昭和十八年十二月八日 呉海軍工廠

大協約軍機動部隊による横須賀空襲からちょうど二年が経過したこの日、呉海軍工廠である軍艦の進水式が行われようとしていた。
全長百メートルほどの小型艦であり、鯨のようにのっぺりとした甲板上には特段の武装も見られない。
本当に軍艦なのかと疑わしくなる艦形でもある。ここが呉海軍工廠でなければ一笑に付されるに違いない。
実際、進水式に出席する大半の者達はこれが目的のフネだとは言われるまで気が付かなかったほどだ。
だが、この船はこれが完成形だった。船体工事は既に完了し、儀装も完了していた。あとは水に浮かべるだけだ。
そして、この艦の進水式のために軍高官が多数立ち会っていた。海軍だけではない。陸軍の士官もいた。
いや、それどころか――
「この規模の艦にしては豪勢なことだな。」
三戸由彦呉海軍工廠長はいささかげんなりした様子でつぶやいた。彼の視線は鈴なりに連なる天幕に向けられている。
天幕には”中央から伸びる八本の矢”の紋章を描いたものも見られた。同盟国の天幕だった。しかもそれは一つではない。
ムルニネブイ連合王国やロシモフ大公刻といった”ご近所”だけでなく、遠く離れたイーシア共和国の紋章がついたものまである。
彼がげんなりしているのはこの為だった。天幕の搬入、設置場所の調整といった事項にどれほど気を使ったことか。

――小艦の進水式にしてはあまりに大げさだ。
彼がそんな感想を抱いていると、傍らにいる男が話しかけてきた。先ほどの独語を聞きつけたらしい。
「"いや、むしろ少ないくらいですよ。同盟軍最高幹部が――例えば、ドミトリー総参謀長が来てもいいくらいです。
 トーア大陸同盟の魔道造船技術と日本の科学造船技術の粋を結集した、”一号艦”の進水式なのですから。"」
黒いローブを着こなしたムルニネブイの魔道造船技術者は胸を張った。通訳魔法が無事効いているため会話が成立している。
「"”一号艦”が無事就役できれば海戦の様相は一変するはずです。これからの主役は、間違いなく――」
「すまん、その、出来れば”一号艦”というのは使わないで欲しいのだ。"大和"と混同されかねん。」
三戸中将が苦笑混じりに言う。魔道技師も同様の表情になると言った。
「そうでしたな。――ですが、この”潜高型”が新時代の海戦をもたらすことは確かですよ。」
――そうだな、その通りだ。三戸は思った。そうでなければ、潜水艦が”軍艦”になることなど有り得ない。

本来であれば潜水艦は"軍艦"ではない。格式も低いし、菊の御門もない。
だが、このフネと同型艦――いや、準同型艦たちは、その特殊性故に"軍艦"という扱いになっていた。
――"大転進"の前には考えも付かなかった事だ。だが、それだけの価値は確かにあるだろう。
三戸は思った。このフネと準同型艦たちは精霊力機関を本格的に積んだ初の日本船なのだ。

この艦は元はマル四計画での戦力整備で計画されたフネだった。本来であれば伊号第一八〇潜水艦として完成する筈だったのだ。
だが、"大転進"と"横須賀奇襲"による計画遅延、"バレノア沖海戦"での戦訓による潜水艦の有効性の再確認と――
「何より"ムルニネブイからの艦隊発注"がこの艦の運命を変えたと言ってもいいだろうな。
 まあ、それはこのフネに限ったことではないか。もっと大変な目に遭っているフネもあるし。」
「”ストームブリンガー”ですか?」
三戸中将の言葉に黒いローブを着た男が反応する。
「・・・もう名前が付いているんだったな。私としては"110号艦"の方が馴染んではいるが。」
「"仕方ありません。祖国があのフネに期待するところは相当に大きいのですから。"」
ローブの男は答えた。その言葉に嘘は無いだろう。ムルニネブイは艦隊戦力の大部分を緒戦で失っている。
戦力の再整備は急務なのだ。
「だが、110号艦は横須賀空襲で損傷を被ったと聞いているぞ。大丈夫なのか?」
「それであるが故に多少安く買えた、そうも聞いています。確かに、実物を見るまでは正直なところ不安でしたが。
 一部が炎竜の火炎液で溶けてはいましたが、それ以外は特に問題もありませんでした。」

大協約軍の横須賀空襲における最大の損害。それは、空中戦闘での被害ではなく地上戦による損害だった。
"撃墜"したドラゴンの多く生き残り、地上で戦闘が発生した。これによって市街地の大半が灰燼に帰してしまったのだ。
中でも炎竜による被害は甚大だった。確かに青竜や赤竜には格闘能力や防御力では劣る。
だが、その口から流れ出る火炎液の効果は甚大だった。市街地の被害はほとんど火炎液によるものだ。
触れるもの全てを燃え上がらせるその液体は、ドラゴンが死んでも効力を失わないのだ。空技廠の壊滅もこれが原因だった。
110号艦もこの影響を受けて工事が中止になった、三戸中将は当時そう聞いていた。それが覆ったのは昭和十七年六月のことだ。
"ムルニネブイからの艦隊発注"に早期に応えるために110号艦は戦艦”ストームブリンガー”として工事が再開されたのだ。

そして、その建造にあたり日本はあらたな技術を手に入れていた。この世界に長く伝わる"精霊力機関技術"だ。
"精霊力機関"は――”世話役”たる魔道士の疲労と精霊の”退屈”を別にすれば――実質的に無限とも言っていい動力源だった。
これを効果的に使えば航続距離を飛躍的に伸ばせる。日本海軍は早速この技術を取り入れようとしたが、大きな問題があった。
艦に穴を空けるか、バルジの増設が必要だったのだ。水を流す場所がなければ、如何に水の精霊でもどうにもならないのだ。
しかし、既存艦にそのような改修を施すわけには行かなかった。失敗すれば正面戦力を無駄にするだけに終ってしまうからだ。
バルジの追加は比較的簡単にできるとはいえ抵抗が増してしまう分速度が低下するし、艦のバランスも崩れる。
もちろん艦に穴を開けるなど論外だ。とはいえ、”無限の航続力”という誘惑を前に抵抗できる海軍軍人などはいない。
そうして海軍が目をつけたのが潜水艦だったのだ。

元々、帝国海軍は潜水艦を哨戒線で待ち受けつつ密かに追撃を行う事を目的として運用するつもりだった。
しかし、実際に発生した海戦――二回のバレノア沖海戦――では上手く機能したとは言い難い。
確かに待ち伏せには成功したし、第二次バレノア沖海戦では送り狼として空母一隻撃沈確実を含む戦果を挙げる事にも成功した。
だが、それは偶然の産物ともいえるものだ。敵艦隊来襲を運良く発見したまでは良かった。
だが、現場に伏せていた潜水艦は上空に待機しているドラゴンに頭を抑えられて浮上できなかった。
事前の想定では夜間に浮上航行して先回りができる筈だったが、夜眼の効くドラゴン相手ではそうもいかなかったのだ。
潜水艦が襲撃に成功したのは、あくまで敵艦隊が"来た道を戻ってきた"からに過ぎなかった。
もしもこの時、潜水艦が水中を追撃できていたなら、状況が違っていただろう。第六艦隊の首脳部はそう結論付けていた。
――主機が水中でも回せるか、高性能な蓄電池によって高速が発揮できたなら
まさにそれを議論している時に"精霊力機関技術"の情報が伝わったのだ。
早速、彼らは建造中だった潜水艦、伊一八〇を改修することにした。

設計からの改修によって伊一八〇の外観は大きく変わっていた。外見はもはや海大七型の面影はほとんど無くなっている。
僅かに艦尾の魚雷発射管が廃止されている点だけが共通点と言えるかもしれない。
丸い艦首と甲板部分を曲面のついた屋根で覆っているのが特徴的だった。そのため、全体的な艦形は甲標的に似ている。
だが、甲標的ではむき出しで搭載されていた魚雷はない。艦首はまるで魚雷のような綺麗な曲面を形作っていた。
波を砕くのではなく、波にもぐることに最適化した形と言えるだろう。海軍の水中高速性能についての研究が結実した姿といえた。
だから、基本的には魚雷のような円筒形のフネだ。ただし、艦の中央やや後半の部分から大きな張り出しがつく。
コブのように突き出したその張り出しこそが水の吸入噴射口だ。"精霊力機関"における最重要機関だ。
これは耳たぶのようなつき方をしていることから、工員達は福耳と呼んでいた。やがて、それが非公式に広まることになる。
このようにほぼ別物となってしまったため、伊一八〇とその準同型艦は"潜高型"と呼ばれる事になった。

皇族と思しき高級将校が銀の斧で舫い綱を切る。潜水艦はドックの坂道を滑り降りると見事に進水した。
同時に行進曲"軍艦"がかかる。黒い軍服を着た同盟国軍人から歓声と拍手が上がる。
――この規模の軍艦なら本来であればドックに注水するだけの作業だが、気張っただけの甲斐はあった。
  同盟軍と陸軍向けの儀式など馬鹿らしいと思っていたが、予想よりも好評のようだ。
三戸はともすればその空気に流されそうになる自分を抑え、意識して冷静さを保っている。
ひとしきり喧騒が収まった後、拡声器はこの艦の名前を告げた。
「ここに本艦を"大鯱"と命ず。」
あくまで外向けに軍艦籍に身を置くだけだから、結局海軍内では伊二〇一としか呼ばれないだろうな、彼は思った。

無事進水した"大鯱"こと伊二〇一の艦内は緊張に包まれている。無理も無い。伊二〇一の艦長に任じられた木梨鷹一中佐は思った。
2年前までであれば、"魔法でフネが動く"などといった途端に精神病院に送られていたに違いないのだ。
それが、皇族や同盟国のお偉方まで列席した進水式を行う"軍艦"として存在している。緊張するなと言う方がおかしい。
とはいえ、もはや海に浮いてしまった以上はやるべき事をやらねばならない。
彼は汗に湿る拳を握りしめると居住まいをただした。決然とした表情で発令所にいる全員に告げる。
「只今からわが伊二〇一は、水上航行を開始する。はじめが肝心だ。気張るぞ!」

しばらく滑り落ちたまま微動だにしていなかった伊二〇一がゆっくりと頭を沖に向け始めた。
本来であれば曳船で牽引するのだが、今回は宣伝目的でもあるため自力航行を行っている。
球形というあまり水上航行には向かないはずの艦形であるにも関わらず動作は非常に滑らかだった。
また従来の軍艦であればスクリューが起こす白波が見える筈だが、精霊機関で水流を変化させて動く伊二〇一にはそれがない。
百八十度の回頭が終っても艦の後部に僅かな波を残すだけだ。この様子を眺めていた海軍関係者からどよめきが起こった。
精霊の力がここまで影響するとは思っていなかったのだ。

外から見る分には静かに動いている伊二〇一。だが中は騒がしかった。大声が飛び交っているわけではない。
無言で通路を行き来する乗組員の数や、小声で囁かれる命令の多さが騒がしい雰囲気を作っているのだ。
さすがに熟練の潜水艦乗りが殆どであるだけの事はある。木梨は感嘆しつつそれを見ていた。
見守るうちに船首回頭が終る。ここからだ。彼は機関魔道士に向き直った。魔道士はムルニネブイ海軍からの出向者だ。
如何に日本海軍といえど、流石に魔道士までは準備できなかったのだ。こればかりは時間が掛かるだろう、木梨は思っていた。
やや小柄な機関魔道士は何かを期待するような表情で木梨を見上げている。彼はほんの少し微笑むと命じた。
「ここまでは小手調べだ。水の精霊の全力を見せてみろ!」
「ヨーソロー!」
機関魔道士は海軍式に答えると水の精霊との交信を始めた。

回頭を終えて動きを止めていた伊二〇一が加速を始めた。ゆっくりと動き始めた潜水艦だったが、すぐに速度を増す。
波を蹴立てて進む、という動きではない。どちらかというと生物のような――まさしく、艦名の如く鯱のような動きだった。
艦は十五ノットほどの速度まで増速すると、併走する船になにやら発光信号を送り始める。
三戸中将はそれを読んだ。発光信号はこう告げている。
”本艦は精霊力により航行中。これより潜行し、予定海域に向かう”
――それにしても静かなモノだ。精霊機関というのは大したものだな。彼は素直にそう思った。

それは伊二〇一で発生している"惨状"を知らないが故の感想でもあった。
先ほどまでは静かな喧騒に包まれていた発令所は、今はただの喧騒に包まれている。全力発揮命令に興奮したものがいたためだ。
「気合だ、気合を入れるぞ!」「そこまでしなくてもいいじゃない?皆困った顔してるわよ?」
顔一面を髭に覆われた大男が発令所で喚いている。処置無し、といった表情で隣に立つのは可憐な金髪を持つ少女だ。
「違うだろう。この水中高速力の発揮に皆戸惑っているのだ。何、じきに慣れる。」
そう上手く行くだろうか。両手を振り回す髭面を見ながら木梨は思った。

彼の予想に反して、艦は無事に瀬戸内海の指定された海域に向かっている。目的は速度試験をするためだ。
予定では水中30ノット出せるはずなのだが――
「ちゃんと測れるのかしら?水流制御のせいで正しくならないかも。」
少女の言うとおりだった。精霊ウンディーネによる水流制御が利きすぎ、速度計にかなりの誤差が生じているのだ。
だが、髭面の男は手にした軍扇を広げると扇ぎはじめた。余裕を見せているつもりらしい。
「大丈夫だ。全て計画通りだ。問題はない。己の魔力を信じろ。
 それに、我等が測れなくても水上艦が待機している。その間を抜けられさえすれば、問題ないはずだ。」

果たして――
「ほら、言ったじゃない!大丈夫、確かめなくても水中30ノットは出てるわよ!」
慰めるように少女が言った。髭面の男も頷きながら続ける。先ほどの言葉は既に忘れているようだ。
「そうだ潜艦長、これが科学だ!科学を信じるんだ!」
――速度の件は水上で観測している駆逐艦に任せるとしてだ。
  何はともあれ、この艦は無事に航行している。ただのお嬢さんと怪しい髭面では無いという事か。
木梨は思った。この二人が水中高速潜水艦である潜高型伊二〇一での最重要人物、水の精霊とそれを操る機関魔道士なのだ。

これまで、水の精霊ウンディーネの顕現は女性だった。少なくとも、同盟で用いている精霊力機関の船ではそうだ。
だから、この伊二〇一で"精霊顕現の儀式"を行った時に髭面の男が出てきた事は少なからぬ驚きをもって迎えられた。
儀式を行った魔道士は何隻もの同盟海軍戦艦で精霊を顕現させた練達の魔道士だった。間違いである筈が無かった。
何かが足りないのではないか、そう考えた魔道士達が精霊力を試してみたところ、驚愕の事実がわかった。
ウンディーネとしての力は女性型を凌駕していたのだ。予定以上の出力が得られると聞いた日本海軍は驚喜した。
だが、同時に悩みも抱えることになる。機関魔道士は基本的に異性が勤めるのが精霊との契約の一部になっているのだ。
軍艦に女性を乗せるのは好ましくないが、仕方が無い。サラが機関魔道士として着任したのにはそういう理由があった。

――はじめはこの組み合わせでどうなるのかと思っていたが、実際に運用してみるとなかなか相性が良さそうだ。
  どことなく姉と弟の関係のようにも見えるが、そういうものらしいしな。
木梨は二人の顔を見ながらねぎらうように言った。
「サラ機関魔道士、海野精一機関。ご苦労だった。あとはゆっくりしていてくれ。」
金髪の魔道士と髭面の精霊が頷く。彼らが発令所を退出しようとしたその時、どことなく雅やかな声が聞こえてきた。
「サラ殿、木梨潜艦長。まろは何もしなくても良いのでおじゃるか?やる事がなくて暇でおじゃる。」
声の主は一応軍服を着ているものの、とても軍人には見えなかった。体全体から育ちのよさと物腰の柔らかさが滲み出ているのだ。
狩衣でも着ている方が余程様になるだろう、木梨は思っている。だが彼はこの艦に欠かせない人物でもあるのだ。
「空野機関。シルフである貴公はこの船に乗るだけで空気清浄化という任務を遂行している。そのままで充分だ。」
「そうでおじゃろうが、潜艦長――」
何か食い下がろうとした風霊シルフの顕現たる空野の言葉を、サラ機関魔道士が慌ててさえぎった。シルフはこうなると長いのだ。
「そうだ、三人で百人一首やろう。百人一首。日本の文化を覚えるのも重要な任務よ!」
「おお、百人一首!これこそ日本人の嗜みでおじゃる。判ったでおじゃる。」
何やら納得したシルフに引き換え、ウンディーネの顕現たる海野は不満顔だ。
「百人一首なんて女子供のやるものだろう。何も、そんな・・・」
「じゃあ、その後で紙相撲やろう!あたしがこの前作った双葉山あげるからさ、ね!」
機関魔道士はどこか引きつった笑顔を浮かべながら言う。水の精霊は得たりとばかりに頷いた。

三人が去った後の発令所には、出航前のいかにも軍艦らしい空気が戻っていた。
木梨はそれを心地よく感じながら思った。
――まあ、こんな騒ぎがあるのも今のうちだろう。もっとマトモな精霊もいるに違いない。
  機関魔道士にしても、いずれは日本人が主流になるだろう。そうすれば・・・

彼の予想は正しく、同時に間違っていた。
確かに潜水艦に同乗する機関魔道士の大半は日本人になったものの、精霊達の精神性はそれほど変わらなかった。
これを解消するためには精霊召還技術の進歩が必要だが、数百年以上かけて今の形になったものを変えるのは容易ではない。
だから、精霊達は基本的にどこか"ずれた"まま、艦体関連の技術だけが進歩していく事になる。
昭和五十五年に竣工した十万トン級潜水空母・伊九四一、通称"台風"級もこの問題を抱えたままだった。
悪いことに、巨体と対応任務の多様さを誇る伊九四一には四大精霊が合計二十柱近くが乗っている。
そのため発令所は常に大変な騒ぎになるわけだが、それはまた、別のお話――

初出:2010年3月21日(日) 修正:2010年5月25日(火)

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