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「それが”ムルニネブイ船団の受難”だったんだね」

なにやらメモを取りながら孫が尋ねる。
ほう、メモをとるとは中々殊勝な心がけではないか。
テープで済ませる気かと思っとった。

「そうじゃな。・・・しかしよくそんなものを知っておるの?」
「この前のNHKスペシャルでやってたんだ」

・・・そういうことか。まあ、この世代にとってはテレビの中の出来事、
という事なんじゃろうな。


「でも、結局あめりか丸は攻撃されなかったんでしょ?
だから船団の人たちを助けられた、って言ってた。
何で攻撃しなかったんだろう?」

そうじゃな。ワシも、当時はそう思ったものじゃ。
正直、生きた心地はせんかったからな。

「連中の目的示威行動じゃったのじゃ。"我々は地球を半周してお前たちの船を沈めることが出来る"
 ということを見せ付けたかったんじゃな。」

しかし、あそこを通りがかったのがあめりか丸で良かった。
なにしろ病院船じゃからな。今思えばたいした設備ではないが、
少なくとも普通の船よりは遥かに良い環境じゃった。


「何とか博多にたどり着いたのは七月二十一日じゃった。
 ワシと柿本はとるものもとりあえず調布へむかったのじゃ
 八月1日付けで創設される陸軍飛行第百四十四戦隊の一員じゃったからな。
 正直あれ以上遅れておったらどうなっていたことやら・・・
 一生冷や飯は確実じゃったろう。」
しきりにうなずいておる。冷や飯を飯抜きと勘違いしておるのじゃろう。
遅刻して飯抜きというのはこいつにとっては今現在の脅威じゃからな。


「調布に着いたときは大歓迎されたもんじゃ。
 なにしろ、満州や朝鮮の連中と連絡が一切とれん状況じゃから
 わしらも死んだものと思われとったんじゃな。」

あんときは質問攻めにあったもんじゃ。
特に船団が攻撃されておったくだりと、外人さんを救助したあたりがな。
とは言っても、ドラゴンについては誰も信じてくれんかったがの。

「そんな状況じゃから、いつ戦になってもおかしくないというわけで
訓練訓練の毎日じゃった。
そして、あの日、十二月八日を迎えたわけじゃ・・・」


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昭和十六年 七月~十二月

満州、朝鮮及び中国と連絡が途絶してから既に5ヶ月が経過した。
"連絡が途絶している"こと自体を秘密にできようはずもないためだろうか、政府及び軍からは以下のように発表されていた。

"我が軍は盟邦独逸とともにソビエト労農政府を討つべく東シベリアに侵攻した。
満州、朝鮮及び中国との連絡不全は機密保持上必要であり、詳細は軍機である。
海外への渡航も作戦に支障あるため別途許可あるまでこれを無期限で禁ずる。"

子供でも怪しいと思うような無いようだったが、であるが故に、ここまで言う以上は何か考えがあってのことだろうと高梨は考えていた。
おそらく、日本中がそう思っていたのだろう。そうでなくても海外渡航など一般国民にはほとんど関係がないことだ。
また、極稀にではあるが景気のいい報道もなされていた。

"重慶を完全包囲"
"皇軍遂にシベリアを制圧"
"日独、労農政府を挟撃。スターリンの命運は風前の灯火"

確かに満州の情勢、独軍の情勢などを考えると妥当だ、高梨はそう考えてこれを特に疑うことは無かった。
第一、彼はそんな些細な事態の追求に時間を費やしている暇はなかった。
高梨達は新設された第百四十四戦隊に無事配属されて日々励んでいたのだ。
彼らは大陸帰りで実戦経験も多少あるため、部隊において教育的役割を果たす事が多い。
そして隊長の泊少佐はいかにも切れ者の軍人らしい厳しさで高梨に当たった。くだらない事を詮索しているような状況ではなかったのだ。
ただ、八月末の一時期には訓練用の燃料が制限された時には、流石の高梨も何かあったのだろうかと少し気になった。
もしかするとあの対馬沖で見た赤いドラゴンが何かに影響しているのかもしれない、柿本と酒を飲みながらそう言う話をしたものだった。
しかし残暑の頃を過ぎて十月に入ったころ、突然その制限は解除された。いや、それどころか燃料を気にしなくてもよい、そう言われたのだ。
その言葉どおりに燃料の補給が潤沢に受けられるようになっていた。以前よりも高オクタン価のガソリンが供給されはじめた時、高梨はひどく驚いた。
しかし彼の驚きは長くは続かなかった。人間、贅沢にはすぐなれるものだ、高梨はそう思った。

昭和十六年 十二月七日 調布

「娑婆の話を聞いてもやはり十月から景気は明らかに良くなっているようだ。
 "勝っている"というのは満更嘘でもないのだろうな」

硝子のコップを机に置きながら本田大尉が言う。
彼の父親は旅芸人の一座として日本全国を回っていると聞いた事がある。おそらく、彼が指す”娑婆”とはそのことだろう。
そうでしょうね、高梨は短く返事をすると本田のコップに一升瓶から日本酒を注いだ。

丸い顔に大きな目、笑っているような口元が特徴の男で、高梨の先輩にあたる。
彼も大陸帰りだった。もっとも、高梨は満州、本田は上海といっていた地域に差はある。
上海で触れた欧米文明に少しかぶれ気味なのが玉に瑕ではないか、高梨はそう思っている。

「まあ、何にせよ、景気が良くなっているというのは良いことだ。きっと、間もなく――」
「酒は安くならんと思いますよ。むしろ、景気が良くなったら高くなるんじゃ?」

本田と向かい合って座っている柿本中尉がまぜっかえした。本田はにやりと笑って言う。

「流石にドラゴンを見たという中尉殿は仰る事が違いますな!」

柿本とともに第百四十四戦隊に配属された高梨大尉は、配属以来部隊内でも幾度となく”対馬沖のドラゴン”について論をかわしていた。
部隊内でのおおよその結論めいたものとしては、彼らの見た「ドラゴン」は「ソ連の新型攻撃オートジャイロ」ではないか、というものだった。
赤く見えたのは連中が真っ赤に塗ったためであり、翼や腕に見えたのは、回転翼とその補助機構、火の玉については――

「おそらくロケット弾だ。あれは花火みたいなもんだからな。反動を殺すために機体を傾けとったんだろうよ」
「確かにそうかもしれません、本田大尉殿。」

柿本が顔を紅くしながらしきりにうなずく。傍らにはすでに何本かの熱燗が"撃墜"されている。
こいつ、酒が弱いのによく飲みたがるな・・・そんな事を考えながら、高梨も話に加わった。

「しかし本田さん。あれは確かに生き物のようでしたよ。なんと言うか、気迫を感じました。」
「機械であろうと人が乗っている以上、気迫もあるだろう。中国でもそうだったしな。」
「そうです、高梨大尉殿。今思えばあれはオートジャイロなのです。

紅かったような気もしますが、照り返しかなんかだったのでしょう。」
あの場ではかなり取り乱していた事もありましたしね、と若干の恥ずかそうにしながら語る。

「まあ、そんな事はいいじゃないか。今日は倒れるまで飲もう!」

本田大尉が取りなすように宣言する。高梨達に異存はなかった。
今日は非番であり、高梨達は久しぶりに娑婆の空気を満喫していた。
ここしばらくは異常なまでの訓練漬けでもあり、ほとんど一ヶ月ぶりの休みでもあった。

「そういや、明日正午のラジヲ放送での重大発表って何でしょうね?

陛下が直々にお言葉を賜るなんて、尋常じゃないですよ」
柿本が尋ねてくる。どこと無く上気しているその顔からみて、自分の意見を聞いて欲しくてたまらないのだろう。
・・・単に酔っているだけかもしれないがな、そう思いながらも高梨はそれに乗ってやることにした。

「柿本、貴様はなんだと思っている?」

とたんに得意げに柿本は切り出した。

「そりゃもちろん、露助との戦争に勝ったって発表に決まってるじゃないですか。
ああ、もしかしたら重慶を制圧した、ってのかもしれません。
いずれにしても、我々は勝ったんですよ!」


"十二月八日正午、天皇陛下におかれては、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事となった。
国民は皆つつしんで玉音を拝すべし。
また放送後、新聞号外が午後一時より順次配達される故、必ずこれを見るべし"

という、異様な命令が全国民に対して東条首相名義で通達されていた。日本のあちこちで、この場のように喧々諤々と議論がなされていたのだった。

柿本の言を無邪気だなと思うと同時に、おそらくそうなんだろうな、高梨は思った。
もしかしたら独逸が英国を打倒した、というオマケもありかも知れない。
そうでもなければ、陛下が直々に国民にラジヲ放送を行うなど有り得ないだろう。

「まあ、明日になればすべて判るだろ。良い話以外はあり得ないと思うがな。」

彼らはそんな話をしながら「陛下のお言葉」を待っていた。
「日本はとうとう勝ったのだ」そんな思いを胸に抱きながら。

初出:2009年10月8日(木) 修正:2010年6月6日(日)


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