昭和十七年八月八日 東京市内某所
その日は暑かった。
雲ひとつ無い空に輝く太陽は容赦なく光を浴びせているし、絶え間ない蝉時雨が暑さをより際立たせている。
そんな中、秘密裏に東京市の某所に集められた者たちがいた。政府要人と陸海軍の高官たちだ。
彼らに対して演説を行っている男がいる。中島飛行機社長、中島知久兵である。
中島はなにやら分厚い冊子をめくりながら話をしていた。そこには巨大な飛行機が描かれている。
演説は佳境に入っていた。中島は汗だくになりながらも声を張り上げた。
「以上のように、この戦争を勝利に導くために、本計画は必要不可欠なのであります。ご清聴ありがとうございました。」
彼の言葉が終わり、まばらな拍手が起きた。それが収まったとたんに会場の一部から声が上がる。
「必勝の策とはいえ、これはあまりに――」
陸海軍の高官たちがあからさまに不審の目を向ける。中島知久兵は自信に満ちた顔で答えた。
「いや、この戦争に勝つには敵の首都を叩くより他にありません。これしか手は無いのです。」
彼の手元にある書類の表紙は”Z機計画”と読めた。
中島知久兵はこの計画を思いついたのは昭和十六年十月、つまり横須賀空襲よりも前だった。
軍部や政府との繋がりから"新世界"へ"転進"した事を事前に掴んでいた彼は、早晩戦争に巻き込まれることを見抜いていたのだ。
人間のやる事などどの世界でも変わらん、そう言っていたとも伝えられている。
彼はすぐさまその戦争で勝利し、この"新世界"で確固たる地位を築くために必要な飛行機の検討を始めた。
"転進"が一般に明かされたその日に横須賀が奇襲された事で彼はそれを早期実用化することを決意し、そして――
「高度一万五千メートルを、二十トンの爆弾を抱えて一万五千キロ飛ぶ。これを実用化するしか、手はありません。」
そういって中島は自信ありげに頷いた。
「中島さん、貴方の国を思う気持ちは判ります。しかし、これは――」
中島に対して海軍の制服を着た男が不審気な顔で何か言いかけたが、それは禿頭で眼鏡を掛けた陸軍大将にさえぎられた。
「素晴らしい。この東條も今次大戦を勝利に導くためには敵国を直接叩く以外は無いと考えていた。
何より中島さんの案は具体的である。この計画を実現しなければ我等に勝利は訪れません。」
彼はそういうと立ち上がり、拍手をはじめた。東條の周りに居た者達も立ち上がり、ため息混じりながらも拍手を始める。
やがてそれは会場全体に広がっていった。万雷の拍手の中、東條英機首相は中島知久兵社長に握手を求めた。
一週間後、中島を委員長として陸海軍大臣も参加するZ機計画委員会が発足する。ここから、各方面に波紋が広がる事になる。
昭和十七年九月四日 中島飛行機三鷹研究所
「九月だというのに、まだまだ暑いな・・・」
三鷹駅からも見える巨大な建物に向いながら戸田康明は呆れたようにつぶやいた。
"前の世界"と"新世界"では気候に差は無いとされていたが、少なくとも彼には今年の暑さは異常に思えた。
彼は発動機の冷却に関する権威だった。彼は"栄"二○型の冷却問題を論理的に解明し、学位も受けている。
いわゆる"物理屋である彼は、この暑さもフィンか何かで冷却できればいいのか、そんな他愛も無いことを考えた。
――いや、暑いのは気候のせいではないか。この仕事と、中島大社長のせいだろうな。
戸田はそう思い直す。彼は去年の年末に田中清史発動機設計主任と交わした言葉を思い返していた。
「とにかく、でかい飛行機を作らなきゃならんのだ。」
田中は戸田のいる研究部にふらりとやって来て開口一番そう言った。
「ははあ、でかい飛行機ですか。」
机に向っていた戸田はその声に振り向き、とりあえず返事をした。彼と田中は"護"や"誉"の時に一緒に仕事をした事がある。
少なくとも適当なことを言う人間でないことは良く知っている。そんな田中が、こんな大雑把なことを言うからには――
「その様子では大社長がまた何か言ったんですな?」
田中は頷くと中島の物まねをしながら言った。
「とにかく、主翼スパンが百メートルあって、百機の機銃を積んで、一万メートルの高空を一万海里飛ぶんだ。
これがあれば戦闘機百機分の戦力に勝るはずだ。エンジンは五千馬力が六発で三万馬力だ。」
戸田は黙り込んだ。確かに気宇壮大ではあるが、色々と無理がある。その姿を見た田中が続けた。
「とにかく、この戦争を終らせるためには必要な機体だ、と社長は考えているようだ。
だが、当然のことながら機体の設計よりも先にエンジンの実用化は終っておかないといかん、という事で――」
「ここへ来た、と。判りました。でも田中さん、今回のエンジン開発は簡単にはいきませんよ?」
――結局、一から全部開発しなければならないからな。先は長い。
今までのエンジン開発においては、欧米から何がしかの情報を得る事が出来た。
しかし、五千馬力ものエンジンともなればそもそも欧米でも例が無い。この"新世界"でどうかなどとは言うまでも無い。
四列三十六気筒という構想は固まっていたものの、これから先にどんな問題があるのかは見当もつかない。
田中がやってきた直後――今年の一月から概要設計を固めはじめたとはいえ、問題は山積している。
"五千馬力を一馬力も下回ってはならない"という中島知久兵の言葉を思い出しながら、戸田は三鷹研究所の敷地に入っていった。
昭和十七年十月二日 川西航空機 社長室
「・・・調達中止!?どういう事ですか!?」
突然の事に菊原静男技師は突然の事態に戸惑いを隠せなかった。
彼が心血注いで設計した水上戦闘機――制式採用の暁には"強風"と命名される予定と聞いていた――は画期的な性能を誇っている。
確かに現行の陸上戦闘機に比べれば劣るところもあるが、一世代前の戦闘機とは互角以上に戦えるだろう。
半年近くも前に初飛行も終えている。あとは発注を待つばかりであったのだが――
川西龍三川西航空機社長は菊原に向って言う。その顔には苦悩が刻まれていた。
「・・・水上戦闘機を使う理由が無くなった、そういう事らしい。
判らん話ではない。水上戦闘機が使えるような島嶼での航空戦闘という想定がほぼなくなってしまったからな・・・」
そこまで言って川西社長はため息をついた。大きく息を吸い込んでから続ける。
「戦闘機を製造するのはわが社の長年の悲願でもあったのだが、今回はかなわなかったな。
だが、それはいい。問題は、これがわが社の経営にも大きく影響を与えるという事だ。」
それは菊原にも判った。海軍からの水上戦闘機発注が消えたからには、何らかの代替手段をとらねばいけないだろう。
だが、彼にもわからない事があった。彼は正直に思うところを言う。
「それは理解できます。しかし、私はただの技術者で経営には全く詳しくありませんが・・・」
川西社長は微笑んだ。
「大丈夫だ、君に経営を考えて欲しいわけではない。ただ、ある種の飛行機をわが社が作れるのか、それを教えて欲しいのだ。」
「どのような飛行機でしょうか?」
菊原の問に対し、川西は説明を始めた。
「この状況において、軍用機の分野で我々が取りうる手段は二つある。戦闘機を作るか、爆撃機を作るかだ。
需要が見込めるのは戦闘機だし、私も戦闘機を作りたい。だが、まずはこれを見て欲しい。」
彼はそういうと引き出しから資料の束を出して机上に放り出す。菊原はその表紙に書かれている文字を読んだ。
「・・・"Z機計画"?」
思わずつぶやいた菊原に川西は頷く。
「陸軍サン経由で入手したものだ。読んでもらえれば判るが、要するに空前絶後の巨大爆撃機構想だ。
この戦争における、日本の切り札になる存在という位置づけで・・・陸海軍あわせて300機を越える発注が見込める。
・・・もし、これに匹敵、あるいは凌駕する性能の飛行機をわが社で作ることが出来れば・・・」
川西の言葉を聞いた菊原は"Z機計画"の資料を手に取った。
昭和十七年十二月三十日 萱場製作所
萱場製作所で一番広い会議室の机には仕出料理が並んでいる。この日は航空機部門の忘年会だった。
「今年は無尾翼グライダーが海軍の標的機として制式採用が決まるなど、萱場航空機部門にとって非常に良い年でした。
だが、これに奢ることなく突き進み、最終的には無尾翼戦闘機の実現までこぎつけたいと考えています。
・・・長い話はこれくらいにしましょう。それでは、みなさんご唱和ください。乾杯!」
萱場資郎社長の声に続いて乾杯の大合唱が起きた。
「いや、忘年会が出来るような景気でよかったですよ。」
ざわつく会議室を縫うようにして歩いてきた無尾翼グライダーの試験飛行士、島安彦が萱場社長に話しかけた。
皆が酒を飲み、料理に舌鼓を打っているのををにこやかに眺めていた萱場は上機嫌な表情でそれに応じる。
「そうだな。去年の六月の時点ではこうなるとは思わなかった。物事、何がどうなるかはわからないな。」
「捨てる神あれば拾う神あり、ですね。」
萱場の無尾翼グライダーの命運は、本来であれば昭和十六年のうちに尽きるはずだった。
しかし、萱場式カタパルトの性能確認の為に海軍空技廠の人間が来社した際に偶然このグライダーを見たことで事態が変わる。
発動機不要、極めて簡単な構造による高い量産性等に注目した海軍は萱場の無尾翼機を標的機として採用する事を決めたのだ。
「だが、まだ道のりの半分にもなっていない。発動機付きの飛行機にもなってないし、何より大型機の分野はまだまだだからな。」
「仕方ありません。実験のためには長大な滑走路が必要ですが、そんなものは我々では用意できませんから。」
島の声に萱場は悔しそうに言った。
「そうだな・・・。その辺りの目処が立てば、わが社も"Z機計画"に名乗り出れるのだが・・・」
「大陸をまたいで飛ぶ巨人爆撃機計画ですか。噂は聞いています。確かに、我々が大型機でやろうとしている事と重なりますね。」
萱場社長にそう答えた島は味噌汁を取ろうとした。その時、彼の目の前においてある味噌汁を入れた椀がほんの少し動く。
「ありゃ・・・味噌汁に嫌われた。」
何気なく島がもらしたのその言葉に萱場はにこやかに言った。
「ああ・・・何、簡単な科学で説明できることだよ。熱と空気と摩擦抵抗の問題だ。
結露した水で汁椀と机の摩擦抵抗が少なくなり、味噌汁の熱気で糸底の空気が暖められて膨らんで椀を押し上げて・・・」
彼はそこまで言うと口を閉じた。抵抗が少なくなったところに、空気が膨らんで押し上げる・・・?萱場社長は突然叫んだ。
「これだ!」
昭和十八年八月八日 東京市内某所
「えらいことになったな・・・」
誰かがつぶやく声が静まりかえった会議室に響く。中島知久兵は手元に置かれた三部の異なる仕様書に目を落とした。
彼が"Z機計画"構想をぶち上げてから丁度一年が経った。その間に彼が想像しなかった事態が起きていた。
当初は中島飛行機だけで設計を行っていたが、十月下旬に川西が、そして今年の一月に萱場が独自案を持って名乗りを上げたのだ。
その結果がこの三部の仕様書――各社がそれぞれ独自に設計を行った"Z計画機"という事になる。
川崎航空機や立川飛行機も"Z機計画"に準拠した計画を纏めつつあるという。
「こうしていても始まりません。まずは各自、忌憚のない意見をお聞かせいただきたい。」
場の微妙な空気を察したのか、この計画の熱心な推進者である東條英機首相がとりなすように言った。
「正直なところを言えば、川西航空機の案が一番手堅いのではないかと思う。」
商工大臣の岸信介が言った。
菊原技師が纏め上げた川西航空機の"Z機"案、社内呼称に従うなら"K-100"は無理をしてない機体だった。
航続距離二万四千キロ、高度一万二千を飛行し、爆弾搭載量は二トン。これを四発の発動機で飛ばす。
"Z機計画"の要求性能に比べて爆弾搭載量は著しく劣るものの、航続距離については五割増になっている。
東京帝国大学航空研究所の協力もあり、どこにも無理の無い機体に仕上がっていた。既に風洞試験も終えている。
それに何より――
「技術的なところを詳しく抑えているわけではないが、発動機にしても機体設計にしても堅実なものに見える。
航空機に詳しいものにも見てもらったが同じ意見だった。」
岸が気に入っているのはこの点だった。
「爆弾搭載量が少なすぎる。たった二トンでは・・・」
永野修身軍令部総長が言った。彼は委員会の構成員ではないが、海軍から参考人としてこの場に立ち会っている。
「永野さんは"たった二トン"と仰るが、ここは"二百五十キロ爆弾八発"と考えていただきたい。
仮に二十トンの爆弾搭載量と仮定すればこの十倍、八十発です。十機いれば八百発にもなります。
一個飛行隊にも満たない数で、機動部隊が一回の海戦で消費するよりも多くなるのですよ?補給はどうするのです?」
岸は反論する。仮にこの"Z機"を定数――五十以上も揃えたとすれば、一回の戦闘で四千発異常も消費するのだ。
"新世界"との交易が好調で景気拡大が続いているとはいえ、この数値は浮世離れしている、彼はそう思っていた。
黙り込んだ永野軍令部総長を横目に、海軍大臣の嶋田繁太郎大将は岸に反論する。
「確かに二十五番、二百五十キロ爆弾と考えればそうだ。だが、爆弾は最大限積まなければいけないという訳でもないだろう。
それに爆弾はこれからも大型化していく筈だ。この機体案では、例えば十トンある爆弾は搭載できまい。
その点、中島の案は優秀だ。」
中島飛行機が出してきた素案は航続距離一万七千キロ、爆弾搭載量は二十トンとほぼ"Z機"の要求性能どうりの数値だった。
もっとも、"Z機計画"の提唱者が社長を務めている企業が出してきた案なので当たり前とも言える。
その大きさも尋常ではない。機体寸度は全幅で六十メートルを越える。川西の機体案よりも、優に二周りは大きい。
これを六発の五千馬力発動機で時速六百キロ以上で飛ばすという非常に野心的な計画だった。
だが、野心的であるが故に問題も多い。
「そもそも、五千馬力を発揮する発動機が無いでしょう。」
岸の言葉に中島飛行機を代表して出席していた田中は反論した。
「いえ、発動機は何とか目処がつきました。おそらく、来年には動作するものが作れるはずです。」
「希少金属をふんだんに使い、複雑な冷却機構を組み込んだ"芸術品"として、だろう?
それに航空機開発の定石は"新機体には実績ある発動機"を組み合わせる事ではないか?」
商工大臣のこの指摘に対して、田中は反論する言葉を持たなかった。
「この計画を社内で進めてきたのは私です。彼は私の指示どおりのものを作ってくれました。」
中島知久兵は田中をかばうように言う。田中はその助け舟にどこかほっとした表情を浮かべた。
技術者である彼は、こういった政治的な場での動きに長けているわけではないのだ。
中島は田中に軽く頷くと、そんなことよりも、と言って続けた。
「そもそも、この"Z機"の目的を思い返していただきたい。我々は何のために議論をしているのか。
敵国首都を叩いてこの戦争を終らせる、そのための航空機を得るためです。」
彼はそう言って陸海軍だけでなく各省の高官が居並ぶ会議場を見渡した。
「西方大陸の奥深くにある首都を叩くためには、遠くにいけるというだけでは駄目なのです。
敵ドラゴンから逃げるための高速度、敵国の継戦意欲を失わせるための爆撃が必要なのです。
そのためには二十トンの爆弾搭載は欠かせない、私はそう考えています。」
その言葉に杉山元陸軍参謀総長が頷いた。爆弾の話だけではない、彼はそう言って話し始めた。
「中島案であれば、百人を超える兵士を搭乗させる事が出来る。川西の案ではそうはいかない。この差は大きい。」
そこから先は全員を巻き込んだ議論が始まった。論点は"求めるべき性能""、"具体化の時期"と"実現可能性"の三点だ。
軍部は中島案の高性能に完全に魅了されているし、商工省は実現可能性を重視した川西案にこだわっている。
議論は平行線をたどり、そのまま結論が出ないかと思われた、その時――
「我々の機体案についての議論は無いのですか?」
白熱した議論、その一瞬の沈黙をついて萱場資郎が言った。彼はこの場に"自信作"を持ち込んでいるのだ。
一瞥もされないままという訳にはいかない。
萱場の言葉に沈黙した場をとりなすように中島は委員長としての義務感から言った。
「萱場さん、貴方の案は、なんと言うか――」
「判っています。突飛だと言いたいのでしょう。それに航空機分野での実績も不足しています。確かに仕方ありません。
ですが、その資料を読んでいただければ十分にご理解いただけるはずです。」
航続距離一万五千キロという数値は中島案にも川西案にも劣っている。要求仕様から言えばぎりぎりの線だ。
だが爆弾搭載量は二十八トンと中島案さえも上回っている。この面から見れば、軍部にはもっと注目されても良いはずだった。
その筈ではあったのだが――
「萱場さん、貴方が以前から大型機を作ろうとしていたことは知っています。性能はまだ良いでしょう。
ですが、その見た目はとても航空機には見えません。本当に飛ぶのですか?」
中島の疑わしげな声に萱場は応じた。
「胴体からも揚力を得るように工夫した結果、こうなりました。翼胴融合型、そう呼んでおります。
紙型模型での滑空試験には成功しています。現に飛んでいる以上、基本的に問題は無いはずです。」
落ちただけじゃないのか、誰かがつぶやいたのが聞こえた。
萱場製作所が出してきた機体の完成図はそれまでの常識を打ち破るものだった。
盛り上がった円形をした胴体に、申し訳程度の小さな主翼と斜めに取り付けられた尾翼がついている。
大福を潰して翼をつけたような姿をしているのだ。とても空を飛ぶ物体の姿ではない。
さらに推進装置の項目には"タービンロケットを利用"と書かれていた。中島の五千馬力発動機以上に未完成の代物だ。
それを採用すると宣言している萱場に、中島はいっそすがすがしい思いすら感じていた。
書類の最後には機体完成図が記載してある。まるで皿のような物体が大挙して都市を爆撃している画だ。
大協約首都を爆撃している様を描きたいのだろうが、どう見てもワシントンを爆撃しているようにしか見えない。
小松崎、というサインがしてあるその画を眺めた中島は苦笑せざるを得なかった。
「この航空機は、タービンロケットの排気を機体下面に誘導して機体を浮かべる事ができます。
その特性により、滑走距離は大幅に短縮されますし、海上からも発進する事が出来ます。
四方を海に囲まれた我が国にとって、これは非常に重要な事ではないでしょうか。」
中島の思いを無視するように萱場は言った。その表情はむしろ得意げだった。
余程の自信があるのだろう。これは一筋縄ではいかない、中島は表情を改めながら言う。
「判りました。その機体が素晴らしい性能であるとしましょう。ですが、実現時期はどうなります?
我々が必要としているのは"今次大戦に間に合う航空機"なのです。
その飛行機が如何に優れていようと、そうですな、あと数年以内に実現の目処が立たないのであれば――」
その言葉を待っていたかのかもしれない。萱場は中島に最後まで言わせなかった。
「実は昨日、コアンダやカンピニのサーモジェットを参考にした発動機を積んでの十分の一試作機が稼動に成功しました。
まだ水面を浮上航行する事が出来るだけですがね。あとは発動機の出力を上げれば良いだけです。」
萱場社長は断言した。会場はざわめきに包まれた。そこから再び喧々諤々の議論が始まる。今度は萱場の案も俎上にのっている。
「えらいことになったな・・・」
その様子を見た中島知久兵は、誰かが会議冒頭につぶやいたと同じ言葉をつぶやいた。
結局、この三機種はそれぞれ正式に開発が行われることになった。
議論を尽くしたものの、この三案に優劣をつけることは困難、そう判断されたのだ。
菊原が設計した川西の飛行機はその早期実現性を買われ、中島案はその能力を買われ、萱場案はその未来を買われた。
そして、その選択は結果として正しかったことは歴史が証明している。
川西のZ機は"蒼山"として敵国本土に対する爆撃任務に投入され、大きな成果を上げる。
砂漠地帯を発進し、高度一万五千メートルで飛来する"蒼山"に対して大協約の空中部隊のほとんどは手出しが出来なかったという。
軍からの発注は川西社長の予想よりも少なかったとはいえ、川西は経営的に息を吹き返した。
川西航空機はその経営的余裕を用いて戦闘機"紫電"を開発し、念願の戦闘機メーカーとして名を上げる事になる。
萱場のZ機は、十分の一試作機以降の開発が思わしくなく、この戦争中は飛行機として空中に浮かぶことは無かった。
だが、"水面を高速で滑走する"という利点を買われ、強襲兵器"震洋"として採用されることになる。
萱場の翼胴融合型航空機が空を飛ぶのは、昭和三十三年初飛行となる"轟天"まで待たねばならない。
中島のZ機は"富嶽"として開発が進められる事になった。
様々な技術的困難を乗り越えて試作一号機が進空したのは昭和二十二年の暮れの事だ。
この"富嶽"試作一号機、二号機、三号機は日本の終戦に大きく影響することになるのだが、それはまた、別のお話――
初出:2010年5月2日(日) 修正:2010年5月25日(火)