東方暦1565年12月2日 トーキョー

冬の弱弱しい太陽がその姿を消したのはほんの数分前。
日が落ちる前からつけられていた、気の早い街の明かりがその存在を主張しはじめていた。
一人の老人が柱に取り付けられているその灯りを感慨深げに眺めている。
彼の見ているその灯りは、蝋燭によるものでも夜光虫によるものでも、ましてや魔法によるものでもなかった。
――"デントー"とかいうこの灯火も、随分と見慣れたものになった。これはこれで、なかなか味がある。
  魔力を使わないというのも中々良いものだな。
しかし彼が感慨にふける事が出来た時間はそれほど長くなかった。先行していた数名の若者が彼を急かしに戻って来たからだ。
「長老、早く行きましょう。久しぶりにトーキョーに戻ってきたのです。さあ、あの店に行きますよ。」
若者の一人はそういうと老人の手を引く。よほど急いているのだろう。
「わかっとるわい。全く、おぬし等は食い物と酒しか興味がないのか。全く、最近の若い者はなっとらん。」
ドワーフ氏族の一つ"アンドレアス"族の長老、レネ・フリントロックはぶつぶついいながらも若者達の後に続く。
そうしながら、彼は空を見上げて雲にかかる月を見つめた。
故郷で見るのと変わらぬそれを見ながら、レネは若者達に悟られないようにため息をついた。
――しかし、世界の反対側、か。思えば遠くへ来たもんだ。全く、人生というのは何がどうなるか判らんものだ。

レネは六人の"アンドレアス"族の若者たちと共に探鉱を行っていた。
彼らは元々ニホンに来る予定ではなかった。五年前、ムルニネブイのキニョネス商会の依頼によりロシモフ東方に来ていたのだ。
その依頼を見事完遂した彼らは帰国しようとしたがそれは出来なかった。西方大陸と――大協約との戦争が始まっていたのだ。
困惑していた彼らに手を差し伸べたのがニホン政府だった。丁度腕のよいドワーフを探している最中だったのだ。
とんとん拍子で話が進み、レネ達がニホンについたのは今年の二月のことだった。以来、ニホン国内を飛び回っていた。
彼らが上げた最も輝かしい成果はカゴシマのヒシカリで発見した金山だろう。品質と埋蔵量は群を抜いている。
ニホン側担当者は驚喜し、彼らに契約外の金一封を差し出したほどだ。

とはいえ、レネ達は全く満足してはいない。実際、この程度の発見は彼らにとっては児戯にも等しいものだ。
――過去に貴金属が出ていた鉱山の周辺に大規模な鉱山があるのは当然だ。
  まあ、確かに人間にはわからんかもしれんが、ゴファノスの金床にかけて、ワシ等には簡単すぎることだ。
  ワシ等にしか出来ない仕事をせねばならん。そうしなければ、この国に呼ばれた価値がない。
レネはそう思っていた。

「くはあっ、うまいっ!実にたまらん。ニホンのビールは実に美味い。」
レネはジョッキを机に叩きつけるように置きながら言う。見事な装飾の入った金属製のジョッキにはビールが満たされている。
このジョッキは透かし彫りも象嵌もレネが自ら行ったものだ。彼はこれをイーシアから持って来ていた。
ドワーフにとって酒を飲む器は重要な意味を持っている。自らの職人としての腕を示す重要な"工芸作品"なのだ。
器の製造から装飾まで全て行う事が成人の儀式の一つであることからもそれが伺える。
レネの器はとても見事なモノだった。これだけの器を作れるものは、彼の氏族では彼一人だろう。
若いドワーフはその器を羨望の眼差しで見つめ、ため息を一つついてからレネに向って言った。
「フリントロック老、いつ見ても立派な器ですな。とても私には作れそうにありません。」
レネは若者に向きなおった。
「モーリス、お主はまだ若い。たったの八十八歳ではないか。ワシがこの器を作ったのは百二十四歳の時じゃ。
 あと四十年はある。まだまだ幾らでも修行できるではないか。諦めるでない。」

彼はそう言うとジョッキを傾け、黄金色の液体を流し込んだ。炭酸が喉に心地よい。
天井を仰ぐように頭を傾け、器の中に入っている最後の一滴までを飲み干す。
頬を膨らませて大きく息を吐いたレネは満足げに頷いた。
「故郷の黒ビールとは違って、ニホンのビールはムルニネブイ式で黄金色なのだな。
 まあ、それはともかくこの”エビス”とかいうのは中々美味い。それに何より――」
彼は髭についた泡を一ぬぐいしてから皿に盛られた何かをハシで掴む。
ニホンに来たばかりのときは扱いにくくて仕方ないと思ったハシだったが、今では指のように扱うことが出来るようになっていた。
「この餃子との相性が最高じゃな。ゴファノスの金床にかけて、これ程の組み合わせはこの世にあるまいよ。」

彼は餃子を口に入れる。小麦粉で作られた香ばしい皮を噛み切ると中から肉汁と脂が染み出してくる。レネは目を細めた。
「豚肉の芳醇な甘みと香草の風味が絶妙じゃ。とはいえ、食べ続けているとしつこさも出てこよう。
 そこで、この黄金色のビールを――」
彼は瓶からジョッキへとビールを注ぐ。丸々一本注いだが、ビールは器の半分までしか届いていなかった。
若いドワーフがもう別な瓶を渡す。レネは頷いてもう一本をジョッキへ注いだ。
縁から溢れそうになったのを見た彼は慌てて口をつけてこぼれそうになった泡を啜る。
少し酔いが回ってきたのかもしれない、そう思いながらジョッキを高く掲げて高らかに言う。
「このビールを流し込む。いやあ、最高じゃな。この瞬間のために働いているといっても過言ではなかろうよ!」
レネの言葉にその場にいた全てのドワーフが頷いた。

”いざドワーフの子らよ 栄光の日は来た! 我等に向って暴君の、血塗られた軍旗は掲げられた!”
結局、ドワーフのたっての願いで"本日貸し切り"の札が掲げられる事となった丸藤軒。
店内では六人の若いドワーフが肩を組み、イーシア共和国国歌が高らかに歌い上げられている。

――本来であればこの歌のように国に帰って戦いたいに違いない。
  ワシなんぞについてきたばかりに、かわいそうな事をしてしまった。
平均年齢八十五歳という、まだ若いドワーフたちを見ながらレネは思っていた。
どの顔を見てもまだまだだ。一人前に髭こそは生えているものの、まだその目には老獪さが足りない。
節くれだった手に刻まれた火傷の跡や腕に残る切り傷も、それがある事自体が半人前の証拠だとすら思っている。
彼が感慨にふけっている間にも国歌は最終節に入っていた。
”我等は気高き誇りを胸に 我等は戦士とともにあり 彼ら仇を討たんがために!”

戦いに赴く戦士たちを鼓舞するために作られた国歌を歌い終わった若者達は腰をおろし、ビールで喉を湿らす。
「まこと、運命というのは不思議なもんじゃなあ。」
レネは微笑みと共につぶやくように言った。その声に応えるように、一人の若者が応える。
「全くですな、フリントロック老。しかし、私等はいつになったら国に帰れるのでしょうか。
 国では女子供も地下に立てこもって大協約の人でなしどもと戦っているというのに、我等ときたら」
彼はそこまでいうとハシを器用に操って餃子を皿から口に運んだ。
「この餃子とビール、それからラーメンにうつつをぬかしておる始末。フリントロック老、自分は悲しいのです。」
若者はそう言うと滂沱の涙を流し、ずるずると音を立ててラーメンを啜った。

レネはため息をついた。このモーリスは優秀な男だが、酒が入ると泣き上戸になっていかん。しかし放っておくわけにもいかない。
「いずれにしても、この日本で探鉱を行う事。これが、今ワシ等にできる全てじゃ。ワシ等の戦場じゃな。」
老ドワーフが言った。湿っぽい表情を隠して続ける。
「にしても、このラーメンと餃子というのは素晴らしいのう。」
それを聞いた丸藤軒の親父は照れくさそうにしている。レネは声を張り上げた。湿っぽくなるのはごめんだ。
「餃子とラーメン、六人分追加でたのむぞい!あと、サケも持ってきてくれ!今日は久々に飲むぞ!」
あいよ、威勢良い返事を聞きながらレネはビールと湿っぽい空気を共に喉の奥に流し込んむと、自らを鼓舞するかのように叫んだ。
「皆、本気のドワーフの食欲を見せてやろうぞ!店にある全てのビールを飲み干し、餃子のタネが尽きるまで食ってやろう!
 親父さん、店じまいの準備をしておけよ!」

昭和十七年十二月十四日 東京市

――まったく安田中将は無理ばかり言う。
理化学研究所に所属する科学者、仁科芳雄は思った。確かに、陸軍にウラン爆弾について進言したのは自分だ。
”戦争に勝利するためには新型爆弾の開発が欠かせない”という理屈も判らないでもない。
海軍経由で研究をしていた京都帝大の荒勝教授とも協力することになるなど、研究のためのお膳立ては整ってきている。
核物理応用研究委員会というのがそれだ。現在は濃縮方法についての議論を行っている最中だ。
仁科達理化学研究所組は熱拡散法を、京都帝大組は遠心分離法を押しているという違いはあるものの、全体の進みは悪くはない。
別々に行っていた基礎研究の成果を比較できるというだけでも随分楽になった、そう思っている。

――しかし、試料となるウラン鉱石を入手するあてがどこにもない状況ではこれ以上研究を進めるのは難しい。
  備蓄分だけではどうにもならない。少なくとも、爆弾を作るような量にはならないだろう。
今までは"旧世界"の鉱山、チェコやアメリカといった鉱山から掘り出されたものを利用していた。
だが、この"新世界"にはチェコもアメリカもない。今ある分を使ってしまえば、それで終りだ。
国内でマトモに採掘できそうなのは福島の石川山くらいだが――

――あそこのサマルスカイトはウラン含有率がそれ程ではない。
  そもそも採掘の手間がとんでもなくかかる。今から始めたとしても、目標の一トンまで溜めるのに何年かかることか。
仁科はため息をついた。とにかく、試料がないという状況を安田中将には理解してもらわなければ。
そんな事を考えながら歩いていた彼は"名物餃子"ののぼりを見つけた。
そういえば朝から何も食べていなかったな、そう思った瞬間、急に空腹を覚える。
人間というのは実に単純に出来ている、彼は苦笑すると”丸藤軒”と書かれたその店の暖簾をくぐった。
「餃子定食を一つ。」
あまり背の高くない椅子に腰掛け、早々に注文をするとこじんまりとした店内を眺め回した。
値段を書いた色紙や怪しげな提灯が飾られている中に、一つ場違いなモノが飾られている。黄緑の蛍光色に輝く虎のガラス像だ。
これは、もしや?仁科はある事に気が付いた。その表情に気が付いたのか、店主が鉄板で餃子を焼きながら言った。
「ああ、この前ドワーフの一団が財布がカラになるまで飲み食いしましてね。いらないって言ったのに置いていったんですよ。
 何でも、朝日を浴びると輝くのだそうで。”暁の涙”とかいう、彼らに長く伝わる製法のガラス細工らしいです。」
これを聞いた仁科は顔色を変えた。間違いない。彼は席を立ち、勢い込んで店主に向って言った。
「これをもっていたドワーフというのに是非会わせて貰えないだろうか?」

東方暦1566年6月24日 ロシモフ東方辺境

「ここがそうじゃな。」
ニホン人を案内してきたレネはそう言って立ち止ままり、彼らの表情を伺った。
涼しい顔をしている者達と疲れきっている者達に綺麗に分かれている。
――軍人と学者の集団との話だったからな。疲れている方が学者様に違いない。彼らはもう少し運動したほうが良いだろうな。
  しかし、たかが暁星鉱のためにわざわざこんな大人数で来るとはどういう事だ?

昨年の暮れ、レネ達はニシナと名乗る学者の訪問を受けていた。その手には"暁の涙"で出来た、見覚えのある虎の細工がある。
飲食代としてあのラーメン屋においてきたものだ。驚くレネをよそにニシナは"暁の涙"の製法を尋ねる。困惑しつつも彼は答えた。
「暁星鉱というのがあってな。それをほんの少し混ぜるんじゃ。どのくらい混ぜるのかは・・・まあ、秘密じゃ。」
ニシナはその回答を聴いて満足げに頷く。誰でも知っているような回答で何を納得したのか、レネにはさっぱり判らなかった。
「その鉱脈というのは、ニホンの近くにもありますか?お国にしかありませんか?」
「ああ、いや。ロシモフ東方辺境にもあるぞい。何を隠そう、わしらはそれを探しておったのじゃ。
 そうしたらこの戦争でかえれなくなってな。」
その言葉にニシナは飛びあがらんばかりにして喜ぶと、早速連れて行ってくれるように頼んだ。

――生憎、真冬にこれない場所じゃったから今まで待つ羽目になったが・・・
  まずは、喜んでもらえたようでよかった。ワシ等の仕事も、無駄ではなかったという事か。
レネ・フリントロックは満足げに頷いた。

昭和十八年七月四日 理化学研究所

「間違いありません!酸化ウランです!」
ロシモフから届いた試料の分析をしていた若い研究員が嬉しげに声を出す。仁科は安堵のため息をついた。
――良かった。これで研究が続けられる。あのラーメン屋であの”暁の涙”を見つけていなければ大変な事になっていた。
  ドワーフ様様、いや餃子様様と言ったところかな。
あの日、彼が見つけた”暁の涙”、それと同じものが"旧世界"にもあったのだ。
ヨーロッパのボヘミア地方を発祥の地とするそれは、英語では"ワセリンガラス"――ドイツ語では"ウランガラス"といった。
原料のガラスに極少量のウランを混ぜることによって、紫外線を浴びると緑色に輝くのだ。
夜明け前の空も同じように紫外線が満ちており、やはり緑色に輝く。"新世界"での”暁の涙”の名は、ここから来ているのだろう。
――ともあれ、これで研究が続けられる。この爆弾が実用化されれば、無益な戦争は終るはずだ。
仁科はそう信じて疑わなかった。

確かに彼の考えは間違いではなかった。
ドワーフの精錬技術、ロシモフの魔法学、ムルニネブイの魔道工学と日本の科学力が結集された新型爆弾。
それは五年後に実験弾が作成され、"Z飛行機"富嶽試作二号機と共に戦争終結への重要な役割を担うことになる。
戦後、仁科博士はそのことを後悔する事になるのだが、それはまた、別のお話――


初出:2010年5月16日(日) 修正:2010年5月25日(火)

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