聴いたことがあったのだ。
死を覚悟しての弟子への遺言だろうか。彼女は答えた。

「それは・・・公爵ご自身でお伝えになられたほうが良いのではありませんか。」
「いや、遺言ではないよ。それに、卿から伝えて欲しいのだ。おそらく、卿とケンドリック卿にも関係のある事だからな。」

コワルスキー公爵は苦笑交じりにそう答えると、真剣な口調になった。

「アンケル侯爵とヒースクリフ大公、それに<一者>。彼等の行動に気をつけるのだ。
 おそらく、彼等は――」

通信は唐突に終った。通信晶の反応からして、向こう側で回線が切られたのだ。
――<一者>はともかく、アンケル侯爵とヒースクリフ大公?片や鉄仮面、片や女たらしの昼行灯では無いか。
 そんな二人が結びつく要素など、何もない。まして、私とダグラス卿とアシュリーでともに関係あることなど――
"キャンディス!撤退するならそろそろ下命したほうが良いぞ。焦れている騎士達が"混沌の巨艦"に攻撃を仕掛けかねん。"
ハイ=スカイの思念波で彼女は我に帰る。そうだ、今はまず撤退させねば。考え事は後でも出来る。
彼女は通信晶を操作すると、配下の全軍に命令する。

「青竜騎士団長より全騎へ。これより我等は巨竜母艦を援護しつつ、<カザンの門>まで撤退する。
 ・・・この屈辱を忘れるな。万倍にして返してやるその日まで、我等は生き延びるぞ。」

"聖竜王ゲオルグ号"の周りにまたしても赤い水柱。その数は八本。残りの一本は戦艦"聖竜王ゲオルグ号"に着弾し、火柱を上げた。
とうとう敵戦艦が命中弾を出したのだ。それはマストに掲げられた"法の旗"を吹き飛ばしつつ、あたりに破壊を振りまいている。
青竜騎士団はそれを合図にしたように一斉に撤退を始めた。


水平線に光が満ち、朝日が海面を照らしだす。夜が明けたのだ。キャンディスは"白鷺伯爵号"の舳先で上りゆく太陽を見ていた。
一日前にそこにあった大艦隊は、いまやその影を見ることも無い。それらは永遠に失われたのだ。
この"白鷺伯爵号"がここにいるのも偶然だ。"長槍"が過早爆発をおこしたのか、派手な水柱が上がったにも関わらず損害は艦体側面を焼いただけで済んでいたのだ。

「団長。偵察に出した三騎のドラゴンより報告が届きました。」

いつの間にか後ろにいたフィンレー副官が話しかける。判りきった悲劇の結末を聞く為に、キャンディスは黙したまま頷いて続きを促した。

「"戦艦既に全艦洋上にその姿なし。巡洋艦一隻傾斜しつつあるを確認。敵戦艦、巡洋艦、小型突撃艦多数は健在にて砲声殷殷たり。
 西北西より飛行機械の大群が接近しつつあり。我等これより敵大編隊に突入し竜の矜持を示さん。大協約に栄光あれ。さらば。"――以上です。」

彼女は瞑目した。第二中隊の第二小隊――デニム小隊は既に三騎とも撃墜されているだろう。
彼等は真っ直ぐ過ぎた。混沌に良い様に叩かれたのが我慢ならなかった。だから、あの海域に向かった。
――偵察に出したことにはなっているが、実態は命令違反の独断出撃だった。
隊の規律と彼等の名誉を守るために後付で偵察任務とはしたものの、こうなる事は判りきっていたのだ。

「素直なヤツから、死んでいく・・・。それに引きかえ、私は・・・このザマだ。」

キャンディスは自虐的に呟いた。撤退が論理的には正しいと認識していたものの、感情では散った三騎の行動を賞賛せざるを得なかったのだ。

「仕方ありません。まだ、戦争は続くのです。"法の神々"の威光が世界を遍く照らす、その日まで。」

フィンレーが答える。教科書どおりの回答ではあったが、それは不思議とキャンディスの心に響いた。
そのとき、彼女はふとコワルスキー公爵の"遺言"を思い出した。
彼は一体何を伝えたかったのだろうか。鉄仮面と昼行灯と<一者>の行動に気をつけろとは、一体何だ?
彼女はその繋がりについて考えようとしたが、またしてもそれに没頭することは出来なかった。

唐突な爆発音。そして、"大雀蜂号"に立ち上る二本の水柱。 キャンディスは思わず首をすくめ、あたりの海面を見回した。敵の突撃艦が追いついてきたのかもしれないからだ。 だが、海面は何事も無かったかのように凪ぎ、朝日が厳かな光を放っているのみ。

「馬鹿な!何も無い海上で"槍"の攻撃を受けたというのか!」

フィンレーが叫ぶ。彼も同じ事を確認していたのだろう、狼狽の色が濃い。 叫び声を上げる彼を愚弄するかのように、護衛の巡洋艦"ラベルト号"にも水柱が立った。
どちらの艦も爆発を繰り返している。おそらく、魔力弾庫が誘爆したに違いない。
度重なる戦闘で整備がおろそかになっていた上、幾度も被弾した影響が出たのだろう。
両艦とも爆発炎上しながら傾いていく。沈没は時間の問題に思えた。
"大雀蜂号"の甲板で待機していた赤竜騎士団の半数――もう半数は上空で警戒にあたっていた――が脱出を開始する。
だが、残り少なくなった対艦ワイバーンの発艦は間に合わないだろう。彼等は基本的に夜間は檻の中にいるからだ。鍵を開けている余裕は無さそうだった。
キャンディスはしばしそれを呆然と眺めた後に我に返る。そうだ、今はまだ戦闘中なのだ。
思慮の時間は<カザンの門>に、いやアケロニアに帰ってから取ればよい。

「青竜騎士団は総員直ちに発艦。警戒態勢をとれ!」

彼女はフィンレーに命じる。フィンレーは騎士達の詰め所に全力で向かっていった。
ドラゴンに騎乗したまま待機していた二十四騎が即座に空に舞うのも見える。
力強さに溢れた行動のはずだが、どこかに疲れが見て取れる。
今の彼等では角ウサギ一匹狩ることが出来ないのではないか、彼女はふとそう考えた。
キャンディスはその考えを頭を一つ振って追い払った。指揮官の弱気は部下に伝染する事を彼女は知っている。
彼女が自分を奮い立たせた、そのとき。
再びの轟音。今度は巡洋艦"フランシス号"に"長槍"が命中したのだ。
"フランシス号"の光の帆が消える。もはや速力を維持することはかなわないだろう。

――やつらは一体何をやったのだ?まだ、我等の知らない混沌の力があるとでもいうのか?

彼女はこの時、初めて混沌の軍勢に――ニホンに恐怖を覚えた。




翌日、統合暦74年3月5日。大協約神都アケロニア"法の宮殿"、謁見の間。
四億五千万の民を従える神聖不可侵の統治者、神官王ヴィンセントの前に二人の男が跪いていた。
一人は鉄仮面の異名をとるアンケル侯爵。もう一人は、神官王ヴィンセントの娘婿にして"女たらしの昼行灯"の異名を持つヘクター・ハースト・ヒースクリフ大公。
人払いがなされているのか、いつもは"謁見の間"に控えている<八者>の姿は無い。
ヒースクリフ大公は、その渾名からはとても想像が出来ない聡明さと覇気に溢れる声で神官王に告げた。

「"死神"の処分は予定通り完了しました。ですが、"女神"二柱については今だ健在との事。艦隊残余を率いて<カザンの門>に向かいつつあるようです。」

アンケル侯爵が続けた。
「クレアーという先例があります。此度の作戦立案の責を問えば"岩戸"を北方辺境へ追放することも可能かと。いかがなされますか。」

ヴィンセントはしばし黙考する。二人の腹心は口を挟むことなく、彼等の主の返答を待った。
やがて<一者>は口を開いた。いつもの如く、どこか楽しげに告げる。

「"混沌の大国"も竜騎士団の一つも撃破できんとは存外大した事は無いな。まあ、炎竜の件で余が期待し過ぎたのかも知れぬが。
 ・・・ああ、いま優先すべきは彼奴等の処遇であったな。
 作戦立案と実行の責を問う事はせぬ。その代わり、"女神"達と"岩戸"をイーシア共和国強襲上陸に投入しよう。判っておろうが――」

言葉を切った神官王に対して、ヒースクリフ大公が答えた。

「最大の激戦地となるだろう地点に、彼奴等が投入されるように誘導いたします。
 何、彼等ほどの武勇と知略があれば、どのような窮地であれ"全て無事に切り抜ける"に違いありません。」

先ほどと同じように、アンケル侯爵がヒースクリフ大公の言葉を引き取る。

「全ては"法の神々"の定めしままに。」

その言葉を聞いた神官王ヴィンセントは笑い始めた。やがてそれは哄笑となり、薄暗い謁見場全体に楽しげに響き渡った。

初出:2009年12月2日(日) 修正:2010年6月6日(日)


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