プロローグ「戦争を知らない子供達へ」
昭和63年 8月15日

「ただいまあ!」
ばたばたと廊下を駆ける孫の声が聞こえる。
もう小学3年生になったというのに、廊下を走っては行けないと何度言い聞かせても判らないらしい。
これは怒鳴りつけてやらんとイカン、高梨がそう思った矢先にふすまが開き、孫が顔を出した。
「おじいちゃん!宿題なんだ!手伝ってよ!」
何の事かさっぱり判らないという顔をしたのが伝わったらしく、さらに言葉をつなぐ。
「先生が、もし、戦争にいったお爺さんがいたらお話を聞いてきなさい、っていうんだ。
 おじいちゃん、酔っぱらうたびに色々話してくれるじゃない。もうすこし詳しくお話ししてよ!」
なるほど、そういうことか。確かに日本を揺るがしたあの「聖戦」からもう40年もたっている。
「戦争をしらない子供達」という言葉すら、もはや死語となっている。
戦争を知らない、平和を当たり前と思う人々も増えている。
だが、あの戦争を忘れてはいけない。
その命を国に捧げ散って行った戦友達の願い
――故郷の人たちを守りたいという思い――を無駄にしてはいけないのだ。

「そうじゃな・・・じゃあ、どこから始めようかな?昭南にいったあたりからでよいか?」
「一番最初っからが良い!おじいちゃん、いつも言ってたじゃないか。
儂が一番の先陣なんじゃぞ、って。」
「・・・酔っぱらってるときには何をいってるのか覚えとらんからなあ。
まあ、お前がそういうのならそこから話してやろう」
孫はうれしそうな顔でわかった、というと「テープレコーダーを持ってくるからまってて!」
と言い残してどたばたと走って行く
いかに板張りの下はコンクリートとはいえ、痛んでしまうではないか。
まったくなっとらん。戦争の話をする前にお説教をすることにしよう。ついでじゃ、
それもテープに残しておくのが良いかな。
――そんな事を考えながらあの戦争の事を思い出していた。

10分ほどして、(孫から見れば)一抱えほどもある大きなテープレコーダーと、5本のカセットをもって戻ってきた。
バームクーヘンと麦茶まで持ってきておる。
「おじいちゃんも食べたいって言ってた、っていったらお母さんがくれるんだ」ではなかろう。
まったく子供に甘い母親で困ったもんじゃ。
――60分テープが5本か。・・・10時間もしゃべる事があるかのう?
テープレコーダーの準備に手間取っている孫を見ながら少しずつ話を整理しようと試みる。
「おじいちゃん、寝ないでよ!」
・・・孫から見ると、眠そうにしか見えないらしい。
少しは表情を読むが良い。まったく、嘆かわしいことだが。
しかし、こちらを気にする余裕ができたという事は準備がおわったのじゃろう。
「よし、では始めるとするか」
あの、我ら枢軸国と連合国の苛烈な戦争の話を。
大日本帝国とトーア大陸同盟を中心とした「トーア大陸同盟」と神聖エーベ王国を中心とした「西方大協約連合国」との、「世界大戦」を・・・

「すべての始まりは”大転進”からじゃ。そして、儂は”始まりの船”あめりか丸に乗っておった・・・」
初出:2009年10月5日(月) 修正:2010年5月26日(木)


サイトトップ 昭南疾風空戦録index