黒綿棒の世界 | 昭南疾風空戦録 サイドストーリー「大和は国のまほろば」

昭和十七年四月一日 海軍省

「大和を売ってくれ、というのですか?それは・・・」
ムルニネブイ国大使の訪問を受けた及川古志郎海軍大臣は戸惑っていた。
彼の困惑をよそに、ムルニネブイ国駐日大使サイモリル伯爵夫人はブルーアイズを煌かせて艶然と微笑んだ。
「ええ。今浮かんでいる大和とは申しませんわ。あれと同じ戦艦を、我が国の為に作っていただけないでしょうか。
 外務省にお尋ねしたところ、海軍省で話をするように言われましたの。ですから、こうしてお伺いした次第ですわ。」
外務省の無能者どもめが。こっちに話を回すとはどういう了見だ。及川大将はうめいた。

バレノア沖海戦での戦勝から一週間。
日比谷公園で連日続いていた提灯行列の興奮もようやく収まった三月十一日。
対米英戦争の為に秘密兵器として建造された大和級の秘密のヴェールが解かれた。
艦体は”大西洋の覇者”ビスマルク級を越え、その主砲は空前の46サンチ砲であることが明かされたのだ。

この公開には様々な理由があった。要点を纏めると三点になる。
第一には、国民の動揺を抑えるためだ。陸奥の爆沈は戦意高揚のためにあえて公開された。
しかし、”世界のビッグ・セブン”が沈められた事による国民の動揺は政府が予想したよりも大きかった。
これを抑えるために”日本には既に陸奥を越える巨艦が存在する”ことを示す必要があった。
第二には、もはや米英は居ない、という事実。
この世界には米英は存在せず、元の世界に戻ることも-ムルニネブイの学者の説が正しければ-ありえない。
であれば、その存在を秘匿する必要は無い。元々、米英に対策を立てられるのを防ぐために非公開にしていたのだから。
そして、最後にの目的は"新世界"国家に対するアピールであった。
"新世界"国家では、大口径な砲熕兵器を巨獣の化石から作り出しているという情報を得ている。
大日本帝国は、それを上回る兵器を科学技術力で、それこそ望むがままに作り出す力を持つ事を知らしめる必要があったのだ。

こうして、一部の反対意見を封殺して「大和の性能公開」は行われた。
そして、それだけの効果はあった。日本の国民は大和の性能に安堵のため息を漏らし、"新世界"の国家群は瞠目したのだ。
大協約に潜伏する同盟軍間諜の報告によれば、敵軍総司令部-"黒煉瓦"-の動揺は相当なものだという。
巨大化石を発掘しない限り、彼ら自身の手では大和を撃沈できる艦砲を作成できないのだから、この反応は当然であった。
政府の目的は十二分に達成されたといって良いだろう。

-しかし、これは予想していなかった。
及川大将は思った。よく考えれば当然のことだった。
敵対する国家の艦船よりも強大な艦船を作れる同盟国がいるならば、そこに建造を頼みたくなるのは道理だ。
日本がかつて英国に軍艦の建造を依頼していたように、ムルニネブイも日本に依頼しているだけなのだ。

サイモリル伯爵夫人は優雅な動作でティーカップを口元に運ぶ。
この世界にはそんなマナーは無かったはずだから、日本に来て覚えたのだろう。彼女は紅茶を飲むと言った。
「ジャクソンのアールグレイですのね。流石は元祖、ベルガモットのフレーバーが実に素晴らしいですわ。」
-なぜ、そんな事を知っている。英国人もそうだが、こういった面の皮の厚さでは貴族というのは大したものだな。
しかし、それと大和型の建造とは話は違う。彼は内心の動揺を押し隠しつつ言った。
「ありがとうございます。しかし、大和型の販売とは・・・簡単には行きませんよ。
 あれは我が国が国運をかけて建造したものです。建造費もそれなりに掛かっています。」
大和は一億三千万円を越える金額を費やしている。彼は具体的な建造費を相当に水増しした上で告げた。

及川が水増しした金額を-四億円という金額を告げられたサイモリルは、どこか安堵したように言った。
「ああ、良かった。実はどうしようかと悩んでいましたの。」
何が良いんだ?そう思った及川に彼女は言葉を続けた。
「本国からは、一隻十億円までなら出しても良いと言われていますわ。思ったよりお安いのですね。
 予算は二十億円でしたから、少なくとも四隻は揃えられるということですのね。ありがたいですわ。」
及川海軍大臣は耳を疑った。二十億?大和型四隻?何を言ってる、この女?・・・気は確かか?
このままでは話が一人歩きする可能性がある事に気が付いた彼は慌てた。青くなりながら言葉を探す。
「いや、しかし・・・そうそう、あれは意外と運用に手間が掛かります。定期的な整備が必要なのです。
 建造しても、御国の設備では整備もできないのではありませんか?」
「あら、そういった整備や改修は日本国にお任せする心算でしたわ。同盟国ですもの、何の心配もありません。
 それに、四隻あれば・・・二隻ずつペアを組んで二戦隊できますから、一つの戦隊が整備中でも残り二隻が稼動中。
 何の問題もありませんわ。」
彼女は腕時計-当然、日本に来て仕入れた代物だった-を見た。わざとらしく驚き、及川に告げる。
「まあ、もうこんな時間ですのね。そろそろ宮城に向かわないと。陛下との会見に遅れてしまいます。」
及川は驚愕した。この女、まさか-!
「及川大将、貴重なご意見ありがとうございました。大将のご意見を元に、陛下との会見で我が国に大和型”四隻”をお売りいただけないかお話してみますわ。」

話は戦艦だけではとどまらなかった。バレノア島沖での航空機の活躍から空母と航空機についても引合が来ていた。
-結局、大和型の"量産"とムルニネブイへの販売は、海軍の一部の反対を無視して行われることになった。
"大転進"後の世界で工業国家としての自立を目指す商工省-特に若手改革派-は、これを奇貨として利用することにしたのだ。
思いもしない特需に財界は色めき立っていた。情報が伝わるにつれ、各地で発電所や高炉が作られはじめている。
需要を先読みしているのだろう。数年前-中国と戦端を開く前までの景気が戻りつつあるかのようだ。
もちろん、商工省の思いだけで決まる事ではない。サイモリル大使が陛下との会談を行い、陛下が快諾した事も影響していた。
”この申出を断れば日本が完全に孤立してしまうことも予想される。"新世界"での孤立は、完全な滅亡を意味するだろう。
 国体どころか一人の国民も生き残らないことも予想される。日本に否と言う選択肢は残されていないのだ。”
陛下はそういう意味のことを木戸内大臣に告げた、という噂話もあった。
出所は限りなく怪しかったが、尤もらしい話でもあり、政府内では真実味をもって語られていた。

もっとも、そうでなくても国家予算の四分の一もの金額を提示されてしまっては抵抗する事は困難だ。
それに、ムルニネブイからの要求はさらに膨らみつつある。ほとんど一個艦体を作成するほどの注文になる勢いだった。
そして実際、彼らはその心算だった。”ケンペル岬沖海戦”で失った艦隊の復活を日本に依頼しようとしていたのだ。
このままいけば、総予算規模は百億円にも達するかもしれない。そうすれば-

「これで軍艦の建造技術も設備も格段に向上する。新造艦も問題なく作れるな。マル4もマル5も実現が見えてきた。
 マル5については戦艦と空母を多少増やさねばいかんだろうが、そこはマル6でもよいかもしれない。
 これが完成すれば英米の艦隊ごときに負ける気はしない。まあ、奴等と砲火を交わす事は永遠に無いわけですがね。」
及川古志郎大将が言った。海軍大臣執務室の応接セットの対面に座る男が口を開く。
「建造の為に必要な資源だけでなく、運用のためにも必要になるドックについてまでも彼らが資金を出してくれるとは。
 まあ、人足と技官も派遣するそうだから・・・ドック建造のノウハウが欲しいという思惑もあるのでしょうが。」
男はそう苦笑し、そんなことより、というと言葉をつないだ。
「それより一体、何の御用ですか。まさか大和量産の指揮をとれ、とでも?
 アレについては、この平賀が出来るようなことは何もありませんよ。松本喜太郎君あたりに声をかけるべきでは?」
平賀譲海軍技術中将は言った。言わずとしれた”造船の神様”だ。

「いえ、そういう事ではありません。大和のことは良いのです。その先、の事です。」
「先?・・・ムルニネブイが大和型を配備した後、という事ですか。」
平賀は目を細めた。及川は頷くと続ける。
「そうです。彼らが大和型戦艦を配備した後、我が国がいかにして軍事的優位を保っていくか。
 そのための新戦艦の計画を急遽作成する必要があります。平賀中将、是非お手伝いいただけませんか?」
「46サンチ砲戦艦を圧倒する戦艦、ですか。・・・61サンチくらい積んでみますか?」
魚雷と同じ口径の艦砲ですか、及川は苦笑するとつぶやいた。
「かつて、英国人も同じような気分を味わっていたのでしょうか。フィッシャー提督の気持ちが少しわかった気がします。
 ドレッドノートを建造した後の彼も同じ気分だったのでしょう。"新世界"に来て、はじめてそんな事を思いましたよ。」

大和型戦艦の量産にともなう工業力の再編。
それは造船業や鉄鋼業のみならず、電子産業や化学産業など様々な分野に多大な影響を与えた。
結果として日本の重工業の発展に大きく寄与することになり、及川の行動は後世では実体以上に評価されることが多い。

しかし、日本海軍の戦力に与えた影響はより大きい、そう言えるかも知れない。
大和型の量産-それは、61サンチ砲を搭載した最強の戦艦”但馬”建造の大きな切っ掛けとなっていたのだから。
大艦巨砲の王、”但馬”。その活躍については、また別のお話-

初出:2009年12月23日(金) 修正:2010年1月10日(日)

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