統合暦74年1月17日 大協約神都アケロニア

「そして、卿らはそのまま帰還してきた、そう言うのだな?
 貴重なフレイムドラゴンとその竜騎士を40以上も失って、よくもおめおめと帰ってこれたものだ。」
片眼鏡を掛けた長身でやせぎすの男が言う。

「左様。卿らの出征にどれほどの金が掛かっておったのか、わからぬ訳でもあるまい?
 艦隊全域にわたる"幻視魔法"の実現と大量のフレイムドラゴンの喪失。
 国が一つ傾くよ。」
鷲鼻の小柄な男があきれた様に続ける。

「聞けば確実な戦果は街ひとつと巨艦一隻のみというではないか。
 国一つ滅ぼすだけの戦力を抱えておきながらその結果とは。情けないと思わないのかね?」
がっしりした禿頭の男が言い募る。

――何も知らないくせに勝手なことを。
キャンディスは憤っていたが、しかし、彼等の言い分が正当なものである事も理解していた。

彼女をはじめとして、ニホン攻略艦隊の主だったものたちは西方大陸に帰還するや否や神都への出頭を命じられている。
アケロニアで彼女達を待っていたのは戦果報告という名の下で行われた糾弾であった。
"神々の丘"の中腹にある白亜の王宮"法の宮殿"、その中でも一際豪奢な装飾が施された"謁見の間"。
立ち並ぶ円柱と赤い絨緞で作られた謁見場には二つの壇があった。
一段目には大協約の最高意思決定機関である最高諮問会議員達が並ぶ。
通称<八者>とよばれる彼等は大協約の根幹を成す八カ国から選ばれた"法の大司教"であり、それぞれの国王すら凌駕する発言権を持つ。
彼等を敵に回したら、どのような立場の人物であろうとも大協約世界で生きていく事は出来ないだろう。法の大司教にはそれだけの権威と実力がある。
しかし、二段目にある"ダイアモンドの玉座"に座る人物こそ、その<八者>をも上回る実力者であった。

「過ぎたことを責めても仕方あるまい。我等はニホンなる国を見くびっていたようだ。
 敵の実力も良く判らぬうちに性急に討伐命令を出した我々にも非の一端はあろうというもの。そうであろう?」

齢60を超えているはずだが、身長6フィート5インチを超える巨躯は筋骨隆々として衰えが無い。その声には張りがあり、まるで楽の音のようにも聞こえる。
法の神々の加護であろうか、その身体からは光が溢れているかのごとくに見える。
大協約国家元首である神官王 ヴィンセント・マクモリス。畏怖とともに<一者>とよばれる男であった。

「出征前の時点で、このような事態を予測しえた人物はいなかったのだ。
 これ以上の損害を被る前に作戦を中止した攻略部隊司令アンケル侯爵の判断は適切であったと言えよう。
 そうであろう?<八者>の方々。」

<一者>が問いかける。<八者>を代表してガニア大司教――がっしりした禿頭の男――が応じた。
「神官王よ、そうかも知れませぬ。然しながら、何らかの処断は必要かと。このままでは"法の権威"が保てませぬ。」

彼はそう言うと謁見場に跪くニホン攻略艦隊の面々を見る。
攻略部隊司令アンケル侯爵、青竜騎士団長キャンディス、赤竜騎士団長アシュリー・ケンドリック伯爵、そして主席魔道士を勤めていたクレアー魔道士の4名がこの場に居た。
クレアー魔道士は気の毒なほど顔面を蒼白にしているが、それ以外の三名は落ち着いた表情をしている。
本来なら炎竜騎士団の代表も居るべきなのだが、派遣部隊がほぼ完全に崩壊してしまったためここにその姿はない。

「本作戦の指揮官は私です。責は全て指揮官の私にあります。」

アンケル侯爵は淡々とそれだけを言い、沈黙する。

「卿の責任を問うようなことは無い。先ほども伝えたとおり、あれ以上の損害を被る前に撤退を決意した卿の判断は適切であったと考えている。」

ヴィンセントは謳うように告げる。そして、視線を少し動かした。彼に見つめられた魔道士は震え上がった。

「ときに、クレアー魔道士。此度の出征、卿の発案であったな?」

どこか楽しそうに問いかける。神官王の問に対して、クレアーは身震いしつつ、ささやくような声で返事をした。

「は。敵には竜が居ない。よって、炎竜で王都を焼き、青竜で軍を滅ぼし、赤竜で数百万の民を亡き者にすればニホンは大協約に降る、そのように上奏いたしました。」

それを聞いた神官王は慈父の如き表情で頷くと、

「卿の上奏に基づいた作戦の結果として、我等はニホンの力を多少なりと知ることが出来た。
 新たな知識を得る手助けをしてくれた事、礼を言うぞ。どうも卿には新たな知識を得る方策を編み出す才能があるようだな。
 そこでクレアー魔道士。卿に頼みがあるのだが、どうかな。」

言葉を切り、クレアーに邪気の無い笑顔を向ける。クレアーは慄然としつつも応える。

「・・・何なりと、<一者>よ。」

「私は北方辺境地帯の更なる知識が欲しいのだ。特に樅の木についての知識が欲しい。
 どうだね?かの地に樅の木が何本あるか数えてきて、その総数を私に教えてはくれないかね。」

悄然として足取りもおぼつかないクレアーが近衛魔道騎士団に連行されて謁見の間を出るまで、言葉を発するものは居なかった。
扉が閉まる音を合図に、神官王ヴィンセントが言葉を発した。

「・・・ニホンなる国は予想以上に強大であった、ということか。混沌の神々は我々に新たな挑戦を仕掛けてきたというわけだ。
 だが、我等は法の神々の名にかけて屈するわけにはいかぬ。この世界は法の神々の摂理によってのみ動かされるべきなのだ。」


「クレアーは気の毒だったな。」

王宮を辞し、市街中央に向かう馬車の中。キャンディスは赤竜騎士団長のアシュリー・ケンドリック伯爵に話しかけた。

「あいつは確かにいけ好かないヤツだったけど、それ程愚鈍ではなかった。
 3種のドラゴンを使っての戦略先制奇襲という眼の付け所は良かったと思っている。
 今回のことは運が無かったのに違いないわ。」

アシュリーは背中まで伸びた金髪を靡かせ、肘をついて窓の外を気だるげに見つめたまま応える。
竜騎士の正装である赤い竜鱗鎧に身を包んでいるが、大柄で細身な彼女のその姿は自然と艶を感じさせた。

「とはいえ。今回は責任を問われなかったといえ、我等にも反省すべき点は多々あるわ。
 あの飛行機械との空戦――あれについては素直に反省しないとね。
 ニホンを侮っていたようね。まさか、空戦でドラゴンに匹敵する戦力があろうとは。
 ・・・ああ、これはこの一ヶ月以上、卿と毎日話をしてきた事だったわね。」

馬車の窓越しに見える楡の並木道と、それを透かして広がる白い町並みを横目にキャンディスは答える。

「"敵飛行機械の空戦能力は、標準的レッドドラゴンとほぼ互角。特に錬度の高いものは標準的ブルードラゴンに匹敵"――か。」
「そうね。しかも、やつらの攻撃――あの、銅と鉛の礫を連続で打ち出す武器に対抗するのは辛いわ。
 正面からであれば結界で防げるのであろうが、背後からでは難しいという他ないわね。」

ドラゴン族が持つ結界や硬い鱗等の防御力は、本来、前面からの攻撃に備えたものだ。
空を飛んだり、洞窟にこもったりする彼等が、戦闘において後ろに回られる事自体があってはいけない想定といえる。
事実、"空の王"たるドラゴン族の背後を取れる航空戦力はドラゴン族以外に存在しなかった――ニホンの飛行機械が現れるまでは。

「・・・こんな小さな金属の礫でドラゴンに危害を与えられるとは俄かには信じがたい。」

キャンディスは礫をもてあそぶ。攻撃を受けたにも関わらず運良く生き残った青竜の鱗の間に挟まっていたものだ。
彼女は必要であれば"戦果報告"で提示しようと考え、それを持参していた。――その機会は全く無かったが。

「鱗を貫くだけではないわ。貫いて肉に食い込み、その後に爆発するものもあるそうよ。
 赤竜騎士団は不発だったものを回収して調べてみけれど、魔力反応は一切ない。混沌のなせる業、としか言いようが無いわ。」

アシュリーは、これも何度も話し合った事だっだわね、と言ってその優美な背を伸ばした。

二人を乗せた二頭引きの馬車はアケロニア市中央区画、官庁が立ち並ぶ一角に入った。
彼女達の目的地は西方世界を統べる大協約の中心部にふさわしい壮麗な建物が立ち並ぶ中でも一、二を争う巨大建築。
黒い煉瓦で形作られた地上300フィートを超える高層建築――大協約総軍司令部、通称"黒煉瓦"である。

"黒煉瓦"に出入りする人々は多いが、今のところ同盟との戦争に勝っていることもあり、その表情は明るかった。
キャンディス達は"黒煉瓦"の前庭で馬車を降りると"黒煉瓦"への石段を上った。
高級将校用の入り口から、これもやはり高級将校用のロビーに入る。
一般向けと違い、高級将校用ロビーの天井は高い。その高い天井に巨大な世界地図が飾られていた。
二年前から始まった戦争において大協約軍が勝ち得た数々の栄誉が書き記されている。
魔力を使えるものがしかるべき手順を踏めば、戦線の動きを再現することすら出来る優れものだ。
"黒煉瓦"には、大協約の実力者達――<一者>や<八者>程ではないにしても――を出迎えることもある。
そのような際に、今までの作戦経過を説明する目的でこの設備が設けられていた。

その巨大な地図に、本来ならば今回の遠征結果も載る筈だったのだが――

「ニホンの島々が東方大陸の沖に染みのようにあるだけ、か。やむを得ないとはいえ、悲しいものね。」

アシュリーが自嘲気味につぶやく。

「仕方ないな。先制奇襲した上、まともな戦果を上げられなかったとあっては。」

キャンディスは地図を見上げつつ答える。――そういえば、以前見たときよりも印が増えているようだ。あれは――

「ベックマン卿!ケンドリック卿!戻られたのですな。」

若い男が話しかけて来たため、キャンディスは思考を中断させられた。
声のする方を見る。旧知の人物であった。

「ダグラス卿ではありませんか。ご無沙汰しております。」

ウェイン・ダグラス侯爵。
広い額、大きな鼻と細すぎる眉。それぞれ一つ一つを取ってみれば美形とはほど遠い要素であるが、それが纏まった彼の顔は美形とよんで差し支えない。
小麦色ともベージュとも見える不思議な肌の色とも相まって独特の雰囲気をかもし出している。
6フィート半、260ポンドの均整のとれた筋肉質の身体はどう見ても戦士のそれであるが、彼の本職は魔道士であった。

「なに、卿ら竜騎士団長ほど忙しい軍人はおるまいよ。何しろ、軍の根幹はドラゴンであるから。
 私のように剣もろくに扱えないような頭脳労働者は後方でのうのうと楽させてもらっているよ。」
「お戯れを、ダグラス卿。」

キャンディスは答えた。確かに戦場での中核は我等竜騎士団ではあるが、と言うと続ける。

「あなたが指揮する"魔道作戦本部"の作戦立案能力が無ければ、我等はここまでの勝利は得られなかったでしょう。
 それに、ダグラス卿。貴方が剣を扱えないのだとすると、この世界には剣の扱いに長けた者など居ないという事になってしまいますよ。」

ダグラスは左の眉を上げると不敵に微笑む。彼は剣術において匹敵するものは大協約に数名もいないであろう名手であった。

「それは兎も角として、だ。両騎士団長殿におかれてはあの地図を見て、少し変わったとは思ないですかな。」

少し芝居がかった口調でダグラスは問いかける。今まで黙っていたアシュリーが答えた。

「ポラス諸侯連合のうち、東部諸侯が全て中立に回ったのね。以前はロシモフとの国境諸国だけが中立だったのに。
 そして、我が軍はポラス西部地域、イーシア共和国との国境線に兵力を集中しつつある。」
「その通り。卿らがニホン空襲に向かった11月上旬以降で一番大きな変化がそれだ。
 大陸西部、イーシア共和国への攻撃準備は完了した、そういって問題ないだろうな。」

西方大陸が本拠地である大協約は、東方大陸との戦争において、"大トーア大陸同盟"の事前想定とは異なる作戦を取っていた。
両大陸が接している場所は2つ。イーシア共和国があるファルカン半島とポラス諸侯連合のあるポラス平原である。
最接近している地域はファルカン半島だった。
当然、この地域から上陸してくると考えていた同盟であったが、大協約はそのようには動かなかった。
緒戦で同盟海軍を壊滅させた大協約軍は、イーシアではなくポラス平原に上陸したのだ。
ポラス諸侯連合はイーシア共和国とロシモフ大公国という二つの大国の間を蝙蝠のように態度を変えつつ生き延びてきた小国の集まりである。
大トーア同盟にも各諸侯個別に加入している有様であった。大協約はこの地域を同盟最大の弱点と看破して上陸したのだ。
国家然とした名前はついているが、実体は緩い協商同盟のようなものであった彼等はあっという間に空中分解を起こした。
ロシモフ大公国が大兵力を移動させている事に気が付いた東部諸侯は、自国が戦場になるのを恐れ早々と連合から離脱し中立を宣言したのだ。
東部諸侯を防壁とした大協約は、ポラス中央領域及び西方領域を制圧。
既にポラス地域での制空権を喪失しつつあった大陸同盟側は中立を犯してまでの越境攻撃を行うことは無かった。
大協約は東方大陸への上陸と戦線構築に成功した。ポラス地域の中部以西は大協約によって占領されている。
そして、今――

「同盟は、"中立国を侵犯しない"という太古の戦争法規"エレクの法規"を遵守してくれている。
 それにこの期に及んでも幾らかの譲歩と共にまだ和平が可能であると考えているようだ。
 非公式ではあるが、和平の提案を何度か送ってきている。無意味な事ではあるがな。」

ダグラスは鼻で笑うと続ける。

「彼奴等が無駄な外交努力をしている間に、我々はイーシア国境への軍を展開中する。冬季明けには攻勢を開始できるだろう。」

キャンディスには疑問があった。

「しかし、この布陣は――当初想定していたものとは異なるように見えます。」

この日、地図を見たときの最初の疑問がそれであった。ダグラスはそっけなく答える。

「神官王のご意向だ。可能な限り要塞を避けて決戦を急げ、とのご指示なのでな。」

その回答にキャンディスはさらに質問を重ねようとしたが、それは叶わなかった。
ダグラス卿の部下が息を切らせて彼を呼びに来たのだ。

「ダグラス卿!緊急事態です。急ぎ作戦指導室までお越しください。」
「何事か?」

ダグラスは怪訝な表情で問いかける。ポラスでの戦いは終息し、イーシア戦線はいまだ戦闘には到っていない。
キャンディス達のニホン遠征は当初の目的を達成できなかったとはいえ、それは1ヶ月も前の事であり、緊急事態ではない。

「バレノア島リオンからの緊急魔力通信です。
 "大協約バレノア島守備艦隊はニホンの機械と思われる飛行物体の攻撃を受け壊滅した"と。」

左の眉を軽く上げたダグラス卿はキャンディスとアシュリーの方を向くと告げる。

「お聞きの通りの緊急事態だ。状況を確かめる必要がある。
 お疲れのところ申し訳ないが、ニホン攻撃を行った当事者としてお二人もご同道願えないだろうか。」

作戦指導室は慌しい空気に包まれていた。通信晶があちこちで光っているのが見える。
壁に掛けられた映像投影用の水晶の準備が終わり、リオンからの映像通信が送られてきた。
ダグラスは一歩前に進み出ると、投影された映像に向けて告げる。

「魔道作戦本部長のウェイン・ダグラスだ。」
「リオン守備隊司令のロバート・ハートです。ダグラス卿におかれては――」
「挨拶は抜きだ。守備艦隊が壊滅させられたことは聞いているが、高価な映像通信を使うとはただ事ではあるまい。」
「は。・・・状況を確認したところ、我々の理解の範疇を超える攻撃を受けたことが明らかになりました。
 これがニホンの仕業である場合、西方大陸での戦にも影響があるかも知れぬと考え、至急ご連絡した次第であります。
 詳細は大破しつつもかろうじて帰還した巡洋艦"エクス号"乗艦の魔道士が念写した映像をご確認いただければと存じます。」

ハート司令が横の魔道士を見て頷く。と、投影された映像が洋上を行く艦船群に切り替わった。

最新の技術を投入して建造された戦艦"王太子号"と、いささか古びたとはいえ、まだまだ有力な巡洋戦艦である"栄光号"。
この二隻の戦艦を中核として、他に四隻の巡洋艦――"エクス号"、"ロイス号"、"マコーレー号"、"パラモール号"と軽竜母艦"聖なる怒り号"。
大協約本拠地の西方大陸に配備されている"大艦隊"に比べれば微々たる戦力ではあるが、世界のほぼ裏側に配備するには充分以上の戦力と言えた。

「リオン島沖北方500マイルに張られていた警戒線を国籍不明の船団が突破したという情報を元に、守備艦隊は出撃しました。」

魔道士がどこか淡々と続ける。

「この時点で判明していたのは、輸送船らしき非武装に見える船が十隻ほどと、護衛の軍艦と思しき艦が五隻ほどでした。
 軍艦についても、ドラゴンが空中警戒を行っている様子も無いため、ただの砲艦のみと判断しておりました。」

彼等はそれが間違いだとすぐに思い知らされることになる。敵飛行部隊の接触を受けたのだ。空中待機していたワイバーンが即座に落としたものの、場所は知られたと考えるべきだった。
その予想は的中する。船団まで200マイルまで接近した時――北西の空にぽつぽつと黒い点が見え始めたのだ。
映像が切り替わる。
花瓶のような細長い胴に細長い台形の板のような翼を取り付け、鼻先で風車を回す不恰好な物体が飛んでいる。
間違いなくニホンの飛行機械だった。彼等は群れをなして艦隊に接近してきていた。

「敵の空襲と判断した艦隊司令は即座に"聖なる怒り号"のワイバーン24騎を出撃させました。しかし――」

敵の数は百騎を超えていた。出撃させた24騎は制空型の敵飛行機械に瞬く間に撃破され、艦隊の空を守る戦力は無くなった。
そして、敵の空襲が始まった。
敵の飛行機械はいくつかの攻撃機動を取っていた。
海面を這うように接近してくるものと高度を取るもの。それぞれ、三騎単位で行動しているようだ。

「我々は高度を取る飛行機械を脅威と考え、そちらに対して攻撃を開始しました。
 海面を這うように接近する飛行機械から攻撃を受けるとしても方法が限定されると考えたためです。」

また映像が切り替わる。艦隊が対空戦闘を開始したのだ。大弩と魔道士が打ち上げる対空魔法が主力だ。
対空兵器として圧倒的な力を誇る【裁きの雷】は魔力を大量に消費するため、精霊力を動力としている艦船とは相性が悪く戦闘艦艇には搭載されていない。
火球や稲妻がうなりを上げて速射され、大弩が10秒間隔で打ち上げられる。
連弩による近接防御も射撃準備が開始される。
しかし、命中率は芳しくない。敵の速度や機動が今まで戦ってきた相手――ワイバーン、ドラゴンといった敵と全く異なるためだ。
それでも火球の命中による炎上、稲妻が直撃しての爆発や大弩矢が飛行機械を貫いて撃破などによって飛行機械に損害を与えていく。
縦一列に並んで急角度で降下してくる飛行機械の群れ。大弩矢がその脚を貫き吹き飛ばす光景に思わず声があがる。
だが、飛行機械まだ動きを止めていなかった。黒い筒のようなものがその腹下から分離する。
分離した黒い筒はまっすぐに戦艦"王太子号"に向けて落下すると甲板上で爆発する。対空魔道士たちがなぎ倒されていった。
次の刹那、先の飛行機械は海面に墜落して水柱を上げた。

「魔法や精霊の力とは違うようだな。」

ダグラスがつぶやく。通信相手の魔道士は少し驚いた声で答える。

「ご覧になっただけで判りますか。流石はダグラス卿です。
 我々は爆発の規模から見て結界に爆発魔法の呪文を封じたか、小型の火精サラマンダーを閉じ込るかした魔力弾と思われました。
 ですが、大破した"エクス号"を調査した結果、魔法反応も精霊反応も感じられませんでした。我々には未知の技術が使われているようです。」

"エクス号"に先行する二隻の戦艦に飛行機械が映えのようにたかっている姿が映し出される。

「敵飛行機械は戦艦"王太子号"及び巡洋戦艦"栄光号"に爆発筒を落とし続けました。
 対魔法防御を施された装甲を貫通するものも幾つかあり、少しずつですがダメージを受け続けていたようです。」
しかし――
「最大の脅威はこの爆発筒の投下ではなかったのです。
 奴等の攻撃の本命は、海面を這うように進んできた飛行機械の方でした。」

魚鱗の陣を組んで海面に近い低空を飛ぶ飛行機械の群れに映像が切り替わる。
高度というメリットもなくそれほど高速でもないため脅威と考えていなかったとはいえ、ただ無視していたわけではなかった。
"王太子号"の四連装主砲塔が旋回し、機械の群れに照準を定める。爆炎と共に魔弾が射出された。
"炸裂火球"の魔力が込められた魔弾は、不恰好な飛行機械達を投網に掛けるかのごとくに海面上空300フィートで炸裂する。
半径600フィートの範囲に火の玉が降り注ぐ。"王太子号"に接近していた五騎ほどの飛行機械が炎上した。
だが、意図したほどの効果は出ていない。
ファイアボール・エクスプロージョンの魔法弾は本来対空戦闘を目的したものではなく輸送艦など非装甲の船舶に対する対艦兵器だからだ。
それに、主砲への魔力充填と照準には時間がかかる。量で圧倒することが必要な対空戦闘に向いている武器ではない。
二十数騎のからくりどもはそのまま距離を詰めると、1200ヤード程のところでその腹から何かを海面に落とした。
出来損ないの長槍のようなその金属棒は、そのまま海面に落ちていく。彼等は武器を放棄したようであった。
敵飛行部隊はそこから急加速して、十秒ほど後に"王太子号"の直上を飛びすぎる。
連弩による迎撃がなされるが、敵を打ち落とすには到らなかった。

「我々は奴等が対艦攻撃武器を海中に投棄し、攻撃を諦めたものと考えました。しかし――」

それは間違いだった。その時、彼等は既に攻撃を終えていたのだ。
飛行機械が飛び過ぎてから一分ほど経過した後、"王太子号"の左舷艦尾に突如として巨大な水柱が立ち上る。
しかも一本ではない。連続して三本ほど水柱が上がった。

「どういうことだ!」

作戦本部の誰かが叫ぶ。ダグラス卿が考え込みながらも言葉を発する。

「おそらく、先ほど投下されたあの長槍が命中し、何らかの魔力が開放されたのだろうな。
 だが、あの距離から投下しただけでは"王太子号"まで届かぬはずだ。
 何らかの魔動力で動いているのだろう。・・・精霊の力でも魔道の原理でも無いだろうがな。」

"エクス号"の魔道士がそれに答えた。

「ダグラス卿の仰るとおりです。我が艦の海兵が白い航跡を引きながら迫る長槍を見ております。
 40ノット以上の高速で海中を進んでいたとの報告もあります。何らかの動力機関を搭載しているのは確実です。」

映像は続いている。"王太子号"の水柱が治まったが、命中箇所からは黒煙が噴出し、若干傾斜もしているようだ。
しかし、何よりも致命的なのは――

「"王太子号"はこの一撃で舵を損傷しました。これ以降、"王太子号"は左に旋回することしか出来なくなってしまったのです。」

まともな回避行動が出来なくなった"王太子号"に対して敵の攻撃が集中する。
黒筒がさらに複数命中し、水柱が間断なく立ち上る。
戦艦からも反撃として火球、稲妻と大弩が間断なく撃ちあがるが、操艦の自由を失っている為か先ほどまでの迫力は無い。
そして、十数発目の黒筒が艦の中央に命中した時に――破局は起こった。
"王太子号"の艦体から一際大きな黒煙が噴出す。艦全体が激しく震え始めていた。
黒筒が機関部に入り込んだのだろう。精霊炉に封じ込まれていた精霊達の力が暴走をはじめた。
海流と風を制御するために封じられていた水霊ウンディーネと風霊シルフ。
戦艦に23ノット以上の高速を与える筈の精霊達は荒れ狂い、いまや内部から艦体を破壊する為にその力を振るい始めた。
艦の各部が内側から膨れ上がると弾け飛び、大弩や副砲がひしゃげる。
破口から何かが水蒸気の帯を引きながら現れる。風霊シルフが本来の住処である天空に帰ろうとしているのだ。
艦尾の破損箇所からも水が吹き上がった。水霊ウンディーネの加護を失った"王太子号"は行き脚が完全に止まった。
見る間に左舷に傾斜していく。"王太子号"は沈みつつあった。

「敵の飛行部隊はこれを見て満足したように引き上げていきました。
 艦隊司令官のフィリペ司令が"王太子号"と運命を共にされたため、次席指揮官のアーク子爵は攻撃を中止を指示し、我等は撤退を始めました。
 しかし――」

最後の敵機械が去った。これで攻撃は終った、そう判断していた彼等の前に新たな敵編隊が現れた。
前回同様に百騎近い編隊で現れた飛行機械の群れは傷だらけの艦隊に襲い掛かった。
既に何発かの直撃弾を受けていた"栄光号"はあっという間に波間に消え、奇跡的に無傷だった"聖なる怒り号"もその後を追う。
生き残った巡洋艦部隊も無事ではすまなかった。
爆発筒五発の直撃を受けた"パラモール号"の艦橋が吹き飛び、"ロイス号"が海中から迫る長槍四本に貫かれて轟沈する。
執拗な攻撃を受けた"パラモール号"、"マコーレー号"が沈む。"エクス号"も数発の直撃弾を受け、浮いているのがやっとの状況だった。
この地獄から"エクス号"が生還できたのは運良くスコールの中に隠れることが出来たからだった。

リオンからの通信は終った。魔道作戦本部は沈黙に包まれている。
キャンディスとアシュリーもただ黙って見ていることしか出来なかった。

「・・・ベックマン伯爵、ケンドリック伯爵の両竜騎士団長殿にお伺いしよう。
 あれは、あの醜い飛行物体は卿らが戦ったニホンの飛行機械と同じものでしたかな?」

ダグラスが問いかける。アシュリーがキャンディスに視線を送り、頷きながら答える。

「多少形が違うものも居たけど、間違いないわ。あの不恰好な翼と間抜けな赤い丸の紋章は忘れようも無い。
 あれは、ニホンの飛行機械。混沌の手先が使う、忌むべき機械どもよ。」

アシュリーの言葉をきっかけに喧騒につつまれていく魔道作戦本部を見ながらキャンディスは考え込んでいた。
――これでバレノア島は丸裸だ。船団を伴っていることから見ても、敵は上陸作戦を行う心算なのだろう。
 バレノア西部は平地が多い。一旦上陸されたら最後、あっという間にリオンまでたどり着かれてしまうだろう。
 絶対制空武装【裁きの雷】を擁するリオンが易々と占領されるとは思えないが、対空攻撃のみで制空権は維持できない。
 死守するためにはドラゴンやワイバーンをはじめとする航空戦力を増派するほか無いだろうが――

「バレノア島は大協約にとって飛び地と良うべき場所だ。艦隊を失った今となっては、戦力の増派は絶望的。
 リオンは最早維持できまいな。」

ダグラスがキャンディスの心を読んだかのように言う。

「しかし、放っておくわけにもいかないでしょう?
 バレノア島とリオン港を失えば、<大いなる海>での拠点は"カザンの門"まで後退してしまうわ。
 それに、"カザンの門"は拠点とは言いつつも単なる環礁に過ぎない。実質的な拠点は更に後方の"ミカエルの門"まで後退してしまう。
 それでは、海から大協約を脅かして二正面作戦を強いるという当初の作戦が成り立たなくなります。」
「そうであったな。卿の赤竜騎士団は東方特別分遣隊を組織してその任務にあたっていたな。
 だが、ニホンが現れた時点でその作戦は半ば実現不可能になっていたのも確かだ。」

アシュリーの反論にダグラスが答える。実際、東方特別分遣隊は既に三ヶ月前に解隊されていた。

「しかし、このままでは――」

キャンディスもダグラスに話しかけようとしたその時。通信晶に取り付いていた伝令兵がダグラスに話しかけた。

「ダグラス閣下、お話中申し訳ありません。"法の宮殿"からの緊急呼出です。」
「緊急呼出だと?」
「はい。此度のバレノア沖での敗戦を受けて、今後のバレノア島防衛に関して神官王の"ご希望"がある為、至急参内せよとのご要望です。」

ダグラスはため息を一つつくと、キャンディスとアシュリーに話しかけた。

「お聞きの通りだ。"法の宮殿"から戻って着たばかりの両騎士団長には申し訳ないが、どうかご同道願えないだろうか。」

初出:2009年11月15日(日) 修正:2010年6月6日(日)


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