平成十二年七月二十五日夜 東京都港区白金台・とある家
もう八十歳を越えているだろう老人と、大学生くりに見える青年がテレビの前にかじりついていた。
今は彼らが楽しみにしている「X計画」が始まるのである。
「前回のYS11特集は良かったのう。今回の話も楽しみじゃ。」
「そうだね、やっぱり世界初の量産型ジャンボジェットの話は何度聞いても最高だね。」
「そうじゃなあ、それまでも富嶽を改造した旅客機はあったが、一から民間用として開発したのはYS11が最初じゃからなあ。」
老人が感極まったように言う。彼はかつて戦闘機搭乗員だった。だから、航空関係のものには弱い。
そして、もう一つ。流石は大正生まれの人間というべきか、彼は戦前のことにも煩かったのだ。
「じゃが、航空機を作るためには膨大な産業技術の裾野が必要なのじゃ。"X計画"の番組を作ってるやつは判っているようじゃな。
戦争前には、そんな事は誰も――」
「始まるよ、爺ちゃん。」
青年が無視するように言うとテレビに向き直った。気のせいか、ため息をついていたようにも見える。
人の話を最後まで聞け、そう抗議しようとした老人だったが、主題歌が流れているのに気が付くと口を閉じる。
彼はこの主題歌が好きだったのだ。若い頃に東方大陸の平原で見た野生の天馬の群れを思い出すからだ。
最新の三十七インチ液晶テレビには主題歌にのって人影が行き来している様が映し出されている。
(日本の主張にもかかわらず、同盟諸国の意見を元にテレビの対角線はセンチでなくインチであらわす事になっていた。
輸出先の意向には世界に冠たる通産省も逆らえなかったのだ。)
テロップが流れる。その文言は、少なくとも老人にとってはセンセーショナルなものばかりだ。
"旧世界の中国大陸への進出と戦闘。それにともなう産業界の躍進と問題点。"
"大手メーカーとの合併が白紙撤回に。このままでは倒産しかない。"
"突然の"大転進"。工業国家への転進の掛け声と、産業機械の絶望的不足。"
"うちは旋盤しかない。だが、旋盤だけでは世の中を渡っていけない。"
"こんな丼勘定では駄目だ。もっと、ちゃんとした会計を行わなくては。"
「おうおう、言われたい放題言われておるのう。」
たまらず老人が声を出す。青年は笑いながら言った。
「爺ちゃん、テレビに話しかけても無駄だよ。番組に決まったとおりにしゃべっているんだから。」
「そうじゃがな。天下の幣原重工業がここまで言われておるのは中々痛快じゃよ。」
何が嬉しいのだろう。老人はにこにこしながら画面を眺めている。
”X計画 新型産業機械を開発せよ!倒産寸前からの大逆転!”というタイトルが表示された。
いよいよ始まりだ。二人は画面に注目した。
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「本日は幣原重工業相談役でもあります実山稔さんにゲストとしてお越しいただいています。
実山さん、こんばんわ。」
「はい、こんばんわ。」
女性アナウンサーの紹介に実山と呼ばれた老人が答えた。おそらく七十は越えていると思われるが、未だ矍鑠としている。
「実山さんは幣原重工業、当時の幣原製作所の頃から一筋に勤めておられたのですよね?その頃の様子をお聞かせ願えますか?」
「そうですね、中国大陸――ああ、"旧世界"の大陸です――での戦争が始まった時には、もう工作機械の需要がワンサカありましてね。
とにかく、作れば作るほど売れたんですよ。作っても作っても足りない有様でした。
本当にあの時はイケイケドンドンで設備投資もおこない、工場も大きくしていったものです。」
アナウンサーは頷く。本当にその苦労を知っているのかと老人は訝ったが、番組とはこんなものであるというのも認識していた。
「その過剰な設備投資が一つの原因となって、"大転進"直前には苦境に立っていた、というわけですね。」
「いや、もう本当に大変でした。とにかく、それ以外の言葉がありませんよ。」
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昭和十六年八月二十一日 幣原製作所 社長室
「白紙?どういうことですか?ここまで進めておいて、そんな事が!」
社長室といっても、町工場然とした建物の一角を区切っただけの部屋。
そこで電話を受けていた社長――まだ青年といっても良い社長、幣原和真は激怒していた。
彼が国内大手の工作機械製造業者と進めていた合併交渉はこの十一月一日に発効するはずだった。
それなのに――
「"私も詳しくは聞かされていません。兎に角、今は白紙だと。上に聞いても”お前には関係ない”の一点張りで。
それに、合併が破談になったのは御社とだけではないのです。私としても困っているのです。"」
先方の担当者の声が電話越しに聞こえてくる。その声は申し訳無さそうで、嘘をついている様子は無かったが――
「そんなことはどうでもよろしい。我々も遊びで経営をしているわけではない。理由がわからんのでは説明になっていない。
貴方で駄目だというのなら、もっと上の人を呼んできてもらえませんか。とにかく、このままでは話にもならんでしょう。」
和真が激怒している理由はそこにもあった。今の電話をかけてきているのは先方の何とかという課長級の人間だった。
合併の解消という一大事にあたってはそれなりに礼儀を持って当たるべき事項のはず。だが、これはあまりに酷い仕打ちだ。
「"・・・取り次ぐな、と言われております。それでは、確かにお伝えしました。別途、書面はお送りいたします。"」
そういうと電話は唐突に切れた。最後に聞こえてきた音からすると受話器をたたきつけられたのだろう。
彼は受話器を睨みつけると大きく息を吸い込む。大声を出したい衝動を抑えつつ、ゆっくりと受話器を置いた。
この危機的な状況を前に、感情を激発させるわけには行かない。彼は瞑目して腕を組むと、今後の方策を考え始めた。
昭和十六年八月二十八日 幣原製作所 工場前広場
幣原製作所のさして広くない工場前の広場に従業員達がひしめき合っていた。
彼等は皆、会社の財務状況が良くないことを薄々ながら感じとっていた。だから――
「これはいよいよ潰れるのかな。どんぶり勘定だったからなあ。」
誰かがつぶやいたのを実山は聞き逃さなかった。確かに、この四月に急逝した創業者、幣原高雄の代ではそうだったが――
「若社長になってからは随分良くなったと思うぞ。もしかすると、良い話かも知れん。」
とりなすような声が聞こえる。実山もそれに同感だった。
創業者である幣原高雄は確かに優れた人物だった。彼が家族とはじめた町工場は、いまや百人を超える所帯となっている。
幣原製作所を町工場の規模からここまで拡大したのは彼の才覚と魅力によるところが大きい。
だが、彼は良くも悪くも"良く出来た町工場の親父"だった。極端な現場主義であり、熟練工を偏重する嫌いがあったのだ。
企画や設計の部門もあったが、どこか低く見られていた。そんな中では新規開発力は中々伸びていかない。
それに、良きにつけ悪しきにつけ豪放磊落で親分肌の彼は会計については「金が金庫にあるか、ないか」程度の意識しかない。
小さな町工場であればそれでも良いのかもしれないが、流石にこの規模でそれでは渡っていける筈もなかった。
幣原高雄が一代で築き上げた幣原機械製作所は、幣原高雄が社長であるが故に潰えようとしていたのだ。
従業員達の生活を何とかするために合併の話を――従業員には内密だったが――進めていたのは、彼なりの贖罪だったのかもしれない。
四月に急逝したのも、もしかするとそういった心労が積み重なった結果かもしれなかった。
幣原和真が社長に就任したのはそんな時期だったのだ。
二代目社長、通称"若社長"の和真は技術者上がりではない。彼は東京帝大の法科を卒業した理論派の人物だった。
彼は元々"町工場"の社長になるつもりなど無かった。だから父親を説得して帝大の法科に行き、法曹界へと進もうとしていたのだ。
自分には工業的な才覚は無いと感じており、熟練工を重用する高雄とでは考え方が違いすぎるせいもあるだろう。
だが、良くも悪くも"町工場"である幣原製作所は、その所帯を維持するために和真を必要としていたのだ。
それに、本人は認めたがらないが――
「若社長は法科を出ておられるが、蛙の子は蛙というべきかな。機械のことも中々詳しい。まあ、何かやってくれるに違いないと思っているよ。」
古株の従業員の言葉に、周囲の人間も頷いた。大方の従業員は"若社長"に敬意を払っていたのだ。
ざわめきが静まっていくのを感じ、実山は前方にしつらえられたひな壇を見た。"若社長"が壇上にいた。彼は一礼すると口を開く。
彼が告げた内容は、従業員一同に衝撃を与えた。
昭和十六年九月一日 幣原製作所 工場内
「それで、これは一体何をやっているのですか?」
グレーのスーツを着た男が、若草色の作業服の群れに混じって動き回っている。
この男は日本能率協会の理事長だった。名を森川という。彼は今日から工場内をくまなく観察しているのだ。
実山は森川を胡散臭く思いながらも、先日の"若社長"の話を思い出していた。
「この工場は、このままでは潰れる。」
"若社長"は開口一番そう告げた。あまりに率直な物言いに誰もが硬直している。彼は続けた。
「もちろん、諸君等が頑張っている事は私は良く知っている。父の代から、いや、創業時からの従業員の方には本当に頭が下がる。
・・・だが、このままでは駄目だ。今までと同じやり方をしていたのでは、今年の大晦日を越えられない。
だから、思い切った手を色々と打っていく。諸君等には辛いこともあるだろう。だが、黙ってついてきて欲しい。
必ず、この幣原製作所を立て直してみせる。暫くの我慢だ、辛抱してはもらえないだろうか。」
"若社長"はそういうと深々と頭を下げる。顔を顰めるものも居たが、それは極少数だった。
社長就任以来、誰よりも働いていた彼の言葉に反感を持つものは少なかったのだ。
"若社長"がぶち上げた改革、その第一段階が"工場作業の効率化"と"財務の健全化"だった。
そして、"工場作業の効率化"のために"若社長"が連れてきたのが森川だったのだ。
「しかし、あの森川とかいう男は馬鹿なのか利口なのか分からないな。
一目見れば分かる事でも質問するかと思えば、俺らでもわからないような事をサラッと言ったりする。」
熟練工の一人が言った。実山も同感だった。彼はひそかに、実は森川は全てを知っていて黙っているのではないかと思っていた。
「まあ、今年中には結果が出るという話だからな。とにかく、つぶれなければ御の字だよ。
俺らは真面目に働くだけさ。・・・今までのツケが出てきて、経理の連中は大変そうだがな。」
実山は現場の人間なのでよくわからないが、財務のほうも大変な有様であるらしい。
社長の学友だったという会計の専門家が怒鳴り声を上げているのを聴いたのは一度ではなかった。
「連中は今まで出鱈目すぎたんだよ。それに、あの"専門家"さんは少し神経質そうなところがあるしな。」
普段は厳しい作業班長の言葉に、辺りに小さな笑い声が起こった。
創業以来現場に携わっている作業班長は壁にかけられた小さな柱時計に眼をやると言った。
「さあ、もう休憩は終わりだ。持ち場にもどれ。こっから最後の追い込みをかけるぞ。」
先ほどの笑い声に反応したわけではないだろうが、森川がこちらを見ているのに実川は気が付いた。
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「このフリップを見てください。」
女性アナウンサーが机の下から厚紙を出して前に抱えた。そこにはなにやら円を描くような矢印が書いてある。
「これは、今日では当たり前になった品質管理の基礎であるPDCA の概念図です。
戦前でも、海軍では演習や海軍工廠などで取り入れていたという話があります。
ですが、当時の小規模工場でこれを取り入れようというのは幣原製作所が最初だったのでは?」
テレビ画面の下方には”※PDCA(Plan-Do-Check-Action)の略”というテロップがあった。
英国も米国もとうに"別世界"の話というのに、日本人は本当に横文字が好きじゃのう、老人はそんな感想を抱きながらそれを見た。
番組では実山が苦笑しながら応じていた。
「そうかもしれません。今では当たり前のことですが、当時はそんな事もしてませんでした。現場は本当に酷いもんでしたよ。」
彼は昔を思い出す表情をしながら感慨ふかげに続けた。
「森川さんの調査が一ヶ月くらいして終った後、全員がまた工場前に集められました。いや、あの時は本当に・・・」
それ以上の言葉が出ないのだろう。あとは眼をつぶって頷くばかりだった。
「その時に指摘されたという点をこのフリップに纏めています。こうしてみると凄い数ですね。」
男性アナウンサーが厚紙を指し示しながら言った。箇条書きで十数個ほどの数がある。
しかし、それでも足りないのだろう。右下には”他、八十九箇所”と記されている。実山は苦笑を深めながらそれを見てと言う。
「それを、日曜の朝から夕方までかかって聞かされたわけですよ。もう、ぶん殴られたほうがましだと思いましたね。
気の短い人が食って掛かる場面もありましたが、そのたびに論破されて。結局、森川さんの言うとおりの改革が進んだのです。
でも、その甲斐はありましたね。お陰で随分と楽になりました。十一月が終る頃には、森川さんに頭が上がらなくなりましたよ。
いままで随分無駄なことをしておったんだなあ、と嫌になるほど気が付かされましたからね。」
彼がそう言ったとき、画面にはなにやら棒グラフが表示された。赤い棒と青い棒で、青い棒の長さは赤い棒の四分の一以下だ。
「幣原機械製作所では”能率改革”によって、こちらのグラフで明らかなように、作業効率と生産性が格段に向上しました。
これが僅か2ヶ月程度で成し遂げられた成果だというのが信じられないくらいの改善です。」
女性アナウンサーが言った。実山が言った。。
「私は良く知りませんが、会計のほうもかなり改善させられたそうですから、それも影響しているんでしょうね。お陰で随分良くなりました。宣伝にもなりましたしね。
年末には"実業之日本"が取材に来たくらいですから。日本の工場での能率改善の先陣を切ったという自負はあります。」
男性アナウンサー頷くといった。
「さあ、そうして経営と現場の改善終えて当面の危機を脱した幣原製作所でしたが、運命の十二月八日を過ぎ、また新たな危機に見舞われることになります。
幣原製作所の苦境はまだ終っていなかったのです。」
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昭和十六年十二月十一日朝 幣原製作所 社長室
「何だこれは!」
幣原和真社長は思わず大声を上げた。無理も無い。彼が読んでいた工業業界の業界新聞にこのような広告記事が載っていたのだ。
”"新世界"の新金属を配合した新型合金を大胆活用!!絶対無敵、壊れず劣化せず!正確無比の高級高速度旋盤"マジック壱号"誕生!!”
でかでかと書かれたゴチック文字のコピーが踊っている中に、モダンなデザインの工作機械の写真があった。
広告を出しているのは数ヶ月前に合併を一方的に破棄した某財閥系の企業だ。幣原社長は思った。
――やつら、ハナから"新世界"の事を知ってやがったんだな。そうして、この工作機械を作り上げた。
そっちに注力するためにウチとの合併を切り捨てた。何て連中だ。如何に商売とはいえ仁義はあるだろう。奴等には負けられん。
和真は幹部達を直ちに集合させた。今後の対策を急いで練る必要がある。
「これは・・・」
社長室に呼ばれた開発責任者の帆場は新聞広告の片隅に載せられた"新型合金"の特性を見て絶句していた。
彼は"若社長"のつてで入社し、この五月に開発部の責任者に納まった男である。
東北帝大を主席で出ている、このような規模の会社では珍しいほどのエリートだ。専門は機械工学だが、冶金にも造詣が深い。
その彼が言葉を失っていた。暫くして帆場は我に帰り、頭を振りながら呟くように言った。
「・・・この特性が事実なら、確かに壊れないでしょう。熱にも磨耗にも圧倒的に強いはずです。
劣悪なオイルでも動くに違い有りません。いえ、下手をすると水でも問題ないかもしれない。
唯一、モーターが弱点なのかもしれませんが・・・そこは、我々も同様のはず。
率直に申し上げて、これでは勝ち目がありません。」
「この値段で出すということは、原価は一体幾らなんだ。考えられん。」
営業部長が呆れたように言った。確かにそうだった。今までのその会社の工作機械よりも若干安いという値段設定なのだ。
これだけの性能にも関わらず、その値段ということは――
「よほど材料が安いか、設計に時間をかけていないか、優秀なマザーマシンを安く仕入れたかのどれか――あるいは全てだろうな。」
帆場は悔しげに言った。場がどことなく沈む。暫くの間、言葉を発するものはいなかった。
その空気を嫌ったのは社長の和真だった。
「とにかく、このまま手を拱いて見ている訳にはかない。何ができるか、考えようじゃないか。」
幣原和真社長は力強く言い切る。そうだ、まだ勝負はこれからなのだ。
彼の言葉にその場にいた全員が頷く。会社を、従業員の生活を何としても守らねばならない。
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「番組をご覧の皆様、今画面に映っているのが当時としては画期的だった工作機械、"マジック壱号"発売時の広告です。」
男性アナウンサーの声が言い、古い新聞広告が大写しになる。テレビ画面右隅には「日本工業新聞・昭和十六年十二月十一日号」というテロップがあった。
古めかしい――だが、見方によっては質実剛健な旋盤が映っていた。画面はそれを利用している工場を撮影した白黒映画に変わる。
「この"マジック壱号"は直ちに量産され、中島飛行機――現在の富士重工や三菱重工などで航空機作成に活躍しました。
お送りしている映像は、中島飛行機での四式戦闘機"疾風"の製造工程です。」
画面を見ていた老人が感慨深げに言った。
「おお、これは中島の武蔵野工場じゃないか。あそこには飛行機受領にワシもよく行ったもんじゃ。
これはいつぐらいの映像かのう。昭和十八年じゃったらワシが映ってるかも知れん。」
青年はテレビに出てきた飛行機に素直に反応した老人を見てほほえましく思いながら応じた。
「本当に映ってるかもよ。右上に”昭和十八年六月”って書いてある。」
どれどれ、と老人が身を乗り出した瞬間に映像は終った。最近のテレビは年寄りに優しくない、彼はそう言うと再び番組に集中した。
「"マジック壱号"はたちまち市場を席巻し、高速旋盤の領域で圧倒的なシェアを獲得しました。」
画面いっぱいに2つの円グラフが映る。テロップには”市場占有率”と書いてあった。
唐津鉄工所、波多野精機や安達機械製作所といった名前が書いてあるところから見ても工作機械の市場占有率だろう。
左側の昭和十五年一月と書かれている円グラフには様々な色があるが、昭和十八年一月と書かれた円グラフには半数を超える領域がただ一色で塗りつぶされている。
"大転進"による変異と、"マジック壱号"がもたらした衝撃。この二つによって、当時の工作機械市場はただ一社に制圧されつつあったのだ。
「ここで生き残っているのは、当時の幣原機械製作所のように大胆な改革を行えた企業だけでした。
ほとんどの企業は旧財閥系等の大企業に次々と吸収されていき、業界はあらたな再編の時を迎えていたのです。」
女性アナウンサーの声に男性アナウンサーが続けた。
「当時の商工省、現在の通商産業省が進めていた”第一次五カ年計画”も影響を与えていました。
この計画では熟練工を大量に作り出そうとしていたため、この"マジック壱号"のように"壊れない工作機械"は大変重宝されたのです。
ですが、"マジック壱号"が大増産された影で、問題も出てきていました。」
彼が言い終わった後で画面が切り替わる。そこには様々な種類の機械が映し出されていた。
「こちらをご覧ください。一口に工作機械といっても、旋盤、フライス盤、中ぐり盤など様々な種類があります。
フライス盤などの工作機械は未だに満足に国産化されていませんでした。そして、"マジック壱号"は旋盤でしかありません。
結果として、"マジック壱号"を使っての作業のみが――旋盤作業のみが突出し、他の工作機械での作業は蔑ろにされていたのです。」
女性アナウンサーが続けた。
「そこに眼をつけたのが幣原社長でした。ですが、苦難はまだ続きます。続きを見てみましょう。」
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昭和十八年三月二十四日 幣原製作所 会議室
「そうか、試作フライス盤はまた駄目だったか・・・」
申し訳ありません、力が足りませんでした、そう肩を落とす開発責任者の帆場を幣原和真社長はねぎらった。
「いや、君達は良くやってくれている。それは良く判っている。
英米やドイツからの技術供与も無い以上、今あるものを参考にするという意味ではこれ以上は望めないだろう。
しかし・・・」
幣原はそこまでいうとため息をついた。
「もはや、旋盤では"マジック壱号"に太刀打ちする事は困難だ。工作精度しかり、耐久性しかりだ。
これを越えるための努力は必要だ。新製品を作らなくてはこのままではジリ貧になるばかりだ。」
その声を聴き、室内に居る全員が肩を落とす。このままでは、市場の拡大についていけず競争から脱落してしまう。
一年前に成し遂げた経営改革の効果もむなしくここまでなのか――
誰もがそう思ったそのとき、会議室の扉が乱暴に開けられた。和真は眉を顰めた。そこに居たのは若い工員だった。
実山とかいう名前だったはずだ。まだ若いが積極的で見所がある工員だという話は聞いている。
そんな人物が、この場に来るからには――
「会議中だぞ。よほどの重要用件なのだろうな?」
少し腹を立てたような声の彼に臆することなく、実山は手にしていた雑誌を突き出した。"国際写真新聞"らしい。
頁が開いたままになっており、そこには"新世界"の人物らしきローブを着た人影が大きな樽のようなものを背景に写っていた。
幣原は雑誌を眺めた。"同盟軍が誇る奇才・ワグナー博士の新発明、爆雷車!"と書かれている。
何やら大きな糸巻き車のような物体に爆弾を内蔵した自走兵器のようだ。興味深いが、重要な会議を中断するほどとは思えない。
だが、違和感がある。彼にはそれが何によるものなのかが分からなかった。幣原はその苛立ちも声にこめて実山に問う。
「これがどうしたというんだ?確かに画期的な武器なのかも知れんが、今の我々には何の関係も無いだろう。
実山は上気した表情で一点を指すと言った。
「社長、ここです!ここを見てください!」
彼は違和感の原因に気が付いた。そうだ、この背景に映っている、一見するとガラクタの山のように見えるもの。
だが、そのガラクタの山には何かのアームのように見えるものや先端が尖った錐のようなものもある。これは、まさか――
「間違いありません、これは工作機械です。しかも、我々の知らない種類の。」
実山は興奮冷めやらぬ声で言った。幣原は一筋の光明が見えた気がした。
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「ここにあるのは、その時実山さんが会議室に持っていた"国際写真新聞"と同じものです。」
白手袋をはめた女性アナウンサーがページをめくる。大写しになった写真に対し、番組内の会話を無視して老人が反応した。
「ありゃあ、パンジャンドラムじゃないか!いやあ、懐かしいのう。」
「”ぱんじゃんどらむ”?」
青年が首をかしげた。老人はにやにやしながら言った。
「うむ。ゼンマイ仕掛けの自走爆弾車じゃ。ロシモフ東部戦線とイーシア強襲上陸作戦では本当に活躍したものじゃ。」
「あんなでっかいのがゼンマイで動くってのは相当だな・・・」
彼は”ゼンマイ仕掛け”の方に反応した。老人が応じる。
「そうじゃ。もっとも、ミノタウロスでもないと巻けないのじゃがな。ワシもまいてみようとしたが、ピクリともせんかった。
確か、ハシフ=ハン国の王子が、あの国に伝わる太鼓”パンジャン”に見立てて名づけたのじゃ。」
だが、老人はすぐに我に帰った。そうだ、今はパンジャンドラムの話をしている場合ではない。
アナウンサーと実山は既に別の話題に移っている。番組に集中せねば、国営放送の受信料がもったいない。
「なるほど。」
女性アナウンサーはそういうと微笑んだ。なにが「なるほど」なのか、途中を聴いていなかった老人にはよくわからない。
彼は、おのれパンジャンドラムめ、と責任を奇想兵器に押し付けて精神の安定を図るとテレビを見つめた。
「それで、ワグナー博士が来日していただける事になった訳ですね。」
幸いというべきか、話題がちょうど変わっていた。女性アナウンサーが促すように実山に語りかけていた。
「ええ、ワグナー盤一式を持って、五月の初めには来社されました。」
「随分急なお話ですね。何が決め手だったんでしょう?」
「社長が"賄賂"を送ったんですよ。」
実山は笑いながら話した。
「和真さんは"カラクリ人形"を集めるのが子供の頃からの趣味だったようでしてね。簡単なものなら自分で設計できたんですよ。
当時の熟練工の方々が"若社長は中々見所がある"といっていたのもそれが理由だったようです。
それで、社長自らが作った"弓曳童子"の解説書と概要設計図を送ったらしいんですな。
”来社して工作機械の開発をお手伝いいただければ、詳細設計図も引き渡す”という文書をつけてね。
ワグナー博士が好むものを調べているうちに"歯車狂"だというのにたどり着いて、これならいける、そう確信したらしいです。
それを送ってから一ヵ月後に返事の手紙と一緒の来日でしたからね。驚きましたよ。」
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昭和十八年五月七日 幣原製作所 社長室
「社長!ワグナー博士が!」
総務課長が社長室の扉を開けるなりそう叫んだ。帳簿を睨みつけていた幣原は顔を上げると言った。
「落ち着きたまえ。ワグナー博士からの返事が来たのか?」
「いえ、そうではなくて――」
総務課長は幣原の背後にある窓を指差している。幣原は振り向き、そこにありうべからざるものを見つけて呻いた。
黄金色に輝くドラゴンが、何か大きな箱のようなものをかかえて工場前の広場に降り立とうとしている。
ドラゴンからは壮年と思しき男の声が聞こえていた。
「ドクトル・ワグナーただ今参上!ええい、そこをどくのだ!”手土産”が降ろせんではないか!」
上空には何機もの戦闘機とドラゴンが宙を舞っている。どう見ても臨戦態勢だ。えらいことになった、幣原は頭を抱えたくなった。
お騒がせしました、とんできた消防団と警察に向かって和真は頭を下げた。
彼らはぶつくさ言いながら工場から出て行った。幣原社長はそれを見送ると、騒動を起こした人物に向き直った。
そもそも日本語が通じるのだろうか、そう訝りながらも話しかける。
「ワグナー博士・・・とお呼びすればよろしいでしょうか。私が幣原和真、この会社の社長を勤めています。」
黒いローブを着た男は頷くと応じた。
「いかにも。私こそワグナー・マヌエル・ゴンザレス。呼び方は好きにすればよい。どうせ記号だ。」
脇に控えていた白面金髪、西洋女中のいでたちをした小柄な女性が続ける。
「そして私はワグナー博士の助手を勤めさせていただいております、ゴールドドラゴンのエスメラルダと申します。
・・・博士が色々とご無理を言うと思いますが、何卒よろしくお願いします。」
二人とも幣原の言葉を理解したらしい。騎竜士は日本語も読み書き出来るというのは本当のようだな。この分なら、通訳なしでも意思疎通が出来そうだ。
彼がそんなことを考えている間にワグナー博士は焦れたように言った。
「ああもう、堅苦しい挨拶はどうでもいい。私は"弓曳童子"の詳細設計図が欲しくてたまらんのだ。
まずは”新型工作機械”とやらを作ろうではないか。それが何かは良く知らんが、何とかなるだろう。早速はじめよう。
シデハラ君と言ったな。早速だが、あの"ワグナー盤"を設置できるような場所を用意してくれたまえ。」
エスメラルダはワグナー博士のわき腹を肘で強打する。苦悶の表情を浮かべて悶える彼を無視し、彼女は幣原に話しかける。
「失礼いたしました。博士は日本に着いたので興奮しているようです。それより、まずは何か飲み物をいただけませんかしら。」
長距離を飛んだので喉が渇きました、彼女は何事も無いかのようにそう言って笑顔を浮かべた。
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「ワグナー盤は、もともとワグナー博士が各種の歯車とそれに連動する部品を量産するために開発したものです。
様々な大きさの歯車、カムやシャフト、ボルトやナットに至るまで同一規格で一手に作るために生まれたのがワグナー盤です。」
男性アナウンサーの説明を女性アナウンサーが引き取った。
「ワグナー盤は、昭和十八年当時では最も高い精度での工作ができる機械でした。
日本でも輸入されて少数が工作機械を作る機械、いわゆるマザーマシンとして使われていたという実績があります。
しかし、その年の九月に幣原製作所が国産型を発売するまではどのメーカーも量産を行えませんでした。
それには理由があります。」
機械の内部が大写しになる。複雑な歯車機構中央部に、複数の脈打つ水晶とそれにつながる導線があった。
「これはワグナー盤の動作を制御する制御魔石です。当時の日本の魔道技術では、この制御魔石を作る事が困難でした。
当時のムルニネブイは産業革命前夜であり、まだ本格的な工業国ではありません。大量生産体制をとる事は出来なかったのです。
そのため、ワグナー盤を大量輸入するということも困難だったのです。しかし、ワグナー博士の来日がそれを変えました。」
テレビは国立科学博物館を写した。しばし建物の概観映像が流れた後、展示されている一台の機械がズームアップされる。
テロップには”国産初のワグナー盤(幣原製作所・昭和十八年)”と記されていた。
「先ほどもお話したとおり、こちらが日本で始めて生産されたワグナー盤、その一号機になります。
実山さんはこの一号機の生産にも携わっておられたのですよね?」
「ええ。でも、私はそれまで魔道工学なんて聞いたこともありませんでしたからね。
博士が何を言ってるのか判らず、随分と怒らせた事も多々ありましたよ。
ですが、完成したときの嬉しさはひとしおでしたね。今でもたまに夢に見るほど嬉しかったですよ。」
実山はにこにこしながら言った。男性アナウンサーは軽く頷くと言った。
「そして、九月に発売された国産ワグナー盤は大きな反響を呼びました。
航空産業、船舶産業や自動車産業などあらゆる製造業からの注文が殺到したのです。」
女性アナウンサーが何やら価格が書かれたフィリップを手に説明をはじめた。
「ワグナー博士は旋盤に使う資材を利用し、若干の魔法工学を駆使すればワグナー盤を生産出来るように工夫しました。
そのため、価格は幣原製の高速旋盤とほぼ同額だったのです。ワグナー盤の性能を考えれば相当に安価といえました。
また当時、商工省主導によりJES――日本標準規格、後のJIS規格が"第一次五ヵ年計画"により強制標準へと推し進められようとしていた事も見逃せません。
これに対応するためには、ワグナー盤のもつ精度と自由度がなければ工作が困難だったのです。」
男性アナウンサーが言葉を引き取る。
「日本の製造業全体に吹いていた追い風を上手く受けとめた幣原製作所は創業以来の売上を記録します。
しかし、ワグナー博士と幣原社長はそれだけで良しとはしなかったのです。続きを見てみましょう。」
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昭和十九年五月十四日 幣原製作所 ワグナー博士専用特設研究室
「見たまえ、幣原君!この跳躍こそが頭脳と魔力を鍛えるのだよ!」
ワグナー博士は靴の裏側にバネを取り付けた、いかにも怪しげな靴を履いて跳ね回っている。
博士が履いているのは、彼が去年ワグナー盤の国産化を行いながら開発していた”ワグナー博士の頭の良くなる靴”だ。
これは幣原が今年三月に立ち上げた子会社"幣原商会"で取り扱う事が決まっている。既にあちこちから引合が来ていた。
"幣原商会"は、ワグナー博士が日本で発明した商品の独占販売権を持つ会社である。事実上、彼専属の商事会社だ。
笑いながら跳び回っている彼を見て幣原社長は軽くため息をついた。一年経つが、まだあの人の事はさっぱり判らないな。
同じようにワグナーを眺めていたエスメラルダが幣原の心を読んだかのように言った。
「問題ありませんわ。二十年以上一緒にいる私にもさっぱり判らないのですから。」
ワグナー博士が来日してから一年が経った。ワグナー盤の量産型が発売されてからは九ヶ月になる。
幣原としては、ワグナー盤を国産化できただけでも非凡な成果であり、"弓曳童子"の詳細設計図を渡そうとしているのだが――
「いや、受け取るわけにはいかん。私はまだ約束を果たしておらん。」
博士はそのたびに固辞しているのだ。東京帝大とも共同開発を行うほどの天才を独占し続けるのは幣原といえども気が引ける。
ひとしきり跳ね回って満足したらしい博士は額に光る汗を拭き、その手ぬぐいをエスメラルダに渡すと続ける。
「私が約束したのは”新型工作機械”の開発だ。ワグナー盤は私の過去の発明であって、新型ではない。
日本でどうであるかというのは関係が無いのだ。幣原君、これは私のプライドの問題なのだよ。」
「では、少しは真面目に取り組めば良いのでは?博士が日本に来てから作ったものは本当に使えないものばかり。
”頭脳饅頭”だの”涙が出ないたまねぎ刻み機”だの”日本酒自動お燗お酌装置”だのを作る暇があるなら出来るはずですわ。」
手ぬぐいを洗濯籠に放り込んだエスメラルダが言った。博士は不機嫌そうに答える。
「・・・例に挙げたものに悪意を感じるぞ。東京帝大と一緒に”創世記機械”も開発しているだろう。あれは数に入らんのか?」
「まだ完成もしていないものを”発明した”と言い張るのはおこがましいと思いますわ。」
「すみません、その”創世記機械”というのは、一体どのような・・・?」
幣原は前から気になっていたことを尋ねた。軍機かも知れぬと思うと訊けなかったのだ。その質問にエスメラルダが答える。
「モーター、歯車やカムなどの機械部品と、制御魔石、各種水晶や魔方陣を組み合わせた新型の自律型魔道機械計算機です。
複数の数値を組み合わせた複数の計算を高速、大規模かつ自律的に行える最新鋭の機械。それが”創世記機械”ですわ。」
幣原は利用している姿を思い描こうとした。幾つかの数値と計算式を入力する。次にその通りの答えがでる。なるほど、それは――
彼ははたと気が付いた。数値を入力すると、そのとおりの答えが?彼は思わず叫んだ。
「それだ!」
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「そんな漫画みたいな話があってたまるか。いかにお話部分とはいえ、もう少し現実的に作ってほしいもんじゃ。」
老人が呆れた声を出した。番組では実山とアナウンサー達が何やら話している。彼はお構い無に続けた。
「こういうご都合主義かつ視聴者の誤解を招くような事を、天下の国営放送が行うとはのう。世はまさに世紀末じゃ。」
徐々に鼻息が荒くなってきた老人に対し、青年がとりなすように言った。
「爺ちゃん、そういう見方をするのはどうかと思うよ。もっと素直に見ようぜ?」
「ふん、連中の事はお前よりもワシのほうが良く知っておる。"月読計画"以来、五十年近い付き合いじゃからな。」
そこからひとしきり老人のテレビ業界に対する愚痴が始まった。
礼儀が悪い、口の利き方がなっとらん等から始まったそれは、次第に弁当が不味いだの控え室が寒いだのに変わっていく。
挙句の果てには昔のほうが綺麗な女性職員が多かったとまで言い出す始末だった。
はじめは真面目に聞いていた青年だったが、ただの年寄りの愚痴と気が付いてからは放って置いた。
長年この老人と付き合ううちに、こういう時は受け答えを行うだけ損だということを学んでいるのだ。
テレビの音声が碌に聞こえないが、それは我慢することにした。下手なことを言うと何に飛び火するかわかったものではない。
画面を見る限り、穴の空いたカードの束とマッチ棒のようなもので論理構造を作る仕組の説明をしているようだ。
彼はテレビに集中することにした。画面に集中すれば、なんとか意味は汲み取れる。
老人は青年の様子に気が付かないのか、やれ民放はどうの、衛星放送はどうの等と愚痴を言い続けていた。
言い疲れたのか一つため息をつく。だが、まだ言いたい事はあるらしい。
「毎年、月面着陸記念日や火星往還記念日の時だけ"大将、大将"と擦り寄ってきよるというのがなっとらんのだ。
人間、普段からの行いというのがだな・・・」
「爺ちゃんは予備役とはいえ大将なんだから、呼び方は仕方ないだろ?毎年その辺りだけは騒がしいのはホントだけど・・・
っていうか爺ちゃん、もしかして普段からテレビに出たいの?」
青年はようやく口を挟む事が出来た。老人はハッとしたように眼を見開くとテレビに視線を動かす。
「ほら、番組がいいところじゃぞ。時間は有限じゃ。無駄話をしている暇はない。」
老人はとってつけた様に言うとわざとらしく咳払いした。図星を突かれたが故の照れ隠しだろう。
青年は微笑むとテレビに向き直った。確かに、番組は佳境に入っていた。
ただし、老人の愚痴を真面目に聞いてしまったために肝心の部分はほとんど聞けていなかったが。
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「このように、実現までに当時としては非常に高い科学技術的、魔道工学的な壁がありました。
しかし、ワグナー博士と幣原製作所はその困難に立ち向かっていったのです。」
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昭和二十年三月十日 幣原製作所 ワグナー博士専用特設研究室
新型工作機械の原案を幣原が考え付いてから十ヶ月が経った。
相変わらずワグナー盤の販売は好調だ。工作機械の売上は、五年前――昭和十五年と比べると二十倍にもなっていた。
工場の規模もそれに応じて巨大になっている。もはや、町工場だったころの面影はほとんど無い。
財閥系の工作機械メーカーと比べても同じか優れるほどの設備を備えている。
工作機械のマザーマシンになりうるワグナー盤を作る立場なのだから当然ともいえるだろう。
唯一、篠原製作所が小さな町工場に過ぎなかったというの名残をとどめているのが、このワグナー博士専用特設研究室の周辺だ。
”気が散る”という理由で、博士が付近の改装を止めさせていたからだ。幣原社内でワグナーに逆らうものはそうはいない。
だから、その周辺だけはいまだに"大きな町工場"だった頃の雰囲気を残していた。
「また暴走したのか。・・・何がいかんのだ?」
研究室ではワグナー博士と幣原和真は黒い煙を吹き上げる”新型工作機械”の試作機を見つめながら途方に暮れていた。
これで何度目の失敗だろうか。幣原がそんなことを考えた時、エスメラルダが言った。
「これで通算九十七回目の失敗になります。三日に一度は失敗していますわね。」
幣原が閃いた”新型工作機”の概念は、帆場らの協力も得て現実性を帯びた計画へと落とし込まれていった。
穿孔カードでに施された切り欠きと孔を上手く使うことで機器に数値を伝え、細かいところを鍵盤で調整し、ワグナー盤を無人操作する。
文字にすればこれだけの事ではある。ワグナー博士は”カード式模様制御織機”を作った事がある。技術的にも蓄積のある分野だった。
実際、試作機もあっという間に――昭和十九年の六月七日、着想から僅か三週間――完成している。
しかし、そこからが長かった。最初の数分は問題なく動くのだ。だが、それを過ぎると――
「訳のわからない動きをした挙句、煙を吹いてとまってしまう、か。何がいかんのだろう。」
幣原は最初と同じ言葉を繰り返した。エスメラルダが口を開く。
「論理構造制御歯車の工作精度不足から魔力晶の不良まで、考えられる原因は三万二千七百六十七通りありますわ。
可能性が限りなく薄い二万八千四百三十一件を除外するのが適当と判断し、残りは四千三百三十六件。
そのうち現在までに四千三百十八件を調査していますので、あと十八件ですわね。」
何も見ないのに良くそこまで覚えていられるものだ。彼は関心した。
一度秘訣を聞いた事があるが、"ゴールドドラゴンならば当たり前のこと"とはぐらかされてしまっている。
今度機嫌の良さそうな時にもう一度聞いてみよう、現実から逃避するように考えたその時、彼女が口を開いた。
「幣原社長、まずは現実を見つめなくてはいけませんわ。」
幣原は呻いた。魔法で心を読んでいるわけではないとワグナー博士も保証してくれてはいるが、これは本当に心臓に良くない。
「具体的にはどんな原因が残っている?」
ワグナー博士が腕組みしながら尋ねた。エスメラルダは淡々と答えた。
「材料系が3件、工作系が7件、論理系が3件、魔法系が5件です。
順に申し上げますと、材料に残留している魔法の影響、採掘地の地脈の影響、大気成分との反応、工作系は――」
彼女は十八の原因全てを告げた。ワグナー博士は腕組みをしたまま首を傾げた。
「可能性が無いわけではないが、確率が低いものばかりだ。それに、もっと根本的な事を見落としている気もする。」
「どういう事ですか?」
同席していた実山が尋ねる。ワグナー博士を招聘の提案をした功労者でもある彼はこの計画への参加を許されていたのだ。
幣原が考えながら答えた。
「そうだな。あまりにも明白過ぎる事であるがゆえに逆に気が付かない場合もあるはずだ。
例えば、この機械に流している電圧が不足しているとか――」
「その可能性は三回目の時に指摘され、即座に否定されています。」
エスメラルダが口を挟んだ。幣原は苦笑しながら答えた。
「モノの喩えですよ。まあ、そういう当たり前の事があるかもしれない、そういう事です。」
最後の言葉は実山に向けたものだった。その言葉を受けた実山は考えながら言った。
「すると、例えばこういう事でしょうか?
”カードに記載されている数値と数式が間違っている”とか、”加工しようとしている資材がおかしい”とか。」
「そうそう、そういう事だ。」
幣原は満足げに頷く。だが、ワグナー博士とエスメラルダの返事がない。彼は二人のほうを見た。
二人とも青い顔をしている。何があったというのだろうか?
「カードに記された数値と数式が・・・間違っている?」
「機械自体の不良に気を取られ、加工している資材の可能性は検討していませんでしたわ・・・」
彼らは帳面を片手になにやら大慌てで計算を行い始める。数分後、お互いに出した結果を見せ合いながら猛然と議論を始めた。
日本人達は半ば呆然としながら彼らを黙って見ていることしか出来なかった。
結局、原因は実山が指摘した二つだった。
まず、カードに記載された内容は間違っていた。特定条件になると無限繰り返し条件が発生してしまうのだ。
その条件を作り出していたのが加工している資材だった。加工していたのは軟鉄だった。
だが、カードには鋼を工作するように指示が出ていた。このため材料判別論理で無限繰り返しが発生し、結果として暴走していたのだ。
彼らは一ヶ月でこの問題を修正した。五月に入り、工作機械は完全動作が保証できるようになる。計画関係者は祝杯を上げた。
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「紆余曲折の末、こうして完成した"数値制御式万能工作機"は昭和二十年六月に発表され、八月から量産が開始されました。
数値制御の英訳からNC工作機と呼ばれるようになったそれは、"国産ワグナー盤"以上の衝撃となって産業界に影響を与えます。
"第二次五カ年計画"が始まろうとしていた折でもあり、NC工作機械は瞬く間に全国の工場に広まっていきました。」
女性アナウンサーが実山に問いかけた。
「実山さんにとって、NC工作機の開発というのはどういうお仕事でしたか?」
「そうですね、今思い出しても活力が沸いてくるような・・・そんな、ワクワクする仕事でしたよ。
若い人たちにも、こういう思いをさせてあげられればいいな、そんな事を考えています。」
「判りました。実山さん、ありがとうございました。それでは、この映像を見ながら今夜はお別れすることにいたしましょう。」
男性アナウンサーの言葉と共に、どこか大きな工場が映し出される。エンディングテーマも流れ始めた。
右上のテロップには"幣原重工・八王子工場"とあった。男性の声でナレーションが入る。
"NC工作機械の登場により、日本の産業界は大きく発展しました。"
"はじめは穿孔カードと鍵盤の組み合わせだった数値入力も次第に電子コンピュータ化されていき、様々な派生型も生まれます。"
"現在で完全自動化された産業機械も登場しています。ですが、その最初の一歩は、勇気ある企業の挑戦だったのです"
音楽による盛り上げが最高潮に達し、タイトルでも流れたテロップ、”X計画 新型産業機械を開発せよ!倒産寸前からの大逆転!”が大写しになる。
老人と青年が余韻に浸る間、"完"の文字が画面を飾った。僅かな時間を置いて、次回予告のナレーションが始まった。
"極寒のロシモフ北限地域から灼熱の砂漠地帯、高山地帯を擁する大陸最西端のイーシアまで大陸を駆ける磁気浮揚鉄道、新幹線。"
"その影にはただひたすらに線路を引き続けた男達の物語がある。次回”X計画 大陸横断!"夢の弾丸列車"ひかり号!”お楽しみに"
次の番組は少年向け冒険活劇"潜行三千里"であったが、彼らはテレビの電源を落とした。
辻正信元首相の若い頃、暗黒大陸から西方大陸にいたる冒険譚を題材にした活劇を見るような気分ではないのだ。
彼等は家族の会話を大事にするために見ない番組の時間帯にはテレビなしで過ごす事を家族のルールにしていた。
「いやあ、途中のドラマ部分に若干のわざとらしさがあったが、まあ良い番組じゃったな。次も期待できそうじゃ。」
「そうだねえ、爺ちゃんが愚痴らなければもっとよかったけどね。」
「なんの事じゃ?覚えが無いのう。」
老人は斜め上を見ながらとぼける。祖父に憧れ、第二東大で宇宙工学を学ぶ青年はそれを暖かく見つめていた。
番組のわざとらしい構成に文句をつけていた老人、高梨隆将空軍予備役大将。しかし彼も"X計画"に巻き込まれることになる。
秋の大特集企画、有人月探査計画"月読計画"及び火星往還計画"神武計画"の特別回に当事者として出演する事になったのだ。
両方の計画で宇宙機の機長を務めたものは彼しかいない。よってその特集には不可欠な人物なのだが、それはまた、別のお話――
初出:2010年2月21日(日) 修正:2010年5月25日(火)